「はずれ王子」な婚約者が「馬鹿王子」にレベルアップしました
ヴェスペリア王国春の園遊会は、煌びやかな雰囲気の中執り行われていた。参加者たちは皆美しく着飾り、王宮の庭で談笑を交わしている。
そんな中、私、マーガレット・プラウスは、会場の隅に一人ぽつんと立っていた。会の開始から誰一人と会話することもなく、ただそこにいるだけ。これが私の通常営業だ。
「やあ、マーガレット嬢」
そんな中、声をかけてくる人が一人。
「お久しぶりです、マックスウェル殿下」
この方はマックスウェル殿下。容姿端麗、品行方正、頭脳明晰。病で臥せっている現国王陛下のあとを継ぐ、我がヴェスペリア王国が誇る第一王子様だ。
「ところで、あいつはまだ来ていないのか? 君と一緒にいると思ったんだが」
「あの方の行方は私にも分かりかねます。いつも通り、そういう方ですから」
私がふっと笑うと、
「あいつらしいな」
と、殿下も同じ顔をして笑う。
「そういう自由なところ、私はあこ……」
その時――
「何をしていらっしゃるんですか、殿下? 王妃様がお呼びですわよ」
マックスウェル殿下の背後から現れ、その腕に絡みつく令嬢がいた。トリシャ・ジェファーソン侯爵令嬢。マックスウェル殿下の婚約者だ。
「こんな娘にかまっていないで、さあ、いってらっしゃいませ」
トリシャは殿下の背中を押して私から遠ざける。すまないね、と目で謝りながら、殿下は会場の中心へと戻っていった。
マックスウェル殿下が去るや否や、
「殿下に媚びを打って、それで張り合っているつもり? 笑っちゃうわ」
と、トリシャはさっきまでのかわいらしい笑みを途端に引っ込めた。
「今更あがこうが、マックスウェル様の婚約者が私という事実は変わらない。どっちが勝者かは分かりきってる。そうでしょう、負け犬公女様?」
トリシャは嘲笑いを浮かべて私のことを見る。
さて、ここで私とトリシャ、そしてマックスウェル殿下の関係について説明しておこう。
私の実家、プラウス公爵家は代々王家に嫁を出してきた家である。その娘として生まれた私も当然、同い年のマックスウェル殿下の婚約者候補とされていた。
トリシャは他の婚約者候補の中の一人だった。以来、彼女は私を貶めることに躍起になった。私にいじめられたと騒いだり、衣装を汚してきたり、人前で失敗するよう仕組んだり。幼いながらかなり陰湿なことをされた記憶がある。
それが功を奏したせいかどうかは分からない。だけど、結果としてマックスウェル殿下の婚約者はトリシャになった。私は彼女に敗れたのだ。
両親はもうかんかんだった。プラウス家の恥と私を領地に送り、以来私は完全に見放された。周囲も負け犬公女と私を蔑んだ。
それだけでもトリシャは至極満悦だったはずだ。だけど、それ以上に彼女を喜ばせたのはーー
「マックスウェル様に媚びを売るなんて、よっぽど今の婚約者に不満があるのね。まあ、だってあなたの婚約者は……」
そこまで言って、トリシャはクスクスとおかしそうに笑う。
彼女の言う私の婚約者というのは、第二王子ユージーン殿下のこと。マックスウェル殿下と婚約し損ねた私は、流れる形で腹違いの弟、ユージーン殿下の婚約者となった。そして、ユージーン殿下は……。
「あの『はずれ王子』ですものねえ」
はずれ王子。王位継承者「じゃない方の」王子様。
「私があなたの立場だと思ったらぞっとするわ。あー、良かった。私は当たりの方の王子様に選んでもらって」
トリシャは私の質素な衣装を一瞥すると、自分の豪奢なドレスの裾をわざとらしく持ち上げる。
輝かしい第一王子と、期待されない第二王子。この構図を人々に示すため、私とユージーン様は、王妃様に徹底的な制限を敷かれている。マックスウェル殿下とトリシャを引き立たせることが、私たち唯一の存在意義なのだ。
今回の園遊会もそうだ。隅っこで立っていること。参加者の誰にも声をかけないこと。地味で時代遅れの服を着ること、などなど。あげればきりがない。
第二王子とその婚約者は、第一王子らの影として一生を送る。不自由で輝きのない人生。憐れまれるのも無理ないかもしれない。だけどーー
「別に、私は今とても楽しいですよ」
思わず笑みを浮かべてしまう私。それがトリシャの癇に障ったらしい。
「負け犬が笑わないでくれる?」
トリシャは私の肩を突き飛ばす。すぐ頭に血が上るところも昔から変わってない。そんなことを思いながら倒れる私は、その時近づいてくる馬の蹄の音を聞いた。
