第23話 幹部会
「魔族団内で、ちょっと気になるほつれが見つかってね。壱、弐、参――そして各区の顔ぶれには、直接話しておきたいと思ったの」
魔王クリシュネがそう言って、石卓の縁を指先でとん、と軽く叩いた。
入口に最も近い席に、一人の若い魔族が背筋を伸ばして座っている。
クリシュネと共に部屋に入ってきた男。淡い灰色の制服に、紺の細いライン。魔王直属の記録・情報部隊《零課》の書記官だ。
彼は、魔王が口を開いた瞬間からすでに、手元の石板に細いペンを走らせていた。
この空間で交わされる言葉を漏らすことなく書き留めるのが彼の役割だ。
クリシュネはその存在をあえて視界に入れず、石卓をぐるりと見回す。
視線が、ある席の前で止まった。
一区、二区、三区、四区、六区。
冥網の御柱三人。
上座の傍らには執事メービル、下座には零課の書記官。
卓上を囲む席は十三席ある。
「シグラドとレメスはどうしたの?」
魔王は首を傾げ、あっけらかんとした声で言った。
石卓の上に、短い沈黙が落ちる。
口を開いたのは、御柱のヴァレドだった。
眼鏡の奥の視線だけを上げる。
「第五区域担当シグラドより、遅れるとの報は受けております。治安案件の急な処理が入ったとのことで……本来ならこちらを優先すべきところですが、あの男の性格を鑑みれば、“現場を中途半端にできない”と判断したのでしょう」
「まぁ、シグラドに関してはそんなもんか」
クリシュネは、空席に向かって片眉を上げてみせた。
叱責とも冗談ともつかない、軽い調子だが、誰も笑わない。
一区担当の東堂がふんと鼻を鳴らす。
「時間にうるせぇくせに、自分は現場優先ってやつだからな。次は首根っこ掴んで連れてくりゃいい」
そこまでは、おおむね想定内の話として片付いた。
今度は、御柱のガルハインが口を開く。
「監察役レメスについては、こちらにも報せが届いておりません」
低く抑えた声が、会議室の石壁に淡く反響する。
「本来、冥召がかかった場で“遅刻や欠席”の報告を最初に上げるのが、監察役の仕事のはずですが……その監察役自身が、所在不明ということになります」
幹部の何人かが、あからさまに顔をしかめた。
「……あいつに関しては、“どうしたの?”って聞かれても困りますね」
四区担当のザハルが、小さくため息をつく。
「幹部でもないのに幹部会の席が用意されている時点で、我々としては十分不可解です。そのうえ遅刻・欠席常習犯。“呼べば来るかもしれないし、来ないかもしれない”という男の席に、これ以上意味を求めるのは酷では?」
「そうそう」
六区担当イゼルダは頬杖をつき、ザハルに同調した。
「“監察役だから特例で出席可”ってのはまだ分かるけどさ。あの子真面目に皆勤賞狙ったこと一回でもある?信用のない奴を幹部会に参加させるのは私も反対」
東堂が肩をすくめる。
「それでいて、欠席のたびに“監察任務で外せませんでした”って言い訳だけは一丁前だ。幹部未満が幹部会に席持ってるってだけでも腑に落ちねぇのに、その椅子を空けっぱなしにされちゃ、不満も積もるもんだ」
幹部たちの空気は、おおむね「またかよ」で一致していた。
レメスの不在を、何か重大な異変の兆しとして扱うよりも先に、「あいつなら平常運転だ」と判断する方が自然なくらいに。
一方で——冥網の御柱たちの視線は、ほんの少し違っていた。
「……“またか”で片づけるには、少々タイミングが悪いわね」
ソリュシアが、指先で石卓をとん、と一度叩く。
「お前から見て、見当は?」
クリシュネがガルハインに視線を向ける。
ガルハインはほんの僅かに首を横に振った。
「前回の提出位置情報では、第三・第四区境界付近にて『特魔運用群の動静を観察中』とあります。それ以降、正式な更新は無し。無断行動、または……すでに何らかの事象に巻き込まれている可能性も否定できません」
ヴァレドが、譲歩とも釘刺しとも取れるような声で締める。
「幹部諸君の不満も理解はできる。ただ、“監察役が現場で何かを見て、そのまま戻らなかった”可能性については、冥網及び幹部として追跡義務を負う立場にある――そこは切り分けて考えるべきだ」
“レメス不在”という一行が、後になってどれほどの意味を持つのか。今はまだ誰も知らない。
「ま、レメスの件は説教なのか事件なのか後で考えるとして」
クリシュネは手をひらひらと振って、話題を切り替えた。
