神族フレイアとの出会い
木々に囲まれた薄暗い小さな村。そこには石造りの小さな家が二つだけあり、その奥には大地ごと引きちぎられたかのように不自然に切り立った崖と、不気味なほど青い海があった。何かが続いていたはずの痕跡だけを残して。
「ああ、終わった……」
小さな家のひとつは宿屋のようだ。そこの一階で、一人の女が食事をしながらつぶやく。
「この島の『出口』、なんでひとつしかないの? だいたい、一方通行のゲートがあるなんて聞いてないよ……」
神々の黄昏ラグナロクの後、世界はばらばらになった。ただ単純に島が分かれたわけではない。村や島、それぞれが異なる時空に分断されてしまったのだ。人々はそれぞれの時空のどこかにある『ゲート』を通ることで、別の時空へ移動することができるが、そもそもその『ゲート』の正体や原理が不明であることから、使用する者はほとんど存在しない。
「唯一の出口には変な魔物が居るし……このままこの島から出られなかったら死んじゃう……」
「あらあら、またあの魔物のことで悩んでるの?」
宿屋の女が声をかけてくる。
「大丈夫よ! イーヴちゃんなら特別な力もあるんだし、そのうち倒す方法も思いつくでしょ」
「あ、ありがとう……リーヴだけど」
女――リーヴは食事を終えると席を立ち、外へ向かう。
「いってらっしゃい、気を付けてね!」
「うん。ところでおばさん、変なこと聞くけど」
「ええ、なあに?」
「おばさんって、生きてるの?」
「いやねえ、私はもうラグナロクの時に死んでるわよ!」
「ですよね……うん、知ってた」
生きている人間であれば、その背後にあるものが透けて見えるはずがない。リーヴは半透明の宿屋の女を尻目に、宿を出た。
「あのおばさん、こんなところに一人で住んでて平気なのかな。というか、あの状態で料理とか作れるの? 食材どこから手に入れたの? 何の疑いもなく食べちゃったけど……ま、まあ、『そういう時空』なんだよね、きっと!」
そういう時空、そういう種族、そういうもの――リーヴが理解しがたい体験をしたときに使う『魔法の言葉』だ。
「はあ。とりあえず、様子だけでも見に行こうかな……あれ?」
ゲートのある廃墟へ向かいながら、ふと丘のほうを見るリーヴ。何か白いものが立っている。
「もしかして、人? 出口を探してるのかも!」
もしそうなら協力を得られる――そう考えたリーヴは、迷わず丘へと進路を変えた。丘の頂上はすぐに見えてきた。同時に、人影の正体も見えてくる。長い亜麻色の髪。地面に付いてしまいそうなほど長い裾に金の刺繍が施されている、純白のドレスを着た女。
「あ――」
「あなたがリーヴ・スラシルさんですね。お待ちしておりました」
リーヴが話しかけようとした瞬間、女は振り返り、声をかけてきた。
「えっ、私を知ってるの? というか……あなたは?」
「私はフレイア。ラグナロクの生き残りです。私があなたの記憶を取り戻すお手伝いをしましょう」
「フレイア……って、もしかして神族の?」
「はい、そうですよ」
どん。波のぶつかる音がする。この丘の向こう側も『崖』になっているのだ。フレイアの眼の色が、その波のように揺らめいて見える。
「ラグナロクの時に世界をばらばらにするほどの力で戦った、っていう、あの神族? どうしてそんな人が私のことを?」
「理由などはありませんよ。私はただ、運命に導かれて、ここへ来たのです。もちろん見返りも不要です。私は『愛』ですから」
愛は見返りを求めた時点で死んでしまうのです、と付け足して、フレイアは微笑んだ。
「なんか都合良すぎな気もするけど……まあ、神族は人間とは違う価値観を持ってるっていうし、そういうものなんだよね!」
「ええ、そういうものなのです。では、行きましょう」
二人は丘を下り、島の西側へと歩き出す。静かに風の吹く草原。向こうのほうに何かの建物が見える。
「あれが、ゲートのある廃墟ですね?」
「うん。なんか変な魔物が守るようにして立ってて……」
「きっとラグナロクの際に死んだ者たちの『残影』でしょうね」
「それって幽霊みたいなものってこと? え、怖っ」
「それほど怖い相手ではありませんよ。リーヴさんが、その力を十分に使うことができれば」
なぜ『その力』のことを知っているのか。そう尋ねようとしたリーヴだが、その言葉が口から出ることはなかった。それよりも先に、いつもの『魔法の言葉』が脳内にあふれたからだ。
「ここですね」
二人はゲートのある場所へ着く。大小さまざまな、崩れかけた石造りの建物が残る廃墟。昼間だというのに空気は冷めきっていて、虫一匹の気配すらない。
「確か、この中に……」
リーヴが覗き込んでいるのは、この廃墟で一番大きな建物の中。屋根は崩れ、壁のあちこちには大きな穴が空き、扉まで壊れてその辺に転がっている。壁際には、壁から落ちた信仰のシンボルと、壊れたオルガンが横たわっていた。そして、その奥には――