「待たせたな、マーガレット」
次の瞬間、私はふわりと抱きとめられていた。
「まったく。遅刻ですよ、ユージーン様」
振り向けば、我が婚約者殿がそこにいる。馬で会場に突っ込んでくるなんて、相変わらず滅茶苦茶な登場の仕方だけど。
「マーガレット、抜け出すぞ」
にかっと笑うや、ユージーン様は私を軽々持ち上げ馬にのせる。
「何をしているの、ユージーン!? 園遊会を抜け出してどこに行くつもり!?」
騒ぎを聞きつけかけつけた王妃様が怒鳴り声をあげる。
「ベルガモンテ国の商船がカッセルズの街にやってきたのです。祭りもやっているようで、これは見ないわけにはいきますまい」
爽やかな笑みを崩さないまま、ユージーン様は自分もひょいと馬に飛び乗った。
「野蛮な国の文化に触れるなど! 一国の王子がすることでは……」
宰相も非難するが、ユージーン様は聞く耳を持たない。
「ほらほら、危ないぞ。そこを退け」
非難や失笑を全て置き去りにして、私を連れて会場を脱出する。
「行事をすっぽかすのは今年で八回目ですよ」
私は小さくため息をついてみせる。
「構わん。もっと楽しいことをしに行くのだからな」
ユージーン殿下、通称はずれ王子。しかし、彼にはもう一つあだ名がある。
式典への遅刻や欠席は日常茶飯事。政治や勉学には興味を示さず、下町に降りては遊びまわる。今のように滅茶苦茶な行動をとって周囲のひんしゅくを買うこともしばしば。ついたあだ名は至ってシンプルーー馬鹿王子である。
だけど、私は知っている。この方が馬鹿王子をやるそのわけを。
*
十一年前、私はトリシャに敗れ、父によって辺境の領地に追いやられた。その一年後だ。私と第二王子の婚約が決定したのは。
王都に呼び戻された私は、その時初めてユージーン殿下との面会を果たした。時に殿下は八つ、私は九つだった。
「なんだ、お前は」
部屋の中には、恐ろしいほど暗い目をした少年がいた。
ヴェスペリア王家では、第一王子は世継ぎとして大切に大切に育て上げられる。しかし一方で、第二王子以降は放置するというのが通例だった。
子供を差別するなんてひどい話と思われるかもしれない。が、王室というのはそういうものだ。王位継承者でないものは、期待も関心も愛情すらもかけるに値しない。おまけにユージーン殿下は亡き側室の子だというから、冷遇具合は通常の比でなかった。
八年間、王宮の人々はとことん彼に無視を決め込んでいた。誰も自分を見てくれない。何も与えてくれない。その環境がいかに彼の心を殺したか。
「兄上の部屋ならここではない。さっさと去れ」
「いいえ、あなたに会いに来たんです」
私は彼の目を見つめる。
「婚約者のマーガレットと申します。仲良くしてくださいね」
何もかも失ってしまった自分と、何も与えられたことのない王子。始まりは親近感だったのかもしれない。
「私と一緒にいても退屈なだけだ。ここには豪華な衣装も、輝く宝石も、珍しい本も何もない。私の人生同様、何の楽しみもない場所なのだ」
死んだ目でそう言うユージーン様。何かできることは……。部屋の中を見回した私は、紙の束を発見した。
「何をやっている」
突然紙を折り始めた私に、ユージーン様は怪訝な表情を浮かべる。
「紙飛行機です。見てください、こうやって……」
完成した飛行機を飛ばすと、ユージーン様は目を真ん丸に見開いた。
「どっちがたくさん飛ばせるか競争しませんか」
そこからはあっという間だった。二人でどんどん紙飛行機を作っては、飛ばして、改良して……。
「どうだ、我がウルトラスーパーデラックスユージーン号の勝利だ!」
ついに私に勝利した時、ユージーン様の顔には子供らしい笑顔が浮かんでいた。
じっと見つめると、
「べ、別に、はしゃいでなどいないぞ!」
と、彼は少し恥ずかしそうに顔を赤らめた後、ふいに表情をやわらげた。
「いや……、とても楽しかった。生まれて初めての気持ちだ。お前は公女なのだろう。どうしてこんな遊びを知っている?」
「一年間、何もすることがありませんでしたからね」
領地に追いやられ、これまで人生の全てだった淑女教育がなくなった。空っぽになってしまったようで、辛くてたまらなかったのを覚えている。
「私も殿下と同じです。周りから見捨てられて。だけど、だったらせいぜい好き勝手に楽しんでやろうって、そう思ったんです。要するに、期待されてない分自由でラッキー! の精神です」
そう。私はこの一年で完全に開き直ったのである!
