18.二千年前の、真実
仲間の楽しげな声を聞きながら、チカゲは一人、バルコニーへと出た。
雨は漸く上がり、雲の切れ間から陽の光が下界へ注いでいた。その夏の長い陽もそろそろ、西へと傾き始めている。
まだ湿り気を持っている手摺に手を置き、地面に伸びた庭園の木の影に目を落とし、チカゲはそっと溜め息をついた。
――あの時、どうして力が急に抜けてしまったのかなあ……
『チカゲ』頭の中で呼び掛けられて、チカゲははっとする。
「チナミ様」
『少し、話したいんだけど……』
「あ、はい」返事を返した途端、目の前が白い景色に変わった。
「あれ? 『光の塔』……?」
『うん。意識だけ、ちょっとここへ来て貰った』
声と同時に、眼前にチナミが現れた。
「先程、パルスタードへの攻撃の力を止めたのは、僕だ」
「チナミ様が?」意外、というより、やっぱりという気持で、チカゲは訊き返した。
「チカゲが納得出来ないのは、分かってる。チカゲはあの時、パルスタードを殺そうとした。トシヤが……、目の前で仲間が倒されて、頭に来て。僕にもそういうことが過去に何度かあった。エルウィードと戦っている時に」
「では、何故……?」
チカゲの心情が分かっていながら、止めたのか。
「うん……。その理由を、チカゲには知っておいて欲しくて、だから、ここへ来て貰ったんだ。——エルウィードと僕が、血を分けた兄弟なのは、前に聞いたね」
チカゲはこっくりと頷く。
「これから話す事は、僕とユキナガしか知らない。
二千年前、僕はヒナタ国の王太子として生まれた。僕の母が第一王妃だったから、位の順番からそうなった。一方、エルウィードの母上は、ヒナタの王宮に行儀見習いとして来ていた下女だった」
当時のヒナタは、身分制度に加え、王侯貴族でも魔力の強い者の位が上位という、魔法封建国家だった。
エルウィードの母は、多少魔力はあったが、地方の農家の出という低い身分であったため、王の手はついたが妾妃として後宮には入らず、妊娠が分かった時点で国王から子供の身分の証しの品と金を少し渡され、里へ帰された。
王侯貴族が下女に手を付けるというのは今でもあることであり、それ故、王家の血筋は市井に掃いて捨てる程いる。
王の子とはいえ、父親の無い子供には違いなく、田舎では片親の子は冷たい目で見られる。
実家で息を潜めるように暮らしていた母子は、エルウィードが十歳になった時、彼の魔力が魔法学院入学に十分だと分かるや、逃げるように王都へと出て来た。商人の親戚を頼りその人物を後見人として、エルウィードは魔法学院に入学した。
入った途端、エルウィードはめきめきと実力をつけていった。
魔力は精神的なものに大きく左右される。それまで田舎で目立たぬように暮らしていたため、素質はあっても発揮されなかった彼の魔力は、学院の専門の教授の指導を受けるや、あっという間に強大なものに変わった。加えて勉強熱心であったため、呪文や理論も凄まじい勢いで覚え、十四歳の時には並み居る先輩を押し退け首席になった。
その頃、やっと五歳になった王太子の守役兼遊び相手を、王宮では探し始めた。
当時の慣例として、魔力の強い王子や王女には、やはりそれを指導出来る、同等かそれ以上の魔力を持った守役が付けられた。
しかしチナミの魔力は、魔法国ヒナタの王族でも稀に見る強さであったため、中々適任者が見付からなかった。王宮では、通常貴族と騎士の子弟の中から選ぶ守役候補の枠を拡大し、魔法学院からも候補を探した。それで、エルウィードに白羽の矢が立ったのだ。
「えっ? ではエルウィードは、チナミ様のお守役だったのですか?」
「うん。十五の年まで、彼と僕はずっと、それこそ寝食も一緒だったんだ」
「え——」衝撃の事実に、チカゲは一瞬言葉を失う。チナミは続けた。
「守役だった頃のエルウィードは、とても良い先生だったよ。分かり易く魔法を教えてくれたし、身体が弱かった僕を、とても気遣ってくれた。僕はそんなエルウィードを、心から慕ってた。後で、僕の腹違いの兄だと分かった時には、本当に驚いたし、嬉しかった。
……でも、ある日突然、彼は変わってしまった。古くなり使われなくなった、宮廷魔術師の勉強室のある塔の地下に眠っていたひとつの水晶球が、その後のヒナタの壮絶な運命を決定したんだ」
水晶球に記録を残すという手段は、ヒナタより更に古い、古代王国時代には頻繁に行われていた、と、チカゲは魔術の授業の中で聞いたことがあった。
しかし、人々の魔力が徐々に減って行く現在の大陸では、水晶球が情報集積装置であることすら、宮廷魔術師のような人間以外、ほとんどが知らない。
「魔術師の塔の地下にあっ水晶球には、禁忌の大呪の情報が入っていた」
チナミは、愛らしい、と言える綺麗な顔を切なげに歪めた。
「水晶球に記されていたのは、人間を作り出す魔法だった」
「人間をっ!? そんな魔法聞いたこと無いっ!!」
驚愕に声を荒げたチカゲに、チナミは「そうだね」と頷いた。
「僕もあの日まで、そんな魔法があるなんて知らなかった。いや、あの魔法は、知られてはならない魔法だったんだ。
