4.初恋と失恋
「エントランスまで行けば誰かがいるはずだ」
「お手数をおかけします」
「いや、こちらの不手際のせいだ。リディアーヌ嬢は気にしなくていい」
不手際とはどういう意味だろうか。彼の言葉について考えているとやがて渡り廊下に入った。
月明かりに照らされたそこは男女がそぞろ歩きをするにはピッタリの場所で、迷子になって案内されているというシチュエーションでもなければ、さぞかし素敵な場面になったのに、とリディアーヌは残念に思った。
今、自分をエスコートしている青年はリディアーヌが今まで出会ってきた中で誰よりも素敵だし、この先も巡り合えないんじゃないかと思うほどに美しいひとだった。
いかにも貴族らしいサラサラな金色の髪と輝く青い瞳が彼の美しさをより際立たせている。
この美しい青年は一体誰なんだろうとリディアーヌは内心で首を捻った。
一応、貴族名鑑を参考にして上位に位置する貴族の家名と顔は憶えてきた。
しかし、貧しいシャイエ侯爵家に社交をする余裕などなく、出歩かないのなら不要だろうと貴族名鑑はもう何年も買い替えていない。
それでも古く力のある家というのは変わらないのだからリディアーヌも両親も問題はないと考えていた。
しかし現実には今、見ず知らずの、そして恐らくかなり高貴な身分を持つ方にエスコートしてもらっている。やはり昔の本ではダメだったのだ。
世話をしてもらったのだから侯爵家として礼状を送らねばならないのだが、彼がどこの誰だかリディアーヌにはわからない。しかしその心配はしていなかった、自分を引き取ってくれるであろうメイドに彼のことを聞くつもりだったからだ。
王宮勤めのメイドというのはとても優秀で、噂によるとその頭の中には国内すべての貴族の顔と名前が入っているらしい。リディアーヌが侯爵家として礼状を用意したいのだと言えば、きっと教えてくれるだろう。
「リディアーヌ嬢は婚約者はいるの?」
突然、彼にそう聞かれ、リディアーヌは首を横に振った。
「いいえ、おりません。シャイエは裕福ではないので社交に力を入れておりませんから、そういう機会もないのです」
「あぁ、そうだったね。それでも領民を飢えさせることなく養っている。シャイエ侯爵は立派な方だ」
「シャイエ家の者たちは皆、領民のためにと毎日、駆け回っております。わたくしも微力ながらお手伝いをしておりますわ」
「リディアーヌ嬢も働いているの?」
青年は驚いたが、それは当然のことだった。
令嬢は普通、労働はせず、その分、花嫁修業に力を入れる。しかし家族が奔走している様を目にしていたリディアーヌにその選択肢はなく、なにより勤労な家族と自分を誇りに思っていた。
だからリディアーヌは働いていることを隠すことなく、彼に告げたのだった。
「今はまだお手伝い程度のことしかできておりません。ですが、デビュタントを終えれば大人の仲間入りですから、これからはもっとお役に立ちたいと考えております」
「そうか。我々としても手助けができればいいのだが、立場上、一貴族だけを目をかけるわけにはいかなくてね」
本来、貴族は目をかける側であってかけられる側ではない。それなのにシャイエ家を目をかけなければならない対象として見ているこの方は一体どれだけ高位なのだろう。
一応、リディアーヌは侯爵令嬢だ。身分だけなら高位令息からエスコートを受けても問題ないのだが、『貧しい』侯爵家となると話は違う。羽振りがよく、歴史もある筆頭伯爵家よりも劣る立場といっても過言ではない。
今更ではあるが、如何にも身分の高そうな彼のエスコートを受けてしまったのは軽率だったかもしれない。やはり誰もいなくなったあの部屋で待っているべきだった。なぜ、メイドにしか会わないと思い込んでいたのか。
遠くに人々のざわめきが聞こえてきたところで、リディアーヌは恐る恐る彼に言った。
「もう十分です、あとはひとりで対処できます。ご案内くださいましてありがとうございました」
リディアーヌが宣言したのと、メイドが駆け寄ってくるのは同時だった。
「お手を煩わせまして申し訳ございません」
メイドはリディアーヌではなく青年に向かって頭を下げ、謝罪した。