「期待されてない分……自由……」
目の前のユージーン様は、俯いたまま肩を震わせたかと思うとーー
「ははっ、お前は面白いな!」
次の瞬間、今までにないくらいの大笑いを始めた。
「よし、決めた。私は馬鹿王子になることにするぞ、マーガレット」
「バカオウジ?」
突然の宣言に、私はきょとんとする。
「お前の言うよう、私も自分勝手に楽しく生きてやるのだ。与えられないのなら、自らで自らを満たすのみ。せいぜい人生を楽しんでやる。ただのはずれ王子から、馬鹿王子になってな」
さっきまでの寂しげな少年はもういない。その瞳には力強い光が浮かんでいる。
「なあ、これから楽しくなりそうな予感がしないか?」
*
あれから十年。相変わらず王宮では冷遇が続いている。だけど、ユージーン様はもうそんなこと気にしていない。むしろ、関心を持たれていないのをいいことに、今みたいに私を連れて王宮を抜け出して遊んでいる。
「第二王子は政治に興味がなく、遊んでばかり。王たる器ではない。王妃殿下からしてもその方が都合がいい。王位継承の争いから遠ざけておけるからな」
放蕩ぶりが黙殺される理由を、ユージーン様は以前そう語っていた。
さて、馬を飛ばすこと一時間。私たちはカッセルズの街に到着した。港に停泊した巨大な商船はさながら一つの城のよう。船内には所狭しと出店が立ち並んでいる。
「そんなつまらん服はやめて、ほれ、これとこれと、あとこれだな」
服飾店を見つけるや、ユージーン様に手早く私の服を見繕って着替えさせてくる。
「うむ。やはり私の見立て通り。マーガレットの美しさが引き立っている」
着替え終えた私を見ながら、ユージーン様はうんうんと頷く。相変わらず口がうまい。
ついでに言及すると、ユージーン様はお洒落な人である。自分で買った外国の衣装なんかを組み合わせ、独特のセンスで着こなして(着崩して?)いるのだが、これがやけにしっくりきてかっこいい。まあ、元々顔がきれいだもんな。これは婚約者のひいき目ではない! 断じて!
