Cランクボスとの戦い
朝、目が覚めた瞬間から、胃のあたりがざわついていた。
緊張、というより、なんだろう。
高揚感に近い何かだ。
レンは布団の中で天井を見つめた。
(Cランクのボス。対して自分はEランク。普通に考えたら無謀だ)
でも不思議と、怖いという感覚があまりない。
三日間の準備で、やれることはやった。
コメ欄の常連たちから情報をもらって、装備も整えた。雷魔法の感触も、最初より格段によくなっている。
(やれるかどうかは、行ってみないとわからない)
それだけだ。
レンは起き上がって、準備を始めた。
◆
配信開始。
今日の同時接続は最初から五百を超えていた。
【古代龍バハムート】が入室しました
【魔王ゼルディア】が入室しました
【精霊王シルフィード】が入室しました
【戦神アレス】が入室しました
【死神ネクロス】が入室しました
【賢神ソフィア】が入室しました
【雷神トール】が入室しました
【kirishima_arisa】が入室しました
【新規さん】:全員来た!!
【新規さん】:今日ボス戦じゃないですか!!
【精霊王シルフィード】:来たよーー!!!!
【古代龍バハムート】:始まるか
【魔王ゼルディア】:待っていた
【kirishima_arisa】:おはようございます。今日見届けます
【雷神トール】:準備はいいか
「おはようございます。準備はできてます」
レンは自分の声が、いつもより落ち着いていることに気づいた。
緊張しているはずなのに、指先は震えていない。
(なんでだろう。コメ欄で応援してくれる人がいるから、かな)
【戦神アレス】:行け
【死神ネクロス】:今日は仕事にならないことを祈っている
【新規さん】:死神さんがいると緊張感が増す
【新規さん】:でも毎回仕事なしで終わってるから大丈夫な気がする
【死神ネクロス】:過信は禁物だが……まあそうなるといいな
「死神さんに優しいコメントをもらえる日が来るとは」
【死神ネクロス】:私はいつも優しい
【戦神アレス】:そうは見えない
【死神ネクロス】:うるさい、狩るぞ
レンは小さく笑って、ダンジョンへ向かった。
◆
地下三階、北エリア。
通路を進むにつれて、空気が重くなっていく。
三日前に感じた気配が、今日はもっとはっきりわかった。
(大きい。でかい。分かっていたけど、近づくと違う)
足音を殺して進む。
ダンカメが後ろでふわりと浮いている。
レンは自分の呼吸を整えた。
吸って、吐いて。ゆっくりでいい。
【賢神ソフィア】:鎧の継ぎ目は首の後ろと脇腹。覚えているか
「覚えてます」
【古代龍バハムート】:焦るな。お前のペースで戦え
(バハムートさんが先にそれを言ってくれた。ありがたい)
「はい!」
【雷神トール】:雷は一発目を確実に当てろ。牽制に使うな
【精霊王シルフィード】:レンくん、大丈夫だよ!!
【新規さん】:同接六百超えた
【新規さん】:みんな固唾を飲んで見てる
【kirishima_arisa】:落ち着いて。焦らなければ大丈夫です
二十メートル。
十五メートル。
十メートル。
暗闇の中に、影が見えた。
でかい。
アイアンウルフの比じゃない。体長三メートル近い熊型の魔物。全身を覆う魔力の鎧がうっすらと光っている。
(……これが、アーマーベア)
レンの心臓が跳ねた。
でも足は止まらなかった。
◆
気配を察したアーマーベアが、ゆっくりと顔を上げた。
目が合った。
一瞬の静寂。
「来る」
アーマーベアが地面を蹴った。
予想より速い。
レンは即座に横へ跳んだ。爪が壁をえぐる轟音が耳をつんざいた。
(速い、でも読める。動き出しの瞬間、重心が前に傾く。次も同じはず)
着地と同時に右手に意識を集中した。
雷が集まってくる感触。
でも今じゃない。まだ距離が遠い。
【古代龍バハムート】:焦るな
(分かってる)
アーマーベアが再度突進してきた。
今度は正面から。
レンは真横ではなく、斜め前に跳んだ。
アーマーベアの突進に乗るように、すれ違う形で懐に入る。
首の後ろが見えた。
(継ぎ目、あった)
剣を叩き込む。
がきん、という金属音。
弾かれた。
「くっ……」
鎧が硬い。剣だけじゃ通らない。
【賢神ソフィア】:剣だけでは無理だ。雷と同時に使え。魔力が鎧を薄くする
(雷で鎧を弱らせてから剣を入れる。なるほど)
アーマーベアが体勢を立て直して振り返る。
レンは距離を取りながら、右手に雷を集め始めた。
じりじりと。じっくりと。
(焦るな。一発目を確実に)
アーマーベアが再び突進してきた瞬間、レンは動いた。
横へ跳びながら、すれ違う瞬間に脇腹へ向けて雷を放つ。
どかっ、という重い音。
アーマーベアが怯んで足を止めた。
今だ。
レンは即座に踏み込んだ。
脇腹の継ぎ目に、剣を押し込む。
今度は弾かれない。
ずぶりと、刃が通った。
アーマーベアが低く唸った。
【精霊王シルフィード】:入った!!!
【新規さん】:うわあ!!
【kirishima_arisa】:いい判断!
