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第06話 死人の村

 オルベ村は、まるで時間から取り残されたような場所だった。


 羽沢肇たちが村の外縁にたどり着いたとき、風は湿っていて、空は薄曇っていた。

 見渡す限りに広がる畑はところどころ荒れており、雑草に飲まれた(うね)が寂しく並んでいた。


 村の規模は小さい。

 世帯数でいえば三十ほど、村民は百名に満たない。

 木造の民家と、年代物の石造りの倉庫。

 中心には小さな井戸と集会所がある――典型的な辺境の農村。


 だが、今はそのどこにも人の声がなかった。


 「……まるで廃村ッスね」


 アランがぽつりと呟く。


 村人たちは建物の奥に引きこもり、目を合わせる者は誰もいない。

 時折、戸の隙間からこちらを見ては、すぐに閉める。

 表に出ているのは、泥だらけの馬と壊れた荷車くらいだった。


 「魔族圏じゃねえのに、まるで“支配されてる”みてぇだ……」


 「……違うよ」

 リセルが、小さな声で言った。

 「これ、怯えてるんだ……あたしたちじゃなくて、“何か別のもの”に……」


 「おーい、あんたらかい。依頼を受けてくれたっていうのは」


 集会所の奥から、初老の男が姿を現した。

 痩せこけ、額に包帯を巻いている。目元には深いくま。

 ──村長だろう。


 アーガスから受け取った紹介状を見せると、村長は無言で集会所の中へ案内した。


 「……来てくれて、本当に助かった。あんたたちが、この依頼に応えてくれたこと自体が、俺たちにとっては奇跡だよ」


 村長は深く頭を下げた。

 集会所の机の上には古びた陶器と、簡素な地図。そして、書き殴られた犠牲者の名前のリストが並んでいた。


 「……魔族に頼まなかったのか?」

 肇が、率直に問うた。


 村長は、答えを返すまでに少しだけ時間を置いた。


 「……頼めなかったんだよ。“あれ”が、元・魔族だったからな」


 リセルが目を見開く。

 アランが眉をしかめ、軽く息を吸った。

 「元・魔族……つまり、魔王の庇護下にあった転生者が、暴走を……?」


 「あぁ。その女、“高峰玲”が現れたのは、一週間ほど前だった。最初は、ただの流れ者か、追放された魔族かと思ったんだ。村の外れでじっと座って空を見ていてな……。あまりにも何もしないもんだから気味が悪かったんだが。

最初は会話もできた。その時話してくれたんだ。魔族から追放されたとな。だが、三日前から急に様子が変わった。奴を中心に土が腐り、水が濁り、小動物が死に始めた。」


 集会所の奥、粗末な机を囲んで村長が話す。


 「そして、その女の足元から、大地が焼けるような痕跡が広がったんだ……」


 「奇跡の暴走か」

 肇が口を挟む。


 「そう。間違いない。

 最初に気づいた村の若者が声をかけようとした瞬間、そのまま……肉体が崩れ落ちた。

 火傷のようでいて、火ではない。呪いのようでいて、呪いでもない……。言いようがないんだ、あれは」


 「……被害は?」

 アランが真剣な顔で尋ねる。


 「死傷者は七人。最初は近づかなければいいと思っていた。だが、近づいていない者にも被害が及んでしまった。あとは恐怖でみんな外で何もできなくなった。

 女は、今も村はずれの丘の上に立っている。“祈るような格好で”」

 村長の声が震える。


 「誰も近づけない。動かない。何も言わない。と思えば、近づいてない者も殺される。彼女は……神でも悪魔でもない。もっと、何か別の、自然災害のようなものだ」

 

肇はボロボロの地図に目をやりながら、口を開いた。

 

 「で、魔族には頼めなかった……? “身内を処分する”ようなものだからか?」


 「いや、そんなんじゃない。もっと悪い」

 村長は目を細めた。


 村長の目が、いっそう細く、深く沈んだ色に翳った。

 それは疲労ではない。明確な“猜疑”──どこにも吐き出せなかった、長年積もらせた不信の影だった。


 「魔族団が“異変を追っている”のは、表向きの話さ。だが、実際に何が起きてるか知ってる者なんざ、村にはひとりもいやしねぇ」


 肇が静かに顔を上げた。

 「どういうことだ?」


 村長は、乾いた笑みをこぼす。

 「……三日前、高峰玲がまだ暴走していない時、魔族団の一行がこの村に来たんだ。『異常反応の調査に来た』って言って。村の誰もが、追放した様子のおかしい高峰玲の様子を見に来たんだと思ったさ。まあ俺ら素人じゃ何も分からねぇし、専門の魔族団に任せとこう……ってな」