「問題はね、レメスがここにいようがいまいが、魔族団の“ほつれ”そのものは進行中だってこと。まずはそっちから、順番に片づけていきましょか」
クリシュネは、ひらひらと手を振って一度話題を切った。
石卓の縁を指先でとん、と軽く叩く。
「本題はこっち。――零課」
入口に一番近い席の書記官が、反射的に背筋を伸ばす。
「はい」
書記官は立ち上がり、報告書を各幹部に回した。
「ここ三ヶ月の、魔物出現と被害報告の推移です」
報告書には魔物の出現数や村・町の被害件数、出動した魔族の回数や殉教者数などがグラフで表示されている。
「……特に、第三・第四区の数値が突出しています」
零課の書記官が言うと、マークスとザハルの視線が、自然とそこに吸い寄せられた。
「現場としても、肌感覚では把握しておりました」
最初に口を開いたのは三区担当のマークスだった。
落ち着いた声色のまま、手元の報告書を指で叩く。
「今期は魔物の質が悪い上に、やけに人里寄りに出る――そうした報告は、第三区の各隊からすでに何度も上がっております。殉職者数の増加についても、区内会議で共有済みです」
「第四区も同様です」
ザハルが続いた。書類を一枚めくり、端を揃えながら言う。
「魔物の出現地点が、人の居住域や交易路に不自然なほど偏っています。出動回数も、ここ数カ月で倍近くに跳ね上がっています。……我々としては、“第三・第四区の境界周辺が荒れている”という認識で、対策案を検討中でした」
「で、それのどこが“魔族団の”ほつれなんだ?」
東堂が短く問う。
書記官が、口を開いた。
「魔物討伐の報告の“細部”がおかしいのです」
「細部?」
東堂が問い返す。
「はい、第三・第四区域の報告書に限って、“雑すぎる”案件が増えています」
幹部の視線が、地図の上をなぞる。
「被害の規模に対して、現場の描写が薄いのです。発見者の名が“巡回隊”としてまとめて処理されていたり、正確な時間の記載もなく、日没前や夕方という風に曖昧にされています。殉職者の死亡状況の記載も、“魔物との交戦中に戦死”とだけ。……細かいですが、こういった雑な報告は、ここ一月でこの二つの区に集中している」
「つまり、“雑な紙”が私の所にまで上がってきてるって事」
クリシュネが口を開く。
彼女の澄んだ瞳が、にこりと笑みの形を作る。
「確認なんだけど、三区・四区の報告書に最後の判を押してるのって誰だったっけ」
クリシュネの言葉に、マークスのまぶたがほんの僅かに震えた。
「第三区の報告の最終承認は、私です」
マークスは静かに続ける。
「報告書の“粗さ”そのものに関しては、把握しておりました。ただ、現場の逼迫を理由に、“詳細な聞き取りは後回しにする”という判断を、いくつかの案件で許していたのも事実です」
ザハルが続けて口を開く。
「四区も同様です。優先度の高い現場処理を先に回し、書類は後から整える方針を黙認していました」
「魔物が増えて現場が大変なのは分かるわ。でも大変だから雑になってもいいって判断したのは“区の顔”よ。“魔族団のほつれ”って言葉には、その責任も含めてるつもりだったんだけど、伝わってなかった?」
クリシュネの声色は軽いが、言葉そのものは甘くない。マークスは静かに頭を垂れ、ザハルも「申し訳ございません」とだけ絞り出した。
クリシュネは長く息を吐いた。
「てか、もっと早くに私を頼りなさい」
クリシュネの青い瞳が二人を射抜いた。それは怒りではなく、魔王としての責務を帯びた眼差しで。
「三区と四区で対策案を検討中?私も混ぜなさいよ。まったく、優秀な子達ほど、ギリギリまで自分たちの区画で抱え込むんだから。」
マークスは小さく肩を震わせ、「痛み入ります…」と応じた。
ザハルも「すみません」と口を開いた。
「よろしい」
クリシュネはぱん、と一度だけ手を合わせた。
今度はソリュシアが口を挟んだ。
「で。魔物の暴走そのものは、まだ原因不明。地脈の乱れかもしれないし、悪意ある人間の介入もあるかもしれない。」
「……つまり」
二区担当のロズウェルが口を開き、内容をまとめる。
「“魔物が人を狙って襲いだした”という問題と、内側で“我々自身の記録が雑になっている”という問題が、同じ区域で同時に進行している、ということですね」
「そう、私はこれを魔族団の“ほつれ”と認識してる。どっちが原因でどっちが結果なのかは、まだ分からないけどね」
クリシュネが肩をすくめた。
