閑話 IF-魔王と勇者
よくある話ですね
校門を出たところで、足を止めた。
理由は単純だ。
「……いたのか」
見慣れた顔が、そこに立っていたからだ。
「よっ!」
軽い調子で手を上げる男。
まるで、さっきまでの出来事なんて何も知らないかのように。
──いや、実際知らないんだろう。
こいつは、そういうやつだ。
「卒業、おめでと」
「……どうも」
短く返す。
男は気にした様子もなく、隣に並んできた。
春の風が吹く。
校門の外の並木道でも、桜が静かに揺れていた。
「なんかさ」
男がぽつりと呟く。
「終わると、あっけないよな。三年って」
「……そうだな」
本当に、あっけない。
人間の時間なんて、こんなものだ。
瞬きみたいに短くて、やけに鮮明に残る。
「お前、これからどうすんの?」
「さあな」
適当に答える。
本当のことなんて、言えるわけがない。
「大学とか、行くのか?」
「行かない」
即答だった。
男は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに「そっか」と頷いた。
「まあ、お前っぽいな」
どこがだよ。
そう言いかけて、やめた。
こいつにとっての“俺っぽさ”なんて、どうでもいい。
「お前は?」
「俺? とりあえず進学かな」
だろうな。
こいつはそういう道を選ぶ。
まっすぐで、正しくて、誰にでも祝福される道を。
「……あいつのこと、よろしくな」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
男が首をかしげる。
「あいつ?」
「そう、アイツ、さっき、お前のこと好きだって言ってた」
一瞬だけ、空気が止まった。
男の表情が固まる。
「……え?」
間の抜けた声。
ああ、やっぱり。
知らなかったのか。
「マジで?」
「マジだよ」
そう言うと、男はしばらく黙り込んだ。
視線を落として、何かを考えている。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「……そっか」
短い一言。
けれどその中には、色々な感情が混ざっているように見えた。
驚きとか、戸惑いとか、責任とか。
ああ、やっぱり。
こいつは“勇者”だ。
誰かの想いを、ちゃんと受け止めようとする。
逃げない。
誤魔化さない。
「俺、ちゃんと考えるわ」
真剣な顔で、そう言った。
「中途半端なこと、したくないし」
「……そうか」
それでいい。
それが、お前の正しさだ。
そして、それが。
俺が絶対に勝てない理由だ。
しばらくの沈黙。
風の音だけが、二人の間を通り過ぎる。
「なあ」
男が、不意に言った。
「お前ってさ」
嫌な予感がした。
「たまに、すげえ遠く見てるよな」
ドクン、と心臓が鳴る。
「なんつーか……ここじゃないどっか見てるみたいな」
鋭いな。
さすがは“勇者”。
無意識のうちに、核心に近づいてくる。
「気のせいだろ」
そう言って、視線を逸らす。
これ以上踏み込まれるのは面倒だ。
「……そっか」
男はそれ以上追及しなかった。
それもまた、こいつらしい。
他人の境界線を、ちゃんと守る。
「じゃあな」
俺は短く言って、歩き出す。
「ああ。またな」
背後から、そんな声が聞こえた。
また、ね。
その言葉に、少しだけ笑いそうになる。
──もう会うことはない。
少なくとも、“人間として”は、な。
角を曲がり、校舎が見えなくなったところで、足を止めた。
周囲に人の気配はない。
風の音と、遠くの車の音だけ。
「……くだらないな」
ぽつりと呟く。
胸の奥に残る違和感。
これは、未練だ。
たった三年の、偽物の時間に対する。
そんなもの。
本来の俺には、必要ない。
「──いい加減、戻るか」
そう言った瞬間。
空気が、わずかに歪んだ。
視界の端で、何かが揺らぐ。
影が、濃くなる。
足元から、黒い何かがじわりと広がっていく。
人間の世界には、本来存在しない“気配”。
「久しぶりだな」
誰に言うでもなく、そう呟く。
応える者はいない。
だが、それでいい。
これは確認だ。
自分自身への。
──俺は何者か。
その答えを、思い出すための。
胸の奥で、何かが目を覚ます。
冷たくて、重くて、圧倒的な“力”。
この三年間、ずっと押し込めていたもの。
「……やっぱり、落ち着くな」
小さく息を吐く。
人間の体に馴染ませていた違和感が、ゆっくりとほどけていく。
その代わりに戻ってくるのは。
かつて、世界を震え上がらせた存在としての感覚。
恐れられ、討たれ、そして──
負けた。
「……あいつに」
思い出す。
あの光。
まっすぐで、眩しくて、どうしようもなく正しかった力。
剣を振るうその姿は、まさに“勇者”そのものだった。
だから、負けた。
力ではなく、その在り方で。
「似てるんだよな」
今日、話したあいつ。
名前を呼ぶまでもない。
あの男は、あの時の勇者に、よく似ている。
だからこそ。
あいつは選ばれる。
人に。
そして、きっと──世界にも。
「……勝てるわけ、ないか」
自嘲気味に笑う。
恋も。
戦いも。
結局、同じだ。
正しい側が勝つ。
それだけの話。
風が吹く。
どこからか流れてきた桜の花びらが、ひとひら、俺の肩に落ちた。
「……似合わねえな」
指でつまんで、落とす。
ひらりと舞って、地面に消える。
それを見届けてから、俺は顔を上げた。
「……行くか」
もう、迷う理由はない。
人間としての時間は終わった。
恋も、終わった。
なら、あとは。
元に戻るだけだ。
魔王として。
あるべき場所へ。
あるべき姿へ。
ゆっくりと、歩き出す。
その足取りに、もう迷いはなかった。




