2.クロヴィスの失恋
公爵の命じた通り、侍女は決してミラリアから離れようとはせず、それどころかなにかあれば身を挺して彼女を守ろうとせんばかりの近距離を歩いている。
クロヴィスは侍女を遠ざけることを早々にあきらめ、庭園の奥で立ち止まるとミラリアに向き直った。
「君は相手がオルガ殿と知っていたのか?」
「いいえ、まさか」
クロヴィスの問いにミラリアは即座に答えたが、迷いなく返答したその内容は用意されていた文言のようにも聞こえるし、真実のようにも聞こえる。
何故、ミラリアは純潔を捧げたのか。理由を問いただしたいとは思うが、彼女の心を暴いたところでクロヴィスの彼女を愛する気持ちは変わらない。
「ミラ、改めて言う。君を愛してるんだ、どうかわたしと結婚してほしい」
クロヴィスはその場に跪き、ミラリアの手を取って求婚をした。
ふたりの婚約は幼いころに定められており、明確な言葉にしたことはなかった。だが、ミラリアが心変わりしたのなら、クロヴィスは改めて自らの愛を示すしかないと思ったのだ。
王族らしからぬストレートな物言いにミラリアは目を見開いて驚いた顔をし、それから悲しそうな表情で首を左右に振った。
「わたくしは殿下を裏切りました、その想いにお応えしてはならないのです」
「気にしなくていい、わたしが許すと言っている」
「殿下がお許しくださってもわたくし自身は許すことができません」
「いつか笑い話になる日も来よう、どうか承知してほしい」
「すべてわたくしが悪いのです、どうか罰をお与えください」
「そんなことは望んでいない、ただわたしと結婚して欲しいだけだ」
クロヴィスがどれほどなだめすかそうとも、ミラリアは頑なに拒否をするばかりであった。
どのくらいの時間が経ったのか、庭園に現れた公爵に、
「今日のところはこのくらいにしてやっていただけませんでしょうか」
と言われ、クロヴィスは渋々ではあるものの、ふたりの退城を許可した。
「気持ちが落ち着いたらまた話し合おう」
クロヴィスはいつもそうしていたようにミラリアの額に口づけをしようとしたが、彼女は身を引くことでそれを避けた。
「ミラ」
「御前、失礼いたします」
思わずつぶやいた名前が聞こえなかったかのようにミラリアは美しい姿勢で挨拶をし、公爵と共に去っていったのだった。
翌日から、クロヴィスは毎日のようにミラリアに贈り物と手紙を送り、自分と結婚して欲しいと綴った。しかし彼女からの返事はいつも同じで辞退するという意思を変えることはできなかった。
そんな折、帝国からクロヴィスへ私信が届いたのだが、それを読んだ彼は激高し、手紙を破り捨てた。
「殿下、落ち着いてください」
ミラリアとの関係がうまくいかなくなってから、クロヴィスは感情のままに振る舞うことが多くなっていた。最初のうちは驚いていた側近も今ではすっかり慣れてしまい、彼の足元に散らばっている紙片を拾いつつ、執務室にいた者たちを下がらせた。
王太子の不安定な部分は極力、他人の目に触れないほうがいい。それは王宮で働く使用人たちも例外ではなく、側近は周囲の者たちを追い出したのだった。
「帝国はなんと言ってきたのですか?」
側近はクロヴィスに聞いたが彼は黙っているばかりで答えようとせず、仕方なく破られた手紙をつなぎ合わせて文面に目を通した。
内容を要約すると、ふたりの婚約関係を知らずにミラリアと一夜を共にしてしまった、責任を取る意味でも彼女と婚姻したい、というものだった。
そもそもメルシアン側は帝国の王子であるオルガ・デュエリが来訪していることを知らされていなかった。
帝国の代表にはハーパス大臣しか登録されておらず、オルガは秘密裏に入国していたことになる。要人の来訪をいちいち知らせる義務はないが、万一のことがあった場合、国際問題に発展する可能性が高く、たとえそれがお忍びであったとしても一応、伝えておく、というのが慣例であった。
逆を言えば訪問国への通達をせず、事件、事故に巻き込まれた場合はお互いに知らぬ存ぜぬを通しましょう、ということになる。
今回の事件は後者に当たり、従ってメルシアンとしては『何事もなかった』と処理したいのだが、オルガはそれを良しとせず、責任を取るなどと殊勝な言葉を吐いている。
その意図するところはただ一点、
オルガ・デュエリがミラリア・アルローを気に入ったということだ。
第三王子であるオルガ・デュエリが国際的な社交場に出席することはほとんどない。
特にクロヴィスは次期国王という立場が確定している為、現在、国政を担っている者、もしくは将来担うであろう者たちとの交流を目的とした集まりにしか出席していない。
残念ながら第三王子のオルガ・デュエリがその任に就く可能性はほとんどなく、クロヴィスは彼と直接言葉を交わしたことはもちろん、その姿を見かけたことすらなかった。
交流のない相手なのだから社交界の噂に頼るしかないのだが、かなり苛烈な人物であることは耳にしている。どうも次期帝王の座を狙っているようで、周囲が彼を認めざるを得ないような功績を上げようと躍起になっているらしい。