「担当である二人が言うように、魔物が荒れてるから現場が疲弊して、紙の方が雑になってるだけかもしれない。逆に、誰かがわざと巡回を薄くして、そこに魔物が流れ込んでいるのかもしれない。どっちにしても、“ほっといたらそのうち勝手に収まる”類のゆがみじゃない」
短い沈黙が落ちたのち、その静けさを破ったのは、東堂だった。
「――やっぱ研究局が原因じゃねえの?そういうのは」
その一言で、空気が変わった。
視線の先にいるのは、黄緑色の髪をふわりと垂らした女――ソリュシア。
「言い方」
ロズウェルが、東堂の隣から小さく釘を刺したが、その目もまた、ソリュシアの方を見ていた。完全な同意ではなくとも、「同じ疑念の線上」に立っている目だった。
「魔物の実験や研究も担っている《特魔運用群》は、冥網の弐――ソリュシア様の管轄でしたわよね。 この暴走続き、“そちらの案件”が人間領にまで漏れ出している可能性は、まったくのゼロとお考えで?」
ソリュシアは、目を伏せたまま、指先で石卓をとん、と一度叩いた。
結晶灯の光が黄緑の髪に反射して、ちらりと揺れる。
「……なるほどね」
顔を上げたとき、その瞳は笑っていなかった。
「“特魔運用群の管轄は私だから、お前が黒幕だろう”って、そう言いたいわけね?」
その声音は、蜂蜜のように甘く、刃物のように冷たかった。
「そうまでは言ってねぇだろ」
東堂が肩をすくめる。
「ただ、“魔物を意図的に人里へ向かわせる動き”と、“研究目的で魔物や奇跡に手ェ突っ込んでる連中”を、まったく別口だと信じろって方が無理あんだろ」
「東堂さん」
マークスが低く名を呼ぶ。諫める響きだが、そのまなざしはやはりソリュシアに向いている。
「事実として申し上げます」
マークスは書記官の書類を一瞥し、言葉を選んだ。
「第三・第四区域で暴走案件が集中し始めた時期と、特魔運用群の“現地調査”の報告が増えた時期は、おおむね重なっております。それ自体は“研究任務の一環”と説明可能ですが――疑念を持つ者が出るのも、致し方ないかと」
「“致し方ない”ねぇ」
ソリュシアは、椅子の背にもたれず、前のめりに肘をついた。
口元だけが、愛想のよい曲線を保っている。
「特魔運用群は、“奇跡や魔法具、魔物に関するデータを集めてます”って、最初から宣言してる部署よ?危ない橋は渡る。でも、それはぜんぶ、あなたたち“現場”の死体を減らすための仕事」
ソリュシアは降格を下げず続ける。
「で、その結果、“魔物が暴れてる区域と、うちの調査範囲が被っている”――当たり前じゃない。暴れてるからこそ、そこを調べに行ってるの。順番をひっくり返さないでくれる?」
「順番をひっくり返してんのは、どっちだろうな」
東堂の声が低くなる。
肩に乗った上着の裾が、わずかに鳴った。
それだけで、この空間に緊張が走る。
「“危ない橋を渡ってやってる”って言うならよ」
東堂は、白い歯をわずかに見せて笑った。
「橋の下に沈んでる魔族の数、もう一度見直した方がいいんじゃねぇの?三区と四区の魔族の死体は、全部“想定の範囲内の犠牲”ってわけかい、研究局さんよ」
「東堂、そこまで」
低く押さえた声が、空気を断ち切った。
ガルハインだった。
その声には、武勲の重みがあった。
「ここで矛先を向け合っても、殉職者は戻らん。特魔が白か黒かは、事実と検証で決める。感情で裁くのはやめておけ」
クリシュネも、ややあきれたような笑みを浮かべる。
「そうそう。ここで始末し合ったら、私の仕事がまた増えるからやめてくれる?」
クリシュネの青い瞳が、ソリュシアと東堂を順に見た。
「ソリュシア。特魔運用群が“本来持っているはずの権限”と、“実際に使っている権限”の差分を、全部洗い出して。」
「……了解」
ソリュシアは、感情を飲み込むようにして頷いた。
クリシュネは、最後にもう一度、卓上に地図を広げて見渡した。
「魔物の暴走と、魔族団のほつれ。原因が一つとは限らない。でも――同じ地図の上で起きている以上、まとめて見ないと何も見えてこない」
彼女の指先が、第三区・第四区を囲っている赤枠を、そっとなぞる。
「そのための冥招よ。感情は脇に置いて、まずは糸口を探しましょうか」
三区と四区の報告書が雑になっているという件に関してそれぞれ区の代表であるマークスとザハルには責任が無いと読み取れてしまう書き方だったので修正しました。




