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3.デビュタントの夜

クロヴィスの失恋から四年前の話になります。

シャイエ侯爵家の内情は常に火の車であった。リディアーヌは物心ついた頃にはもうそれを理解しており、しゃなりしゃなりと着飾って社交を楽しむような令嬢にはなれないことを知っていた。


それが理由なのか、生来の持って生まれた資質なのかはわからないが、リディアーヌは同世代の貴族子女たちと群れるよりも家の手伝いをすることを好む令嬢だった。

集まりに参加しないのであれば過度に着飾る必要もなく、彼女の身なりはちょっと裕福な商家の娘程度であり、そのため、十四歳を迎えた彼女の為にと仕立てられたデビュタント用の豪華なドレスに一瞬で心を奪われた。


「このドレスを着てお城に行ったら素敵な王子様に会えるかしら」


自室に飾られたドレスをうっとりと眺めながら、リディアーヌはデビュタントの日を指折り数えていた。



そしていよいよ迎えたデビュタントの夜。暗闇の中、ひときわ輝いている王宮。城門をくぐったその先は夢のような世界だった。

馬車から降りたリディアーヌがあまりの豪華さに立ち尽くしていると、城勤めのメイドが近寄ってきた。


「シャイエ侯爵、この度はお嬢様のデビュタント、おめでとうございます。本日、お嬢様を担当いたしますマリアンヌと申します。どうぞよろしくお願いします」


メイドは挨拶の後、丁寧にお辞儀をし、シャイエ侯爵とその夫人も同様に丁寧な挨拶をした。大人たちのやりとりが済んだところでマリアンヌと名乗ったメイドはリディアーヌに向き直った。


「デビュタントのお嬢様方には別室をご用意いたしております、どうぞこちらへ」


リディアーヌが両親とべったりしていられるのはここまでだ。ここから先は一人前の淑女(レディ)としてひとりで対応していかなければならない。

だが、デビュタントの日だけは身内ではない女性が付添人をしてくれることになっている。ひとりで対処できる自信があればこのタイミングで付き添いを断っても良いことになっているが、家の手伝いしかしてこなかったリディアーヌに社交のいろはなどわかるわけもなく、素直にうなずいた。


「よろしくおねがいします」


リディアーヌは両親とハグをして別れの挨拶をかわし、少し離れた位置で待っていたマリアンヌの後をついていった。


点々と明かりが灯されている廊下をマリアンヌと二人で黙って進む。

リディアーヌとしては色々聞きたかったのだが、淑女の口数の多さは、はしたなさへとつながってしまう為、息をつめてただ後ろをついていった。

その緊張が伝わったのかマリアンヌは歩調を緩め、少しの笑みを浮かべてリディアーヌに視線を向けた。


「お嬢様、そう緊張なさらずとも大丈夫ですよ」


「はい。あ、いえ。えーっとつまり」


リディアーヌのしどろもどろの返事にマリアンヌは微笑んだ。


「まだ夜会は始まっておりません、気楽になさってください」

「はい、ありがとうございます」



案内された部屋には既にひとりの令嬢がいた。彼女も今夜がデビュタントらしく、リディアーヌと同じ白いドレスを身に着けている。

令嬢はリディアーヌが来たことで明らかにほっとした顔をした。


「シャイエ侯爵令嬢、ご紹介いたします。彼女はマイラ伯爵令嬢のオデット様です」


マリアンヌの紹介を受けて令嬢はリディアーヌに挨拶をした。


「初めまして、オデット・マイラにございます」

「リディアーヌ・シャイエです、本日はどうぞよろしくお願いいたします」


ふたりは礼儀正しく挨拶をし、それからどちらからともなく微笑みあった。それを笑顔で見届けたマリアンヌは、またデビュタントの令嬢が到着したから迎えにいってくる、と断って部屋を出ていった。

残されたふたりの令嬢は所在なさげにその場に立ちすくんでいたが、給仕のメイドに促されてテーブルについた。

ふたりが席に着くとすぐに目の前に紅茶が用意される。それは、いつも屋敷で飲んでいるものとは違うと香りだけで分かるほどに高級なものだった。


「すごいわ」


思わずリディアーヌの口から出た感想を聞いたオデットも同意した。


「こんなおいしい紅茶、飲んだことがありません」

「わたしもです、とっても美味しい」


ふたりの幼さの残る会話に給仕のメイドは微笑ましいものでも見るかのような慈愛に満ちた顔をしている。それに気づいて気まずそうに顔を伏せたリディアーヌは、取り繕うように化粧室へ行きたいとメイドに告げた。


