1.ノーコン王女
西の地の大国アケノの第一王女のチカゲは強大な魔力を持って生まれた魔術師。しかし、訓練を重ねても一向にノーコンが治らない。
そんなチカゲと、兄の王太子カナメ、従兄のトシヤ達が、国の危機に立ち向かって行く。
果たして・・・?
残酷なシーンはありませんが、戦闘シーンが結構あります。痛いのは苦手なかたは、ご注意ください。
(林の戦闘シーンは、結構痛いと言われますので。汗)
王宮の広い中庭の上空は、今日も気持ちよい青空に覆われていた。
木々は緑のベールを纏い、やや熱い夏の風にくすぐられて、サヤサヤと心地好い音を響かせている。
そんな穏やかな景色の中に、異様に殺気立った少女が立っていた。
チカゲ・セライア。
今年の誕生日で十五歳になる彼女は、このアケノの国の第一王女にして強大な魔力を持つ魔術師である。
どれ程強大な魔力かというと、平均的な魔術師の炎の魔法の威力が、せいぜい風呂が沸かせる程度なのに対して、チカゲはその千倍ほど。小さな砦なら、一発で炎上させられる。
近年のアケノでは稀にみる強い魔力を持って生まれたチカゲは、年々歳々減りつつある魔術師と、それを庇護する国家にとって正に宝物であるには違いない。
しかし、チカゲは最小出力に絞って発動した筈の炎の魔法で、五十メートル四方の池の水を一瞬にして蒸発させてしまった。
その時チカゲが狙ったのは、池ではなく、そのほとりに置かれた人形だった。
要するにこの王女さま、もの凄く『ノーコン』なのである。
「――ですので、確固たる明快なイメージを己の中に描きつつ、呪文を唱えるのです」
長いあご髭も、肩までの髪も真っ白な魔術師長が、おっとりとした口調で魔術の心得をチカゲに話す。
チカゲは聞きながら、小柄な体格に見合う小さな白い手で、三十センチほどの長さの樫の白木の魔術用杖ぎゅっ、と握り締めていた。
白い小顔の愛らしい口をへの字に曲げ、薄緑色の大きな目で、前方五メートルの所に置かれた的の花瓶を睨み付けている。
紺色の細いサスペンダーで吊った膝丈の白いスカートの柔らかいプリーツが、夏風にふわふわと揺れる。
「さすれば、唱えた呪文が魔力に意味を与え、目に見える力となって発動されます。おわかりですかな?」
「はいっ」チカゲは、切羽詰まった声で返事をした。
彼女の後ろには、侍女でお守役のマリ・ミクニと、後見と称して付いてきた、十七歳の兄の王太子カナメ・クリストがじっと成り行きを見守っている。
東の地一と謳われた美女である王妃の母とそっくりな美貌の兄カナメは、美しい青銀の目を細め、トレードマークであるポーカーフェイスで、じっと妹姫の様子を眺めている。
大きく深呼吸すると、彼女は炎の魔法呪文を唱え始めた。
初級の炎の魔法など、チカゲ程の魔力があれば呪文など唱えなくとも発動出来る。
だが魔力制御が出来ないチカゲは、まず呪文で魔力の集中をしなければ、危なくて発動出来ない。
――今日は、絶対失敗出来ないもん!
今年に入って、すでに十回の実技訓練を行ったが、全て的以外のなにがしかの物を破壊している。
そのひとつに、奥殿の中庭の四阿がある。
今回と同じく炎の魔法の最低レベルの訓練で、チカゲは的の水鉢と池を挟んで対岸にあった四阿を、粉々に吹っ飛ばしてしまった。
さすがにあれには、娘に甘い父王も渋い顔をした。
だから、これ以上は、本当にまずい。
「我が内なる力、理に従いて……」
——落ち着いて、落ち着いて。
チカゲは、心の中で一生懸命呟く。
杖を両手で水平に持って構え、一心不乱に呪文を唱えるチカゲの身体から、うっすらと白く輝く光が立ち上ぼる。
詠唱が終わるや、光は腕を伝い、杖の方へと集まる。チカゲは閉じていた目を開け、集まった光を杖の先へ乗せると的へ向かって放った。
「ファイヤー!!」
途端、光は炎の線と化し宙を飛び、見事に的の花瓶に当たった。強烈な炎に包まれた白い花瓶は、一瞬にして粉々に砕ける。
が。
やはりいつもの如く勢いの有り余ってしまった魔力は、線から放射状になり、的のすぐ脇に立っていた柳の木を、まるで爆裂弾よろしく砕破した。そこで止まればよかったが、放射炎は柳の後ろの彫刻にまで到達した。
外形を留めないまでに砕けた、三メートルはある年代物の美女の彫刻を目の当たりにして、チカゲは悲鳴を上げた。
「いやーっ!!!!」
パニックを起こし、その場をぴょんぴょん跳ね回る妹の後ろで、カナメは「やっぱり」と表情を動かさずに呟いた。
「どーしようぅぅっ!! また壊しちゃったあぁぁっ!!」
