表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

転生したら乙女ゲームの世界だったのに性格最悪のクソ女に目を付けられた、可哀想な私の序章

作者: F.ニコラス

 煌めくシャンデリア。豪奢な装飾。格式高い衣服に身を包んだ人々。真昼のような光を抱き、夢のような美しさで満たされた空間――王立ノヴィリス学園、その大広間。


 今宵、ここで開かれるは学園の創立を祝うパーティーと、もうひとつ。


「公爵令嬢、アロガンティア・プルクラ。生徒会長イーノ・センティアの名において、お前の罪を糾弾する!」


 『悪役令嬢』アロガンティアの、断罪イベントだ。


 広間の中心で、決闘さながらに向き合うのは、鴉のような黒髪を結びもせずに長く伸ばし、これまた真っ黒なドレスに身を包んだ女生徒アロガンティア。


 一点の曇りも無い金髪と翡翠色の瞳が特徴的な生徒会長イーノ。


 そして彼の隣に立つこの私、亜麻色の髪の乙女キュピリア・キュピリタス。


「これを見ろ! お前がミン子爵家から不当に土地を奪った時の契約書だ!」


 イーノは懐から書状を取り出し、開いて見せる。そこにはアロガンティアの署名があるが、しかし書いたのは彼女ではない。私だ。


 だがそうとは知らないイーノは、義憤を露わにしながら続ける。


「筆跡を鑑定してもらったから、お前のもので間違いない。農地五千平方ロンジに対し、子爵家が受け取った金はたったの百万アウルム……そして子爵家は『一切の抗議を行わず、また当件に関して秘密を保持する』と。ここにはそう書いてある。お前は公爵令嬢という立場を振りかざし、無理矢理こんな契約を結ばせたのだろう!」


「アロガンティア様……どうか罪をお認めください! こんな間違ったことが在ってはなりません!」


 私はにやけそうになるのを必死に堪え、悲壮な表情をつくる。王国でもトップクラスの権力者を相手に、正義を貫こうとする美しきヒロインの表情を。


 そう。この断罪劇は、私が私のために仕組んだもの。この世界の『ヒロイン』としてイケメンたちにちやほやされて然るべき私の邪魔をする、忌々しいアロガンティアを陥れるための一大イベント。「原作」にこんな出来事は無かったけれど、長い時間をかけて準備をした私の計画は万全だ。


「この通り、証拠はあるんです。もう悪事を働くのはおやめになってください!」


 言いながら奴の様子を窺えば、口をつぐんでこちらをじっと見ているだけ。どうやら反論の余地も無いらしい。


 それもそのはずだ。アロガンティアとミン子爵家当主の筆跡模倣は完璧。件の土地は訳アリで無償譲渡されたものであり、子爵家たっての希望で取引の記録が作られていないのも把握している。元より子爵家は近年落ち目にあり、土地譲渡の直後に一家で夜逃げをしているから証言をする者もいない。


 すなわち、私の作った契約書が偽のものだと証明する手段は無いのだ!


 我ながらよくやったと思う。子爵家夜逃げの一報を耳にしてすぐ計画を思い付き、自力で情報を収集して土地譲渡の件を掴み、死に物狂いで筆跡の練習をし、印を手作りし(無論使用した後に処分した)、偽造契約書を片手にイーノをそそのかす――この間、約二ヵ月。随分と苦労をしたが、これであの女を「断罪」できるなら安いものだ。


「さあ、白状しろアロガンティア! そして罪を償うんだ!」


「アロガンティア様!」


 私はイーノと共に彼女を責め立てる。が、アロガンティアはこっくり、とわざとらしく首を傾げて口を開いた。


「そのような契約は存じ上げませんわ」


 何やらまだ余裕ぶっこいてるようだが、まあ時間の問題だろう。自分が詰んでいると気付いた時、こいつがどんな顔をするのか今から楽しみだ。きっとさぞ間抜けで、屈辱に満ちた顔に違いない。


