迫る狂人
「いやー! 助かったわよー! はぁっ! 死ぬかと思った! なんてね!」
遭難して海岸沿いに流れ着いた妙齢の女性。首には太めのチョーカーを付けていた。ティアラとサーロは二人で家まで運び介抱し、先程目を覚ましたのだが、やけに明るいというか、テンションが高い。
「ありがと、ありがとねー! 溺れ死ぬかと! まぁそんな事無いとは思うけど!」
「はぁ……お元気そうなら何よりです」
「うん……」
「で、ここどこよ!」
あっけらかんとしていて、どんどん自分のペースに少年少女を巻き込んでくる。
「ここは……アバンダンシアという街から離れたところにある僕達の家です。僕はサーロと言います」
「私は……ティアラです」
「そっかそっかー! アバンダンシア! うん知らねー! まぁいいけど! でさ! いきなりだけど私の事話していい? いいよね! オッケー話すよ!」
テンションが高い。起きたすぐは鬱蒼とした表情を浮かべて、すべてを憎んでいるかのような眼をしていたが、ティアラを見るとその態度は一変した。そうして今の調子に至る。
「私さー、あ、名前はカーテね! ほんと困っててさー! ヤバいくらい! で、そのためにとある商品欲しくて依頼してたんだけど、全然届かなくてさー! なんかその商品乗せた船が失踪したとかで! 困るわ! で、探しに海に出たけどさー! ぼろ船過ぎて途中で難破したからね! ウケる!」
妙齢の女性カーテの隣の席で事情を親身に聞き入るティアラ。自分がサーロに助けてもらった時にしてくれたように。サーロはお茶を入れようと席を立ち、炊事場へと向かう。
「あ、困ってるというのはねー! 喉がさー! めっちゃ渇いて渇いてもう死ぬー! って感じ! まぁ死ぬ気ゼロだけど! 生きたくて生きたくて仕方がないけど!」
「それは……病気ですか?」
ティアラはこの人の異様に陽気な態度に不信感を抱いていたが、心配にもなった。
──辛い病気だからこそ、無理して明るく振舞っているのかな?
「ううん、病気じゃなくて」
カーテの顔はとても笑顔だ。微笑んでいる。しかしとても無機質なものであった。
「呪いなの」
「ティアラ!」
サーロがカーテに向かって駆け出す。血相を変えて。しかしカーテは動揺することなく、ゆっくり椅子から立ち上がる。
「あんたは邪魔。どけ」
「かはっ!」
サーロはカーテが振り払った腕で炊事場まで勢いよく吹き飛ばされた。その見た目からは考えられないほどの力をカーテは持っていた。ティアラは一瞬思考が固まる。カーテの態度の変容。呪いに罹っているという事。サーロを吹き飛ばしたこと。
「サーロ!」
ティアラはほぼ無意識にサーロの名を叫び、飛ばされたサーロの元に駆け寄ろうとした。しかしそれは叶わなかった。自分の髪を力強くカーテに鷲掴みにされたからだ。
「きゃっ!」
「そう! あんたよ、あんた! 私にはわかるは! あんたクウェンチエルフでしょ! そうでしょ! そうだよね! やぁぁぁぁぁっと見つけたわよ! クウェンチエルフちゃーん!」
ティアラは髪の毛を鷲掴みにされ、足が地に着かない。頭を掴む手を必死に振りほどこうとしてもびくともしない。
──痛い……怖い……! この感覚は……あの時と同じ……!
「あんたの翡翠色はどこかしらー!」
「いやっ! いやぁーっ!」
あの時、里のみんなが殺され、仕打ちを受けた光景をティアラは鮮明に思い出してしまった。涙が滴り落ちてしまう。それは、今まさに自分を襲ってる者が望んでいた翡翠色である。
「え? うそ? うそ! うそ!! 涙に翡翠色が!? 最高! 最高じゃない!! ひゃっほーーー!」
カーテは悦楽に浸っていた。そして首のチョーカーを引きちぎり投げ捨てた。そこに隠れていたのは、鮮やかな血の色をした奇妙な紋様だった。
「この渇きの呪いからやーっと解き放たれるのねっ! やっと……やっと!」
カーテは天を高らかに望む様に顔を上げ、狂喜し、感極まってしまっている。
「さて、どうやってもっと泣かせようか。骨折る? 髪の毛引きちぎる? それとも……」
よろめきながらも立ち上がろうとするサーロをちらと見る。
「あんたの連れ、殺しちゃう?」
──そんな、やめて、やめて! やめて!!
翡翠色の涙がとめどなくこぼれ落ちていく。その様子を歓喜し眺めるカーテ。
「そうよ!! 泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いてっ!! 私に涙を飲ませなさい!!」
突然、ティアラはカーテの手から解放された。状況がすぐには呑み込めなかった。サーロが刃物をカーテに深く刺していたのだ。
「……あは、あははっ! あはははははははははっ!!」
カーテは血を吐き出しながら何故か高笑いをし始めた。喉が張り裂けそうなほどの声を上げている。サーロは悲痛な、しかし怒りのこもった表情をしている。ティアラが一度も見た事の無い表情であった。
「殺されちゃったかー!! 生きたかったなー! ゲホッ……」
「はぁ……はぁ……」
「サー……ロ?」
「でも、ありがとう}
「え……?」
ティアラは理解できなかった。カーテの言葉が。サーロはまだ力強く刃物を握りしめている。そんなサーロの方へカーテは振り向く。刃物はカーテの身体から抜けた。優しい顔を、カーテはサーロに向ける。無機質でなく、どことなく憐れみと温もりを感じさせる微笑みを。
「渇きの呪いから……自分では逃れられ……ない、がほっ!! 解放してくれて……」
血を吐きながらサーロの頬を両手で優しく包み込む。動揺して動けず息を荒くするサーロ。そしてティアラも。
「可哀そうに……あなたは、これ……から、生を求める渇きに……苦しむ……の……」
そういって力尽きカーテは倒れた。首の紋様が紅く光った。その紋様は死人となったカーテの首から離れ、宙を流れて、サーロの首に新たに紋様を刻み込んだ。
「あっ……が……!!」
それは、渇きの呪いだった。