「彼女が困っていたから案内したまでだ。しかし、デビュタントの令嬢を放置する程のなにかがあったのかい?」
「それが」
メイドは口ごもり、声を落としながらも説明した。
「先ほど、ラベル公爵令嬢がお着きになられたのですが、別の部屋が良いと申されましたので、急遽、移動することに」
「あー、メルの我儘がさく裂したか」
青年はメイドの言葉に苦笑しながらも、事前に配慮すべきだったね、と言った。
「大方、メルは来場客が見える部屋がいいとでも言い出したんだろう?」
「はい、その通りで」
彼は先ほどと同じように愉快そうな顔でリディアーヌに教えるように言った。
「メルは、いや、ラベル公爵令嬢はね、ご婦人方の装いに興味があるんだよ。誰がどんなドレスを着ていた、どの色が流行っているといった情報を集めるのが大好きでね」
つまりラベル公爵令嬢は到着客の様子が見える部屋を希望したのだろう。先ほどリディアーヌが案内された部屋はエントランスからかなり離れていた。リディアーヌが絵画のかけられた廊下に迷い込んだのも奥まった部屋からエントランスを目指したからだった。
「しかしメルが到着しているなら挨拶をしたほうがよさそうだ。案内してもらえるかな?」
青年はメイドにそう言い、彼女は、ご案内いたします、と先導を始めた。彼がリディアーヌの手を放さずに歩き出した為、彼女もそれに従うしかなくなった。
来場客がごった返しているエントランスを避けるように進み、やがてドアが開け放たれた部屋が見えてくる。入り口には騎士のふたりが立っており、それは先ほど案内された部屋の前に立っていた人物と同じで、ここが新たに用意された部屋なのだとわかった。
騎士たちは最敬礼で青年を出迎え、慌ただしく動き回っていた室内の使用人たちも一斉に居住まいを正し、壁際へと下がった。
「やぁ、メル。デビュタント、おめでとう」
テーブルのそばに立って頭を下げていた令嬢は祝いの言葉で顔を上げた。
「ありがとうございます。ですが、わたくしも今日からレディの仲間入りを果たしましたので、そのように扱っていただきたいわ」
「それは失礼いたしました、ラベル公爵令嬢」
青年はおどけるような口ぶりで言い、彼女はそれにすぐ、眉をひそめた。
「やっぱりやめてください、貴方からそんな風に呼ばれるなんてなんだか気持ち悪いわ」
「ひどいことを言うなぁ、わたしはマナーに則った会話をしただけなのに」
「それより、そちらの方は?」
「こちらは君の我儘の被害者」
とんでもない紹介のされ方をし、リディアーヌは慌てて名乗りを上げた。
「シャイエ侯爵家のリディアーヌと申します、廊下で迷っていたところをこちらの方にお助け頂きまして」
「デビュタントのご令嬢はパーティー会場で初お披露目と決まってるから、人目につかないようにと例年、奥まった部屋をあてがっているというのに。メルが急に部屋を変えろなんて言うから」
「だって、皆様のドレスが見たかったのだもの」
なるほど、そんな理由があったとは知らなかった。リディアーヌが内心で納得しているのとは対照的にラベル公爵令嬢は反論した。
「わたくしは公爵家の一員として社交界をけん引していかねばなりませんから、今シーズンの流行をいち早く把握する必要があるのです」
もっともらしい言い訳に青年は愉快そうな顔をしたもののそれ以上、言い募ることはなく、リディアーヌの手を離すと、また後で、と言って部屋から出て行った。
「ありがとうございました」
慌てて礼を言い、頭を下げたリディアーヌが次に顔を上げたときは、もう彼の姿は消えていた。
どこか残念に思い、ぼんやりと廊下を眺めていると、ラベル公爵令嬢から声をかけられた。
「あの方はダメよ、もう婚約されてるから」
心のうちを読まれたかのような言葉にリディアーヌは驚いて彼女を見た。
「あの、失礼ですが、先ほどの方をご存じなのですか?」
「えぇ?あなた、本気で言ってるの?」
ラベル公爵令嬢の驚きにやはり把握しておかなければならない程、高貴な方だったとわかった。
「お恥ずかしながら、我が家には古い名鑑しかおいていなくて」
消え入るような声で言い訳をしたリディアーヌに彼女は言葉を選びながら、
