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16.三年後の再会

「陛下、本日のご予定を申し上げます」


朝、身支度を整えながら側近から一日のスケジュールを聞くのが国王となったクロヴィスの日課だった。


クロヴィスのスキャンダルから三年が経過し、彼はメルシアンの王位を継承していた。王妃はいない。


結局、ヴァウラとも婚姻には至らなかったのだ。

それはヴァウラ本人が婚約の辞退を口にしたからだった。サーサル侯爵は納得していないようで、娘を説得するから待ってほしい、と喚いていたが、彼女の頑なな態度に王家はそれを承認するしかなかった。


「わたくしが殿下にして差し上げられることはこのくらいしかないので」


ヴァウラはそう言ってクロヴィスに別れを告げた。彼女はそのあとすぐ、外国の貴族の元に嫁いでいった。得意の語学を活かして忙しい日々を送っているらしい。



さすがに三人の令嬢に婚約を断られて国王も諦めたのか、それ以降、クロヴィスに新たな相手をあてがうことはしなかった。

そして昨年、国王が引退し、クロヴィスはメルシアン国王となった。



貴族の中では、跡継ぎの問題も含めて一刻も早く婚姻をさせよう、という動きがあったが、逆に民衆の間ではミラリアとの愛に殉じた国王ということになっていて、その評判は悪くなかった。そのうえ、新国王の心労も考えると、四人目の婚約者を推挙する勇気ある者はさすがにいなかった。





一方のミラリアは三年前の式典以降、公の場に姿を現していなかった。彼女の父親であるアルロー公爵も沈黙を貫いているが、それが余計に憶測を呼んでいた。

いち早く帝国(オルガ)に乗り換えただけあって、公爵は権力に固執する傾向にある。ミラリアを足がかりに帝国での地位を得たのであれば周囲に言いふらすに決まっている。それがないところから察するに、ミラリアの置かれている状況はあまり良いものではないのだろう。


実際、帝国に帰ったミラリアは離宮に押し込められ自由を奪われた。利用価値のなくなったミラリアを気にかけるようなオルガではなく、彼女は完全に打ち捨てられたのだった。

そんな中、ミラリアはクロヴィスの婚約がまだまとまっていないことを耳にした。このまま囚人のような生活を送るよりはマシだと考えたミラリアはプライドを捨て、メルシアン(格下の)王太子に助けを求める便りを書いた。


現状を切々と書き綴り、元婚約者として手を差し伸べてはもらえないだろうか、という言葉で終わっているその手紙は、商人の手によってクロヴィスに届けられたが彼は手渡されたそれを封を開けることも無く、商人に持ち帰るように命じた。

クロヴィスにとってのミラリアはもう帝国の王子妃である。いずれ王位を継ぐ自分が秘密裏に連絡を取るなどしてはならないと十分に分かっていた。


そしてその判断は正しく、クロヴィスが封を開けることもなく突き返したその手紙は、オルガの手に渡ってしまったのだ。

彼はあっさりとミラリアを処分した、かつて側近を始末したように彼女に弁明をさせることもなく切って捨てた。

それもそのはず、オルガはずっとこの機会をうかがっていたのだ。彼は、帝国王子妃というカードはもっと有効に使うべきだと考えていた。愚かなミラリアはオルガが何もしなくても自ら夫を裏切ってくれた。裏切りには鉄槌を、とはデュエリ家の家訓であり、彼はそれを実行しただけ。


もちろんオルガは事の次第を公表するつもりだったが、ミラリアの生家であるアルロー公爵家がそれに待ったをかけた。平民の間ではともかく、貴族社会でのミラリアはクロヴィスを捨ててオルガに乗り換えた令嬢だ。それなのにクロヴィスに縋ったなど厚かましいにもほどがある。アルロー家の体面を考え、ミラリアはいずれ病死を公表するということにしてほしい、とオルガに頼み、代わりに公爵家はオルガに全面的に協力をすると約束したのだった。

