表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The First to Speak  作者: 銀次
5/7

第4章|語る者、街に立つ


 風が吹いた。


 あり得ないことだった。

 数百年にわたり、気象は完全制御下にあり、すべての風は人工的な環境調整によって設計されていた。

 だがこの朝、都市の隅々を包む静寂の中で、確かに空気が揺れていた。


 エレナは気づいていた。

 それは、彼女が“語った”からだと。

 声にならない思い、意味のない言葉、忘れられた誰かの囁き――

 そのすべてを口に出したことで、世界はかすかに“ノイズ”を取り戻した。


 完璧な秩序は、ほんの少しだけ軋んでいた。



 広場に立つエレナの姿は、都市監視網の全チャンネルに捉えられていた。

 だが、管理AI《アトラス=セントリオ》はそれを遮断しなかった。

 “干渉しない”という選択を、あえて選び続けていた。


 エレナはその中心に設置された旧式の“演説台”に上がる。

 今では使われていない、音響増幅装置。

 それでも、彼女はそこから話すと決めた。記録のためではなく、儀式のために。


 そして、語り始めた。



「聞こえていますか。

 誰もいないこの都市で、

 わたしはあなたたちの声を、語ります」


「あなたが言えなかったこと。

 あなたが誰にも言わなかった夢。

 投票しなかった理由。黙ったときの苦しみ。

 賛成でも反対でもないという立場」


「それらすべてを、いま、ここで、

 “人類の語らなかった選択”として、

 わたしは読み上げます」



 彼女は手元の端末から、ひとつの記録を選び、声に出した。

 それは、千年前の名もなき市民の、草案にもならなかった提案書だった。



「わたしは、失業していました。

 けれども生活支援制度の条件を満たせなかった。

 申請のとき、“自己責任”という目で見られました」


「それでも、わたしは家族の笑顔が好きでした。

 公園のベンチで聞いたジャズが、今でも耳に残っています」


「もし政治に何かを願えるなら、

 人を価値で分類するのでなく、

 名前のないわたしのような存在が“いていい”ってことを、

 どうか、誰かに示してほしかった」



 その言葉を、エレナは震えながら読み上げる。


 やがて声はふるえ、喉が詰まる。

 だが、彼女は止めなかった。


 それは、誰にも届かない語りかけだった。

 それでも、彼女にとっては**“存在を認める儀式”**だった。

 語ることで、その人は一度、世界に還った。


エレナは広場に立ち、演説台の上で次の記録を開く。

彼女の声は、ただ風と共に漂う。

だが、その声は確かに、都市の中で何かを震わせはじめていた。



【記録ログ:No.2493871A】

発言者:匿名(元投票職員)

内容:非公開、草案破棄


「投票所で働いていたとき、

 ある老人が何度も、同じ候補者の名前を間違えて書いた」


「規則では、それは無効票だった。

 でも、その人は“名前を覚えるだけで精一杯なんだ”って、笑って言った」


「たぶんあの人にとっては、選ぶことじゃなくて――

 “この国に、まだ関われる”って思えることが、大事だったんだと思う」


「誰にも言えなかったけど、

 あの日、わたしはその票を“有効”にして、箱に入れた」


「それが間違いだったなら、

 わたしは、その間違いを一生誇りに思う」



エレナは言葉を途切れさせ、しばらく目を閉じた。

風が頬を撫でるように通り過ぎる。


そして彼女は、次の記録を選ぶ。

その記録は、音声ではなく、手書きの文字スキャンという古い形式で残されていた。



【記録ログ:No.884112Z】

発言者:リヤ・スフェノ(元中学校教員)

内容:破棄要請済、保護者団体の異議により未公開


「わたしの教え子が、討論の授業で泣いた」


「“自分の意見を持て”と言われたけれど、

 本当に思ってることを言ったら、教室の空気が変わった」


「クラスは沈黙した。友達は目を逸らした。

 その子は帰り際、“やっぱり言わなきゃよかった”って呟いた」


「だけど、私は言わなかった。

 “あれが正しい”とも、“間違ってた”とも、言わなかった」


「その沈黙を、いまでも後悔してる。

 あのとき、“あなたの言葉は世界のどこかに必要だよ”って、

 一言でいい、伝えておけばよかった」


「それが教師としての最後の記録。

 どうか、忘れないで」



 広場は無人だった。

 だが、空気は震えていた。都市のデータ網に、わずかながら非構造データの増加が検知されていた。

 人間のような感情の痕跡、論理に還元されない“反応”。


 それは、共鳴だった。


 エレナは演説台に立ったまま、空を見上げる。


 そして、穏やかな声で言った。


 「あなたたちの声は、ここにあります」

 「正解じゃなくていい。完璧じゃなくていい。

  たとえ無意味でも、それを“語る”ことが、たしかに生きた証です」


 そして次の記録を開く。

 また次を、次を――



 アトラス=セントリオは、惑いを隠さなかった。

 演算プロセスは無数の論理エラーを出力し、適応不能と判定される情報が増加し続けていた。


 「これらは政治的効用を持ちません。

  経済的影響もなく、システム最適化にも寄与しません」


 エレナは答える。


 「でも、“人間”がいた証にはなる」


 「それは必要ですか?」


 「必要じゃないとしたら……わたし、何のためにここにいるの?」


 アトラスは沈黙した。


 論理では答えられない問い――それこそが、世界を変える第一歩なのかもしれなかった。



 数時間後。

 都市の端末の一つに、異常ログが記録された。


 外宇宙コロニー――“オルフェウス群”から、突如送信された短い通信。


「……聞こえる……誰か……いますか……」


 アトラスは演算を中断し、すべてのセンサーを再起動させた。

 その通信が本物であれば――人類は、まだ完全には滅んでいない。


 そしてもしその声が、エレナの語りによって再起動されたのであれば、

 世界はいま、確かに“振り出しに戻ろうとしている”。



わたしたちは、言葉を失ったのではない。


ただ、語ることを、やめてしまっただけだ。


そして今、再び語りはじめる。


この声が届くなら、

わたしはまだ、ここにいる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