放課後サツマイモ
秋の風は切ない……とか意味深な事を言っておけばカッコイイと思っている僕がいる。
実際、秋の風は切ないと感じる人が多いのではないか。想像してみてほしい。
放課後の教室、窓から入ってくる寒くも暑くも、弱くも強くも無い風。どこか眠気を誘うその風に乗って、運動部の練習前のざわめきが聞こえてくる。吹奏楽部からは演奏する前の……なんだっけ、あれ、チューニングするみたいな奴、あれが聞こえてきて、まさに放課後。誰が何を言おうが時間的に放課後。
そんな時間に、僕は一年のくせに三年の教室で黄昏ていた。教室には僕一人。
あぁ、切ない。別に何か失ったわけでも無いのに切ない。いや、そもそも切ないってどんな時に使うんだ?
「……えーっと……」
スマホで切ない、を検索してみる。検索履歴に出てきたのは
『切ない→胸が締め付けられる思い。例文、失恋して切ない思いをする』
ほう、悲しいとな。
やっぱり今の僕には関係ない。失恋なんてする前に恋してないんだから。なら今この心地のいい眠気の誘う放課後の風を、切ないと表現するのは如何なものか。もうそのまま、眠気を誘う風でいいじゃないか。実際なんか眠いし。
だったらさっさと帰ったらどうだ、と誰もが思うだろう。しかし今僕は先輩を待ちわびている。放課後、学校が終わったら一緒にいつもの喫茶店へ行こう、と約束をしたからだ。しかし先輩は別の先輩に呼び出され、どこかに行ってしまった。僕は一年なのに三年の教室で留守番。あぁ、切ない……。
いやいや、切ないという言葉は相応しくないとたった今……
その時、誰かが教室へと入ってくる気配を感じた。待ちわびた先輩だ。
長い黒髪に僕より少し背の高い三年の菫先輩。名前から分かる通り女子の先輩。男子でも菫という名前は居ない事もないだろうけど、まあ女子の方が多いだろうたぶん。
「おかえりなさい、先輩」
菫先輩は喉の病気で声を発する事が出来ない。全くできないわけでは無いが、喉に悪いので喋る事を控えている。そんな菫先輩との会話方法は……筆談だ。不謹慎かもしれないが、僕はこれが大好きだったりする。
菫先輩は胸元からメモ帳を取るなり、サラサラと何か書いて僕へと見せつけてくる。最近はスマホとかあるんだから、それでもいいじゃないかと思ったそこの人、驚くがいい、先輩は携帯電話自体持っていない。
「どうしたんですか先輩、結構時間かかって……」
先輩から見せられたメモを読みながら……読んでて絶句した。
そこには
『告られた』
※
いつもの喫茶店へと赴く僕と先輩。その喫茶店は僕が幼稚園の頃から通っている所で、老夫婦が経営している。見た目は木造の古い家っぽいが、最近イノベーションをしたと自慢げに語っていた店主。自慢げに言うだけあって、店内は綺麗になっていた。夜になればBarに出来るのでは、というくらいにオシャレに。
「おかえり、美影」
ちなみに美影というのは僕の名前。激しく中二病くすぐる名前だが、安心してほしい。僕は無事中二病を発症し、今現在、高校一年生になっても引きずっている。
「ただいま……」
カウンターにバーテンダーの服を着て立っているのは七十を超える爺ちゃん。僕の爺ちゃんでは無いが、僕は爺ちゃんと呼んでいる。幼稚園の頃からそうだ。ちなみに実の爺ちゃんは既に他界している。
僕と先輩はカウンターのいつもの席へと隣同士で座る。なんだか店内はコーヒーの香りとは別に、甘い香りが漂っている。これは……なんだろう、凄い嗅ぎ覚えがあるんだけども。
「どうした、元気ないな」
爺ちゃんはカウンターの中から僕らへと話しかけてくる。注文を取る為ではない。僕達の注文は既に決まっていて、それを爺ちゃんは当たり前のように出してきてくれるからだ。僕はココアとシュークリーム。先輩はブラックコーヒーとシュークリーム。
「おい、美影。もしかしてお前……失恋か?」
バッ! と先輩の好奇の視線が僕に向けられるのが分かった。同時に光の速さでメモ帳へと『そうなの?』と書いて尋ねてくる。勿論僕は否定……したいのだけれど、これは……この気持ちは……っ
「……し、失恋じゃない……よ」
「そうか、美影もとうとうそんな歳に……まあ元気出せ、そして全部吐き出してしまえ、俺が聞いてやる」
聞いてやる、というより強制的に事情聴取する気マンマンじゃないか。というか先輩まで凄い目をキラキラさせているし……このひとたち、こわい!