「イーノ様。その契約書を、そちらの灯に近付けてみてくださいまし?」


「? 何だ、証拠を隠滅させる気か?」


「滅相もありませんわ。火に接触させる必要はございません。ただ少し、炙るように……」


 彼女はちらりと、私の方に視線を向けた。相変わらず得体のしれない目付きだが、今の私には少しも効かない。


 勝ち組は私。負け犬はお前! と、勝利確定の余裕と共に奴の視線をいなしているうちに、イーノが近くの蝋燭で言われた通りに契約書を炙る。アロガンティアが何をするつもりかはわからないが、契約書の写しは用意してあるから、あれを燃やされようが破られようが平気だ。抜かりはない。


「何も起こらないぞ……?」


 イーノはそう呟き、契約書を火から離す。よくわからないが、アロガンティアの仕掛けは不発だったようだ。私はますます自分の勝ちを確信する。さて、『悪役令嬢』さんはどう反応するのだろうか?


「ええ、そうでしょう。その契約書には、何の変化も起こらないはずですわ」


 悔しがる様を期待する私だったが、アロガンティアは平然と微笑む。まるで、思惑通りだと言わんばかりに。


 そうやって、彼女は言葉を続けた。


「真に私の書いたものなら、火に近付けた際に模様が浮き出ますもの」


「…………え?」


 思わず声が出てしまい、私は慌てて口を閉じる。幸い誰にも聞こえていなかったようだが……いや、待って。「本物なら模様が出る」。それって、つまり。


 急激に嫌な予感がし、全身から冷や汗が出る。だが彼女の言葉は止まらない。


「何私は常日頃から、熱に反応して変色する液体で書類などに印を描いているのです。偽造防止のちょっとした工夫ですわね。ちょうど、こんなふうに『証明』ができますから」


 やられた!!


 私は内心、頭を抱える。一瞬の動揺が顔に出てしまったのだろう、アロガンティアは明確に私に向かって、ニタリと笑う。


「言葉だけでは疑わしいのなら、実際に確かめていただいて構いませんわ。私はここでお待ちしておりますから、私の自室でも実家でも、どうぞご自由に探ってくださいまし」


「ほ、本当なのか……?」


「イーノ、騙されては駄目! 時間稼ぎをして逃げるに決まっています!」


 それでもまだ諦めてはならない。私はイーノに訴えかける。


 まだいける。まだ押せば何とかなる!


 しかしそんな私の心を嘲笑うかのように、冷ややかな声が場に割り込んで来た。


「アロガンティアの言うことは真実だ」


 現れたのは、青色の長髪を上品に束ねた青年。生徒会副会長兼会計のフリディウス・コーディエだ。


「フィディ!」


「その呼び方はやめろ、イーノ」


 反射的に声を上げたイーノをぴしゃりと黙らせ、彼は話を戻す。


「先月、リベターの愚か者が失火をしてな。書類は火に巻かれかけたもののみな無事だったが、ただ一枚だけ変化を見せたものがあった。アロガンティアの提出したものだ。後は言うまでもないな」


 ……終わった。真面目で堅物なフリディウスが嘘を吐かないことなんて、この学園では水で火を消せるのと同じくらいに知れ渡っているし、当然の事実だ。場の空気が見る見るうちに変わる。


