第18話 復興
復興は、草の芽が時間をかけて土を押し上げるように小さなところから始まった。
羽沢は屋根の上に登り、ひびの入った瓦を1枚ずつ外しては、下にいる村の男たちへ手渡していく。
割れた瓦が山積みとなり、新しく焼かれた瓦が横に積まれていく。
「羽沢君、そこの梁も腐っとるから気を付けな」
下から村長が声を張る。
羽沢が「了解」とだけ短く返し、梁の片側の釘を外した。
「いったん支えを頼みます」
羽沢が声を返すと、足場の下にいた男たちが二人、釘が抜けて浮いた梁に手を添えた。
羽沢はぐらついた梁を少しずつ浮かせる。抜けた釘が一本、二本と音を立てて落ち、最後の一本を外したところで、「いきます」と短く合図を送った。
「おう、持ったぞ」
下の男たちが受け止める。
梁の重みが完全に手から離れたのを確かめてから、羽沢はゆっくりと梯子を降りた。
肇は頭に巻いた手ぬぐいから流れる汗で、前髪が額に貼りついていた。
手ぬぐいをずらして額の汗をぬぐい、ひと息だけつくと、今度は新しい材を担ぎ上げるためにまた足場へと向かった。
「アラン!材木持ってきてくれ」
「っス!」
アランは元気よく駆け出し、新しい材木を二本抱えて戻ってきた。
その横で、リセルは小さな机に広げた紙と格闘していた。
被害の出た家を一軒ずつ回り、壊れた箇所や必要な部材を調べては、細かい字で書き込んでいく。
「柱一本で済む家と、土台からやり直しの家……優先順位はどうしましょう」
「子どもと年寄りがいる家を先じゃな。わしの家は最後でええ」
村長の返事を受け、リセルは頷き、紙に印をつけていく。
家ごとの被害と畑の状況を書き上げた紙の隣には、いつの間にか新しい一覧が増えていた。
怪我人と持病持ちのリスト、使える材木と釘の数など。
力仕事には混ざれない代わりに、村全体の状況を紙の上に引き出し、共有するのが、リセルの役目になっていた。そんな彼女の横顔にも、疲れは滲んでいる。それでも書く手は止まらない。
夕方になる頃には、村の端にある畑にも人の姿が増えた。
火に焼かれた土はまだ黒く、ところどころが固く固まったままだ。
高峰玲は、畑の一番端にしゃがみ込みんだ。
耕作道具を持った村の男たちが、少し離れたところで様子を見守っている。
村長、羽沢、アラン、リセルも、三歩ほど後ろで足を止めた。
高峰の奇跡。
本来のそれは、命を芽吹かせるための奇跡だ。彼らが芽吹く意志に共鳴し奏でる力。
彼女の掌の下、黒く冷えた土が、わずかに色を取り戻す。濡れた土の匂いが立ち上り、指先の先で、糸くずほどの芽が一本、ためらうように顔を出す。続いて、もう一本。ひび割れた地面の裂け目に、かすかな緑色がにじむ。
誰かが息を呑む音。
高峰はすぐに手を離し、肩で息をつく。
「まだいける……」
自分に言い聞かせるような呟きのあと、もう一度両手を土にあてた。
さきほどより、ほんの少しだけ深く息を吸い込む。
高峰は目を閉じた。視覚を断ち意識を触覚に集中させる。
胸の内側で打つ鼓動を、一つ一つ数える。
脈と土のうねりが重なるところまで、じっと待ってから奇跡の出力をもう一段階押し上げた。
小さな芽だったものが、するすると背を伸ばし始めた。
ひび割れの残る土の間を縫うように、淡い緑の光の筋が一本、畝に沿って走る。
それはやがて、一本筋では収まり切らなくなり、隣の筋へ、さらにその隣りへと染み出していく。
「お、おお……」
誰かの喉の奥から漏れた声が、合図になった。
村の男たちは、高峰が蘇らせたばかりの土を潰さぬよう、焼けて固まった表層だけをうかすように、慎重に鍬を入れる。
砕けた黒い塊が脇に退けられ、その下から顔を出した土が、奇跡に呼応するように柔らかさを取り戻していく。
「こっちも、やるか」
もう一人が鍬を取り、次いでもう一人が土起こしに加わる。
焼け残った根や炭片を手で拾い上げ、畦道へ退ける者も出てくる。
高峰は、少しだけ移動した。
最初の畝から一歩横へ、まだ真っ黒な列の根元に膝をつく。
土の中に、まだ踏みとどまっている種と根を探り当て、そっとそこに響きを送る。
また、緑が浮かび上がる。
畑のこちら側では男たちが鍬を振るい、向こう側では高峰がひたすら地面に手をあてている。
時間がどれくらい過ぎたのか、高峰自身にも分からなかった。
気づけば、額から顎へ汗が筋になって流れ落ちている。
肩で息をしながら顔を上げると、さっきまで黒と灰色しかなかった畑に、緑色の鮮やかな世界が広がっていた。
もちろん、元どおりとはいかない。
ところどころには、焼け焦げた地肌も残っている。背の伸びきらなかった芽や、まだ反応を返さない土もある。