そんなこんなで、私たちはまた露店巡りを再開する。
「いい感じの椅子だな。買って帰るか」
「ユージーン様、それは椅子でなく便器です」
「マーガレット、これを食べてみろ。信じられないくらい辛いぞ。私は今天国の門が見えかけた」
「そう言われてホイホイ食べる人間がいるとお思いですか」
「せっかく買ったのに……。これは兄上いきだな」
「ユージーン様はマックスウェル殿下をいったい何だと思ってるんですか……」
ワイワイにぎやかしながら買い物を続けるうち、とろとろと日が暮れて、商船のあちこちにランタンが灯され始める。沖に浮かぶ小舟もライトアップされ、あたりは一気に幻想的な雰囲気に包まれた。
二人甲板の手摺りに寄りかかりながら海風に吹かれていると、ふいにユージーン様が懐から取り出した紙を折り始める。十年前に私がやって見せてから、こうして紙飛行機を作るのが彼の癖になった。
「できた。ウルトラスーパーデラックスインフィニティユージーン号☆改だ!」
十年前に比べてクオリティのあがった折り紙技術。しかし残念ながらーー
「悲しいほど名づけセンスの進歩が見られませんね」
「マーガレットこそ、まだ私のハイセンスに追いついてくれないのか?」
ユージーン様は肩をすくめる。
「さあ、いつかは追いつけるでしょうか」
くすくす笑いが止まらない私に、ユージーン様は目を細める。
「ありがとう、マーガレット。こうしてお前が隣で笑っていてくれるおかげで、私は幸福でいられるのだ。今までも、そしてこれからも」
今頃王宮は豪華なパーティーで盛り上がっているんだろう。だけど、そんなものこれっぽっちも羨ましいなんて思わない。私が望むのは、ただーー
「ずっと、ユージーン様と一緒にいられますように」
思わず漏れた祈りに似た呟き。それを聞いたユージーン様は、静かに私の肩を抱き寄せた。
*
十日後に立太子の儀を執り行う。神殿からそう通達があったのは、夏の真っ盛りの頃だった。
この国では、神からの預言によって王太子をたてる日を決定する。その日、マックスウェル殿下は神の前で正当な後継者として認められるのだ。
儀式の準備で王宮の中が騒がしいある日。私はユージーン様に呼び出された。
珍しい。いつも勝手に私のところに押しかけては、色んなところに連れ出してくるのに。いぶかりながら王宮にあがるとーー
「婚約者様のところに向かってるの? 負け犬さん」
廊下でトリシャと遭遇した。
「何か御用ですか」
含みのある表情に、警戒心が働く。
「もうすぐマックスウェル様が王太子になられるでしょう? だから、私、王妃様に進言したの。このいい機会に、ユージーン殿下を神子として神殿に行かせるのはどうかって」
「う、そ……」
神子とは、王族から選出される特殊な神官のこと。その生涯の全てを国の安寧を祈るために捧げる神子は、神殿の中で厳しい生活を送らなければならない。自由というのは欠片もなく、もちろん結婚も許されない。
だからこそ、神子への選出は無言の刑罰ともいえる。つまりこれは、邪魔な王族を社会的に抹殺する最高手段なのだ。
「王妃様は賛成くださったわ。ほら、ユージーン殿下は素行不良でしょう? 更生させるいいチャンスだって。だから、立太子の日であなたたち二人はお別れなの」
得意げに語るトリシャ。
「ユージーン様はマックスウェル殿下を脅かすつもりなんてない。ただ楽しく生きていたいだけ。そんなこと分かりきっているでしょう!? それなのに、どうして……!?」
最後は嗚咽交じりの甲高い声になってしまう。
「あなたが悪いのよ」
私の絶望した表情に、トリシャはにっこりと口角を持ち上げる。
「この国で一番の男性、第一王子。彼と結婚する私は、一番幸せで成功している存在なの。そしてはずれ王子と結婚するあなたは、惨めでいなきゃいけないの。それなのにあなたときたら、やけに楽しそうで。馬鹿王子に心から愛されて。ねえ、まるで私より幸せみたいじゃない? そんなことあっていいと思う?」
トリシャの笑顔がぐしゃりと歪む。
「それで、気付いたの。だったら離れ離れになってもらえばいいんだって。私の輝かしさを引き立たせるため、不幸になってちょうだい、負け犬さん」
*
「おお、よく来たな、マーガレット」
ユージーン様の部屋に入ると、椅子に座っていた彼が顔を上げて小さく微笑んだ。
