声無き少女ミシトと将来の歌姫フィーリエ
「ねえ! あなたよくこの病院に来る子よね! 一緒に歌わない?」
「!」
素敵な、楽し気な歌声につられて待合の合間に中庭に一人やってきたミシト。こっそり中庭の入り口から隠れるようにその歌う少女の姿を眺めていたら、その艶のある長い金髪の快活そうな少女の方から声をかけてきた。ミシトは予期せぬことにいつも大事に抱えているノートとペンをいつも以上に強く抱きかかえて硬直してしまった。何か返事をしなくては。でも、声が出ない。
「ぁ……ぇ……」
「どうしたの? そんな端っこにいないでこっち来なよ!」
と言いつつ彼女の方からズンズンとミシトの方に近づいてくる。活力の塊のような存在が自分に近づいてきて圧倒されるばかりであった。
──どうしよう! こういう時は……。
ミシトはノートを開き、何も書かれていないページにペンで急いで文字を書く。その様子を金髪の少女は不思議そうにのぞき込んでいる。
わたしは、こえがうまくだせません。そうなんとか書いて金髪の少女に向けノートを開き見せる。
「なになに? わたしは、こえがうまくだせません。なるほどね~」
金髪の少女はふむふむとその文字を読んでいく。これで彼女は自分に関わることはしなくなるだろうとミシトは思った。今までがそうだったから。しかし金髪の少女はミシトにとって予想外の行動をとった。ミシトのペンとノートをひょいと取り上げたかと思うと、何やら大きな文字で何かを書き始めた。そしてよしっと満足気に書き終えたその文字をミシトに見せつけた。そして快活な声で読み上げた。
「きにしない! ひつだんできるでしょ! よかったらいっしょにあそぼ!」
パッとまたノートに文字を書き始める金髪の少女。別に自分から話すのが上手く出来ないだけなので相手が筆談する必要はないのだが、彼女が自分に歩み寄ってくれている気がして仄かにあたたかく嬉しい感情が芽生えた。一文書き終えたらしく、堂々とノートに書かれた拙い文字を見せつける。そしてちょっと大げさに口を動かし読み上げる。
「わたしの、なまえは、フィーリエ! よろしくね! あなたは?」
満面の笑みが向けられる。フィーリエの笑顔は屈託がなく快活なものであった。そのぐいぐい来る勢いに圧倒されながらも自分と遊ぼうと歩み寄ってくれる存在に心が揺らいだ。あたたかく。ミシトはノートとペンをフィーリエから受け取ると、自分もノートの上でペンを走らせる。そして、やや顔を赤らめ照れながらもしっかりとフィーリエに見える様ノートを掲げる。それを嬉しそうに読み上げるフィーリエ。
「わたしのなまえは、ミシト。よろしくです……うん! よろしく! さ! 何して遊ぶ?」
それからだった。フィーリエとミシトが一緒に過ごし遊ぶようになったのは。その頃のミシトは何事にも積極的になれず大人しい子だった。声が出ないという事でそうなってしまったのかもしれないし、元来の性格だからかもしれないが。フィーリエは病院に最近入院し、治療をしているらしかった。そして入院生活に暇を持て余している真っただ中でミシトに出会った。フィーリエにとって自分と同世代でこの病院によく訪れるのはミシトだけだったらしい。歌声に惹かれたミシトと、一人でいたくなかったフィーリエ。二人の息が合うのは早かった。
出会った頃フィーリエに、どんな病気なの?とミシトが聞いたことがあったが、フィーリエは「病は気から! 大丈夫!」としか答えてくれなかった。時折胸を押さえて震えた息を吐いていたことを見たことがあったが、いくら聞いてもはぐらかすばかりであった。ミシトは診察で病院を訪れた時は必ず中庭へ、そうでなくてもお見舞いと称してフィーリエに会いに行った。あの歌声が聞きたかったから。あの眩しいくらいの快活さに触れたかったから。
「ねえミシト! 今日はどんな歌が聞きたい? どんな歌なら一緒に歌ってみたい?」
今日も今日とてフィーリエは快活にグイグイ来る。ミシトは呆れ笑いをしながらもノートにペンで言葉を綴り筆談する。フィーリエは書かれた文字はいつも律儀に音読するのであった。
「なになに? わたしはうたえないから、フィーリエがうたいたいうたをききたいな。だーかーらー! 私が今歌いたいのはミシトが思わず声が出ちゃうくらい、歌いたくなるくらいな歌なの! ちゃんとリクエストに応えてよー!」
