呪いとは
アイシャは先程まで読んでいた書物を手に取りページを捲っていく。そしてとあるページを開き、ふたりに聞かせるように読み始めた。
「呪いとはその多くがこの世の理に背き、反するほどの強い意志、思念、感情の残り香と言えるだろう。呪いが生まれるきっかけは、そういった心ある者たちの魂が消える時、すなわち死に至った時に新しく生じる。その場合、その呪いに因果がある者へ刻まれるか、その者が亡くなった地へ根差し、異境を生じさせる。この性質はまじないにも共通しているところもある。私は心ある者の魂の、意志の、感情が生み出す可能性を信じたい。まじない、いや、呪いだとしても一人でも多くの人の未来に笑顔を与えられるなら……」
アイシャはそこまで読むと日記を閉じた。
「これは私の師であるクラーク先生の日記に記されていることよ」
「ほぅ、クラークはそんな日記を書いていたのか」
「アイシャ先生……サーロは新しく生まれた呪いに魅入られたわけではないのですよね……」
「えぇ、呪いは継承されるものなの。死を通じてね」
「呪いとは凄いものだな。つまり起源となった者の思念はそれほどまでに強いものであるというわけだ」
「……」
サーロは首の紋様を手で押さえ、なぞり、思う。この呪いはどんな者の思念から生まれたのだろうかと。
「アイシャ先生、渇きの呪いって……けほっ……どんな呪いか知っているんですか?」
「えぇ」
アイシャは書架から古い文献を一冊取り出した。ほぅ、と、ガレアは小さく声を漏らした。
「この本は昔世界を旅したひとりの旅人が記したものよ。そこには多くの冒険譚と共に、彼が知った呪いやまじないについても書かれてるの」
「旅人……どんな方なんですか?」
「この旅人の語りは私としか書かれてなくて、名前は分からないの」
「……」
ガレアはその本を見つめながら、どこかここではない場所と時間に思いを馳せているようであった。
「その中にサーロが魅入られた呪いと似た性質のものについても記されているの」
「そこに私の翡翠の涙以外に治せる術は書いてありますか!?」
「いいえ、治す術は……この旅人がその渇きの呪いに魅入られた人物を観察したことだけ書かれているの」
そう言うと、アイシャはページを捲りながら、読み聞かせるよう語り出した。
「その者は渇いていた。肉体も心も。その首に刻まれた呪いは、耐え難い渇きの苦しみを与え続け、何もしなければ死を招くものだと私は分析した。しかしこの呪いに魅入られた者を観察し気付いたことがある。この者は生に、生きることに渇望しているのだ。呪いに苦しみながらも、生きることへの執着が尋常でなかったのだ。それは呪いの副作用のようなものと私は考える。しかもその渇望は肉体と心に多大な影響を与えていた。その種族としては考えられないほどの膂力を持ち合わせ、その力で自身の生を脅かす者へ破壊衝動を向けていたのだ。呪いとは実に奥が深い。負の面だけとも言い切れないのだ。私が推察するにこの呪い、渇きの呪いと呼ぶことにしよう、は、生きたいと強く渇望した者の命が理不尽に失われたことによって生まれ、土地に根差し異境を生じさせ、その地へ訪れ共鳴した者に宿るのだと。この呪いがもたらす膂力は私も目を見張るものであった。その力が欲しいとも。しかしやはりこの呪いに魅入られたくはなかった。長生きは出来なさそうなのは嫌だし、何より自分本来の力であの人に挑みたい……ここまで位でいいかしら?」
サーロとティアラは息をのんだ。ガレアは表情を変えず聞き入っていた。
「これが、渇きの呪いについてよ。死に至らしめる。これはもちろん恐ろしい事。それよりも、サーロ……あなたにとって辛いことは……」
「僕が、僕でなくなり、みんなを傷つけてしまうかもしれないという事ですね」
「サーロ……」
ティアラはサーロを心配そうに見つめる。アイシャは眉間に皺を寄せながらサーロを真っすぐに見据える。
「えぇ、その可能性はどうしてもあるわ……心まで変えて自分でも行動を制御出来なくなる……渇きの呪いの怖さよ」
「それが少年、サーロをあまり他の人に遭遇させたくなかった理由だよ」
ガレアは腕を組みながら、声を低めにティアラとアイシャに諭すように話しかける。
「ここまで来るときに少しガレアさんから聞きました。僕が僕でなくなり、自分を制御できなくなるかもしれないと。アイシャ先生の話を聞いて分かりました。今の僕は……街のみんなを危険に曝すかもしれないって……」
「サーロはそんなことしない! 私がさせないから!」
ティアラはサーロの元に駆け寄り、その手を力強く握る。泣きそうな面持ちをするふたり。ガレアは腰に手を当て、アイシャを見やる。
「こういうわけだ。ここ、アバンダンシアに長居して、呪いに耐えきれずサーロが望まぬ事をしてしまい、大切な人々を傷つける。そういった筋書きは私は好きではないのでね。だからこそ、旅を提案したのさ」
「しかし……この街から出ていくにしても危険だわ。この街の周りには……」
「知ってるとも。私はそこを通ってきたのだからね。だからこそ」
そこまで言うとサーロとティアラに近寄り、ふたりの頭に優しく手を乗せる。
「私がふたりの旅に同行しよう」