ところで、僕とエルウィードは当時、時々探検に出掛けた。行き先は王宮内の、使われていなかった塔や地下倉庫。それは、身体が弱くて普通の子のように外遊びが出来なかった僕のために、エルウィードが考えてくれた一番楽しい遊びだった。暴れ回るのは出来なくても、体調のいい時は歩くことは出来たからね。それに、王宮内なら、まずそんな危険なところは無いし。
あの日も、僕達は例によって遊び半分で魔術師の塔の地下に忍び込んだ。天気のいい日で、僕の体調も良かったから、医師も少しの冒険を許してくれたんだ。古い魔術師の塔に行くことになったのは、僕が言い出したからだった。だから僕はもちろん、いつもは先に下見に行くエルウィードもそこには入ったことが無かった。そこにあの水晶球があるなんて、二人共知らなかった。そして、悪い偶然は重なった……」
水晶球から情報を取り出すには、相当の魔力が必要だった。呪文が入っている場合は、その呪文を使いこなすだけの魔力がなければ、水晶球は何の情報も与えない。
人間創造の呪文は大呪だったが、エルウィードの魔力はそれを行うに十分過ぎた。同じく、チナミの魔力も。
「僕達は知らずに水晶球の中の呪文を発動させた。水晶球はまず、入っている呪文とその制約について僕らに伝えた。更に、水晶球から呪文を読み取った人間と制約についても、情報を蓄積していた。一番近い過去に、その呪文を知った人間は僕達の父、当時のヒナタ国王だった」
「それって……、もしかして……」
「大呪は、全容と概要に別れていた。概要だけ知るなら制約には縛られず、水晶球に名も刻まれない。けれど全容を水晶球から読み取るなら、ある制約を果たさなければならないようになっていた。それは、必ず一度は大呪を発動し、人間を作り出さなければならないという」
その制約を破った場合、術者は制約の呪いによって、二十年後、必ず狂い死ぬ。
「どうして、あんな場所にあの水晶球があったのか、今でも分からない。ただ、あの頃から、既に水晶球の中身を読み取れる程強い魔力の持ち主は減っていたから、宮廷魔術師達も、あれが魔術書であるとは思わなかったのかもしれない。幸か不幸か、国王――父上もエルウィードも、水晶球から知識を引き出せる程魔力が強かった。
……水晶球に名を刻まれているということは、父上は一度は大呪を行ったということだった。僕とエルウィードは、大変な秘密を知ってしまった恐ろしさに震えながらも、好奇心に勝てなくて更に詳細を調べた。地下室にあった他の魔法書や日記のような書物を片端から読み、ついに見付けてしまったんだ。父上が何時、誰を作り出したかを」
チナミは一度言葉を切った。自分の右肩を抱き、俯く。
辛そうな彼の表情に、チカゲは「もういいです」という言葉を、喉の辺りまで言い掛ける。
だが、チカゲが口を開けるより先に、チナミは話を再開した。
「父上が大呪を習得したのは、まだお若い頃だった。きっとあの時の僕達のように、面白半分に地下室に入り、あの水晶球を見付けられたんだろう。でも、僕達とは違い、父上は全容を読み取ってしまわれた。それから十五年後、父上は制約に従って大呪を発動させた。それが、僕達が水晶球を見付けた時から溯って、二十四年前だった。
その時、エルウィードは二十三歳、僕は十四歳だった」
「ま、さか、その……?」
「人間創造の呪文を発動するには、術者の血と、魔法を宿す女性の身体が必要だった。これも色々調べている時に知ったんだけれど、この禁呪は余程の魔力の持ち主でも七割は失敗する。人にならなかったり、宿す女性が死んでしまったり。
……地下室の魔法書の間から見付かった父上の走り書きに、女性の名前が書き込まれていた。エルウィードの母上の名が」
チカゲは悲鳴を噛み殺した。見開かれた薄緑の瞳を、チナミが見詰めた。
「そこまで記録があって、ではどうしてエルウィードが僕の守役として王宮に入って来た時に分からなかったのかと、チカゲは不思議に思うだろう。
当時のヒナタでは、国からしかるべき身分を貰った者以外には姓が無かったんだ。名前だけなら同名の女性は大勢いる。それに加えて、エルウィードは親戚を保護者として学院に入学していたので、母親の名は書類に乗らなかったんだ。
僕達は、これは何かの間違いだと思って、何度も調べ直した。父上が大呪を発動した当時、他に同名の女性をお召しになっていなかったかどうかとか。
……でも、日記を見ても王宮の下働きの過去の名簿を見ても、エルウィードの母上と同名の女性は、その時居なかった。
全て間違いないと分かった晩、エルウィードは父上の寝所に忍び込んで問い詰めた、と言った。何故自分の母親を選んだのか。どうして身籠もったと知った途端、母親を里へ帰したのか。
父上の答は、恐ろしかったから、だった。制約の呪いを信用せず面白半分で大呪を覚えたが、いざ期限の二十年が近付くと本当に狂い死ぬ気がして来て、適当な下女を召し上げ魔法で眠らせ、大呪を掛けた。その後本当に子を宿したと知って、ますます恐ろしくなり王宮を下がらせた、と」
「そんな……っ、無責任なっ!!」
チカゲは、怒りに任せて声を荒らげた。