14.リディアーヌの失恋
ヴァウラとの茶会のあった翌週はリディアーヌとのそれが予定されていた。しかし前日に届いたリディアーヌからの手紙には茶会の中止が提案してあった。
『連日の茶会や公務でお疲れのことと推察いたします。わたくしとの時間は殿下の休息の為にお使いください』
リディアーヌもヴァウラのほうが王太子妃に相応しいと考えているのだ。
なんの力も持たないどころか貧しいと揶揄されるシャイエの娘では足かせにしかならない。現に式典では、クロヴィスと一緒にいないリディアーヌには誰も話しかけてこなかった。
対するヴァウラは長く外国に住んでおり、多くのコネクションを持っていると聞く。彼女が式典の場にいたら、きっと声をかける人が後を絶たなかっただろう。
ヴァウラが立候補してからもリディアーヌの妃教育は続けられていたが、その内容も難しいものへと変わってきていた。
外国語だってヴァウラならわざわざ学ぶ必要もないが、リディアーヌはまだ挨拶程度しか理解できていない言語もある。知識も社交術も妃に足りていないことはリディアーヌが一番よくわかっていた。
そもそも他に誰もいなかったから婚約者候補になっただけで、クロヴィスに相応しいから選ばれたわけではない。
クロヴィスとの茶会が予定されていた日、リディアーヌは部屋で刺しゅうをして過ごすことにした。孤児院のバザーに出すためのハンカチだ、クロヴィスとの縁が切れても孤児院への支援は続けるつもりでいた。
黙って刺しゅうをしているリディアーヌにメイドが聞いた。
「お嬢様はこれでよろしいのですか?」
顔を上げたリディアーヌが見たのは、可哀そうになるほど悲しそうにしているメイドだった。
「わたしは、殿下とこの国の安寧を願うだけよ」
リディアーヌはそう言って微笑むと、また刺しゅうに目を落とした。
それからひと月ほどして、ヴァウラとクロヴィスの婚約が内定した。それに先立って、リディアーヌはクロヴィスからの呼び出しを受けた。招待ではない正式な登城命令ならばリディアーヌも従うしかない。
王宮の奥まった一室に通されるとそこにはすでにクロヴィスが待ち構えていた。
「やっと会えた」
そう言った彼は初めて顔合わせをしたあの日のように憔悴しているように見えた。
席に着いたリディアーヌに茶が出され、給仕係が声の聞こえない位置にまで遠ざかるとすぐ、クロヴィスは口火を切った。
「父上がサーサル侯爵令嬢との婚約を決めてしまった」
「わたくしもそう聞いております」
リディアーヌには既に、王家から多額の慰謝料が届くとともに、その決定が知らされている。
「わたしは君と別れたくはない」
クロヴィスの声は震えており、それにリディアーヌは胸が痛んだ。それでも言わなければならない。
「アルロー公爵令嬢のときも殿下はそう思われたのでしょうが、きちんと乗り越えられたではありませんか。今度もきっと、大丈夫ですわ」
「何故、そんなことを言うんだ。君がわたしの言葉に頬を染めていたこと、わたしが気づいていないとでも思ったのか?あのときのわたしがどれほどの喜びに打ち震えていたと思う?本当の運命はリディアーヌ、貴女だったのだと!」
クロヴィスの瞳からはついに涙が溢れた。
妃教育の中で、リディアーヌは王族は決して感情を表に出してはならないと教育を受けた。彼もそれは教わっているはずなのに、隠そうともしないその涙に深い絶望が伝わってくるかのようだった。
「わたくしのことはどうぞお忘れください。サーサル侯爵令嬢を大切になさって。殿下の治世には必要な方です」
「ならばわたしの心は?王の安寧はどうでもいいというのか?」
絞り出すような声で心の内を吐露するクロヴィスを前にリディアーヌは何も言えなかった。口を開けば自分も泣いてしまうと分かっていたからだ。
初めてクロヴィスと出会ったデビュタントの夜。あの瞬間からリディアーヌの心は彼に奪われていた。リディアーヌの初恋はあの後、あっけなく終わりを迎えてしまったけれど、王宮の回廊を彼のエスコートで歩いた思い出は何よりも輝かしい一幕となった。
数年後にその彼と婚約者として邂逅する日がくるとは思ってもみなかった。
ミラリアを失った彼は現実を直視できないほどに気落ちしていた。裏切ったのは彼女が先だというのに彼はその事実を捻じ曲げていた。だが、そうしないと心の平穏が保てなかったのだとも思う。
式典の間、危うい言動を繰り返すクロヴィスのフォローに奔走したのも、すべては彼を想うが故だ。クロヴィスはメルシアンの王太子という肩書を背負っている。その彼が失態をおかせば国そのものが危険にさらされてしまう。
リディアーヌは長年、事業を営んできた経験からオルガが危険因子であることを無意識に感じ取っていた。夜会に出席していたリディアーヌと同じく商売を営む貴族にそれとなく帝国の様子を聞いてみるときな臭いことがわかった。