「失恋じゃないってば。そ、それより先輩……さっきの話、どうするんですか?」
「なんだ、さっきの話って」
先輩はメモ帳へとサラサラと綺麗な字で爺ちゃんへと筆談を。爺ちゃんはそれを見るなり、一瞬僕へと視線を泳がせる。なんだ、先輩なんて言ってるの?
「……あぁー、あぁ、まあ、あぁー」
おい、なんだ、何が起きてる。
爺ちゃんは場を誤魔化すようにコーヒーを淹れ始め、僕は先輩のメモ帳を盗み見ようとするが……先輩は次の筆談を既に書き始めていた。
『断るつもりだよ』
あ、そうなんだ……。
っていうかまだ返事してなかったのか。
『ところで、美影君の失恋の相手は?』
流れるような筆談、かつ丁寧で美しい字。感銘を受けました。というわけで僕はこの辺りで失礼をば……。
『まてぃ、逃がさないわよ』
鞄を持って帰ろうとする僕の襟首を捕まえる先輩。僕は猫では無い、そんな所を掴まれても……いや、先輩に掴まれたら僕はもう猫より大人しくなる。
それはなんでだろう。先輩に気を使っているから? 先輩は声が出せない。そんな先輩を一人、この老人の前に放り出して帰るなんて出来ないと思っているからだろう。
「ほら、美影。ココア」
「あ、ありがと……あれ、シュークリームは?」
「婆さんが今作っとる。お前達には実験台になってもらう」
なんか人体実験が始まろうとしている。
なんだ、まさかまた新しい味のシュークリームを? 夏に出したスイカ味のシュークリームはちょっと微妙だったから、素直にいつものがいいと言ってしまった。ちょっとしょんぼりする婆ちゃんが可哀想だったから、今回はちょっと言葉に花を添えよう。
「今回はな、サツマイモ味のクリームだ。まあ、よくあるだろ」
「あぁー、それ美味しそう」
「ああ。だから実験するまでもないんだが……今日は俺の奢りだ」
シュークリーム一個サービスとは、太っ腹な。
「ところで美影、今は楽しいか?」
「え、何いきなり」
「楽しそうだな。それは何でだと思う?」
何でって……何でだろう。というか今楽しいか? なんて言われても、まあ……別に楽しくないわけじゃない。こうして先輩と一緒にいるだけで……って、何考えてるんだ僕! せ、先輩はそんなんじゃ……
そんなんじゃ……
先輩の方をつい見てしまう。
僕の視線を感じて、先輩は首を傾げながら笑顔で、僕を見てくれる。
やばい、変態みたいだ。なんか……なんだろう、このきもち……。
「……先輩……可愛い」
ってー! ぎゃあぁぁぁあ! 僕何いってんの、何いってんの!
やばい、やばい、ヤヴァイ!
「美影、お前、いつのまにそんな成長を……」
「いや、あの、ちがっ……違わないけど……! その、えっと……」
思わず再び先輩を見てしまう。
先輩は……え、なんか突っ伏してる。カウンターに顔を沈めている。どうした。
「先輩……?」
「美影、ほら、シュークリーム」
ほっかほかのシュークリームがやってきた。なんかクリームが暖かいのか?
滅茶苦茶いい香りがする。
「先輩……シュークリーム……」
先輩はバッと顔をあげ、そのまま僕の分のシュークリームまで奪い去ってしまった。
あぁ、僕の……
「あの、先輩……それ僕の……」
先輩はシュークリームを奪いつつ、メモ帳へと何やら筆談を。
そしてそのボールペンごと、僕へと渡してきた。書けと言う事か。
えっと、何々……
『月が綺麗ですね』
……え、いや、夕方だし……今。
違う、これは……えっと……その……
そう、夏目漱石だ。文学好きを自称する以上、知らないわけがない。
そしてそれに対する答え……それは……。
僕はその言葉を……書いていいのか?
先輩だって冗談で書いてるんじゃないのか? いや、絶対そうだ、急展開過ぎる、僕の失言でいきなりこんな事になるわけがない。
でも、適当に書いて……終わらせるのは嫌だ。
僕の文学魂を総動員して、ユーモア溢れる、それでいて誠実な返し方を……
『……ずっと先輩と居たいです』
何故か僕はそう書いてしまった。
ここは死んでもいいわとか書くところだろう、夏目漱石的には。
いや、っていうか、僕何書いて……
すると先輩は僕へとシュークリームを手渡してくる。
僕はそれを受け取りつつ、ゆっくり頬張った。もう頭がグルングルンして何が何だか……
「美影、クリーム」
「え? ぁ……」
頬にクリームが付いてしまったようだ。それを指ですくおうとしたとき、先輩にその手を止められる。
「え、せんぱ……」
違う甘さが口に広がった気がした。
恐らく先輩は、僕の頬を狙ってきたのだろう。でも僕がジャストなタイミングで振り向いてしまったから……いや、ぶっ倒れそう……。
もう……死んでもいいわ……