「わかっていただけたかしら?」


 アロガンティアは笑う。クソ腹立つ笑顔で私たちを見る。


 私の計画は、破綻した。


「悪かった、アロガンティア! 疑いをかけ、このような公の場で皆の耳目に晒したこと、心から謝罪する!」


 イーノが勢いよく頭を下げる。ああ、なんて素直で潔いんだろう。


「嫌疑が晴れたようで何よりですわ。しかしイーノ様、お顔を上げてくださいまし。私は気にしておりません」


「だが……!」


「むしろ表沙汰にしてくださって助かりましたわ。おかげで、私を陥れようとした何者かの存在に気付けましたもの。今後はより一層、隙を見せぬよう気を引き締めますわ」


「……ありがとう、アロガンティア! それからフィディも!」


「私は事実を述べたまでだ」


 とんとん拍子で事態が収拾に向かう。私はほとんど放心状態でそれを見ていた。


「キュピリアも、悪かったな。俺がちゃんと気付いていれば……」


「い……いえ。私こそ……早とちりをして、申し訳ありませんでした」


 渾身の「反省してます」顔と共に、私は返す。もう、あれだ。私が首謀者だとバレなかったことだけが救いだ。


「これで仲直りですわね。キュピリアさん」


 いつの間にか目の前まで近付いて来ていたアロガンティアが私に笑いかける。そして彼女は私の耳元に口を寄せて、言った。


「ざ、ま、あ♡」



***



「死ッッッねあのクソボケが……!」


 寮の自室に戻った私は、そのままベッドにダイブする。枕に顔をうずめ、屈辱のあまり叫び出しそうになるのを懸命に堪えた。


 二ヵ月。二ヵ月も準備をしたのに。アロガンティアの「特殊な液体で偽造防止してました~」というお手軽な一手で全てが水の泡だ。つーか特殊な液体ってレモン汁だろ。何カッコつけてんだ腹立つな。フリディウスのことだってそう、炙り出しに気付いていた上、挨拶だけ済ませて帰ったと思っていたのに何か戻って来てたのも、もう何か、私って不運すぎる。


 そうだ、私は不運なのだ。せっかくこの乙女ゲームの世界に『ヒロイン』として転生したのに、『悪役令嬢』が「原作」以上に邪魔をしてくる。私がイケメン攻略対象……イーノたちに接近しようとするたびに、あいつが現れて全て有耶無耶にするのだ。


 業を煮やした私が様々な手段を使って『悪役令嬢』を退場させようとしても、悉く失敗に終わった。「パーティーでの断罪イベント」なんていう二度とはできない必殺技を使ってもあのザマ。無実が証明されたばかりかあいつが私たちを赦したせいで、アロガンティアの信用度と好感度は逆に上がってしまっただろう。奴を社会的に陥れるのはより一層困難になってしまった。


 悔しいが、あの女を始末するには、もはや私の頭と力だけでは足りない。人智を越えた力を使い、完璧に反証不可能な罪をでっち上げるほかない。そして、そんな力を手に入れる方法は――たったひとつだけ。


 私は顔を上げる。これまでは自分の身の安全を第一に考えていたが、もう四の五の言ってられない。今こそ臆病な心を捨て、勇気と共に歩む時なのだ。


 誰もいない部屋で、私は唸るように口を開いた。


「踏み込むしかない……原作の戦闘要素に!」



***



 第七曜日、すなわち「前の世界」で言うところの日曜日。ポーンポーンと振り子時計の鳴る音を聞きながら、私は寮のエントランスを突っ切って行く。時刻は朝の八時。休日を満喫すべく外出や何やらに向かう生徒たちが、あちこち行き交っていた。


 だが私は違う。お遊びではなく、戦いに向かうのだ。


「あれ、キュピリア出かけるの?」


 後ろから声をかけられ振り向くと、『親友』のロロックが立っていた。ちょっと抜けたところのある彼女は、外行きの服を着ながらもまだ寝癖がついたままだ。


「はい。少し散歩に行こうかと」


「そっか、気を付けてね!」


 愛想を見せるのもほどほどに、私は彼女と別れて寮の外へと出る。初秋の涼やかな風が吹いて、私の柔らかな髪を揺らした。行く先は――『禁忌の森』だ。


 この世界が乙女ゲーム『聖戦ドミナ』と酷似していることに気付いたのは、『キュピリア・キュピリタス』として生まれ落ちてすぐのことだった。


 「前の世界」で事故死した私は記憶を持ったまま次の生を受けたらしく、赤子の体ながら既に世のあれこれを知覚していた。聞こえてくる言葉や目に見える物から、この世界の様相を簡単に理解できたことを覚えている。