デュエリ家はもちろん、帝国の上層部も表面上は何もないかのように取り繕っていたが、下世話な噂というのは下々のほうが早く広がる。リディアーヌが耳にしたのは、次期帝位の簒奪をオルガが画策している、というものだった。平民が好む眉唾ものの噂を鵜吞みにするつもりはなかったが、その視点から眺めてみるとオルガの動向はいかにも怪しくみえてくる。
クロヴィスの行動のすべてを公の記録として残そうと提案したのは彼の側近のひとりだった。プライベートな時間も事細かに記録する事になる為、周囲は渋っていたが、あの時点で婚約が内定していたリディアーヌがそれに賛成したことで決定となった。
その判断は結果としてクロヴィスを、そしてメルシアンを救い、脅威は去った。
実質の婚約者になってからも、忙しさを理由に積極的な交流を避けてきたリディアーヌだった。それはクロヴィスに面と向かって拒否をされたくはなかったからだ。
『お前のような貧乏貴族がわたしの妃になれると思うな』
いつかそう言われる日がくるのだと、リディアーヌは彼との時間を共有したいと思う反面、逃げていたのだ。
それが急に彼から茶会の招待状が来て、贈り物まで届くようになった。こんなことをされてはクロヴィスもリディアーヌを望んでくれているのかと錯覚したくなってくる。
その想いに応えようという程の自信はなかったが、それでも婚約式は王族らしく豪華なものにしようと決意した。彼と共に歩むのならば、貧乏侯爵の娘だと揶揄われることにも耐え抜いていくべきだと考えられるようになった。
それなのにクロヴィスは無理をする必要はないと言い、国内の周遊をしようと言ってくれた。旅行記を読んではどこかに行ったつもりになることを楽しんでいたリディアーヌにとって、本物の旅行など褒美でしかない。
「よろしいのですか?」
「もちろんだ、君の望みはできるだけ叶えたい」
クロヴィスに浮かんだ微笑みは、デビュタントの夜会で愛するミラリアに向けていたそれと同じだった。
『わたしにもあんなふうに想っていただける日が来たら』
消え失せたはずの初恋が再び息を吹き返し、リディアーヌの胸で鼓動を始めた瞬間だった。
しかし、現実は非情だった。
彼にはリディアーヌではない別の婚約者が用意された。たぶん、リディアーヌは対オルガ用に仕立てられた婚約者だったのだろう。長く正式な婚約契約に至らなかったのはそういうことだったのかもしれない。万一、リディアーヌがオルガの、そして帝国の怒りを買ったとしても、責任を取らせる形で首をはねればいい。貧乏侯爵家の令嬢の存在価値などゼロに等しいのだから。
無事、オルガの脅威が去ったところで本物の貴族令嬢が婚約者としてやってきた。知識は豊富で所作も美しく、後ろ盾のしっかりとした本物の貴族令嬢。
「クロヴィスの治世を思うのならば身を引いてほしい」
シャイエ侯爵とリディアーヌは国王直々に頭を下げられ、その座を降りることになった。
クロヴィスはリディアーヌと別れたくはないと言ってくれた。彼にとってサーサル侯爵令嬢は三人目の婚約者、また一から関係を築き上げることに彼も疲れているのかもしれない。
「きっと大丈夫です」
リディアーヌはそう答えるだけで精一杯だった。
こうして、リディアーヌの二度目の恋は終わりを告げた。
無心で針を動かしていると時間はあっという間に過ぎていく。
「お嬢様、もう夕方になります。そろそろ室内にお戻りください」
クロヴィスとの婚約の話がなくなり、リディアーヌは領地に戻ってきた。
彼女が王都に行ったあと、担当していた事業は伯父の息子に引き継がれており、リディアーヌの仕事はなくなっていた。それどころか令嬢のリディアーヌまでが事業に駆り出される必要がなくなったのだ。
誰もが辞退したクロヴィスの婚約者という役をリディアーヌが引き受ける代わりに、シャイエ侯爵は多額の支度金を申し出た。王家としてもシャイエの貧窮へテコ入れを考えており、尤もらしい理由を探していた状態だったから、支度金の請求は渡りに船となった。
侯爵は王家から受け取った資金の大半を領地の事業に回し、経営は上向きとなった。あとはひたすら金を儲けるだけの状態になったというのに、彼らはまた、新しい事業を始めようとしている。
そういうところがシャイエ家らしいといえばその通りなのだが、ともかく、それが大コケするまではリディアーヌの出番はなかった。
そこで彼女は、王都の孤児院に送るハンカチへの刺しゅうをして過ごすことにした。バザーで売りに出してもらえば院の運営資金として役に立つはずだ。未来ある子供たちにはより良い環境を与えてやりたい。その為のお金は、いくらあっても邪魔にはならないだろう。
「もうこんな時間なのね、今日は終わりにするわ」
そう言ってリディアーヌはテーブルの上にやりかけのハンカチを置いた。
そこには新聞が置かれており、クロヴィスの公務の様子が一面を丸ごと使って、報じられていた。
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