「ご案内いたします」


少し離れた場所の化粧室まで案内してもらったリディアーヌは、


「ありがとうございました、ひとりで帰れますので先ほどのお部屋に戻ってくださって結構です」

「ですが、お嬢様ひとりを残していくわけには」

「マイラ伯爵令嬢がひとりで心細い思いをしてるかもしれませんから、一緒にいてあげてください」


リディアーヌの言葉にメイドはまたも慈愛に満ちた表情を見せ、かしこまりました、と戻っていった。



化粧室の水に手を浸して軽くふき取ったあと、自身の頬にそれをあてた。火照りを冷ますことで緊張をほぐしてからリディアーヌはまた元の部屋に戻っていったのだが、部屋には誰もいなくなっていた。

場所を間違えたのかと思い、一度外に出てみるが、確かにこの部屋だった。その証拠に先ほど出してもらった紅茶はまだテーブルの上にある。


メイドもマイラ伯爵令嬢もどこに行ってしまったのか。


今日、リディアーヌを担当してくれると言っていたマリアンヌも到着したという別の令嬢を迎えに行ったきり、戻ってきていないようだった。


しばらく室内で待ってみたものの誰一人帰ってこず、リディアーヌは部屋を出てみんなを探すことにした。城内をうろついていればメイドに会えるはず。事情を話せば、そのひとはわからなかったとしても誰か分かる人のところに連れて行ってくれるくらいはしてくれるはずだ。


そう思って気軽に歩き出したのだが廊下にはひとっこひとり見当たらない、先ほど両親と別れたエントランスには大勢のひとが行き交っていたのに。少し心細く思いながらもリディアーヌはどんどん進んでいき、やがて肖像画のかけられた廊下に出た。


勲章を胸にたくさんつけてひげを蓄えた男性や、美しいドレスに身を包み、穏やかに微笑んでいる女性が描かれている。

彼らが歴代の国王でないことはリディアーヌにもわかったがそれ以上はわからない。だが、ここは城の中。歴代の宰相か、国に貢献した人物か。そんなところだろう。


「ドレスの様式からしてかなり古そうね、いったいどなたなのかしら」

「その方はミュリエル夫人、この国で最初の女性文官になったひとだよ」


声をかけられて振り向くと、まるで物語に出てくる王子様そのものの容姿をした美しい青年が柔らかい微笑を浮かべて立っていた。


この人物が何者かは分からなかったが、彼の為に用意されたのであろう数名の護衛騎士が後ろに控えていることから、かなり身分の高いひとなのだと分かる。

リディアーヌは社交のマナーとしてその場で頭を下げ、視線を下に落とし口を噤んだが、この素敵な男性の登場にどきどきしていた。


「今夜がデビュタントのお嬢さんだね、名前を聞いても?」


リディアーヌが着ているドレスの色で気づいたのだろう、白いドレスはデビュタントの令嬢にしか許されていない色だからだ。


「わたくしはリディアーヌ・シャイエ、シャイエ侯爵家の娘でございます」

「そうか、まずは祝いの言葉を述べよう。デビュタント、おめでとう」

「ありがとうございます。社交界の一員として恥ずかしくないよう、精一杯、努力いたします」

「それで君はここでなにをしているのかな?」

「それが」


リディアーヌは化粧室から戻ったら案内された部屋には誰もいなくなっていたこと、しばらく待ってみても戻ってこなかったことを話した。


「お城の中を歩いていればメイドに会えるかと思ったのです」

「その前にわたしが登場してしまったのか」


青年は愉快そうな顔をしてから、


「おいで、誰かがいそうなところまで君を案内しよう」


と言い、その手がリディアーヌに差し出されたのだが、デビュタントの彼女にはその意味が分からなかった。どうしていいのかわからずに困っているリディアーヌに青年は先ほどと同じ、愉快そうな顔をしたまま言った。


「貴女をエスコートする名誉をわたしにくださいませんか?」


そこで初めてエスコートの為に手を差し出されたのだとわかったリディアーヌは、あっ、と淑女らしからぬ大きな声を上げてしまい、慌てて自身の両手で口を押えた。


『淑女は大声を出してはいけません』

幾度も母から言いつけられていたのに決まりを破ってしまった。口を押えたまま周囲を見渡すリディアーヌの姿に青年がついに噴き出すように笑い出した。


「気にしなくていい。ここには厳しいマナー講師も口うるさいご婦人方もいない」

「失礼しました」


リディアーヌは取り繕うように言ってから彼の手を取り、わざと気取った調子で言った。


「よろしくお願いいたします」

「喜んで」


青年はクスクスと笑いながらもリディアーヌをエスコートした。

お読みいただきありがとうございます

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