それでも――畑全体を見渡せば、そこはもう「荒れ野」ではなく「作物を育てる場所」に戻っていた。
「……今日はここまで、ですね」
そう言ったあとで、高峰の視界がふっと揺れた。
足元の土が、わずかに遠のく。膝に力が入らない。
「っと」
肩が傾きかけた瞬間、横から伸びてきた腕が、その体を支えた。
肇が肩を差し出し、高峰の片腕を自分の首に回させる。
「倒れるとこだったぞ」
軽くため息混じりに言いながらも、その声は責める響きではない。
「……すみません。ちょっと張り切りすぎました」
「ありがとう。ここまでやってくれりゃ十分だ。あとの続きは俺たちの仕事だ」
羽沢はそう言って、支える腕に少しだけ力を込めた。
村長が鍬の柄に両手を乗せたまま、ゆっくりと畑を見渡す。
「これだけ戻れば、なんとかなる。お主は病み上がりなんじゃからな。無理は禁物じゃよ」
その言葉に、周囲の何人かが小さく頷いた。
憎しみではなく、気遣いの視線ばかりが高峰に向けられている。
「すみません。ありがとうございます」
高峰は、羽沢の肩に体重を預ける力を、ほんの少しだけ素直に増やした。
張り詰めていた背筋から力が抜け、安堵と疲労が同時に押し寄せてくる。
自分は、取り返しのつかないことをした人間で、同時に、これからこの村を一緒に立て直していく側の人間でもある——。
罪だけでなく贖罪も、村の人たちは受け入れてくれているのだと、やっと信じていい気がした。
高峰はようやく、そのことを心から思えたのだ。
——————
三日後の朝、共同の食卓に湯気がのぼる頃。
集会所に、村長と主要な家の代表、そして肇たちが集まった。
「ここから先のことを決めよう」
肇が切り出す。机の上には、取り出された呪骨の欠片が小さな布に包まれて置かれていた。黒紫の筋が走る、嫌な光を帯びた骨片。
「この“遺骨”の手がかりを追う。作った奴らに辿り着くには、情報が要る。ギルドに持ち帰って、既存の記録と照らし合わせたい」
肇が視線を横へ送る。高峰は静かに立ち上がった。
「……私も、ギルドへ行きます」
村内に、わずかなざわめき。高峰は一人ひとりの顔を見るように、言葉を置いた。
「魔族についての情報を持っているのは、私だけです」
指先が、無意識に膝の上の布をつまむ。
「それに、私がここに残っていたら、また狙われます。この骨を埋めた魔族の狙いが“私”なら、私が村から離れた方が、ここは安全です」
言い終えてから、高峰は小さく頭を下げた。
「もちろん、必ず戻ってきます。畑の再生は、私の仕事ですから」
まだ贖罪は終わっていない。高峰は自分の人生全てをささげる覚悟で、自分にできる事はすべてやる覚悟でいた。
沈黙を破ったのは村長だった。
「……よかろう。行っておいで」
村長に続けて肇も口を開く。
「情報もそうだが、お前自身のことも、ギルドでちゃんと見てもらった方がいい。暴走のことも、今の状態も、ここだけで抱え込んでたら、いつかまた同じことになる」
肇が言い終えると、遺族の男が立ち上がり、高峰の前へ来る。
焦げ跡の残る小さな紐飾り――あの護りを、もう一度彼女に手渡した。
「これを預かっていてくれ。帰ってくるまでの間だけ、でいい。“あいつが見てる”と思えば、変な無茶はしないだろ」
高峰は、両手でそれを受け取る。
震えないように、強く、しかし丁寧に。
「……はい。必ず、返しに来ます」
——————
出立は、霞陽の残る朝の早い刻。
墓に寄り、名前を呼んで頭を下げる。
「行ってきます」
と、ひとつひとつの土に告げる――帰る場所を、ここに結ぶために。
村のはずれまで見送りの列ができる。
柵に寄りかかる者、子どもを抱きかかえた母親、土だらけの手のまま見送りに出てきた老人。
「畑、また増えるかな」
子どもの小さな声が聞こえる。
「増えるとも」
その横で、年寄りが当たり前のように答えた。
肇が歩き出す。
アランとリセルが続き、高峰は一歩遅れて、その背に続いた。腰の小袋には、神の遺骨と、焦げた紐飾り。
背中には、まだ軽くない罪と、それでも前へ進むと決めた決意を乗せている。
村長の声が、背中に届く。
「報せでも、顔でも、どっちでもいい。待っとるぞ」
高峰は振り返り、深く一礼した。
「――はい。必ず」
朝の光が、土道の上に四つの影を落とす。
影は伸び、揺れながら、村から離れていく。
肇は横目で三人を見て、ぽつりと告げる。
「最初はギルドで記録の照合だ。遺骨の流通の根っこを探る。……一緒に、根を断ちに行こう」
「「はい」」
「っス!」