「話はもう聞いているのだろう。私は神殿に行く。よって、婚約は解消だ」
覚悟していた。そのはずなのに、愛する人の口から飛び出たその言葉に、ひざから崩れ落ちてしまいそうになる。
「ずっと謝りたかった。私のせいで不自由な生活を送らせてしまったこと。これからは幸せになれ、マーガレット。私のいない場所で」
ぽん、と何かが手の上に置かれる。それは古びて擦り切れた紙飛行機だった。私が出会った時ユージーン様にあげたもの。ずっと……持っていてくれて……。
「……できません」
ぽたりと涙が落ちる。
「ユージーン様はやっぱり稀代の馬鹿王子です。大馬鹿野郎です。あなたといられるだけで、私がめいっぱい幸せだと、そんなことにも気が付かないで」
ユージーン様は目を大きく見開いた。
「私の幸せは、ただあなたと共にあることなんです。あなたさえいれば、他には何もいらないんです」
彼は私が自分を救っているという。だけど、違う。救われているのはずっと私の方だ。
ユージーン様は決して言わない。だけど、私は知っている。負け犬公女と国一番の笑われ者だった私を、馬鹿王子として中傷を一身に引き受けることで守ってくれていることを。
「私も神殿について参ります。巫女としてでも、一生おそばでお支えします。どんなに厳しい生活でも、あなたと一緒だったら絶対に楽しいから」
「マーガレット……」
その時のユージーン様は今にも泣きそうな顔をしていた。
「そうだ、いっそのこと今度は馬鹿神子になってやるというのはどうだろうか」
ユージーン様は私の手から古びた紙飛行機をとる。
「こっそり神殿を抜け出して、街で遊びまわって、二人で逢瀬をして。はは、これがばれたら今までになく大目玉だ。スリル満点。なあ、これから楽しくなる予感がしないか?」
ユージーン様は笑った。十年前、馬鹿王子をやると宣言した時の顔が重なる。私はあの時、一生この笑顔についていくことを決めたのだ。
「ええ、本当に」
私は笑いながら、目尻の涙を拭う。
「最高に楽しそう」
*
そして立太子の儀がやってきた。今日、マックスウェル様は王太子となり、ユージーン様は神子となる。
マックスウェル殿下は戴冠の時まで会場には入ってこない。今は控室で待っているはずだ。
用意された王族席の末席に、私とユージーン様は腰を下ろす。最前列のトリシャは、振り向きながらにったりと意地の悪い笑みを浮かべてくる。トリシャも今日、正式に王太子妃に任命されるのだ。うきうきで仕方ないんだろう。
やがて神官たちが入場し、厳かな雰囲気の中儀式が始まった。会場が清められ、神への祝詞が大神官によって捧げられ、ついにマックスウェル殿下への戴冠が開始される時間だ。会場中がその登場を待ち望む中――
「大変です! 控室から殿下が消えてしまわれました!」
駆け込んできたのは真っ青になって取り乱した侍従だった。
消えた……? マックスウェル殿下が? 私はユージーン様と顔を見合わせる。周囲もざわめき立ち、人々の間に動揺が広がっていく。
「どういうこと!?」
「殿下はどこにいるのよ! 何か知ってるんでしょ!」
王妃様、そしてトリシャが、侍従に掴みかかってその身体を揺さぶる。
「わ、分かりません。ただ、代わりにこの置手紙が……」
「何と書いてあるの!? 読み上げなさい!」
王妃様にすごまれ、侍従は震える声で文面を読み上げ始める。
「私、第一王子マックスウェルはここに王位継承権を放棄し、王室を離脱することを宣言する。二度と戻るつもりはない。探さないでくれ……と。そう書かれております」
半泣きの侍従が告げた衝撃の事実に、誰もが声を失った。そんな中――
「そんな、マックスウェルが……! 何かの間違いよ! 儀式は中止! 中止しなさい!」
半狂乱の王妃様が絶叫する。息子を王太子にすることは彼女の長年の悲願だったのだ。
しかし、
「できません。儀式を途中まで行いながら、王太子をたてないなど神への許されざる冒涜。儀式の中止は不可能です」
と、大神官は厳格に言い放つ。
ヴェスペリアでは、神は王族をも超越する最高位の存在。その意思を伝える大神官には誰も逆らえない。
「マックスウェル殿下がいらっしゃれないのならば、この場で別の方を王太子としてたてるまで」
人々のざわめきがさらに大きくなる。別の方……って、まさかーー