 リセルが身を乗り出す。

 「三日前…じゃあ、そのとき──!」


 「『何もなかった』って言って帰って行った。たったの一時間滞在してな。それも『丘の上の女は問題ない』『奇跡の異常反応も観測されなかった』──そう断言して、堂々と引き返したよ。その直後だ、異変が起き始めたのは」


 その場に一瞬、重たい沈黙が落ちた。

 村長の声が低くなった。


 「……俺ら、気づいちまったんだよ。

 “あれ”を見つけてから、魔族団は妙に早く来た。なのに、何もせずに帰った。

 ……つまり、“最初から仕組んでた”んだよ。あの女の奇跡の暴走は」


 アランの眉が動いた。


 「もしかして……“黙認”されたって事ッスか?」


 村長は力なく答える。

 「黙認どころか、あれは“監視”や“観察”の類だよ。

 あの女を使って、“何かを試してる”……。そう感じた。そうじゃなきゃ、何のために、危険な奴を放置する?」


 肇は何も言わなかった。

 ただ、拳を握りしめた。


 「俺たちは“被験者”だ。田舎で声も上げられねぇ無力な村人だ。魔族団に文句を言えば、次に潰されるのは俺らの方だ。だから……誰にも言えなかった。こんな依頼、受ける奴がいるとも思ってなかった。…でも、それでも、あんたたちが来てくれた」


 村長は机に両手をついて、静かに頭を下げた。

 その背に、言いようのない痛みがにじんでいた。


 「わかった」


 肇の声は低く、短かった。


 「つまり、魔族団はその女を使って“奇跡の異常”を試してる。……高峰玲の奇跡が暴走してるのは“偶然”じゃねえ。誰かが──いや、“魔族団”が仕組んだことだ」


 「……そう思ってる」


 村長が答えた。

 だが、すぐにその視線を肇へ向ける。


 「それでも、俺たちは“あの女”を悪魔だとは思っていない。なぜ魔族から追放されたのかも、なぜ急に壊れたのかも、何ひとつ分からない。──でも俺たちはただ、彼女はただ巻き込まれただけの転生者である事は分かるんだ」


 村長の目に、にじむような悔しさが宿る。

 

 「俺は、まだ“息をしてる”ギルドがないかを探した。そして、魔導印の記録の中から──アーガスの名を見つけた。……この村の誰も、ギルドなんか頼りにしちゃいなかったさ。だが俺だけは思ってた。“あの男のギルドなら、届くかもしれない”ってな」


 肇は何も言わずにもう一度地図へ目を落とす。

 焼け焦げた村の北、丘の上──そこに、奇跡の暴走者は今もただ立ち尽くしている。


 村長が最後に言った。


 「どうか……彼女の最期が、ただの処分で終わらないようにしてやってくれ」


 村長の言葉が静かに消え、集会所に沈黙が落ちた。


 肇は黙って座っていた。

 リセルは口元をぎゅっと結び、アランも真剣な面持ちで拳を握っている。

 それぞれに、何かが響いたのだろう。だが──肇の中には、別の感情が渦巻いていた。


 「……ただの処分で終わらないようにしてくれ、か」


 誰に向けるでもなく、ぽつりと漏らす。


 「──悪いけど、そんな上等なこと、俺にはできねぇよ」


 村長が顔を上げる。

 肇は立ち上がり、ゆっくりと槍の柄に手を添えた。

 その顔に、怒りとも悲しみともつかない、複雑な色が浮かんでいる。


 「人間の心が残ってんなら、俺は話す。説得だって、止めることだってするさ」


 「でもよ──もしもう、言葉も、記憶も、“高峰玲”という、思い出す名前すら持ってねぇなら。“もう人間じゃない”って、奴がそこに立ってんなら──俺にできることは、“殺す”しかねぇ」


 声が、静かに震えていた。


 「それの、どこが“人として終わらせる”ってんだよ……」


 誰も言葉を返さなかった。

 その沈黙すら、今は罪深く感じられるような空気だった。


 肇は背を向けて扉へ向かう。

 扉の前で改めて村長の方へと振り返る。

 「すまねぇ。依頼を引き受けておいて、こんな事言っちまって。彼女を人間に戻す最善は尽くす」


 背中で扉を押し開ける。

 差し込んできた曇り空の光が、彼の影を長く引き伸ばしていった。

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