でも終わらない。
アーマーベアが怒りで動きが変わった。
さっきより速い。さっきより荒い。
レンは後退しながら、息を整えた。
(落ち着け。傷は入った。もう一回同じことをやればいい。焦らなければ)
でも手が少し震えていた。
アドレナリンか、恐怖か、分からない。たぶん両方だ。
【古代龍バハムート】:震えているか
「……少し」
【古代龍バハムート】:それでいい。震えが消えたら感覚が鈍くなる
(震えていていい、か)
その一言で、なぜか体が落ち着いた。
震えていていい。怖くていい。それでも動ける。
レンは剣を握り直した。
アーマーベアの攻撃が来る。
右の爪。
レンは体をひねって避けた。
続けて左。
後退しながら受け流す。
アーマーベアは傷を負っても動きを止めない。パワーはまだ衰えていない。
(次で決める。雷をもっと集めて、一気に)
レンは壁を背にした。
退路はない。でも意図してそうした。
(ここで逃げたら距離を取られる。ここで決める)
【戦神アレス】:そこだ
【古代龍バハムート】:行け
アーマーベアが最後の突進を仕掛けてきた。
レンは動かなかった。
来る、来る、来る――、今だ!
全力の雷を、正面から叩きつけた。
どがんっ、という音が、通路全体に響いた。
アーマーベアの動きが一瞬止まる。
鎧が弾けるように割れた。
レンは半歩踏み込んで、剣を首の継ぎ目に押し込んだ深く、確実に。
アーマーベアが、ゆっくりと崩れ落ちた。
床に倒れて、光の粒子になって、消えた。
レンはその場で膝をついた。
息が上がっている。手が震えている。足も震えている。
でも。
「……はぁはぁ、倒せた」
【精霊王シルフィード】:やったやったやった!!!!!!!!
【古代龍バハムート】:……よくやった
【魔王ゼルディア】:見事だ
【雷神トール】:合格だ
【賢神ソフィア】:完璧な戦い方だった
【戦神アレス】:よし
【死神ネクロス】:今日も仕事なしだ。本当によかった
【kirishima_arisa】:すごい……EランクがCランクボスを……
【新規さん】:え、え、え
【新規さん】:EランクがCランクボス倒した!?
【新規さん】:同接八百超えた
【新規さん】:コメ欄の常連たちも全員興奮してる
【新規さん】:このチャンネルやばすぎる
レンはしばらく、その場から動けなかった。
膝をついたまま、荒い呼吸を繰り返す。
全身が疲れている。
でも、変な達成感があった。
(倒せた。Cランクのボスを、倒せた)
三日前の自分なら、絶対に無謀だと思っていた。
でも常連たちがいて、準備があって、少しずつ積み上げてきた結果が、ここにある。
「ありがとうございます、みなさん」
【精霊王シルフィード】:レンくんが頑張ったんだよ!!
【古代龍バハムート】:礼はいらない。お前自身の力だ
【魔王ゼルディア】:次はもっと強くなるだろうな
【雷神トール】:ああ。これはまだ始まりだ
「始まりか……」
レンはゆっくりと立ち上がった。
足がまだ笑っている。それでも立てた。
ドロップアイテムを拾う。
魔力結晶、Cランク相当のもの。協会に持っていけばそこそこの値段になる。
「帰ります。膝が笑ってますけど、歩けます」
【kirishima_arisa】:本当に……この人、何者なんですか
【kirishima_arisa】:バハムートさん、知ってますか
【古代龍バハムート】:…………
【古代龍バハムート】:さあな
【kirishima_arisa】:(絶対知ってる)
【新規さん】:アリサさんの括弧書きが一番鋭い
配信終了。
本日の最終同時接続数:九百四十二人。
チャンネル登録者数:一千二百八十一人。
ボス戦の切り抜きはすでに各SNSで拡散され始めていた。
タイトルは「登録者数百人のEランク探索者、Cランクボスを単独討伐」。
レンはそれを確認して、スマホをポケットにしまった。
(一千人を超えてしまった)
一週間前、三人だったのに。
不思議な気持ちだった。
変わったのは自分じゃない気がする。ただ毎日潜って、慎重に進んで、コメ欄の人たちと話していただけだ。
それだけなのに、何かが積み重なって、今日ここにいる。
(続けてよかった)
それだけがはっきりと分かった。
◆
異世界のどこか。
しばらく誰も喋らなかった。
精霊王シルフィードだけが、ずっとそわそわしていた。
最初に口を開いたのはバハムートだった。
「……本当に、普通じゃないな」
「分かっていたことだろう」とゼルディアが言った。
「分かっていたが、改めて見ると違う」
雷神トールが静かに言った。
「あの終盤の雷。私が与えた加護の限界を超えていた」
「どういうことだ?」と戦神アレスが眉を上げる。
「つまり、私の加護なしでもあの出力が出せる、ということだ。加護は引き金に過ぎなかった」
沈黙が落ちた。
賢神ソフィアが静かに続けた。
「器が、溢れ始めている」
「まだ本人は気づいていない」
「ああ。だからこそ、今が一番面白い」
バハムートは窓の外を見るような仕草をした。
「次はどんな配信になるか楽しみだ」
それは問いかけというより、独り言だった。
でも全員が同じことを思っていた。




