6.婚約者のクロヴィス
その日、リディアーヌはクロヴィスと対面する為、王宮の庭園を訪問していた。
むせかえるようなバラの香りの中を王宮勤めのメイドの案内で奥へと進んでいく。やがて見えてきた小さなガゼボで、リディアーヌはクロヴィスの訪れを待つことになった。
シャイエ家の侯爵位返上の裏側には、実はクロヴィスの影があった。
すべての侯爵位以上に縁談を断られた王家はついにシャイエ侯爵家のリディアーヌに目を付けた。
シャイエの貧窮ぶりは社交界でも有名な話だ、そんな家の娘でも王太子の婚約者が不在よりはマシだろうと判断したらしい。それを耳にした侯爵は、リディアーヌが不幸な結婚生活を送るよりは、と爵位返上をすることに決めた。
領地は王家預かりとなるだろうし、広大すぎるこの領地を引き受けたがる貴族などそうはいないと踏んで、今後は商人として事業に携わることにしたのだ。今の暮らしぶりも商人とさして変わらないのだから、困ることもない。むしろ、年に一度、王侯貴族の一員としての身なりを整え、登城するほうが迷惑だったくらいだ。
親類たちもリディアーヌの行く末を思い、侯爵の提案に快く賛成するどころか、もっと早くこうすればよかった、という笑い声があがったほどだった。
婚約の命令が下る前にと手続きを勧めていた侯爵だったが一歩遅かった。シャイエ家はまだ侯爵位を持つ貴族である以上、下された王命に背くことはできない。
急ぎ帰宅した侯爵を追いかけるように支度金が届けられ、身なりを整えて登城するように、と言われたら、もう逃げ出すこともできなかった。
メイドが入れてくれたお茶を飲んだリディアーヌであったが、緊張の為か、あるいは心労の為か、まるで味がしなかった。
とはいえ、味はしなくても喉の渇きは癒される。一杯を飲み干した頃、ようやくクロヴィスがその姿を現した。
リディアーヌは席を立ち、頭を下げて彼の訪れを待った。
やがて衣擦れの音と共にガゼボに入った彼は遅刻したことを謝罪するでもなく、かけてくれ、とだけ言った。
リディアーヌが腰掛けるとすぐに新しいお茶が注がれ、給仕係が離れた位置に立ったところでクロヴィスが言った。
「シャイエ侯爵令嬢、この度は招集に応じてくれて感謝する」
感謝と言いながらも遅刻を詫びる気配はない、つまりそれが彼の本心なのだろう。
数年ぶりに対面した彼はひどくやつれていた。愛した女性の裏切りを受け入れることができないのだとリディアーヌにはすぐに分かった。クロヴィスがミラリアを心から愛していたことは国民すら知っていることだ。目の前の令嬢がおまえの新たな婚約者だと言われても、すぐに気持ちを切り替えられるものではないのだろう。
「臣下として当然のことをしたまで。お気遣いは無用にございます」
婚約して初の顔合わせとは思えないような事務的なやりとりを、居並ぶメイドたちはどう思っているのか。
クロヴィスの後ろに立つ彼の側近にチラリと視線を走らせれば、彼は怒っているような、困っているような、なんとも表現しがたい顔をしている。
間を持たせるかのようにクロヴィスはお茶に手を伸ばし、すぐに給仕係に言った。
「今日はバラの紅茶ではないのか?」
彼の問いにメイドが答えた。
「本日はシャイエ侯爵令嬢様のお好みの茶葉でお淹れしました」
それを聞いたクロヴィスは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「わたしはローズティーにしてくれ」
クロヴィスの命令に困った顔をしているメイドは助けを求めるかのように彼の側近に視線を走らせているが、彼が答えるより早く、リディアーヌが言った。
「どうぞわたくしにおかまいなく」
ミラリアがローズティーを好んでいたことは有名だ。社交をしていないリディアーヌが知らないと思って彼は言っているのかもしれないが、あいにくオデットやメイルーナからの手紙で耳にしている。
未来の王太子妃の好みとあらば流行るのは当たり前だ。市場には様々な種類のローズティーがあふれ、それを使った甘味も数多く売りに出されているくらいだ。
新たな婚約者となったリディアーヌの前で元婚約者の好みの品を所望するなど無作法すぎる。しかしリディアーヌは貧窮するシャイエ家の娘。さしたる力も持たないシャイエなど、クロヴィスは歯牙にもかける気はないのだろう。
メイドは申し訳なさそうな顔をしながらもクロヴィスに新たなお茶を用意した。
強いバラの香りが立ち込めるものの、この庭園の至る所にバラは咲いている。それらが放つ香りだと思えば気にすることもない。
「あぁ、やはりこの茶が一番おいしいな。君も飲んでみないか?」
クロヴィスはローズティーをリディアーヌに勧めるが、彼が未だに愛している元婚約者の好みの茶など飲みたいとも思わない。しかし、王太子殿下に勧められて断れるような関係を築いてはいない。リディアーヌは仕方なく、それを承知した。
一口飲んだところでやはり味がしないことに気づいた。なにを飲んでも同じなら、気にすることもない。
