政治の舞台 ― STAIN誕生 ―
1970年夏。王町の湖畔で、自衛隊の61式戦車1輌が完全に破壊され、複数車輌が損傷した。隊員は二十名近くが死亡、あるいは行方不明となったが、奇妙なことに遺体は一体も発見されなかった。政府は当初「訓練中の事故」と発表したが、実態は黄泉軍との初の大規模交戦であった。直後、湖は沈黙を取り戻し、表向きは事件は収束したかに見えた。
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政治の舞台 ― STAIN誕生 ―
官邸・非公式会談
首相官邸、午後九時。
石崎総理、副総理、与党幹事長が会議室に並び、机上には黒塗りだらけの防衛庁報告書が置かれていた。陸幕長が立ち上がり、重い声で報告する。
「……王町周辺ではこの半月、行方不明や家畜の異常死、夜間の発光現象が相次いでいました。さらに県警からは“北朝鮮工作員が潜伏している可能性”との情報があり、湖畔に地下拠点が建設されているのではという憶測まで出ております。これを受け、官邸ルートを通じて非公式の警戒協力指示が下りました」
副総理が顔をしかめる。
「正式な災害派遣でも治安出動でもなく……記録に残らぬ“口頭通達”か」
「はい。本来は“訓練”として装い、実弾は封印したまま積載のみ、とされていました。しかし現場で接敵報告があり、判断が錯綜。結果、実弾が装填され発射に至ったと推定されます」
幹事長が舌打ちした。
「国会で問われたらどう説明する? “訓練”のはずが、なぜ戦車小隊が実弾を持っていたのか」
石崎は深く息を吐いた。
「……“訓練過程における人為的過失”で押し通すしかない。真相は――決して外へ出せん」
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国会の動揺
翌朝、衆議院予算委員会。傍聴席は記者で埋まり、カメラの閃光が走る。
野党議員が机を叩き立ち上がった。
「総理! 二十名近い若者が命を失い、戦車が実弾を撃ったなど前代未聞だ! なぜ遺体が一つも見つからないのか!」
防衛庁長官が沈痛な表情で答弁する。
「……確かに実弾発射は痛恨であります。しかし本件は訓練過程における過誤であり、積載弾薬の封印解除判断に誤りがあったと認識しております。遺体不明の件については現在調査中であり――」
「隠蔽だ!」
野党席から怒号が飛び、議場は騒然となる。
石崎総理は答弁席で原稿をめくるが、「国民を安心させる」言葉はどこにもなく、ただ額の汗が滲むばかりだった。
事件の余波は政権を直撃し、石崎内閣は総辞職を余儀なくされる。
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新聞見出しと世論
翌朝の紙面は一面を飾った。
•《毎朝新聞》
「王町で自衛隊演習事故 戦車大破、二十名近く死亡」
•《日報》
「訓練中なぜ実弾? 遺体なき惨劇 防衛庁に管理責任」
•《東京タイムス》
「国会追及必至 隠蔽か、それとも……」
茶の間のテレビでは未亡人が泣き崩れる映像が流れ、通勤電車では「戦車が暴発したらしい」「いや、もっと恐ろしいものが出たのでは」と囁きが広がった。
学生食堂では「政府は何かを隠している」と声が荒れ、街頭アンケートでは「防衛庁は信用できない」という声が多数を占めた。
だが同時に、「自衛隊にはもっと近代的な装備が必要だ」という意見も芽生えていた。怒りと不安は逆説的に軍備近代化の追い風となったのである。
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政権交代と選挙
石崎内閣の退陣後、阿倍総理が就任した。
彼は就任直後に衆議院を解散し、参院通常選挙と同時に「衆参同日選挙」に打って出た。
景気はいざなぎ景気の余勢に支えられており、与党は大敗を免れる。非改選議席を含めて過半数を維持し、政権は辛うじて安定を取り戻す。
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防衛と治安の転換 ― STAIN誕生
この勝利を背に、阿倍内閣は防衛政策と治安対策を一気に転換した。
•防衛庁の近代化計画を前倒しし、74式戦車・73式装甲車の早期実用化を推進。
•国家公安委員会の監督下に、警察庁内に「特殊異形事案対処特別実働部隊:Special Taskforce for Anomalous Incident Neutralization(STAIN/ステイン)」を設置。
設置根拠は国家行政組織法第8条による「特別の機関」。公式には「大規模災害・無差別事案への対応」を名目とした。
だが実際には、再び顕現するであろう黄泉軍に備え、表には出せぬ戦いの初動対応を担う秘密部隊だった。
――その存在を知る者は、まだごく一部に過ぎなかった。