 『聖戦ドミナ』の触れ込みは「聖なる杖を手に、貴女は二つの戦いに挑む。」というもの。この「戦い」とは「イケメンとの恋愛」と「悪魔との闘争」を示す。要するに『聖戦ドミナ』は恋愛シュミレーションの側面と、戦闘シュミレーションの側面を持つゲームなのだ。


 「前の世界」でこれをプレイしていた私には、自分(キュピリア)がどんな運命を辿るのか知っていた。知っていたからこそ、後者の戦闘要素からは逃げ続けていた。何せ『聖戦ドミナ』の戦闘シュミレーションは普通に難しく、テキストでもその過酷さが十二分に表現されていた。


 私はイケメンとイチャイチャできればそれで良いのであって、危険を冒すなんてまっぴらごめんなのだ。だから私は「キュピリア」が戦いに身を投じるきっかけとなるアイテムを獲得しないよう、それが安置されている『禁忌の森』へも絶対に近付かずに生活していた。


 しかし。もうそんな甘いことを言ってはいられない。『悪役令嬢』アロガンティア、奴も恐らくは転生者である。そして性格がゴミ。


 私がイーノと会話をしようとすれば割って入り、フリディウスと外出の約束を取りつけようとすれば先んじて彼との予定を埋め、リベターと食事をしようとすれば手製の料理で彼を釣る――等々、「原作」以上に私の恋路を妨害し、それを心から楽しんでいる。しかも悪知恵が利き、異様に悪運が強いから始末に負えない。危険でも何でも冒して力を手に入れて奴を叩きのめさなくては、腹の虫はおさまらないのである。


「さて……ここね」


 積年の怒りと共に歩くことしばらく、私は『禁忌の森』に辿り着いた。警告の立札を無視し、さっそく道なき道へと踏み込んでいく。


 日中だというのに暗く鬱蒼とした森を、私は迷うことなく進んだ。「原作」のマップはよくよく覚えているから、アイテムまでの道のりに惑うことは無い。だが今の私はキュピリア・キュピリタス。「原作」通りのルートを取った方が、アイテム入手には確実である。


 最短ルートから脇道に逸れ、向かった先は『禁忌の森』の中心部。そこには一抱えほどある大きさの石碑が倒れていた。これは「原作」、そしてこの世界において、『天使』に敗北した『悪魔』を封印するために置かれたものだ。「原作」ではアロガンティアがこの石碑を倒したせいで悪魔が復活しており、偶然現場の近くまで迷い込んだキュピリアが窮地に! という流れだったと記憶している。


「でも変ね、悪魔側に動きが無いから復活はまだだと思っていたのだけれど……。まあいいわ、どうせあいつの小細工でしょ。あとは……」


 それとなく周囲を見回すと、にわかに背後からガサガサと草を掻き分ける音がする。そちらを見れば、現れたのは数匹の狼。ただし普通のそれとは違い、悪魔の魔力に中てられて凶暴化している。


「グオオオッ!」


 ぶち殺すぞという気合いの入った咆哮と共に、狼たちは私に襲い掛かってきた。無論、私は即座に逃走を図る。


「大丈夫、大丈夫……全力で走ればいけるはず……!」


 そう、これは「原作」通りの展開。キュピリアはこの狼たちに追われ、逃げた先でアイテムを見つける。つまり死ぬ気で逃げれば、「キュピリア」は死なない。たぶん。いや、きっとそうだ。主人公補正を信じろ。


「はあっ、はあっ、はあっ!」


 私は「前の世界」でも経験し得なかった命の危機をひしひしと感じつつ、記憶の中のマップ通りに目的地へと向かう。倒木を飛び越え、崖を滑り降り、坂を転げるように下った。頬や手や足に擦り傷や小さい切り傷ができまくったが、そんなものは承知の上だ。わざわざ気にしてはいられない。