もちろん公爵は娘を切って捨てたこの狂人のような男を許す気などなかった。オルガには、メルシアンを内側から崩してみせます、などと言っておきながら、その実、なんの成果もあげなかったのだ。

三年が経った今、オルガの立場は非常に苦しいものになっている。第一王子の立太子が間もなくだという情報は既に耳に届いている。それが確定した時点で、オルガがかつてミラリアを簡単に切り捨てたように、今度は自分が彼を切り捨ててやろうと公爵は考えていた。







クロヴィスは従者の手を借りて上着を羽織ると、鏡台の上に置いてあったハンカチを丁寧な手つきで内ポケットにしまい、私室を出た。


それはヴァウラに渡されたリディアーヌの刺しゅうが入ったハンカチだった。






あれからシャイエ家はまた新しい事業に乗り出し、あっという間に財産を食いつぶしたらしい。しかしあの変わり者の一族は労働そのものを愛しているようで、日々、せっせと働いているらしい。


リディアーヌもまた事業を任されるようになったとメイルーナが教えてくれた。彼女たちの友情は今も続いているようで手紙のやりとりをしているそうだ。

そのメイルーナも間もなく、夫となった男性の領地に移り住むことが決まっている。


クロヴィスにリディアーヌの近況を教えてくれるひとがいなくなる日も近かった。






予定していた公務がキャンセルとなり、時間が空いた為、クロヴィスは孤児院を訪問することにした。

慈善事業というのは本来、王妃の管轄になるのだが、クロヴィスには妃がいない為、彼が担当している。孤児院に行ってみると先客の貴族が乗ってきたのであろう馬車が止まっているのが見えた。

クロヴィスは国王だ、特定の貴族との馴れ合いは良しとされていない。


「出直しますか?」


側近の言葉に、クロヴィスは窓の外に目をやって馬車の紋を確認した。


「いや、行こう」


クロヴィスは馬車が止まるとすぐに飛び降りた。外から扉が開けられるまで待っているはずの彼が真っ先に降りて行った。


「陛下、お待ちください!」


側近の制止も聞かずに早足で、最後は駆け足になって抜けた回廊の先は子供たちが遊び場にしている庭園だった。




「次はあたし、あたし!」

「ずるいよ、僕が先だよ!」


大勢の子供たちに囲まれて、そのひとは微笑んでいた。


「さぁ、できた。お次は誰かしら?」


子供たちの付けているエプロンの端や持ってきたハンカチに刺しゅうをしてやっているのはリディアーヌだった。



彼女を取り囲んでいた子供のうちのひとりがクロヴィスに気づいた。


「あ、王様だわ!」

「ほんとだ、王様だ!」


三年ぶりに再会したリディアーヌにクロヴィスの鼓動は早くなった。








「ご無沙汰しております、陛下」


リディアーヌは立ち上がるとお辞儀(カーテシー)で挨拶をした。


「久しいな、元気そうでなによりだ」


そう言ったクロヴィスにリディアーヌは困ったような顔で、


「陛下はお疲れのご様子ですね」


と言い、子供たちに、


「王様は疲れていらっしゃるから、少し休憩をして頂きましょう」


と言って彼らを遠ざけた。




護衛は少し離れたところにいて、庭とはいえ、思いがけずリディアーヌとふたりきりになり、クロヴィスはなにを話せばいいのか分からなかった。


「孤児院の訪問は続けてくれていたのだな」

「せっかくのご縁ですから」


クロヴィスと彼女が一緒に過ごしたのはほんの三か月程のことだったし、実際に、彼女と向き合ったのはひと月もなかった。

語り合うほどの思い出はふたりの間にはなく、会話が続かない。必死で話題を探すクロヴィスにリディアーヌが言った。


「わたくしたちの初めての出会いを覚えていらっしゃいますか?」


それにクロヴィスは思わず顔をゆがめた。




あの日、王宮の庭園に席を用意したのは王妃だった。


「あなたの婚約者となってくれた令嬢です、無作法は許しません」


まるで子供に言い聞かせるような物言いにクロヴィスは苛立ちながらも逃げ出すこともできず、渋々、リディアーヌと対面した。

後から考えてもその日のクロヴィスは最低だったと思う。元婚約者の好んだ茶を出させて彼女にも飲ませ、そのうえ感想まで言わせたのだ。心優しいリディアーヌでなかったら、平手打ちを食らわされても文句を言えないだけのことをした。



