嫉妬
さらに奥へ進んだところで、レンの足が止まった。
魔力感知の網に、奇妙なノイズが引っかかる。
モンスターの無機質な殺気ではない。
もっと粘り気のある、湿った「悪意」だ。
(……なんだ、この感覚。魔物じゃない)
「サクラさん、止まってください」
「えっ、どうかしましたか?」
「……変なんです。そこに、誰かいます」
レンは目を閉じ、意識を前方の角に集中させた。
壁の向こう側。呼吸を殺し、獲物を待つ「人間」の気配。
【賢神ソフィア】:探索者だ。隠蔽スキルを使っているが、魔力の揺らぎを隠しきれていない。
【古代龍バハムート】:……殺気があるな。レン、気を抜くなよ。
「通路の左、壁際です。……そこにいる方、聞こえてますか」
レンの凛とした声が通路に響く。
数秒の沈黙の後、暗がりから一人の男が姿を現した。
二十代後半。体格は良く、装備も使い込まれている。その胸元には、中級者の証である銀色のプレートが鈍く光っていた。
「……チッ、気づかれたか。Eランクの分際で、魔力感知だけは一丁前だな」
【雑魚狩り配信bot】:あ、そいつ俺の知り合い。Cランクのガチ勢だよ笑
【名無し視聴者A】:お、リアル凸きたwww
【名無し視聴者B】:配信で場所特定して邪魔するの最高に楽しいわ。どうせ何もできねーだろ?
コメ欄が荒らしの嘲笑で埋まっていく。
レンは静かに状況を理解した。
これは偶然の遭遇ではない。
配信を利用した、組織的な「リアルタイムの嫌がらせ」だ。
「サクラさん、僕の背後をお願いします」
「わ、分かりました……!」
男は抜刀こそしないものの、威圧するように一歩踏み出してきた。
「お前の配信、ムカつくんだよ。大した実力もねぇくせに、神だの何だの担ぎ上げられてよォ……。少し『教育』してやろうと思ってな」
「教育、ですか。……ここでの戦いならお断りします。やりたいなら地上で申請してください」
「はっ、臆病風に吹かれたか? Eランクの雑魚がよォ!」
男の目が細くなった瞬間、空気が凍りついた。 男が、抜刀。
宣言も合図もない。完全な「奇襲」――Cランクの速度で、男がレンの喉元へ踏み込んだ。
「っ!」
(……見える。遅いくらいだ)
◆
男の剣がレンに届くより早く、レンは横ではなく「斜め前」へ踏み込んだ。
最短距離。男が最も想定していない、懐のさらに奥。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開く男。
レンは右手を伸ばし、男の剣を持つ手首に指先を添えた。
発動させたのは、雷魔法。
だが、それは雷撃ですらない。
「――っ」
パチッ、と静電気のような音が響く。
その瞬間、男の腕から力が抜け、握られていた剣が乾いた音を立てて地面に落ちた。
「あ……が……!?」
男は自分の腕が何故動かないのか理解できず、呆然と立ち尽くす。
レンはそのまま一歩下がり、落ちた剣を視線で指した。
「手首の神経を、少しだけ痺れさせました。後遺症はありません。……これ以上続けますか?」
レンの右手には、まだ微かな紫の電光が揺らめいている。
その密度、その色。
男は直感で理解してしまった。
もし今の魔法が本気だったなら。もし、狙いが手首ではなく心臓だったら。
自分は生きていただろうか。
【mukai_b_rank】:……今、何が起きた? 【kirishima_arisa】:あり得ない……。Cランクの踏み込みに対してカウンターで懐に入って、最小出力の雷で「神経だけ」を焼かずに麻痺させたの……?
【ダンジョンオタク_ケイ】:魔法の精密制御がバグってる。傷一つつけてないぞ。
【雷神トール】:上出来だ。我が雷を、これほど繊細に扱うとは。
【古代龍バハムート】:ふん。少しは様になってきたな。
【雑魚狩り配信bot】:……え。
【名無し視聴者A】:は? 剣落とされた?
男は震える手で剣を拾い上げ、顔を真っ赤にしてレンを睨みつけた。
「お前……! 何をした!? Eランクの魔法じゃねぇだろ、今のは!」
「……分からないです。ただ、動かなきゃいけないと思ったので」
レンは静かに答えるが、その手はわずかに震えていた。
恐怖がないわけではない。ただ、隣で震えているサクラを、そして自分を見守ってくれている「彼ら」を裏切りたくなかった。
男はしばらくレンを睨んでいたが、やがて蛇に睨まれた蛙のように毒気を抜かれ、吐き捨てるように言った。
「……チッ。ヤラセだと思ってたが……化け物め」
男は背を向け、通路の闇へと消えていった。 荒らしの声も、潮が引くように消えていく。
◆
「……怖かった」
男の気配が完全に消えたのを確認して、レンは大きな息を吐き出した。
膝から崩れ落ちそうになるのを、サクラが慌てて支える。
「レンさん……! 大丈夫ですか!?」
「はい。……サクラさん、後ろを守ってくれてありがとうございました。心強かったです」
「私なんて、何も……でも、レンさんは凄かったです。本当にかっこよかった」
【精霊王シルフィード】:レンくん、お疲れ様ー! 本当にドキドキしたよ!
【新規さん】:もうEランク名乗るのやめませんか……?
【新規さん】:荒らしが全員黙ってて芝生えるね
その日の配信終了後。
同時接続数は、過去最高の五万二千人。
チャンネル登録者数は一気に七万人を突破していた。
◆
探索者協会・分析室。 ユイはモニターを食い入るように見つめ、何度も今のシーンをスロー再生していた。
「……信じられない。雷魔法の出力を、コンマ数ミリ単位で調整してる」
「ユイちゃん、これ……。相手の装備、Cランクのトップクラスだよ。それを無傷で無力化するなんて」
同僚の木村が冷や汗を拭う。
ユイは震える手でキーボードを叩き、内部資料を更新した。
【重要追記:被検体「レン」の戦闘能力について】 対人戦闘において、Bクラス上位の高等技術「魔法精密制御」を確認。
性格は極めて沈着冷静。
殺傷を避け、最小限のリスクで事態を収束させる判断力は、新人探索者の域を完全に逸脱している。
備考:背後で暗躍する「神」と呼称される視聴者群との相関性を要調査。
「……これ、もう『掘り出し物』なんてレベルじゃないわよ」
ユイは、画面の中でサクラに褒められて照れているレンを見て、小さく笑った。
◆
異世界のどこか。
「完璧だったな」とゼルディアが言った。
「ああ」とバハムートが短く返した。
「怪我をさせなかったのは、本人の判断か」
「そうだ。咄嗟に最小出力で制御した」
「加護が馴染んでいるからできることだ」とトールが言う。
「それだけじゃない」とソフィアが静かに続けた。
「相手を傷つけたくないという気持ちが、出力を抑えさせた。技術と性格が合わさった結果だ」
しばらく沈黙が落ちた。
精霊王シルフィードが少し心配そうに言った。
「また来るかな、ああいう人たち」
「来るだろう」とバハムートが答えた。
「怖いな」
「いや怖くない」
「なんでですか」
「我々がいるからだ」
シルフィードはしばらく黙ってから、笑った。
「それもそうか」
「そうだ」
バハムートは目を閉じた。
(しかしあの気配、候補者が絡んでいるのか?)
「……次のは第4層か、配信が楽しみだな」
それだけだったが、今日はいつもより少し力強く聞こえた。
レンはまだ知らない。
自分が少しずつ規格外の存在になりつつあるのかを。




