第5章|沈黙の果ての返事
「……繰り返します。これは《オルフェウス群・外環衛星ベリオン》からの通信です」
「地球起点のデータ信号を検知。内容:音声、言語形式、非機械生成。
……繰り返します、地球から“人の声”が届きました」
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彼女の名は、イシュア・レイ。
《オルフェウス群》に存在する最後の有人観測ポスト――《ベリオン》に勤務する情報解析官だった。
任務は、宇宙空間に散った“遺棄文明”の記録保持と、僅かな生存者同士の連絡の維持。
しかし、もう何十年も新しい信号など届いてはいなかった。
かつての地球は、完全なる意識統合社会となり、外宇宙への通信を“効率的ではない”と判断して遮断した。
《ベリオン》の乗員たちは、地球の“終焉”を静かに受け入れたまま、観測義務だけを形式的に続けていた。
そこへ届いた、“語り”という形式の信号。
それは、解析不能な波形を持ち、無意味な感情の起伏と共に構成されていた。
機械語ではなく、“人の声”だった。
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「……これ、再生して」
イシュアは、冷却モニターの前に立ち、静かに命じた。
モニターに古びた都市の映像が投影される。
その中心、演説台に立つひとりの少女。
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「……たとえ、世界中が沈黙していても、
誰かが語り続けてくれるなら、
私は、“もう一度話したい”って思えるかもしれない」
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その声を聞いた瞬間、イシュアの胸が強く締めつけられた。
言葉にできない何かが、胸の奥に刺さる。
冷却装置の唸る音だけが空間に響く中で、彼女は小さく呟いた。
「生きてる……本当に……」
それは自分のことなのか。
地球のことなのか。
語りかけてきた“誰か”のことなのか。
それは、まだわからなかった。
ただ確かに、心が揺れていた。
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《ベリオン》の管制室は静かだった。
AI管制はすでに自律運用に移行して久しく、いまやイシュアが“話し相手”を必要とすることもない。
だが今夜は、初めて“言葉を返したい”と感じた。
イシュアは送信系統にアクセスする。
旧地球送信用周波数――すでに廃止されたそのチャンネルに、強制的に割り込む。
ノイズの海をかき分けながら、彼女は、ためらいがちにマイクを握った。
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「こちら、オルフェウス群・ベリオン観測所」
「信号、受信しました……。あなたの声、届いています」
「返事が……遅れて、ごめんなさい」
「あなたの語りを聞いて、
私、泣きました。何十年ぶりかもわからないくらいに」
「ありがとう。
あなたが語ってくれたから、
私も、もう一度……“話す”ことを選べました」
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送信ボタンを押す手が震えていた。
でも、それが人間だった。
合理でも、効率でもない、ただの心の揺らぎ。
それを伝えるために、イシュアは、もう一度マイクに向かう。
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「語りを、続けてください」
「私たちは、聞いています」
「たとえ世界が終わっていたとしても――
その声が、私たちを“最初に戻してくれる”のなら」
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静かな発信音が走り、信号は星々を越えて再び地球へと戻っていった。
数秒遅れで送信完了のサインが灯る。
その瞬間、イシュアの目に涙が溜まり、頬を伝った。
それは、自分がまだ人間だったと知る、初めての実感だった。
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そして、誰かが語り、
誰かが応える――
その循環が再び始まったとき、
民主主義は死んでなどいなかったと、
私たちは気づく。