ぷんすかご立腹な様子で腕を組むフィーリエ。ミシトは困り顔ながらもペンを走らせる。せっかく自分の為に歌ってくれるのだ。その気持ちに応えるのが礼儀だ。
「む、じゃあ、うきうきするような、おもわずおどりたくなるようなうたをおねがい……がってんしょうち!」
そしてスッと一瞬静かになる。フィーリエが歌姫に変わる瞬間だ。その瞬間がミシトはとても好きだった。ミシトの目には大きな幕が開き豪勢なドレスに身を包んだフィーリエの姿が見えた気がした。その情景はこっそりノートに描いている。それは誇れる友人の姿の記録であり、自分がそうなりたかったという密かな願望の記録でもあった。
フィーリエの声には命が宿っていた。その命が見せる数多の輝きが歌声として人々に届けられ、聴いた人の心を動かした。まるでとっておきのおまじないを聴いている人にかけているかの様であった。中庭の近くを行き交う人々はフィーリエの快活な歌声には笑顔を浮かべ、バラード調の歌には涙を浮かべている人もいた。ミシトもその一人だった。
歌い終え、わざとらしく深々お辞儀をするフィーリエに、ミシトはめいっぱい拍手をし、素敵だよ!と声を出そうとしたが声は出ない。歯がゆくも感じるがいつもの事なので、すぐさまノートに文字を書く。そしていつもの如く音読するフィーリエ。
「すてきだよ! しょうらいのうたひめだね! ……はっはっはっ照れるではないかー!」
そうおちゃらけたかと思うと、急に胸を押さえ、静かに呼吸を整えだした。ミシトは心配になりそっとフィーリエに触れる。するとすぐに快活な笑顔を向けてくれた。しかし冷汗が一筋流れていた。
「大丈夫! わたしは元気元気! なんたってわたしのファン一号ミシトがそばにいてくれてるんだからね!」
ミシトは嬉しかった。この快活な友人が、将来の歌姫が自分を認めてくれている事に。何か自分が返せることがないか思案する。するとある場所を思い出した。心安らぐ特別な場所を。ノートに文字を綴る。そこに何が書かれているのか覗き込むフィーリエ。
「ふむふむ。うたのおれいに、わたしのおきにいりのばしょにあんないしたい! けどびょういんぬけだせる? ふふふ! こっそり抜け出しちゃお!」
そうして、いたずらな笑みを浮かべたフィーリエを連れてミシトは時計塔へと向かった。
親が時計塔のメンテナンスをする仕事についている為、よく一緒に訪れていたミシト。とても長い階段が螺旋に伸びている。少女二人はその長さに息を僅かに切らせながらも、その先にある場所を目指し快活に上っていく。そして階段を上り終え、屋上に繋がる扉を開く。
そこはこの都市を一望に収められる場所っだった。時間は黄昏の時。優しく全てを包み溶かしそうな橙色が空を満たしていた。ミシトのお気に入りの場所。初めて誰かを連れてきた。ミシトはノートにペンを走らせようとした。しかし、その手をそっと、優しく押さえられる。どうしたのかとフィーリエの顔を見る。すると、今まで見た事の無いくらい、優しく、儚く、美しい表情をしていた。ミシトは時間の流れを感じないほど見惚れてしまった。フィーリエの引く手に導かれるまま、屋上の端まで移り、足を下ろし宙に出して腰掛ける。
声が出ない少女と、歌姫のような少女。手を繋ぎ、ただただ、都市の空に広がる黄昏を眺めていた。言葉はいらなかった。とても心地の良い時間の中、まるで二人がこの黄昏の中に溶けあって一つになっていく気さえしていた。
どれくらい時間が経ったのか、空は次第に闇色が降りてきていた。するとフィーリエが苦しそうに胸を押さえていた。ミシトは心配だがどうしたらいいかわからず、ただただ背中をさすってあげる事しか出来なかった。そうしていると落ち着いてきたのかフィーリエは冷汗を垂らしながらも笑顔を向けてくれた。
「大丈夫だよ。ミシト。ありがとう。素敵な場所に連れてきてくれて。この景色、大好きだな。ミシトと一緒に見れて、とっても嬉しいな」
立ち上がるフィーリエ。
「そろそろ帰ろ? みんな心配するし」
扉へ向かう。その後ろ姿が、どこか、壊れてしまいそうな儚さを感じてしまった。




