12.癒しの魔法
「頭が痛いの。でも……。あれっ、痛くないよっ?」
弾けるようにチカゲを見て、少女は大きな青い目を真ん丸に見開く。
「どうして? お姉ちゃん、魔術師?」
「うん。チカゲっていうの」
「私、ユリ。お姉ちゃん、ありがとうっ」
ユリは、にっこり笑うとチカゲに抱き付いた。チカゲは、抱き付かれてびっくりしながらも、初めて自分の魔法が人の役に立った嬉しさに、少女を抱き締めた。
「よかったあっ!!」
「お嬢さん、魔術師なんだね。こりゃ大したもんだ」
老婆と老人は、嬉しそうに二人を見ながら笑う。
チカゲは、老婆の足の怪我を思い出して、そっとユリを離した。
「お婆さんも、足が痛いんだよね? 待ってて」
ユリにしたように患部に手を翳し、水の治癒魔法を再び唱えた。先程と同じく、光が老婆の足に下り、透明な水となって患部を包む。
「ああ……。足の傷が癒えていく」
老婆の顔からみるみる苦痛の表情が消える。
「おお、ありがとう、チカゲさん」
老人は、連れ合いの笑顔に喜んで、チカゲの手を取って礼を述べた。
魔法を使って二度も感謝された。嬉しくて、チカゲは満面の笑みを浮かべた。
「あの……」
後ろから声を掛けられ振り向くと、老婆の斜め左にいた中年の男が、縋るような表情でチカゲを見ている。
「わしも、お腹を打ったんだよ。良かったら治しておくれ」
チカゲは「いいよ」と笑うと、男の腹部に手を翳す。魔法はすぐに発動し、たちまち男の痛みを止めた。
それを見ていた周囲の怪我人が、次々とチカゲに助けを求め始めた。
「俺は、足を……」
「私は、腕を折ったの」
あっと言う間に、チカゲは人々に囲まれた。
「お願いっ、どうか治してっ」
「助けてくれっ!」
「娘が大怪我を……」
「あっ、あのっ、ちょっと待って……」
我も我もの状態に、チカゲは慌てる。困った王女を助けたのは、最初に治した少女ユリだった。
「お姉ちゃんが困るでしょっ。みんな、順番っ!」
ユリの一言で、群がっていた大人達は静まる。
少し離れて見守っていたマリは、皆がチカゲに群がり始めたのに危険を感じ駆け寄ろうとしたが、ユリの一言で静まったのを見て止どまった。
「じゃあ、並んで下さいっ」
ユリの号令で、人々は列を作り始めた。同じく治して貰った老婆と老人も手伝い、チカゲの前にはたちまち長い列が出来る。
漸く到着した衛生兵が、騒ぎを聞き付け飛んで来た。
「何ですかこれはっ?」
「姫様が、怪我人の治療を始められたのです」
マリは兵士に説明し、チカゲの元へ寄った。
「こんなに大勢では……、お疲れになりませんか?」
お守役の心配に、チカゲは「ううん」と首を振った。
「治癒の呪文は初級だし。私、魔力だけはあるから、大丈夫」
では治療を始めようと、チカゲが手を翳した時。
「マリいるかっ!!」
「ハーシェルっ!」
息急き切って、ハーシェルが駆け込んで来た。
「よくここが分かりましたね?」
「カレリアの『気』を追って来た。……それよりパルスタードが居たっ。西の封印塚の方に現れて、今、カナメとトシヤがそっちに詰めてる部隊の応援に向かってる。上手くすれば今度は掴まえられそうだっ」
「分かりましたっ!」
失礼します、と立ち上がったマリを、チカゲは止めた。
「待ってマリっ、私も行くっ」
一度は、兄達の足手まといになりそうな自分は、行かないほうがよい、と思った。しかし、市街のこの惨状を目の当たりにして、チカゲは本気でパルスタードが許せない、と感じた。
「ですが……」チカゲの申し出に、マリは美貌を曇らせる。ここでチカゲが怪我人の治療に専念していてくれれば、危険な目に遭わせずに済む、と考えているのだろう。
お守役の逡巡を断ち切るように、ハーシェルが鋭い声を放った。
「やめとけってっ。生のパルスタードだぞっ。あんたにはまだ無理だっ」
「これでも一度は戦ってるんだからっ。それに、ここから西の封印塚まで、馬でも十分はかかるよっ。私が一緒なら魔法陣が使える。一瞬で行けるっ」
兄はいいと言ったのだ。なのにここで置いて行かれるのは嫌だと、チカゲは必死に言い募った。
「魔法陣を使えるのは、私みたいな魔術師だけっ! しかも、王族なら何人か一遍に運べるんだからっ!!」
王女は魔術師長から貰った腕輪を、ハーシェルに見せた。
ハーシェルは束の間、難しい表情でチカゲの腕輪を睨む。