思い出したくない過去を突きつけられたクロヴィスは答えられなかったが、それにリディアーヌは笑った。


「わたくし、デビュタントの夜会で陛下にエスコートして頂いているんです。それがあなた様との初めての出会いでした」

「君のデビュタントで?」

「はい」


リディアーヌは王宮で迷子になっていたところをクロヴィスに助けられたことを告げた。


「月明りの中、陛下のエスコートで回廊をそぞろ歩いた思い出は、わたくしにとってかけがえのない大切なものとなりました」


その言葉にクロヴィスの心臓は早鐘を打つかの如く高鳴った。

残念ながら彼は覚えていなかったが、リディアーヌは、クロヴィスがエスコートをしたことが大切な思い出だと言ってくれた。それはつまり彼女は最初から自分を慕ってくれていたということになる。

そして今、この話を自分に聞かせたということは、変わらない想いを抱いているということを伝えようとしているのかもしれない。


「リディアーヌ、わたしは」

「探したよ、リディ」


クロヴィスがそう言ったのと、誰かがリディアーヌに声をかけるのは同時だった。

ハッとしてそちらを見れば、それは若い男性で明らかに貴族とわかる服装をしていたが見覚えのない人物だった。

全ての貴族の顔と名前が頭に入っているわけではないが、貧しいとはいえ、侯爵令嬢のリディアーヌと接点を持てるような高位の者ならわかるつもりだった。しかしクロヴィスは彼を知らない。


彼の疑問を読み取ったのか、彼は正式な作法に則った挨拶をした。


「陛下がいらっしゃっているとは存じませんでした、ご挨拶もせずにとんだご無礼を。わたしはソリス王国のロディアス・ウェースと申します」


ソリス王国とはここメルシアンからひと月ほど馬車旅をした先にある国で、両国の関係は悪くない。

しかし、王都にあるとはいえ、このこじんまりとした孤児院に他国の貴族がわざわざ訪問する理由などなく、彼は一体、なにをしに来たのか。


するとクロヴィスと対面していたリディアーヌが彼の隣に立って言った。


「ロディとの婚約が決まりましたので、わたくし、間もなく、あちらに移り住みますの」


その言葉にクロヴィスは思わず息をのんだが、すぐになんでもない顔をして、


「それはおめでとう」


と言った。


「ありがとう存じます」


リディアーヌはそう言ってほんのりと頬を染め、未来の夫に飾らない笑顔を向けており、彼も妻となる女性に甘い視線を送っている。

ふたりが想い合っているのは明白で、何よりもそれを欲したクロヴィスにはまぶしすぎる光景だった。


「陛下、院長がお待ちです」


そこで側近のひとりに声を掛けられ、クロヴィスは我に返り、


「わたしはもう行かねば。シャイエ侯爵令嬢、どうかお元気で」


と言った。


「陛下も、どうぞお体をご自愛ください」


リディアーヌは淑女らしくお辞儀をし、その隣ではロディアスも最上位の礼をしている。


彼はこの日、長く続いた二度目の恋に失恋した。








その後、クロヴィスは誰とも結婚せず、生涯、独身を貫いた。

可もなく不可もない治世を三十年弱、布いた後、叔父の家系からひとりを選んでもらい、その男性を次代に任命すると早々に王位を譲った。


王領の片隅にある小さな屋敷で、クロヴィスは静かな隠居暮らしをしている。

彼のジャケットの内ポケットには今でも、リディアーヌが薔薇の刺しゅうをしたハンカチが入れられている。

これでおしまいです。


いつも拙作をお読みくださる(方がいらっしゃいましたら)、ありがとうございます。

また次の作品でお会いできることを祈って。

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