吹雪く日に
「くっそっ! ダメだ! この吹雪じゃ流石の俺でも凍え死ぬ! くっそ! くっそ!」
入り口のドアを一瞬だけ開けて現れた雪にまみれたウルバルは、急いで室内に入り込むとドアを吹雪く風に押されながらもしっかりと閉める。
「ウル……バル……。無理に食料調達に……出なくてもいいんだよ……」
か細い、今にも力尽きそうな声がウルバルの耳の届く。その声の主は、かろうじて燃えている暖炉の近くに用意されたベッドに横たわる兎の獣人であった。
ウルバルは体をブルブルと振り、体にまとわりついていた雪を豪快に落とす。その片手で抱えているものがあった。雪に埋もれていた、少し傷んでしまっているキャベツであった。
「なーに! 無理じゃねえよ! ラビル! 俺はタフだからな! これくらい問題ねえぜ! それよりほら食え! こんだけしか見つからなかったがよ! 食って寝て早く元気出せ! な!」
「……」
ラビルは横目でキャベツを差し出すウルバルの手を見る。その手は雪を深く掘り返したためにひどい霜焼けが出来ていた。そんなことはお構いなしにウルバルは大きな口をにっこりとして笑っている。
「ありがとうウルバル……。やっぱりキミは凄いよ……。僕の……憧れだよ」
「はっ! おま、急に何言って! 照れるだろ!」
急な尊敬の念を伝えられ、オーバーリアクション気味に手を忙しなく振り照れるウルバル。ラビルは咳き込みながらもその様子を穏やかに見入っている。
「僕らさ、獣人は、自分達のルーツに固執して、群れて生活してるけどさ……。そういうのに囚われないで、自分をさ……貫いてるウルバル……凄いなって。僕なんかと……仲良くしてくれたし……」
「別に俺は凄くねぇって! 狼ってルーツに誇りも感じてるし! 食い物の好みだって肉食由来そのままだし! ただ、気の合うやつと楽しく過ごしたいってだけの事よ! まぁ、無駄にルーツに固執して変な派閥争いみたいな村作ってるのは、なんかいけ好かないがな!」
「はははっ……そういうところだよ……」
力弱くも、笑顔を見せるラビル。呼吸は浅い。ウルバルはそのことに気づいていたが、今は会話をして活力を取り戻してほしいと思い話題を考えた。
「つーか、そういうルーツ全く気にしてない奴なら俺よかグリ坊だろ! あのお花畑! あいつ今どうしてるかな……」
「荒野の先の……恵みの街、そこでお店で開いてたら……僕も嬉しいよ」
「そうだ! ラビルよ! この吹雪く日々を乗り越えてよ! お前が元気になったら俺らも荒野の先の街に行ってみねぇか!」
「それは……素敵……だね。でも僕は、グリ坊やウルバルみたいに体強くないから……きっと荒野は乗り越えられない……よ。それに……きっと、僕はもう……」
「弱音は聞かねぇ。まずは食え。そんで休め。絶対大丈夫だ。このウルバルが保証する」
「ウルバル……」
ウルバルの顔つきは真摯でいて、力強い視線をラビルに向ける。そして傷んでいない部分の葉をちぎり、ラビルの口元へ運ぶ。ラビルはゆっくり、ゆっくりと、もそもそ葉を食べた。何とか飲み込むことは出来たが、差し出された次の葉を食べようとはしなかった。
「もう……いいんだよ。ウルバル」
「よくねぇ」
「……ウルバル」
「俺の方こそ、お前に憧れてんだよ。俺さ、結構強面だしよ、ルーツ固執してる奴らとはうまくいかなくて一人でいたのにさ、お前はさ、肉食動物起源だからってびびって逃げる他の獣人とは違って、俺、として見てくれた。話してくれた。一緒にいてくれた。グリ坊もそうだ。俺はお前らといると楽しいんだ」
「……」
