第31話:次なる場所へ
打ち上げの後、三菱ハヤトと話をしてから日が経つ。
朝一の教室、金髪の友人ユウジから、衝撃の情報を耳にする。
「ライタ、お前は来週から、A組に特別昇格になったんやで! あと、“あの三菱ハヤト”が今の事務所を辞めて、他校に転校になったんやで!」
「えっ? え? え? ど、どういうこと⁉」
寝耳に水、とはこのこと。
しかも情報量があまりにも多すぎて、オレは混乱状態に。何が起きたか理解できずにいた。
「やっぱり、知らんかったのか、ライタも? とりあえず、廊下の掲示板に見にいくで!」
「あっ、うん」
混乱状態のままユウジにけん引されていく。廊下の掲示板コーナーに向かう。
ガヤガヤ……ガヤガヤ……
まだ朝早いというのに、掲示板の前は人だかりができていた。
掲示板に張られた一枚の紙を、誰もが見ているのだ。
「あの紙や。ちょっと、遠いけど、見えるか?」
「う、うん。視力は悪くはない方だから」
健康的な人生を送っているので今世の視力は2.0。人混みの越しに、掲示物の内容を確認していく。
「えーと……内容は……」
掲示物には二つのことが書かれていた。
――――◇――――
・D組の市井ライタは“特別推薦制度”によって、来週からA組にクラス移動可能。
該当者は至急、職員室に来るように
・またA組の三菱ハヤトは諸事情により転校。
――――◇――――
簡潔に説明にすると、こんな感じの内容だった。つまりユウジの話は本当だったのだ。
「本当に、オレとハヤト君のことが書いてある……でも、どうして急にA組に昇格可能になったの⁉ あと“特別推薦制度”って何なの?」
だが記載されている内容は、事務的に最小限な情報だけ。細かい説明もまだ受けていない。
いったい何が起きて、どういうことなのだろう?
あっ、そうだ。
学園の情報通のユウジなら、何か詳細を知っているかもしれない。
「ねぇ、ユウジ……これはどういうことなの?」
「うーん、そうやな。噂によると“特別推薦制度”は『学年の成績上位者が、同じ学年の者を上のクラスに推薦できる』……たしか、そんな隠し制度らしいはずや」
「えっ? 『学年の成績上位者が、同じ学年の者を上のクラスに推薦できる』……って、つまりオレは誰かに推薦され、ってこと?」
「ああ、そうやな。ワイも実際に見たのは初めてやから、詳細は不明やな」
勉強やスポーツとは違い、芸能活動は順位を正確につけにくい。そのため“特別推薦制度”は芸能科ならではの特別な制度なのだろう。
「そっか……そうなんだ。あっ! あと、ハヤト君のことは何か知らない、ユウジ? 今の事務所を辞めて、転校ってどういうことなの⁉」
「三菱ハヤトのことか? 今朝の採れたての情報によると、何でも奴は『自らの意思で《エンペラー・エンターテインメント》を退所』したらしいで」
「えっ……《エンペラー・エンターテインメント》を自主退所したの、あのハヤト君が⁉ どうして⁉」
まさかの情報だった。
《エンペラー・エンターテインメント》は日本でトップクラスの大手事務所で、芸能界の各所に権力の手が及んでいる。
そのため反旗を翻して退所した者たちに、明るい未来はない。
業界から完全に干されてしまい、表舞台に二度と立つことは出来なくなるのだ。
賢いハヤト君も、それくらいは知っていたはず。
でも自分の意思で退所した? どうなっているのだろう?
「奴が《エンペラー・エンターテインメント》を退所したと言っても、正確にはグループ傘下の芸能事務所に移籍したらしいで」
「えっ? グループ傘下の芸能事務所に?」
「ああ、そうや。なんでも“俳優活動に特化した事務所”らしい。それでも《エンペラー・エンターテインメント》とは天と地ほどの小さな事務所らしいが」
「“グループ傘下の俳優活動に特化した事務所”に移籍⁉ ああ。そ、そっか……それなら、とりあえず一安心かも……」
グループ傘下への移籍なら、芸能界から干される心配は無いだろう。
でも同時に疑問も浮かんできた。
(どうしてハヤト君は、自分の意思で、小さな事務所に移籍をしたんだろう?)
