第07話 霞陽の下
日が落ちた空に、霞陽が滲んでいた。
“陽”とはいえ、それは昼のように眩しくはない。
まるで水墨画の中に描かれたような、ぼんやりとした蒼白い円。
空のはるか高みにじわりと浮かぶそれは、地を暖めることも、草花を育てることもない。
ただ、世界に静けさだけを与える。
──それが、霞陽。
この世界に存在する、もう一つの太陽。
煌陽が昼を司る恒星なら、霞陽は夜を司る恒星だった。
そして、その光には──神の力の欠片を打ち消す性質がある。
人々の知らぬところで、転生者たちはそれを知っていた。
霞陽の下では、奇跡の力は抑制される。
だからこそ、肇たちはこの“夜更け”を選んだ。
「……霞陽、見えるっスね」
アランが、空を見上げて言った。
剣の柄に手をかけたまま、その目はどこか神妙だった。
「俺、あれ見るとなんか安心するんスよ。」
「日光浴みたいなリラックス効果もあるらしいな。」
肇は空を見もせず、バックルを締めながら応じた。
「だが俺ら転生者にとって、霞陽は“天敵”みてぇなもんだ。力を封じられて、奇跡が使えねぇ。けど──だからこそ、“公平”なんだよ。奇跡のない世界で、奴とどれだけ話せるか。それが勝負だ。」
リセルは、まだ震える手で装備のストラップを結び終えたところだった。
彼女が持っているのは、ただの観測装備と、祈りに似た覚悟だけだ。
ぎこちなく、けれど懸命に支度を終えた彼女が、ふとこちらを見上げる。
「……肇さん、だいじょうぶ、ですよね?」
「俺はな」
肇は肩をすくめてみせた。
「いいか、リセル。今日の仕事で一番大事なのは、“逃げ遅れないこと”だ」
リセルは、唇をかんで、小さく頷いた。
そしてそのすぐ後ろで、アランがのっそりと立ち上がった。
「逃げ遅れたら、リセルごと背負ってでも走りますよ。俺、意外とタフなんで」
「心強いが……今回は余計なこと考えてないで、まず自分の身を守れ」
「……わかったっス」
それに今回はリセルは高峰玲と接触させない。起きうるかもしれない戦闘に出すにはまだ力不足だ。
霞陽の光が、静かに村を満たしていく。
空気はひどく澄んで、風の匂いが乾いていた。
肇は槍の柄に手を添えたまま、二人に向き直った。
「出るぞ。今、この空の下でなら、“ただの人間”として、向き合えるかもしれねぇ」
リセルは黙って頷き、アランは拳を握りしめた。
羽沢肇は、ふたりの命を背に──
夜の丘へと、静かに歩き出した。