「ユージーン殿下、ご即位くださいませ。それが神のご決定です」
瞬間、会場中の視線が一斉に私の隣に向けられる。
「ユージーン、さま……」
不安げに私が見つめる中、ユージーン様は鷹揚に歩き出した。巨大な神像の前で、ユージーン様の前に神官たちが恭しく跪く。神からの祝福、そして誓いの言葉を経て、ユージーン様の頭に冠がのせられる。本当にーー彼が王太子なのだ。
全てが今、決定的に変わってしまった。私はごくりとつばを飲み込む。
「噓よ……。私の、私の王太后としての未来が……」
王妃様は自分の席に倒れ込む。マックスウェル様の出奔により、彼女の野望は潰えた。これまでほしいままにした権力も完全に消失した。
怒涛の情勢変動に呆然としていた私に、
「マーガレット様、前にいらしてください。王太子妃となるのはあなたなのですから」
と、神官が告げにくる。
人々の視線の中立っているユージーン様。私がその隣に立とうとしたその時――
「待ってください!」
立ちはだかったのはトリシャだった。
「殿下の妻となるべきは、マーガレットではなくこの私です! 私は未来の王太子妃として長年研鑽に励んできました。どちらがふさわしいかは明らかです!」
情勢が変わったとたん、手のひらを返してユージーン様にすり寄るトリシャ。何をいまさら。そう口を開きかける私だったがーー
「ああ、そうだな。あなたはもう立派な王家の人間。それにふさわしい役職が必要だろう」
そうさえぎったのは、ほかでもないユージーン様だった。
う、そ……。私はどん底に突き落とされる。捨てられたんだ。王太子になったユージーン様は、私じゃなくてトリシャを選んだんだ。
「ええ、これからは私が殿下をお支え致しますわ!」
顔を輝かせるトリシャに、
「お前を神子に任命する。王家の代表としてしっかり励んでくれ」
と、ユージーン様はとびっきりのにこにこ顔で言い放った。
神子――? 突然の宣告に会場中がどよめく。
「ど、どういうことです? 私が、神子? そもそも、私には神殿に送られる原因などありません!」
トリシャはぴくぴくと表情筋を引きつらせる。
「兄上の前ではぼろを出さなかったのだろう。兄上は聡明な方と有名だったからな。ところが、私の前――馬鹿王子の前ではどうだ?」
ユージーン様は懐から羊皮紙を取り出した。
「かつてお前の友人が、私を勧誘しにやってきたのだ。楽しい『遊び』をしないか、とな。金だけある馬鹿王子、いい鴨になると思ったのだろう。そやつを油断させるのは簡単だった。今、私の手にはリスト、そして証拠の書類がある。お前が『遊び』ーー違法ギャンブル、度を越した乱痴気騒ぎ、暴力事件の隠蔽や公費横領に関わっていたというな」
淡々とトリシャを追い詰めるユージーン様。いつも見せる馬鹿な王子様の顔は完全に失せ消えている。
馬鹿王子計画は、お気楽に楽しく生きていくための作戦だと思ってた。だけど、侮られているのを逆手にとって、悪事をあぶりだすという目的があったのだとしたら? もしかしなくても、ユージーン様は物凄く賢いお方だったのだ。
「トリシャ・ジェファーソン。今から長々とお前の断罪式をやっても良いのだが、これ以上恥をさらすのは賢明ではなかろう。大人しく神殿に行くのがおすすめだ」
穏やかに微笑むユージーン様を前に、トリシャは自分の破滅を悟った。媚びるような必死な笑みが消え、純粋な憎しみが顔中に広がる。そしてその矛先を向けられたのはーー
「私を捨てて、この負け犬を選ぶっていうの!?」
真正面から私に迫るトリシャ。
「私より馬鹿で、不細工で、品性のかけらもない、負け犬公女のくせ……」
「お前、今何と言った?」
地獄の底から響くような低い声に、トリシャは息を吞む。見れば、恐ろしいくらいの殺気を放つユージーン様がそこにいる。
「マーガレットはこの世で一番尊い人だ。お前ごときが愚弄するな」
今まで散々蔑まれ、馬鹿にされ、それでもどこ吹く風で笑っていたユージーン様。だからこそ、彼が初めて見せる怒りはあまりにも恐ろしい。気迫に耐え切れなかったのか、トリシャはへたへたとその場にへたり込んだ。
「ヴェスペリア王国王太子として命じる。この痴れ者を即刻神殿へ連れていけ」
ユージーン様の命令で、兵士たちがトリシャの身柄を取り押さえ、会場から引きずり出す。
しかしそれに、
