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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

しゃんしゃん井戸

掲載日:2026/03/06

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、つぶらやくん。起きてきたか。

 春眠暁を覚えず、と例えるにはちょっと俗かもしれないが、春先はどうも眠たさが増して、床の中でごろごろしていたい欲求に駆られる。なにかきっかけがあったなら、起きることの後押しになってくれるだろうけれど、何もなければグダグダしていたい……そう思うときが人生でどれほどあるかな。


 ――今日は「しゃんしゃん井戸」の取材じゃなかったっけ?


 おう、そのことそのこと。つぶらやくんが興味を持ってくれたからね。こうして一緒に見に行こうというわけだ。

 午前中で済むとは思うけれど、少し何かお腹に入れておくのをおすすめするよ。すきっ腹での取材は身体によろしくない。

 準備ができたら行こうか。


 しゃんしゃん井戸。

 このあたりの人の間で語られている、昔話のひとつだね。

 ずっと昔、人身御供が珍しくなかったころ、このあたりでも人を捧げる儀式が存在したというんだ。

 このあたりは双子の出生率が高く、そのうちの7割は女子同士の双子だったらしい。しかし、女の双子のうち後に生まれたほうは不吉を呼ぶと信じられていてね。生まれてから7日以内にしゃんしゃん井戸へ沈めて、葬ることがすすめられていた。

 かつてこの土地を作ったと伝わる神様が双子の女神であったことに起因するらしく、彼女らは当初、力を合わせて土地を整えていた。

 しかし、よその国々で争いが起こったおり、その気にあてられたためか自分たちの作った土地や住まう人々も巻き込む大喧嘩ののち、両名が落命。生き残った人々も、荒れ果てた土地を回復させるのにえらく苦労したそうなんだ。

 それ以来、女の双子を産んで育てることに大きな忌避感が根付いてしまったらしくって。

 先に出てきた子を人として育て、後から出てきた子を天へお返しすることで、将来のわざわいを防ぐ……という慣習が生まれたのだとか。

 そのときに、後から生まれた子を生きながらに沈める井戸を、しゃんしゃん井戸と呼んでいるわけだ。


 おっと、そういっている間についたね。

 あれがしゃんしゃん井戸だ。もっとも穴の部分はすっかり埋めてしまったんで外見だけを眺める形になるが。

 一般に井戸を埋めることは、水という神聖な授かりものを絶ってしまうので、よくないこととされる。だが、しゃんしゃん井戸に関しては続けてきたことに対する心とがめなどもあったんじゃないだろうか。

 井戸にかかる屋根。そこを支える四本の柱。それぞれに鈴がくくりつけてあるのが、分かるだろ? こいつがしゃんしゃん井戸のいわれってわけだ。今もこの鈴は管理を担当する人たちの手で定期的に新しいものに取り換えられている。


 なぜこのいけにえの儀を行う場所に対し、鈴がつけられるようになったか。

 聞いたところによると、この慣習が生まれてしばらく経ったのちに生まれた、双子の女の子のもたらしたものに由来するようだ。

 後から生まれたその子は、生まれ落ちたそのときから満足に泣くことをしない奇妙な子だったという。赤ん坊が泣くのは感情の伝達手段もあるが、心肺機能を向上させるためでもある。

 泣くことで内なる臓器に刺激を与え、その成長を促すことができ、元気な子に育つ……というのは現代でもいわれていることだ。けれども、その子は母親のお腹から出て、産湯につかるまでの間、こそりとも声を出すことはなく固まった表情をしていたという。

 気味が悪いが、後から生まれた以上は長くこの世にいることはできない。ならば静かなうちに……と、必要最低限の関係者のみが集まる中、生まれた翌晩にはしゃんしゃん井戸へ赤子を沈めんとしたのだけど。


 そこで、その子は盛大に泣いた。

 その声の大きさは尋常ではなく、井戸の周囲の木々を揺らすばかりでなく、幹の中心から力づくで折り曲げたという。泣き声という空気の振動のみでもってだ。

 より近くにいる人間の身であったなら、当然それ以上の惨事に……となりかねないが、一同は耳から血を流し、体中をしたたかに打ち付けたような激痛に襲われた程度で命に別状はなかったらしい。

 その後も、赤子を井戸へ沈めようと試みるたび彼女は大いに泣き、しかし井戸から離れるとまた急におとなしくなり……を繰り返し、被害大きい村人たちもどうにかせねばと思ったらしい。


 おりしも、遠方より旅の僧が訪れたらしく、村人たちは恥を忍んで自分たちの風習を打ち明けたうえで、完遂するすべを尋ねたらしい。

 僧は非常に驚いたものの、長く続いたことを頭ごなしに否定することはせず、しばしの黙想ののちに、件の鈴の取り付けを促したのだそうだ。そのうえで、井戸へ捧げることをしてみてはどうかと。

 聞いたとおりにしてみると、赤子は井戸に近づき、取り付けた桶に入れられ、井戸底へ沈められる間も、まるで人が変わったかのようにおとなしくあったという。

 粛々とことを終えられた礼を僧へ述べる村人たちだったが、僧自身は渋い顔をしていたらしい。


「おそらくその子は敏い。自らの身へこれから降りかかることを悟り、必死に拒んでおったと思われます。これから先も、鈴は意識してお取替えください。その子とこれまでの子たちのためにも」


 当初、村人たちはてっきり命を奪われたことに対する、子供たちへの弔いの意を込めたものと考えていたそうだ。

 しかし、僧が去ってより幾日かが経ち、にわかに井戸まわりの鈴たちが鳴り響き出したんだ。

 鈴ひとつひとつは、子供が握りこめてしまうほど小さいもの。響きもそれに伴っておとなしいものになる。

 なのにこのしゃんしゃん、しゃんしゃんという音は、当時の村全域へ届いたのだそうだ。急を報せんとばかりにな。

 動ける者たちは井戸へ駆けつけた。そこで見たのは、井戸から這い出てくる大蛇のごとき、長い長い綱の形をした体だったという。

 その胴体には、そこかしこに赤子の手と足らしきものが突き出ていた。頭そのものもまた目を閉じた赤子のものだったらしいよ。

 ずるずる、ずるずると井戸から出きった体は、五間(約10メートル)を上回ったという。井戸から地面へ降り立つや、その速さは犬狼のごとし。集まったもののあっけに取られる間に遠くへかけ去ってしまったらしい。


 そこを境に、しゃんしゃん井戸にまつわる話はぷつりと途切れる。少なくとも、鈴の管理に携わらない私たちのようなものたちに伝わるものはない。

 現代では見られず、井戸が埋まっているあたり、いずこかで手を打つべきときが訪れたのだろう。それでも鈴は取り換え続けられている。

 かの鈴がまた一帯に響くことがあれば、次は何を報せてくれるのだろうな。

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