7.平和記念式典
「近隣諸国の繁栄と平和を祈って、乾杯」
メルシアン国王の乾杯の声にグラスが掲げられ、夜会は始まった。
リディアーヌはまだ正式にクロヴィスと婚約はしていない。王家の手続きというのはとかく面倒がつきもので、必要な書類がまだそろっていないのだ。
しかし、立場はそれと同じだと通達が出されており、クロヴィスの隣に立ち、メルシアン王太子の婚約者として挨拶を受けていると、ミラリアとその夫であるオルガ王子が目の前に立った。
「無事の開催、おめでとうございます」
オルガ王子は礼儀正しくクロヴィスに祝いの言葉を述べ、彼もそれを受け取った。
「ありがとうございます。本日は式典にご参加いただき恐縮です」
すると彼は腕を組んでいるミラリアのほうに視線を移し、
「妻の母国の祝いの席ですから、不参加というわけにはまいりますまい」
と言った。
妻の、とわざわざ強調するあたり、彼の意図が透けて見えるようで、さすがのクロヴィスもそれに引っかかるようなことはなかった。
「そうですね。我々はアルロー公爵家を介しての縁者となったわけですから、今後ともよろしくお願いします」
挑発に乗らないクロヴィスをつまらなそうに眺めたオルガは、リディアーヌに話しかけてきた。
「貴女が殿下の新たな婚約者で?」
「リディアーヌ・シャイエと申します、以後、お見知りおきを」
クロヴィスと腕を組んでいるため、お辞儀はできない。軽く膝を折って挨拶をして見せれば彼は笑みを絶やさずに言う。
「それで、おふたりの成婚の儀はいつ頃のご予定でしょう?」
まだ婚約すら成立していないふたりなのだ、婚姻の予定などあるはずもない。
「どうでしょうか、慣例通りならば一年後か、もう少し先か」
言葉を濁すクロヴィスにオルガは笑った。
「随分と先ですね。あぁ、でも貴殿は我慢が得意のようだから耐えられるでしょう」
「殿下」
ミラリアが慌てて口をはさんだが、オルガは止まらない。
「なぜ止める?君は不満だったんだろう?この男が手を出してこないことに」
奥手なクロヴィスに嫌気がさしたミラリアは自分に乗り換えた、と、この男は言っている。
それが事実だとしてもこの話題は今、すべきではない。
「このような場でおやめくださいな」
ミラリアは焦りを浮かべて彼を止めようとしているが、リディアーヌにはそれが無駄だと分かっていた。
リディアーヌがクロヴィスと組んでいる腕に力を込め、振りほどかれないようにしたと同時、次の攻撃がやってきた。
「ミラが未通だとは驚いたよ、メルシアンの王太子は実に忍耐強いお方だ」
「貴様っ」
長年、大切にしてきた女の純潔を散らしたのは俺だ、と言われ、クロヴィスは怒りに震えている。
声を荒げたクロヴィスの目の前でオルガは勝ち誇ったように笑った。彼の目的はクロヴィスを怒らせ、あわよくば暴力沙汰にでもしてもらいたかったのだろう。
オルガは帝国の王子でクロヴィスはメルシアンの王太子。このふたりの争いはそのまま国家間の争いへと発展しかねない。
それに気づいたリディアーヌは彼の利き手を封じ、手を出させないようにしたのだ。
腕を放そうとしないリディアーヌにクロヴィスは怒れる目を向けてくるが、ここでオルガを殴ろうとするなど浅慮にも程がある。
そのとき運よく舞踏曲の演奏が始まり、ダンスの時間となった。メルシアン主催の祝いの場で王太子がダンスを披露しないわけにはいかない。
「殿下、皆様がお待ちですわ。オルガ殿下、ミラリア妃殿下、また後程」
リディアーヌは一方的に別れの挨拶をすると、クロヴィスを無理やり引っ張ってホールに出た。
怒り狂っているクロヴィスのリードは乱暴なものだったが、リディアーヌは黙ってそれについていった。
なんとか一曲を踊り終えたところでクロヴィスはさっとリディアーヌから手を放すとそのままどこかに行ってしまう。
その後ろ姿を黙って見送っていると視界の端に彼の側近の姿が映った。彼がリディアーヌに向けて小さく会釈をし、クロヴィスの後を追っていったことでようやく、安堵のため息をついた。
またオルガに絡みに行くようなことはしないだろうが、万一そうなったとしても彼が止めてくれるだろう。
ダンスの間、クロヴィスとの会話は一切なかったが、さすがに彼にもオルガの目的は分かったはず。