大きな目を更に大きく見開いたままぽろぽろ涙を零し、チカゲは叫んだ。
「マリ〜〜っ!!」
チカゲより三歳年上のマリは、鋭利な雰囲気を持つ美女である。幼い時から武術家の父の厳しい指導を受け、十歳にして棍棒と体術の師範となった彼女は、チカゲが四つの時からお守役兼遊び相手として側に仕えている。
「落ち着いて下さいっ、姫様」
アケノの女性には珍しいショートカットの濃茶の髪が靡く程急いで駆け寄ったマリは、またもやの大失敗に思い切り凹む王女の背を、優しく撫でる。
「大丈夫です、次は必ずちゃんと出来ますよ」
「そうだ、チカゲ。努力はいつか報われる」
チカゲは尤もらしい顔で空々しい台詞を述べる兄の、髪と同色の銀糸の縫い取りも美しい水色の上着と同色のズボンを穿いたすらりとした長身を、恨めしげに見上げた。
「~~そんな事、ちっとも思ってないくせに。兄上は、単にわたしの失敗を面白がってるだけじゃないっ!! 悪趣味~~っ!!」
カナメのポーカーフェイスが、僅かに歪む。
やっぱり、と確信して、チカゲは更に口をへの字に曲げた。
「そんな事はないぞ。僕は……」
取り繕おうとしたらしいカナメの弁明は、だが闖入者の大きな笑い声に掻き消された。
「あっはっはーっ!! まーたやっちまったのかぁ、チカゲっ!!」
笑いながらやって来たのは、カナメとチカゲの従兄、トシヤ・サフィスだった。
「おめー、ノーコン、全然治んねえのなっ?」
チカゲとカナメの父ナユタ二世の弟の子であるトシヤは、十九歳という弱輩ながら、並外れた剣の腕で既に第一近衛軍軍団長を勤めている。
豪放磊落、悪く言えば大雑把な性格だが、面倒見はいいので部下の信頼は厚い。加えて中々の美貌のため、宮中の女官達にも人気は高かった。
無論、王太子のカナメも、その美しさで女官達の目を楽しませている。
カナメの美貌が熟練の陶工の作り上げた精緻で優美な芸術作品と見えるのに対し、トシヤのそれは野生の獣を思わせる、精悍で肉感的な美である。
父の大公の意向で、幼い頃から市井の子供たちと一緒に武術や勉強をしたというトシヤは、乱暴な下町言葉を王宮内に持ち込んだ元凶でもある。
くだけた(くだけすぎでもあるが)言葉遣いのせいで、部下たちには『王族にしては気さくな人物』という、好評価を得ている。
逞しくて、華麗で、人好きのする従兄は、しかし、そのおおらかで瑣末なことを気にしない気性で、時々チカゲの神経を逆撫でする。
今一番言われたくない言葉を言われ、チカゲは薄緑の目を三角にしてトシヤを睨んだ。
「何よーっ、そんなでっかい声で言わなくってもいいでしょーっ!! トシヤ兄のバカっ!!」
「おお? ホントの事言われてバカはねーだろがっ!」
黒い丈長の軍服を着たトシヤは、切れ長の紫の瞳に笑いを浮かべたまま、腰まで届く赤金の髪を背に垂らした小柄な従妹を見下ろした。
チカゲの言葉遣いが悪いのも、ものごころがついた頃からトシヤと口喧嘩をしているせいだった。幼い頃から一緒に遊び、言い争いもしているうちに、トシヤの口の悪さが移ってしまった。
が、チカゲが普通の王女様のようにおしとやかでないのは、何もトシヤのせいだけではない。
本人の、お転婆気質も、多分に関係している。
チカゲは、言い返されてぶうっ、と膨れる。
「もうっ。兄上もトシヤ兄も、私の失敗を楽しまないでよっ!!」
半べそで怒る妹に、カナメは静かに訂正した。
「いや、僕は面白がってはいないよ。チカゲが魔法が上手になる事を本当に、心から望んでいる。……トシヤはどうか知らないが」
「おいカナメっ!! てめーどーしていつもそうやって、火に油注ぐような事言いやがるんだっ!!」
「火に油なんて。僕は事実を言ってるだけだ」
「だーからっ!! それが一言多いってんだよっ!」
「まあまあ、お二人共」
今にも相手に掴み掛かりそうな勢いのトシヤとカナメの間に、魔術師長が割って入る。
「お従兄弟同士、仲がおよろしいのは分かりますが、その辺にしておきなされ」
魔術師長の鶴の一声で騒ぎが収まったところへ、宮殿の警備兵が二人、駆け寄って来た。
「魔術師長様っ!」
呼ばれた魔術師長と、チカゲ達は何事かと兵士を見る。
兵士は王太子と公子、そして王女にそれぞれ一礼すると、魔術師長に向かって言った。
「陛下のお召しでございますっ。至急、大広間にお越しをっ!」
「何があった?」
「はい。魔術師長補佐のパルスタード殿が、謀反の疑いで捕らえられました」
「なにっ、パルスタードがっ?」
魔術師長が声を上げる。チカゲとマリ、それにカナメとトシヤも、思いもよらぬ出来事に驚愕した。