「ルーツとしての先入観は誰だって持ってる。だがよ、そんなことより、今目の前の俺をしっかり見てくれるお前に、憧れてんだよ。感謝してんだよ。親友だと思ってんだよ。だから……生きていて欲しいんだよ」
「ウルバル……ありがとう……」
少し震えそうな声で思いのたけを伝えるウルバルと、消え入りそうな声をなんとか届かせようと口を開いたラビル。
ぐぅ~~~、と、豪快なお腹の音が響いた。それはウルバルからであった。ウルバルは慌ててお腹を抑えたり叩いたりして無理やり腹の虫を鎮めようとしていた。その様子を穏やかに、微笑ましく、ある決意をしてラビルは見ていた。
「ウルバル……」
「大丈夫! 俺はタフなんだからな!」
「僕のお願い……聞いて欲しいんだ」
「おう! なんだ! ドーンと言ってみろ!」
ウルバルはキャベツをテーブルに置き、片手を胸に当て、空元気を見せている。ラビルは弱弱しく、息を吸い込み、瞳を閉じ、開く。その瞳には親友ウルバルが写っている。
「僕が死んだら……さ、僕を……食べてほしいな」
「……何……言ってんだよ……ラビル」
「僕を食べて……欲しいんだ。キミが生き延びる……為に……」
ラビルは力無く微笑みながら言葉を振り絞る。その意図と、その思いはウルバルにも当然届いた。しかし、受け入れられるかは別であった。その顔は、泣きそうであり、怒りそうでもあり、どちらの感情も同時に湧きあがってきており、ひどく狼狽えたものであった。
「笑えねぇ冗談を言うな」
「本気……だよ」
「お前は死なねぇ。そんでもって俺も生きてこの吹雪く日々を越えるんだ。二人でだ」
「それは……無理……だよ」
「無理じゃねえ!」
理想論を、希望論を述べているだけだと分かってはいるが、ウルバルには一縷でも望みがあれば、いや、なくても二人生き延びる道しか考えないでいた。他の道は見たくなかった。考えるのが恐ろしかった。しかし、ラビルはか細い呼吸で命を繋ぎ止めながら、今自分が置かれている状況を理解していた。
「僕は……もう、だめだよ……ひどく……眠たいんだ……もう……」
「ラビル! おいっ! ラビルッ!」
「ごめんね……ウルバル……僕も……キミみたいに強かったらな……」
「ラビル……おいっ! 目を閉じるな! ラビル!」
瞼が静かに閉じていく。肩を抱えて揺らすも、その最後の眠りへの妨げにはならなかった。
「ウル……バル……キミが……生きるために……僕を……食べ……て……」
「ラビル……! ラビルッ!」
「それ……と、キミが……良けれ……ば……」
ラビルは最後の言葉を振り絞る。死の淵の飾りのない、ささやかな本心。
「僕を……時々……思い出してくれたら……嬉しい……な……」
瞼を閉じきったラビルの身体が全く力無く両手から垂れ下がる。それは死者の重み。そして、死者の臭い。紛う事無き、親友の死。湧きあがる感情は悲しみという言葉では形容出来ない、様々な想いが体を螺旋に駆け巡り、嗚咽と涙を促してくる。ウルバルは泣き叫ぶことも出来なかった。声が詰まる。思考が滞る。
ぐぅ~~~。
「あっ……! あぁっ……!」
感情とは別に、空腹は限界まで襲ってくる。自分の生命すら脅かす。目の前には、本来の好物である獣の肉が。
──僕を食べてほしいな。
頭に過る親友の声。ウルバルは、震えながらも牙を剥き、口を大きく開く。瞳から大粒の涙が溢れ流れだす。
──すまねぇ……すまねぇ……絶対……絶対生きて……お前のこと忘れねえから……! すまねぇ……!
吹雪く森の中、雪に埋もれるように一軒のウッドハウスがある。窓からは仄かに暖炉の焚火の光が漏れている。そこに獣人が肉を喰らうシルエットが映し出されていた。
その日、狼の獣人ウルバルは、親友を喰らった。