超大手の《エンペラー・エンターテインメント》に在籍しているだけで、タレントの未来の成功は約束されている。
特に《天才俳優》と呼ばれていた才能あるハヤト君なら、事務所力を使い日本トップクラスの俳優になる未来もあったはず。
だから理解ができない電撃移籍だ。
(あれ? もしかして、これも歴史が変わっているのかな?)
オレには女性アイドル以外の知識はあまりない。
だがこれほど大きな芸能事件なら、前世のオレでも覚えているはず。
つまり記憶にない今回の電撃移籍は……《天才俳優》の三菱ハヤトが移籍は、前世ではなかった歴史なのだ。
(三菱ハヤト……ハヤト君……)
彼と出会ってから、実際に顔を会わせたことも、たったの数回しかない。
(どうしてハヤト君は急に、こんなことをしたんだろう? どうして……)
でも、彼のことが気になってしまう。
演技者として、どうしても三菱ハヤトのことが気になるのだ。
「なぁ、ライタ。こんなことを聞くのもアレやけど、お前、“今のタイミング”でA組に昇格するのは、少しマズイかもしれへんで?」
いつもは明るいユウジが、急に眉をひそめる。
何やら彼が話していない学園の情報が、他にもありそうな雰囲気だ
「えっ……どういうこと? “今のタイミング”って?」
「そこの掲示板に書かれていることは別々の件や。でも同時に起きたことによって、芸能科のヘイトがお前に向かっておるんや」
「えっ? 芸能科のヘイトがオレに⁉ どうして⁉」
「言いにくいが『三菱ハヤトを退所と転校に追いやったのは、共演した市井ライタが悪質な行為をしたため』っていうデマが裏で流れているんや……」
「えっ⁉ ど、どうして、そんなデマが⁉ あっ……そうか」
デマが流れている心当たりがあった。
何故ならドラマ撮影で、オレは憎まれ役のタクロウを演じて、主役のハヤト君と対決した。
そのため配信を見ていた学園の生徒も、悪印象がそのまま残っているのだ。
(うっ……だから、“この視線”があるのか……)
先ほどから掲示板前にいる生徒たちから、強烈な視線を感じていた。悪意ある負の視線と感情が、オレに向けられていたのだ。
(この感じは……科学室シーンと同じだな……)
科学室シーンの直後、出演者たちが催眠トランス状態に陥り、オレに襲いかかってきた。
今回もあの時と似た視線だった。
おそらくここにいる同級生の多くも、軽い催眠状態になっているのだろう。
「……おい、見ろよ。あいつが、この市井ライタだぞ……」
「……三菱ハヤト様を追い込んだ張本人か、アイツが……」
「……ちっ……雑魚オタク顔して、やっぱり悪人だったのか……」
そのため彼らのザワつきは段々と大きくなっていた。
『悪漢の市井ライタが、正義の三菱ハヤトに陰謀で退所と転校に追い込んだ。そして制度を悪用して自分はA組に昇格した』というデマが流れていたのだ。
「おい、ライタ、ここままずい。場所を変えるで」
「うん、そうだね……」
掲示板の前は人が多すぎて、今は負の感情が増大していた。
オレはユウジと誰もいない廊下の奥へと移動していく。
◇
「ふう……ここなら大丈夫やろ?」
「うん、そうだね」
ユウジとオレのいつものたまり場、ひと気がないところで再び話をしていく。
「ところで、さっきの話……A組に昇格の話はどうすんや? 『A組にクラス移動可能』やから、たしか辞退もできるはずや?」
特別昇格の情報を、ユウジから詳しく聞いていく。
A組への特別昇格を受けるか、辞退するか、本人が選択できるという。
「たしかにユウジが言っていた通り、今のタイミングは最悪かもね。さっきの雰囲気的に……」
「ああ、最悪なタイミングやな。しかも上の組……A組の方は、更に辛辣な雰囲気だと思うで?」
「うん、たぶんそうだね。何しろクラスメイトを、D組のオレが転校に追いやった、って勘違いしている人もいるはずだからね」
本当は事実無根の誤解なのだが、こうした時の集団心理は恐ろしい。
集団の何割かが黒と勘違いしたら、無実の白でも黒になってしまうのだ。
「せやな。それならA組昇格は、もう少し後の時期にしてもうか? 先生に事情を説明して、年末にしてもらうとか?」
ユウジの話によると、昇格のタイミングはズラらせるらしい。特に今回は事情があるから、受諾はされる可能性も高いとも。
「なるほど、もしかしたら、それもアリかもしれないね」
アヤッチこと鈴原アヤネの死亡タイムリミットまでは、まだ数ヶ月も猶予はある。
今、焦って無理に、A組に昇格する必要はないのだ。
(無理は禁物だからな。でも……今回のことは、どうすれば……)
だが同時に、気になるシコリがあった。喉に何かが刺さっている感じなのだ。
――――そんな迷っている時だった。
「あっ、ライタ君! やっぱりここにいたんですね!」
「チーちゃん⁉ どうしたの⁉」
息を切らしてやってきたのは、チーちゃんこと大空チセ。かなり急いでオレのことを探していた様子だ。
いつもはおっとりの彼女が、いったいどうしたのだろう?