 やがて目的の場所、ひっそりと口を開けた洞窟を発見し、私は急いで駆け込む。「原作」でそうしていたように入り口を近くの岩で塞ぎ、奥へと進んで行けば。


「あった!」


 私は思わず、喜びの声を上げる。石造りの祭壇の上に安置されていたのは、紛れもなく件のアイテム――天使の力が込められた特別な杖、『聖杖レポス』だった。


 砂や埃にまみれたそれを、私はいそいそと手に取る。この杖はまだ目覚めていない。選ばれし者、つまりは私が触れ、強く願うことで覚醒するのだ。


「さあ、聖杖レポス! 私に力を!」


 杖をぎゅっと両手で握り、天に掲げる。「原作」のムービー通りのポーズだ。まあ別にポーズは関係ないだろうけれど、これで杖は覚醒し、聖なる力は私のものとなる。


 と、思ったのだが。


「……あれ?」


 どういうわけか、杖はうんともすんとも言わない。「原作」では眩い光と共に鮮やかな色を取り戻していたのに、くすんだ色のまま沈黙している。


「ちょっと! なんで覚醒しないのよ! 原作通りにやったでしょ!?」


 ぶんぶん振り回してみても、叩いてみても、やはり無反応。腹が立つ。いやそれ以前に、覚醒してもわないと。


――ドゴォ……ン……


 洞窟の入り口の方から、嫌な音が聞こえてくる。そう、早く覚醒して力を手に入れないと、岩を砕いて狼が侵入してきてしまうのだ。もう一刻の猶予も無い。私は何がいけなかったのか、何が足りないのか、必死に考える。


 思い出せ。「原作」ではどんなふうに描写されていた?


 まず状況は全く同じ。石碑が倒されたことで悪魔が解き放たれ、その現場に足を踏み入れた私は、悪魔の力に汚染された狼に追われて洞窟に駆け込んだ。そしてこのままでは狼に殺されてしまう。「悪魔の復活」と「助けを求める存在」は揃っており、すなわち聖杖レポスが覚醒するための「環境」は確実に整っている。


 では何が? 何が駄目なのだろう? 聖杖レポスは人間の味方である天使の力を持つアイテム。人間を悪魔から助けるためのアイテムだ。例え戦闘経験や特別な知識の無い一般人でも、清らかな心があれば聖杖レポスは応えて――。


 と、そこまで考えて私はふと思い至る。


「……私に清らかな心が無いって言いたいわけェ?!」


 ムカつくことこの上無いが、しかしそれ以外に原因が見当たらない。この杖畜生は、私の心持ちに不合格の札を出していやがるのだ。


「このッ、聖杖レポス! 私に! 力を!!」


 確かに、私はアロガンティアを陥れようとしてきた。でもそれは奴が私の邪魔をするからで、言わば正当防衛だ。私はイケメンたちとのめくるめく恋愛譚を満喫したいだけなのに。イーノたち攻略対象に好かれて甘やかされてお姫様扱いされたいだけなのに。この世界のヒロインたる『キュピリア・キュピリタス』としての人生を謳歌したいだけなのに。その想いを、願いを、この杖は「否」と言うのか。


「なによこのクソ杖! イケメンにちやほやされたいってのも純粋な心でしょ! 清らかでしょ!? 私に協力しないってんなら、豚のケツの穴にでも突っ込んでやるわよ!!」


 私はやぶれかぶれに叫ぶ。直後、ひときわ大きな破壊音がして、狼たちがなだれ込んできた。


「グルルル……」


 その凶暴な目で私を捉えた狼たちは、唸り声を上げながらにじり寄ってくる。


 もう駄目だ。このまま喰い殺されるのなら、せめてもの抵抗としてこの杖をしばき棒として使い潰そう。そう思い、聖杖レポスを振り上げた瞬間。


 眩い光が辺り一面を包み込んだ。


「なッ、何!?」


 私は思わず目を瞑る。数秒あって光が収まった後、ハッとして周囲を見回せば、狼たちは皆その場に倒れ伏していた。それは「原作」通りの光景で、私は聖杖レポスが覚醒し力を行使したのだとすぐにわかった。