オルガはメルシアンとの間に戦争を起こしたいのかもしれない。見事、勝利に導くことができれば彼は次の王座を手に入れることは容易いだろう。
自らの王位と万人の命を天秤にかけるあたり、統治者として失格だ。だが、オルガにはそれが分からないらしい。愚かな男だと思う。
その愚かな男の分かりやすい挑発に乗るクロヴィスも同じくらい愚かだとは思うが、恋心はままならない。この愚かなクロヴィスを支えんが為、彼の新たな婚約者を引き受けた自分もまた、滑稽なくらいに愚かと思う。
「見て、シャイエ侯爵令嬢を置き去りにして行ってしまわれたわ」
「いくら相手が見つからなかったとは言え、貧乏侯爵の娘では殿下も我慢がならなかったのだろう」
「先ほどまでオルガ殿下に絡んでいらしたわね」
「寝取られた娘をいつまでも追いかけるなど、メルシアンの威信にかかわるというのに」
リディアーヌひとりになれば評する声も容易に聞こえてくる。所詮、自分は貧乏侯爵家の娘。社交界では軽んじられている。
それにしても、クロヴィスもリディアーヌも散々な評価だ。王太子の婚約者となったリディアーヌに挨拶に来る者がいないのはその証拠だろう。なんとか挽回をしなければならないのだろうが、社交経験の少ないリディアーヌにはどうしたらいいかわからない。
「リディアーヌ様」
あてもなく会場をウロウロしていると明るい声に呼び止められた。
「まぁ、メイルーナ様、オデット様」
長年の友との再会にリディアーヌは救われた気分になる。
「お元気でした?」
「えぇ、お二人も?」
話したいことは山のようにあったが、評判のよくないリディアーヌが彼女たちと話をしていては迷惑がかかる。
そう考えたリディアーヌはふたりをバルコニーに誘うことにした。
「少し暑い気がします、よかったらバルコニーで涼みませんか?」
するとそれにメイルーナが反対した。
「そうでもないわ、ここでお話ししましょう」
「でも」
「せっかくですから軽食を食べませんか?」
渋るリディアーヌにオデットがそう言い、結局、ふたりの気遣いに甘えることにした。
夜会会場で軽食を取る者はそう多くはない。男性は食事よりアルコールを好むし、女性はコルセットを巻いているのと、化粧が崩れるから物を口にすることを敬遠するのだ。
人が少ない場所にソファを陣取った三人は、軽食をつまみながらのおしゃべりを楽しむことにした。
「全く。そんなにリディアーヌ様が気に入らないなら自分の娘を差し出せばいいのに」
「そうよね、火中の栗を拾わされたのはリディアーヌ様だわ」
ふたりの文句にリディアーヌは困ったように笑ってみせた。
「仕方がありません。この状況でクロヴィス殿下に婚約者がいないなど、醜聞にしかなりませんから」
メイルーナはもう何度目かのため息をついて、
「まさかミラリアお姉様が殿下を裏切るとは思わなかったわ」
それにはリディアーヌもうなずいた。クロヴィスはミラリアを崇拝していると言ってもいいほどに愛しぬいていた。あれほど大事にされていたというのに、一体、何が気に入らなかったのだろう。
「わたしにはなんとなくわかりますわ」
オデットがそう言ったことで、メイルーナは苦い顔になった。
「確かに、お姉様は見栄っ張りではあったかもしれないけれど」
「どういうことですか?」
リディアーヌの疑問にオデットが答えた。
「何年か前の夜会で、帝国貴族に嫁いだばかりの夫人が参加したのです。帝国は流行の最先端ですから、ミラリア妃殿下は話題の中心を奪われたことに腹を立てておられたようですわ」
「それと今回の件となんの関係があるの?」
首をかしげるリディアーヌにメイルーナがまた、ため息をついた。
「本当にあなたは他人の悪意に鈍感なのね。いいこと?お姉様は帝国貴族に嫁いだその夫人が羨ましくなってしまったのよ、それで帝国と縁づく道を模索し始めた」
「殿下にとっては運悪くでしょうけど、オルガ殿下がこの国にいらしたことを妃殿下はチャンスだと思ったのでしょうね」
「だからって王家を裏切るなんて」
「でも結局、お姉様は救国の聖女になって帝国に嫁がれたわ。王家を裏切ったことなんて大事の前の小事となった。きっとあちらの社交界で例の夫人を苛め抜いているわ」