ライバルを蹴落とすことを一番に考えない辺りは心根の真っすぐな好青年の印象を受けるが、帝国という大国に君臨するにはその清廉さはむしろマイナスに映る。
そういう意味でもオルガ・デュエリが後継になることは難しいのだが、本人は諦めていないのか、周囲がそそのかしているのか、彼は実直に功績を求めているらしい。
実際に、いくつかの小さな成果は挙げているが、どれも王太子を挿げ替えるほどの決定打には至っていない。そういった背景を持ち、さらにメルシアンに内密で来訪したということはなにか策を持っていたと考えざるを得ず、それが王太子の婚約者を掠め取るという内容であったのならば許せることではない。
クロヴィスは帝国のハーパスの暗躍を阻止すべく、彼を療養地へと押し込めるという手を打った。それなのにそこにオルガがいてしかもミラリアと関係を持ったなど、もはや悪夢でしかない。
クロヴィスが激高したのはこういう理由からであり、彼の怒りは正当だと言えた。
内容を読んだ側近はどうしたものかと頭を悩ませた。
クロヴィスがミラリアに惚れぬいていたことは長く一緒にいた側近もよくわかっている。彼の心情に沿うのであればミラリアをオルガ・デュエリに渡すなど絶対にしてはならない選択だ。
しかし、ミラリアはどうだろうか。
再三にわたってクロヴィスはミラリアに許しを与えている。にもかかわらず彼女は一向に承知しようとはせず、婚約を白紙にしてほしいと言っている。となると、
ミラリアもオルガ・デュエリを気に入ったのではなかろうか。
側近の目に映るミラリアは帝国の王子であるオルガ・デュエリに自ら進んで純潔を捧げた。それが本当ならクロヴィスはとんだ道化、愛し合うふたりを引き裂く悪役でしかない。
クロヴィスがどういう考えを持って、未だにミラリアに固執しているのかは分からないが、ただ嫌がらせをしたいが為ならば側近として、なにより友人としてやめさせるべきだ。
「ミラリア嬢は婚約の辞退を望んでいますし、オルガ殿下も責任を取ると言っているのですから、潮時かもしれません」
側近は言葉を選びながら嚙んで含めるかのようにゆっくりとクロヴィスに進言したが、彼は怒りに震える瞳を向けて怒鳴った。
「ミラリアに捨てられたわたしをふたりして笑い者にしようというのだぞ?そんなもの、許容できるわけがない」
「ですが社交界に広まってからでは遅い、すでにミラリア様の足が王宮から遠のいていることに気づき始めている者もおりましょう。殿下が彼らの過ちを許すことは公爵家はもちろん、帝国への大きな貸しにもなります」
側近の言葉にクロヴィスは乱暴な動作でタイを緩め、どかりとソファに身を沈めて黙っていたが、やがてとんでもないことを口にした。
「ミラリアをくれてやる代わりに対価を請求するとしよう」
「対価ですか?」
「この先、千年の不可侵条約。
メルシアン王太子の婚約者を奪うのだから、そのくらいの誠意を見せてもらわねばならん」
「それは無茶苦茶です」
側近は思わず大声をあげた。
千年の不可侵条約、それは事実上の永久不可侵条約だ。
帝国の第三王子でしかないオルガ・デュエリがその決定権を持っているわけもなく、そもそも王族でもないミラリアにそこまでの価値はない。
「一切の譲歩はしない。ミラリアが欲しければ条約締結に奔走しろと伝えろ」
クロヴィスはそれだけ言うと執務室を出て行った。
「無理に決まっている」
ひとり残された執務室に側近の困惑だけが取り残されたのだった。
アルロー公爵令嬢のミラリア・アルローの旅立ちは大勢の国民の歓声に包まれた華やかな門出となった。
不可能だと思われたクロヴィスからの条件をオルガ・デュエリは見事にクリアしてみせた。
これにはさすがにクロヴィスも黙るしかなく、ミラリアへの想いは捨てきれるものではなかったが、ここまで彼女を想っているのならばきっと大切にしてくれるだろうと手放すことを決めたのだった。
ミラリアがクロヴィスの婚約者であることは国民ですら知っている事実であったから、ふたりの関係が解消されたというニュースに人々はたいそう驚いた。
しかし帝国の第三王子とミラリアの婚姻が発表され、さらには永久不可侵条約の締結が明らかになると、ミラリアがその身を持って帝国という脅威からメルシアンを守ってくれたのだという美談へと変わった。
ミラリアはクロヴィスを裏切った。そのため、当初はひっそりと帝国へと渡る予定だった。しかし、身を挺して国の守りとなった令嬢に感謝の意を示したいという国民の熱意が勝り、急遽、パレードのごとく王都を馬車で練り歩いてからの出国となった。
人々はミラリアを伏して拝み、彼女の幸せを願ってたくさんの花びらをその道に投げて祝福をした。
ミラリアは今まで人前で見せたことのないような恥じらいを含む愛らしい笑顔でそれに応え、それには男性はもちろん、女性すらも見とれるほどの美しさであったという。
こうして救国の聖女となったミラリアは帝国へと旅立ち、クロヴィスの恋は終わりを告げたのであった。
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