閑話 IF-偽りの青春
桜を見ながら、ふと昔の事を思い出す。
最初に話したのが、いつだったかは覚えていない。
気づけば隣にいて、気づけば当たり前みたいに話していた。
それが、アイツだった。
「ねえ、また寝てたでしょ」
昼休み、机に突っ伏していた俺の頭を軽く叩く。
「起きてる」
「嘘。絶対寝てた」
即答だった。
まあ、半分は当たっている。
「いや、授業つまんねえし」
「ちゃんと聞きなよ。もったいない」
そう言って、あいつは自分のノートを俺の前に置いた。
綺麗な字で、丁寧にまとめられている。
「ほら、ここ大事なとこ」
「……けっ、優等生かよ」
「普通だよ、普通」
笑いながらそう言う。
その“普通”が、どれだけ特別なものか。
こいつは、たぶん知らない。
人間として生きること。
誰かと笑って、どうでもいい話をして、同じ時間を過ごすこと。
それがどれだけ──
「ねえ、聞いてる?」
「ああ、聞いてる、聞いてる」
適当に相槌を打つと、あいつは少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「絶対聞いてないでしょ」
「聞いてるって」
「じゃあ今の話、もう一回言ってみて」
「……無理」
「ほら!」
けらけらと笑う。
その笑い声が、やけに心地よかった。
──ああ。
たぶん、この時にはもう。
俺は、好きだったんだと思う。
気づかないふりをしていただけで。
気づいてしまえば、終わってしまうから。
放課後。
校門を出て、並んで歩く。
「今日さ、ちょっと寄り道しない?」
「ん?どこ行くんだよ」
「コンビニ。アイス食べたい」
「それだけかよ」
「大事でしょ、アイスは」
くだらない会話。
意味なんてない。
でも、それがよかった。
意味のない時間を、意味のないまま過ごせることが。
俺にとっては、奇跡みたいなものだった。
「はい、これ」
公園のベンチに座りながら、アイスを差し出される。
「……サンキュ」
受け取って、袋を開ける。
冷たい甘さが、口の中に広がる。
「美味しい?」
「まあな」
「でしょー?」
満足そうに笑う。
その横顔を、何度も見た。
何度も、隣に座った。
何度も、同じ時間を過ごした。
──全部、嘘なのに。
「ねえ」
ふと、あいつが言った。
「卒業したらさ」
ドクン、と心臓が鳴る。
「どうするの?」
何気ない質問。
けれど、俺にとっては答えられない問いだった。
「どうって?」
「進学するとか、働くとか」
「あー……」
言葉を濁す。
本当のことなんて、言えるわけがない。
俺は、この世界の人間じゃない。
ここにいる理由も、長くはいられないことも。
「まあ、適当に」
結局、曖昧に笑って誤魔化す。
アイツは少しだけ不満そうな顔をした。
「ちゃんと考えなよー」
「考えてるって」
「絶対考えてない」
「うるせえな」
そんなやり取りも、もうできない。
分かっていた。
この時間には、終わりがある。
最初から、分かっていたはずなのに。
それでも、続けてしまった。
踏み込んではいけない場所に。
「ねえ」
また、あいつが呼ぶ。
「なに」
「もしさ」
一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから。
「もし、私がいなくなったら、どうする?」
意味の分からない質問だった。
「なんだよそれ」
「いいから、答えてよ」
真剣な顔。
冗談ではないらしい。
「……別に」
少し考えてから、答える。
「どうもしねえよ」
それが、本音だった。
いや、違うな。
本音を、そういう形にしただけだ。
「そっか」
あいつは、小さく頷いた。
どこか寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「でもさ」
続けて言う。
「私は困るな」
「何が」
「いなくなられたら」
さらっと、とんでもないことを言う。
こっちの心臓がもたない。
「……なんでだよ」
「なんでって」
少し考える素振りをしてから、笑った。
「なんとなく?」
曖昧な答え。
でも、それで十分だった。
その“なんとなく”が、どれだけ価値のあるものか。
俺は知っている。
だから。
だからこそ。
踏み出せなかった。
もし、この関係が壊れるくらいなら。
曖昧なままでいいと思った。
嘘のままでいいと思った。
人間じゃない俺が、手に入れていいものじゃないから。
「……そろそろ帰るか」
立ち上がる。
「うん」
あいつも立ち上がって、隣に並ぶ。
夕焼けが、街を染めていた。
オレンジ色の光の中で、二人並んで歩く。
影が、長く伸びる。
その影が、どこまでも続いていくような気がして。
──終わらなければいいのに。
一瞬だけ、そう思った。
けれど。
そんな願いが叶うことは、最初から分かっていた。
これは、借り物の時間だ。
期限付きの、偽物の青春。
だから。
「……楽しかったな」
小さく呟く。
「え? なに?」
「なんでもない」
首を振る。
言えるわけがない。
これは、終わる前提の言葉だなんて。
あいつは不思議そうな顔をしていたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
その顔を、焼き付けるように見る。
もう二度と、同じ形では見られないから。
そして。
季節は巡って。
今日に、繋がる。
桜が咲く、卒業の日に。
全部、終わる。
最初から決まっていたみたいに。