元婚約者の代名詞とも言うべきお茶を飲みながら、クロヴィスとの最初の対面は終わったのであった。
クロヴィスとはガゼボで別れた。多忙な彼に代わって城の馬車止めまでエスコートしてくれたのは彼の側近だった。
庭園を抜け、人気のない廊下に出たところで彼はリディアーヌに謝罪した。
「殿下が失礼なことをしました、代わってお詫びを申し上げます」
「仕方のないことです、クロヴィス王太子殿下はアルロー公爵令嬢を心から愛しておいででしたもの」
「だからと言ってあのような態度は許されるものではありません。茶会の件は陛下にも報告し、厳重な注意をするよう進言します」
側近の強い口調にリディアーヌは驚いた。王宮はクロヴィス擁護派に染まっているのだと覚悟して登城したがどうやらそうでもないようだ。
思えば婚約の王命を伝えに来た使者も、態度こそ偉ぶっていたものの、自分たちと同じように困惑をしていて、有難く思え、というような押しつけがましさはなかった。
貧乏侯爵令嬢のリディアーヌを婚約者にしなければならなくなったクロヴィスへの同情に染まる王宮を予想していただけに、リディアーヌは肩透かしを食らった気分になり、怒れる側近に言った。
「大事にすることはありませんわ、わたくしは本当に気にしておりませんから。むしろ、アルロー公爵令嬢を愛しておられた殿下のお気持ちを尊重したく思います」
リディアーヌの言葉に側近は驚いた顔を見せたものの、ありがとうございます、と礼を言い、深く頭を下げたのだった。
近隣諸国の平和を祈る式典の日が近づいてきた。
この式典は毎年、各国が持ち回りで開催されており、今年はメルシアンが主催の年であった。
記念式典の夜会には数多くの近隣諸国の重鎮が参加することになっており、そのもてなし役は次期国王である王太子に託される。クロヴィスの婚約者探しを急いでいたのもこれが理由だった。細やかな気配りは男性には難しく、やはり女性の存在は欠かせない。
その準備と開催の期間中、王宮に一室を与えられたリディアーヌは今、出席者名簿を前にしてクロヴィスと打ち合わせをしている。
「ミラには一番良い部屋を用意してやってくれ」
名簿の一番上に書かれた名前にクロヴィスは嬉々としている。
そう、帝国王子の妃となったミラリアが、夫と共に式典に参加するのだ。
手元に届けられた名簿を見たリディアーヌはひどく驚いた。
現在の帝位を持つデュエリ家は好戦的で知られている。そのデュエリに属するオルガが平和祈願の式典に積極的に参加するなど、一体、どういう風の吹き回しか。
クロヴィスの側近に確認を取るも、彼の出席は間違いない、とのことだった。彼も疑問に思ったようだが、大陸一の大国である帝国の王子の参加を歓迎こそすれ拒むことはできない。
きな臭いものを感じているリディアーヌと側近とは対照的に、クロヴィスは愛する女性との再会を素直に喜んでいて、一番良い部屋を彼女に割り当てるように、と言っている。
言われずともリディアーヌも元からそのつもりではあった。相手は帝国の王子なのだ、式典に参加するどの国の誰よりもよい待遇でもてなさなければならない。
「かしこまりました」
リディアーヌの従順な返事にクロヴィスは気をよくしたのか、さらに注文をつける。
「ミラは朝が弱いんだ、カーテンは厚いものに変えてやってくれ。ローズティーの常備も忘れるな。それに茶器は特別に王家の品を用意させよう。
わたしとの茶会ならメイドも王家の茶器を用意するだろうが、ミラが使うのでは遠慮するかもしれない。わたしの命だと伝えてよい」
クロヴィスはミラリアとの再会を前に浮かれているのだろうが、その様子にリディアーヌは心配になってきた。
彼は先ほどからミラリアのことを愛称で呼んでいる。ここはリディアーヌの与えられた部屋という閉鎖された空間のため、問題にはならないが、公式の場で帝国の王子妃となった彼女を愛称で呼ぶなどあってはならない無作法だ。
注意をしたほうがいいのだろうか、と側近に視線を走らせてみれば、彼の顔には、うんざりだ、とはっきり書いてある。この様子から察するに側近はもう何度も注意しているのだろう、そしてそれを聞き入れようとしないクロヴィスに彼は頭を悩ませている。
仕方なくリディアーヌが口を開いた。
「クロヴィス王太子殿下、恐れながらアルロー公爵令嬢は帝国王子妃となられました。そのように愛称で呼ばれては不敬に当たるかと」
リディアーヌの進言にクロヴィスはさっと顔を赤らめて言い訳をする。
「わかっている。つい、呼んでしまっただけだ。他意はない」
愛称呼びに意味を込めるなど、愛し合う恋人同士がやることだ。ミラリアの心のうちがどうだとしても、元婚約者という関係でしかないクロヴィスがやっていいことではない。
いちいち心配な発言をするクロヴィスにリディアーヌは内心でため息をつきながらも、
「お分かりいただけたのであれば」
と話を終わらせた。
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