「……ふふ。あはは、やったわ! やればできるじゃない!」


 安堵を押し退けじわじわと込み上げる喜びと共に、私は手に握っていた杖を見る。くすんだ棒切れのようだった杖はその輝きを取り戻し、色鮮やかに煌めていた……のだが。


「ん? ……聖杖レポスって、こんな見た目だったかしら」


 私は首を傾げる。「原作」では杖の柄は、菊の茎のように真っ直ぐだったはず。なのに目の前のそれは、なぜだか螺旋状にねじくれた形状をしていた。



***



 夕暮れ時のノヴィリス学園小会議室。ほんのり橙色に染まった室内では、十数名の人間がロの字型の席に着いていた。ほとんどが教員である中、生徒は私とイーノだけ。交わされる会話の種はもちろん、私が「偶然にも」聖杖レポスを持ち帰って来たことについてだ。


「ふむ、まさか聖杖レポスがのう……」


 長いあごひげをさすり、学園長先生がしみじみと呟く。周囲の教員たちもそれに同調し、感心した様子でうんうんと頷いた。


「伝説の杖に選ばれるなんて、凄いじゃないか!」


 私の隣に座るイーノも、屈託のない賞賛の言葉を口にする。キラキラと輝く視線を受け、私は口元に手を当てて恥ずかしそうに微笑んだ。


「い、いえ……。私はただ、無我夢中で……」


 気ン持ちいい~~~! 最高! みんなが私を見てる!


 できることならフリディウスとリベターにも居てほしかったけれど、フリディウスは用事があるとかで外出してるらしいし、リベターはそもそもどこに行ったかわからないので仕方がない。彼らからの反応はまたの機会のお楽しみにしておこう。


 この場には私からの報告を受けて学園長が招集した人物、つまり教員と生徒会長のイーノと当事者の私しかいない。いつもとは違い、アロガンティアに邪魔をされる心配が全く無いのだ。私は心の底から湧き出る喜びを噛みしめる。これよ、これ。私はこの状況を求めていたのよ!


「しかしその杖が覚醒したということは、良からぬことが起こるやもしれぬ」


 学園長先生の言葉に、ハッと我に返る。この辺りの流れは「原作」のおかげでわかり切っているけれど、私は敢えて不安げな表情で、かつ自信無さげに問うた。


「それは……悪魔のこと、でしょうか」


「うむ」


 太古の伝説、あるいは歴史。天使と悪魔の戦いとその顛末については、マグヌムオプス王国において知らぬ者はいない。私としては聖杖レポスの力を得られれば十分なのだが、しかし杖を手にしたからには悪魔のことを無視してトンズラこくわけにもいかないのだ。まあアロガンティアという不安要素さえ消せれば、多少の危険を冒してやることもやぶさかではない。



「一度、石碑の様子を確認した方が良さそうじゃの」


「でしたら私が参ります!」


「待て待て、イーノ。生徒を偵察に出すわけにもいくまいて。ここは大人に――」


 と、その瞬間。


「ゴアアアアアッッ!!」


 骨の髄にまで響くような咆哮が聞こえた。同時に、凄まじい揺れと何かが崩れる轟音も。


「な、なに!?」


 もちろん私は何が起こったのかわかっているが、怯えた表情を作る。ついでにイーノに『咄嗟に』抱きついた。イーノは私を守るように抱き締め返しつつ、周囲を警戒する。あー、良い。どんな堅牢な砦の中より、イケメンの腕の中よね。


「あっ! あれを!」


 教員の一人が窓の外を見、悲鳴じみた声を上げる。私たちも続いて外を確認すれば、そこでは多足多腕で漆黒の体を持った「悪意の権化」、悪魔が講堂の壁を破壊し侵入せんとしていた。


「なんて禍々しい姿……! まさか、あれが悪魔!?」


「いかん、確か今日は声楽隊の者たちが……!」


 慌てふためく教員と学園長を横目に、私は名残惜しくもイーノの腕から抜け、室外へと走り出る。片手にはもちろん、聖杖レポスをしっかりと握って。


「キュピリア!?」


 イーノが追いかけて来るが、構わず進む。目指す先はもちろん講堂、私の華々しい初陣の舞台。階段を駆け下り、中庭を横切る。学園内なら、どの地点からどの地点に向かうものでも、最短ルートはこの頭に入っている。私は高鳴る心臓のまま走り、植木を飛び越え、勢いに任せて講堂に飛び込んだ。


「グルルルル……」


 穴の空いた壁、陥没した床、見上げるほどの図体の悪魔、そして隅っこの方で身を寄せ合って震える声楽隊の人たち。うん、「原作」で見た通り。ってことはつまり? 原作通りの動きをすれば~?