「王太子になったとはいえ、さすがに横暴がすぎるのではないか?」
「そ、そうだ! そのような勝手で、我々貴族の支持が得られるはずがありませんぞ!」
と、列席した貴族たちが非難轟々で立ち上がる。
彼らはマックスウェル殿下陣営にすり寄り、ユージーン様排斥に動いてきた面々。なんとかユージーン様を引きずり降ろそうと必死なのだ。
「ひとつ言い忘れていた。見下した相手に簡単に弱みを見せるのは、何もトリシャ・ジェファーソンだけではない。お前たちが思っているより大分、私はお前たちの弱みを握っている。もう少し怖がってくれても構わないのだぞ」
不敵に笑うユージーン様に、威勢の良かった貴族たちは蒼白な顔で押し黙る。気付いていなかっただけで、彼らは既にまな板の上の魚だったのだ。
「安心しろ。私は皆で仲良くやっていこうと思っているのだ。余程のことがない限りな」
与えられた最善の選択肢は、大人しく新たな政局に適合すること。貴族たちもそう悟ったのだろう。もはやユージーン様の敵はいなかった。
「ユージーン王太子殿下、マーガレット王太子妃殿下万歳!」
「万歳!」
人々の万歳の声を浴びながら、私はただただ隣に立つユージーン様の大きさを感じていた。
*
立太子の儀を終え、私たちはユージーン様の部屋に戻る。といっても、この後様々に面倒が待ち構えているので、ここにいられる時間は長くない。
「……マックスウェル殿下のこと、知っていらしたんですか?」
ベランダで風にあたっているユージーン様に私は問いかける。
「まさか。水面下で動いていたのも、陰ながら兄上の治世の手助けになればとのこと。兄上が出ていかれるなんて、予想もしなかった。だが……」
ユージーン様は唇をかむ。
「兄上が苦しまれていたことはよく知っている。あの王妃様とトリシャに支配された生活だ。考えただけで怖気が止まらん。よくぞ今まで耐え抜かれたものだ。出奔は立派な行いとは言い難い。しかし弟として、兄上には今度こそ幸せになってほしいと願っている」
みんなが虐げる中、マックスウェル殿下だけはユージーン様を気にかけていたっけ。周囲が何と言おうと二人はずっと大切な兄弟で、これから先もそうなんだろう。私はそう思った。
「だが、うだうだも言っていられない。兄上の代わりとして立派な王太子をやらなければな。責任感の強い兄上が、罪悪感から戻りかねん」
ははっ、とユージーン様は元気よく笑う。しかしーー
「どうした、マーガレット。顔が暗いぞ。どこか痛いのか?」
どうしてだろう。私は笑うことができなかった。ずっと日陰者だったユージーン様に運が向いてきて、胸がすく思いをしているはずなのに。
「なんだか、無性に怖くなってしまったんです。ユージーン様がすごい場所に行ってしまったから。私なんかもういらない気がして」
うつむく私の顔を、ユージーン様はそっと持ち上げる。
「すごい場所なわけがあるか。王太子、ひいては国王など、恐ろしくつまらない存在だぞ。はずれ王子や神子などよりもよっぽどな」
厭わしそうな表情を作って見せた後、
「だからこそマーガレット、お前に隣にいてほしいのだ」
と、ユージーン様は心底愛おしそうな顔で私の頬をなでた。
「この十年間、私はずっと幸せだった。マーガレットがいてくれたからだ。マーガレットなしの人生など耐えられない。お前は私の全てで、人生の喜びそのものなのだ」
乾いた土に降り注ぐ雨のように、言葉が心に沁み込んでいく。
「改めて頼む。これからも私と共に生きてほしい」
「はい……。ずっと、ずっと一緒です……!」
立場が変わり、周囲からの評価が変わっても、ユージーン様は何も変わらない。私が大好きな彼のままなのだ。そのことが途方もないほど嬉しかった。
「さあ、みんなのところに戻るか。遅れると何かと面倒そうだ」
いつの間に折ったのだろう。ユージーン様は新しい紙飛行機を空へと投げ飛ばす。
「ちなみに、今の機体の名前は何ですか?」
「エターナルアルティメットユージーン号~マーガレットへの愛と共に~だ」
どやっと胸を張るユージーン様。相変わらず壊滅的な名づけセンスだ。
紙飛行機は風に煽られ、時に落下しつつ、それでもその度に体勢を立て直した。そしてどこまでもどこまでも飛んで行った。
最後まで読んでくださりありがとうございました……!