「実はこの手紙を預かってきたんです。ライタ君宛てに……」
「えっ、手紙? オレに?」
今どき手紙を書いてくる人も珍しい。
いったい誰だろう?
チーちゃんから手紙を預かって、中身を確認してみることにした。
――――◇――――
拝啓
このオレ様が認めた男である市井ライタへ
演技者として更に“上の世界”にいくために事務所移籍をして、しばらくハリウッド修行にいってくる
オレ様の空いた枠を使って、お前のことをA組に特別推薦しておいてやる。ありがたく思え
次に会う時は互いにもっと上の世界で、愚民たちの見たことがない世界で戦ってやろうではないか
敬具
――――◇――――
大きな和紙に達筆な筆で、手紙はこう書かれていた。
「チーちゃん、これって、もしかして……?」
「はい、三菱ハヤトさんからです。先ほど校門前で、代理の方からライタ君に渡すように、お願いされたものです」
「ハヤト君……やっぱり、そうか……」
聞かずとも、手紙の内容を見て一目瞭然だった。
普通の人は差し出し人の名前も書かずに、『オレ様』とか『ありがたく思え』なんて使ってこない。
こんな唯我独尊なことを、書いてくる人は世の中に三菱ハヤトだけだろう。
(『お前のことをA組に特別推薦しておいてやる』……そうか、キミがオレのことを特別推薦していたのか……)
まさかの事実に、思わず言葉につまってしまう。
だが同時に、先ほどまで喉に刺さっていたモノ、今回の疑問の全貌が見えてきた。
特別推薦は“各学年の成績上位者”しか発動できない。
つまり1年の優秀者が集まるA組の中でも、特にエリートの《六英傑》だった彼だから、特別推薦を発動できたのだろう。
しかも今回は『三菱ハヤトが転校して、A組の枠を一人空ける。そこに強引に推薦する市井ライタをねじ込む』という離れ業を、彼はやって遂げたのだ。
(ふう……たぶん、この話は出た時は、学園の上層部も大変だったんだろうな……)
業界最大手の《エンペラー・エンターテインメント》は芸能科にも多大な影響力がある。
その若手トップの一人三菱ハヤトの今回のわがままを、芸能科も断れなかったに違いない。
(ハヤト君……)
彼はオレの知らないところで、強引に暗躍していたのだろう。想像していると『オレ様の!』のという彼の声が、聞こえてくるようだ。
(それにしても、ハヤト君……ハリウッド修行に行くのか、キミは……)
これもまさかの情報だったが、同時に納得もする。
何故ならあの天才を更に鍛えるには、日本の芸能界は狭すぎる。
もっと広い世界……世界中の才能が集まるハリウッドクラスじゃないと、きっと彼には刺激がない。
だからハヤト君はハリウッド修行を思いついたのだろう。
そして《エンペラー・エンターテインメント》から移籍したことにも理解できた。
ハリウッド修行に集中するために、動きやすい系列の小さな事務所を選択したのだろう。
(そっか……ハヤト君、キミは更に上を目指すために、いばらの道を歩む選択をしたんだね……凄いな)
全ての事情を把握して、心の中で最大級の称賛を送る。
約束された国内での成功と名誉を全て捨て、無名な極東の若者としてハリウッドに挑む。
自分と同じ歳の若者の、尋常ではない選択。本当に凄い勇気と行動力だ。
「なぁ、おい、ライタ、大丈夫か? 手紙見たまま、固まっておるけど?」
「あ……う、うん。大丈夫だよ。ちょっと、感慨深くなっていただけだから」