「ふふっ……」


 私は身体の内から湧き出る力を集中させ、悪魔に向かって聖杖を掲げる。


「――プリガーティオ!」


 可愛らしくも凛々しい声でそう叫べば、眩い光が杖の先から放出された。光はあっと言う間に悪魔を包み込み、その闇を霧散させていく。数秒もすれば、悪魔の姿は泡のように消えていった。


「おおっ! 悪魔が消滅したぞ!?」


 いつの間にか追い付いて来ていたイーノが感嘆の声を上げる。


「お前がやったんだな」


「そうみたい、です」


「凄いぞ、キュピリア! 聖杖の力もそうだが、お前のその勇敢さ……素晴らしい!」


「そ、それほどでも……」


 あるけどね! ああ、称賛ってつくづく最高。自尊心が潤う。アロガンティアの奴がいなくて本当に良かったわ。こんな幸福を邪魔されたらたまったもんじゃないもの。


「しかしキュピリア、もしかしなくともお前はこれから、あんなのと戦わねばならないんだな……」


 そう言って、イーノは心配そうに眉を下げる。


 「原作」だとここで彼に加護を与えて、一緒に戦うことになるんだけど……今はまあ別にいっか。イケメンまで危ない目に遭わせるのは嫌だしね。


 確か「前の世界」では「主人公単騎攻略!」なんてのをやってる物好きもいたから、「原作」の知識さえあれば何とかなるでしょ。これでも私、全クリはできなかったけど、ストーリー部分は全難易度で制覇済みなんだから。聖杖も完璧に使いこなせてる手応えがあるし、いける気しかしない。


「大丈夫ですよ、イーノ。私はきちんとやるべきことをや――」


「ゴガアアアアアッ!!」


 んだよいま私が素敵な台詞言ってる途中だろ!


「新手か!?」


「そのようですね……っ!」


 私はイーノと共に、壁の穴の方を見る。と、先ほどのと同様の悪魔が講堂内に足を踏み入れていた。しかし問題は、その数だ。


「な……なんか多くない……?」


 姿を現した悪魔は、全部で五体も居た。いやおかしいだろ。「原作」だと初戦は最高難易度でも一体倒したら終わりだったのに。さては……アロガンティアの仕業か!


「ップリガーティオ!」


 何にせよ負けるわけにはいかない。負けイコール死だし。私は再度杖を掲げ、悪魔に攻撃する。だが聖杖レポスに複数体同時攻撃なんて芸当はできない。攻撃を当てた一体は消滅させられたが、残る四体がその隙を突いて一斉に襲い掛かって来る。禍々しい闇を纏った爪が私めがけて振り下ろされた。


 反撃、は、間に合わない。避ける? 防御? 何、これ、どうしたら。


「危ない!」


 ドンッという衝撃と共に床に転がり、私は我に返る。見ればイーノが私の上に覆いかぶさっており、どうやら彼に庇われたらしかった。しかしそれだけなら良いのだが、あろうことか彼の腕には生々しい切り傷ができている。あそこから私を助けるためには、完全な回避はできなかったのだろう。


「イーノ!」


「くっ……俺は大丈夫だ! キュピリア、お前は安全なところへ!」


 私は、恐らく入学以来初めて、本心から表情に焦りを滲ませた。ヤバい。こんなはずじゃなかった。私はただイケメンとイチャつきたいだけで、そのためにアロガンティアを排除したいだけで、だから聖杖レポスを利用する代わりに戦闘要素にも立ち向かってやろうとしただけで……こんなガチの危機は望んでない!