「あなた、シャイエ侯爵のご令嬢だったわね。大変なのはわかるけど、せめて三年に一回くらいは買い替えなさいな」
と言った。
すみません、と小さな声で謝ったリディアーヌに彼女は慌てて、
「非難しているわけではないのよ?シャイエの功績はわたくしも聞いているから」
と言い訳してから、先ほどの青年がこの国の王太子であることを教えてくれた。
「クロヴィス王太子殿下だったのですか?!」
またも淑女らしからぬ大声をあげてしまい、リディアーヌは慌てて口を押えた。先ほどは彼と彼の護衛しかいなかったが、ここは大勢のメイドのいる空間だ。
案の定、数人のメイドはリディアーヌの声量に眉をひそめている。
リディアーヌの持っている古い名鑑にも王族である彼はもちろん載っていたが、それは幼い頃の彼を描写したもので、少なくともあのような青年ではない。
リディアーヌの驚きにラベル公爵令嬢はかわいそうなものでも見るような目をして、
「去年の名鑑でよければ、あなたにあげるわ」
と言い、リディアーヌはきまり悪そうに小さな声で、ご親切にありがとうございます、と言ったのであった。
「あちらにテーブルを用意してもらったの。皆様の装いを見ながらおしゃべりしましょうよ」
ラベル公爵令嬢こと、メイルーナ・ラベルの言葉にリディアーヌは素直にうなずいた。そのテーブルにはオデット・マイラ伯爵令嬢が待っていてリディアーヌとの再会を喜んでいる。
「合流できてよかったです。今、ラベル公爵令嬢様から流行を教えていただいてましたの」
「そういうことに敏感であることもレディのたしなみですわ」
メイルーナはそう言って早速、到着したばかりのご婦人のドレスに歓喜の声をあげた。
「ご覧になって、あれは大陸で流行り出したばかりの型よ。ストンと落ちるようなすそが特徴なの」
「随分とシンプルなデザインですね」
リディアーヌが漏らした感想に公爵令嬢は得意げな顔をして言った。
「豪華に着飾るだけで評価される時代は終わったわ。これからは自分に合った、それでいて誰もが注目するような装いが求められていくのよ」
『自分に合った』は実践できそうだが『誰もが注目する』はシャイエ家の経済事情では難しそうだ。
またひとり、またひとりと美しい装いで王宮に到着するご婦人方をリディアーヌが羨望のまなざしで眺めていると、ひときわ美しい少女が現れた。すると、それを待ちかねていたかのようにクロヴィスが人込みから飛び出していち早く彼女の手を取り、その指先にそっと口づけをした。
あの少女がクロヴィスの婚約者なのだろう。彼女を見つめるクロヴィスの瞳には明らかな熱がこもっていて、先ほどリディアーヌに向けてくれた笑顔とはまるで違うものだった。対する少女のほうもクロヴィスの熱い視線を真っすぐに見つめ、わずかばかり頬を染めている。
ふたりが想い合っていることは明白で、リディアーヌの抱いた淡い恋心はあっけなく苦い痛みに変わった。
「いつか、あんなふうに愛されてみたいわね」
リディアーヌの隣で彼らの様子を眺めていたメイルーナがぽつりと言った。
公爵令嬢の彼女が政治を抜きにしての婚姻を結ぶことなどまず不可能だ。政略の上で夫となる男性があれほど情熱的に想いを傾けてくれるとは思えないし、それは逆もしかり。彼女のほうも夫を心から愛せるとは限らない。
それにある意味、リディアーヌのほうがもっと悲惨かもしれない。
クロヴィスもメイルーナもシャイエを気遣う発言をしてくれてはいたが、積極的に貧乏な侯爵家と縁づきたい家などあるはずもない。愛し合う相手どころか婚姻すら叶わず、生涯、オールドミスで終わる可能性もある。
ちらりと隣に視線を走らせればオデットも考え込むような顔をしていて、彼女にもなにか事情があることが伺えた。
暗くなってしまった三人にマリアンヌが声をかけた。
「お嬢様方は本日がそのスタートラインです、よい殿方と出会えますようわたくし共がお手伝いをさせていただきます」
そうして壁際に控えていたメイドの何人かに声をかけ、今一度、身だしなみを整えましょう、と言い、それぞれのヘアスタイルやドレスを見直してくれたのであった。
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