ミラリアは帝国の王子妃になった、彼女より上位の女性などほんの数人しかいない。帝国の、いや、この世界の社交界の頂点に君臨したといっても過言ではないのだ。
「殿下には申し訳ないけれど、お姉様はメルシアンで収まるような方ではなかったのよ」
メイルーナの言葉にリディアーヌも同意を告げようとしたところで、足早に近づいてくる足音に気が付いた。
「リディアーヌ様、ここにおられましたか」
それはクロヴィスの傍にいるはずの側近で彼はひどく慌てている。
「なにかありまして?」
「それが、殿下は今、ミラリア妃殿下とおふたりで話をしていらっしゃいまして」
「なんですって?」
声を失ったリディアーヌの代わりに驚きの声を上げたのはメイルーナだった。
「ふたりきりだなんて、オルガ殿下はなにをしておられたの?」
「わかりません、妃殿下がおひとりであることに気づいた殿下がバルコニーに誘われたのです」
それはわざとだと叫びだしたいリディアーヌだった。
なにがなんでもクロヴィスの無礼を引き出したい彼はわざとミラリアをひとりきりにし、クロヴィスがそれに食いつくように仕向けたのだろう。
見事、罠にはまったクロヴィスはそれに気づかず、ミラリアとの会話を楽しんでいるところに、オルガは言いがかりをつけるつもりなのかもしれない。
そしてたぶんミラリアもオルガに言い含められている。彼女もクロヴィスの、いや、メルシアンの敵となったのだ。
「どこですか?」
リディアーヌは立ち上がると側近にその場所に案内させた。
「お待ちなさい」
「わたしたちも行きます」
リディアーヌは二人の親友を従えて、先を急いだ。
逢瀬の場所がバルコニーというだけあって、会場からは離れており、速足で歩いていても誰の目につくこともない。
遠慮なくバタバタと足音をさせて歩みを進めていると、やがて側近の歩調が緩まった。
「こちらです」
彼は小声で入口の開け放たれたバルコニーを指さした。出入口には護衛騎士が立っており、奥にはクロヴィスとミラリア、それにオルガまでいた。
「おふたりはここに」
リディアーヌは後ろにいたメイルーナとオデットに厳しい口調で告げ、反論しようと口を開きかけたメイルーナを無視して、ひとりでその中に入っていった。
「殿下、お探ししましたわ」
殊更に明るい口調でリディアーヌは声をかけた。
「リディアーヌ」
クロヴィスは明らかにほっとしていて、たぶんオルガから言いがかりをつけられていたのだろう。
「これはこれは王太子殿下の婚約者殿。何用ですかな?」
先ほどリディアーヌだと名乗ったというのに、彼はわざと名前を呼ばなかった。
お前の名前などいちいち覚えてられるか、という言外の言葉が聞こえるようだったが、あいにくリディアーヌは貧乏侯爵令嬢として馬鹿にし続けられてきた。
この程度になぶられたところでいちいち腹を立てるわけがない。
「殿下を探しておりましたの。おふたりは何故、こちらに?」
我ながら白々しいと思える質問を投げかければ、オルガが我が意を得たりと言わんばかりの顔をして語った。
「メルシアン王太子殿下ともあろうお方が、我が妃に言い寄っていたのですよ」
「違う、わたしはただミラと」
「ミラ?殿下は妃を愛称で呼ぶような仲なのですか?」
「いや、すまない。幼い頃からそう呼んでいたから、つい」
そこですかさずリディアーヌが言った。
「お二人は幼馴染でしたもの。懐かしい思い出話に花が咲いてしまうのは仕方のないことですわ。わたくしも先ほどまで友人たちとのおしゃべりを楽しんでましたのよ」
「殿下はこちらにいらしたのですね」
「見つかって良かったです」
リディアーヌを援護しようとメイルーナとオデットもバルコニーにやってきた。
「陛下が探しておられましたよ、急がれたほうがよろしいかと」
公爵令嬢のメイルーナがそういうとそれは如何にも本当のことのように聞こえた。
「わかった、すぐに行く。オルガ殿下、ミラリア妃殿下、わたしはこれで」
クロヴィスはそそくさと出て行った。罠に掛けたい者が立ち去ってしまってはオルガも何もできない。
「わたくしも失礼いたしますわ、おふたりはどうぞごゆっくり」
リディアーヌは優雅にお辞儀をすると、友人のふたりと共にバルコニーを後にした。
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