「……それ、本当だろーなっ」
「ほんとよっ。どーして私がウソつかなきゃなんないのっ」
さも自信あるように、チカゲは胸を張って見せた。
「……ほんとはカナメに連れて来んなって言われたんだけどな。カナメに殺されっかな……。でも、間に合わなきゃ意味ねーし、背に腹は換えられねえか。――よしっ、一緒に来なっ」
わあい、と、チカゲは飛び上がって喜ぶ。
彼女の隣で、ユリが悲しげな顔をした。
「お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」
これから始めようとしていた治療を思い出して、チカゲははっと、少女を見た。
「あ……、ごめん。でも、私……」
「そんな殺生なっ! 私らの怪我は治してくれないのかねっ?!」
せっかく並んだのに、と、周囲からも非難の声が出た。
「ごめんっ! でも私、行かなきゃなんないのっ。お願いっ、勘弁してっ」
頭を下げる王女に、それでも人々は怒りの言葉を投げる。
「痛いのを我慢して並んだのにっ!」
「治してくれるって、嘘だったのかよっ!」
「人でなしっ!」
「静まりなさいっ!」
堪り兼ねて、マリが声を張った。
「そなた達は、誰に向かってものを言っているのですかっ。この方は、アケノの第一王女、チカゲ・セライア様ですっ! 本来ならそなた達が気安く声をお掛けしてよい方ではありませんっ!」
怪我人達は、一斉に黙った。呆気に取られる周囲に気恥ずかしくなり、チカゲはあらぬ方に目線を飛ばす。
「えーと……」
「お姉ちゃん、王女さまなの?」
困惑した表情のユリを、チカゲは彼女を見下ろして頷いた。
「ごめんね、黙ってて」
「どーして、王女さまがここにいるの?」
「それはちょっと、事情があって……」
話せば長くなるし、詳しい説明をしている程、時間は無い。
「ごめんねユリちゃん。それはまた今度話すねっ」
とにかく、ここに集まった人々の治療をどうしようと考えて、チカゲははたと思い付いた。
――私の魔力なら、一人一人に掛けなくても、全員一遍に治せるかも。
普通の魔術師なら、かなりな暴挙と言える。だが今は時間が無い。それに、しょっちゅう魔力を暴走させているので、魔法を巨大化させるのは、ある意味得意である。
後は大暴走に注意だが、やり方は、ユリと老婆の時に分かった。後は、対象を広げて、ここにいる全員を治す意識を持てばいい。
チカゲはすぐに魔法の詠唱に入った。
「……清き水の力……」
目を閉じて、怪我人全体を、更にこの場所の状況をしっかり心に思い浮かべ、魔力を高める。先程は掌からしか現れなかった光が、チカゲの全身から迸る。
「――治癒水」
呪文が完成すると同時に、チカゲは両手を天に向け、くるり、とその場で回った。
途端。彼女の身体から発された光は、一度天井まで上がり横に大きく広がると、程無く雨のように降って来た。
光は人々の身体に触れるや透明な水に代わり、瞬く間に患部を浄化していく。
「お……、おおおっ」
「すごいっ!!」
傷が癒された人々は、皆驚きの声を上げる。
並んでいた人々だけではない。光は建物をはみ出し、通り近くで衛生兵の手当てを受けていた者までが癒され、衛生兵が何が起きたかと驚く。
無論、老人の手の怪我も跡形も無くなっていた。
「これでよしっ、と」
チカゲは、あらかた効果を確認すると、マリとハーシェルを振り返った。
「お待たせしま……、あれっ? どしたの?」
二人とも、チカゲの魔力の強大さに、今更ながら驚いてあんぐり口を開けていた。
「何びっくりしてるの?」
「……すっげえ。こんなバカでかい治癒魔法、初めて見た」
「私も……、今までお仕えしていて、初めて、姫様のお力の凄さを見た思いです」
「わっ、私だって、やれば出来るんだからっ」
褒められて、ちょっぴりくすぐったくなったチカゲは、わざと頬を膨らませた。
「急がなきゃ、さ、行こうっ」
二人を促して、チカゲは歩を踏み出す。その背に、ユリが言った。
「おねえ……、王女さま、また会える?」
チカゲは振り返り、微笑んだ。
「うん。絶対。悪い奴を倒したら、必ず会いに来るから」
「うん、待ってるねっ」
さよなら、と、少女が手を振る。それに釣られるように、傷を癒された人々が、チカゲに頭を下げた。
次々と感謝の礼を述べる人々の中を、チカゲはハーシェル、マリと共に、魔法陣へと急いだ。