 このままじゃ死ぬ。千載一遇のチャンス、「キュピリア・キュピリタス」としての人生が終わる。それどころかイケメンまで死んでしまう。クソったれのバッドエンドだ。


「っ……!」


 私は杖を握りしめ、立ち上がる。やるしかない。練度不足、強敵、多勢に無勢。「原作」には欠片も無い上に、負けイベみたいな状況。それでも私はイケメンたちとのめくるめく恋愛譚を諦めたくはない。ここでイーノと、ついでに声楽隊の連中が逃げる時間を稼げば好感度爆上がり……と考えれば美味しいイベントとも言える。そうだ、これはボーナスタイムなんだ。


 若干無理のある理論で己を鼓舞し、私は悪魔たちと対峙する。信じろ、主人公補正を。


「プリガー――」


「プリガーティオ」


 ざざ、とにわかに強風が吹く。風は光を帯び、悪魔たちを包んで消し飛ばした。


 でも私じゃない。私じゃない奴が、今、悪魔を浄化した。


「誰……!?」


 弾かれるように、風上に目を向ける。舞い上がった光の粒子の中、講堂の入り口から、そいつは悠々と歩いて来た。


「ごきげんよう。何かお困りのようですわね」


「ア……!?」


 私は眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開く。片目を隠す黒い髪。黄金の瞳。吊り上がった口角。今まで嫌と言うほど見てきた、底意地の悪い笑顔がそこにはあった。


 奴は私の目の前まで来ると、わざとらしくニッコリと笑う。


「貴女のこと、助けて差し上げますわね。キュピリアさん。――この、聖杖ディテルミナティオで」


 私の邪魔をする最悪のクソ女ことアロガンティア・プルクラ。奴が手にしていたのは、もう一つの聖杖。私が「原作」で唯一クリアできないままだった超高難易度やり込み要素『百錬の塔』のクリア報酬にして、聖杖レポスの、完全上位互換武器だった。


 なんで、こいつが、これを、今。頭の中で、爆発しそうなくらいに疑問が膨れ上がる。あと、ふざけんな、という怒り。嫌がらせにも限度がある。


「おお……」


 と、背後から聞こえてきた感嘆の声に、私はハッとする。そうだ、そんなことよりヤバい。こんな展開、「原作」と違いすぎる。ここからどうなるのか、誰が何を言うのかすら、想像もできない。ああもう、お願い、お願いだから、悪いようにはなるな……!


「なんということだ! 伝説を超えた伝説が今、我々の目の前に……!」


 目に涙を浮かべながらそう言ったのは、知らぬ間に追いついてきていた学園長先生。何やらご感激のその様子に、私は嫌な予感を覚える。


「聖なる杖を手にした少女が二人……君たちのことは、経緯を込めてこう呼ばせてもらおう。『双璧の聖女』と!」


 やめろやめろやめろ! 何なのよその嫌すぎる呼び名は! 冗談じゃないわ!


 ……なんて言えるわけもなく、私は湧き上がる怒りを、口の中を噛むことで必死に耐える。聖女が二人も居たら、「原作」がぶち壊れること待ったなしだ。それはつまり私にとって、見知った町から真っ暗闇の森に放り出されるようなことに他ならない。しかも不審者付きで。


 絶対嫌だ、何とかならないのか。私は必死に思考するが、既に「二人目の聖女」の登場を無かったことにはできない。頭を抱えるしかない。


「光栄ですわ、学園長先生」


 気が付けば、アロガンティアの奴が私のすぐ隣に立っていた。それも肩が触れ合うくらいの距離感で。イケメンたちとならいくらでも密着したいが、こいつとなんて嬉しくなさすぎる。顔が歪みそうになるのを堪える私をちらりと見、アロガンティアは口を開く。


「私たち、これから一緒に頑張りましょうね」


 そうしてクソムカつくほど綺麗な顔で、笑うのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