手友人ユウジの見せられないことも、手紙には書いてある。公式発表が本人からあるまでは、オレもそっと自分の胸に閉まっておくことにした。
(あっ……そうか。そうだな……)
そして閉まった胸が、急に熱くなってきた。
三菱ハヤトの手紙を読んで、新たなる感情が込み上げてきたのだ。
「ねぇ、ユウジ……オレ、“いくよ”!」
だからオレは宣言をする。
自分の胸が熱くなっている内に、決断を言葉にして伝えたいのだ。
「はぁ? いく、ってどこに?」
「なんのことですか、ライタ君?」
いきなり叫んだので、二人ともキョトンとしていた。
これは失礼なことをしてしまった。ちゃんと言葉にして説明をしないとな。
「オレ、いくよ……来週からA組に!」
「――――なっ⁉ 何を言ってるんや⁉ 『今は最悪のタイミング』って、さっきお前も認めていたやないか⁉ それなのに、どうしたんや急に⁉」
ユウジが心配そうに驚くのも無理はない。
何故なら客観的に見ても『今、オレがA組への特別昇格を受ける』ことは最悪タイミング。
一年の多くの人たちが……おそらく全員のA組の人たちが、オレに対して負の感情を頂いた状況だから。
今、A組に昇格することは、たとえるなら『猛獣の中に裸で飛び込んでいく』ようなものなのだ。
「うん、険しい道になることはオレでも分かる。だからこそ、行きたいんだ!」
先ほどの手紙のことを思い出す。
ハヤト君は全てを捨てて、世界中の天才の集まる本場ハリウッドに、たった一人で修行へ向かった。
そして最後には、こう書かれていた。
――――『次に会う時は互いにもっと上の世界で、愚民たちの見たことがない世界で戦ってやろうではないか』と。
何の経歴も才能もないオレに対して『次に会う時は互いにもっと上の世界で戦おう』と誘ってくれたのだ。
だからオレも“ぬるま湯”に浸かって、安全な道を選んでいる場合ではない。
この胸の奥底から込み上げる想いを、今すぐ実行したいのだ。
「だから今のタイミングで、この最悪の時にオレは行きたいんだ、A組に!」
“芸の世界のプロは、どんな苦行も芸の肥やしする”という言葉がある。
だからオレも荒波に飛び込みたかった。
単身でハリウッドに挑むハヤト君……“オレにとって心のライバルとなった三菱ハヤト”に、負けないたくない!
彼に一歩でも近づくために、いばらの道を選択したいのだ!
「な…………」
全てを聞き終えて、ユウジは口を開けたまま絶句していた。
ああ、その気持ちも分かる。
何しろ普通は選択しない、今のオレは選択しているのだから。
友人として、どう答えていいか分からないのだろう。
「……す、凄いです、ライタ君!」
そんな中、先に反応したのはチーちゃんだった。
「私は応援します! そして絶対に私も、いつか……ライタ君の隣に立てるように、追いつきます!」
目をキラキラさせながら声援を送ってきた。まるで神でも崇めるような熱意だ。
「チーちゃん。うん、ありがとう」
前世での推しアイドルの一人からの、本当に有りがたい言葉で、胸が熱くなる。
チーちゃん、いつも温かい言葉を、ありがとう。
「……くうぅう! もちろんワイも応援するで! ワイも今は仕事で大きな案件が動きそうやから、一日でも早くライタに追いついてやるから、A組で待ってろよな!」
「ユウジまで……うん、待っているから」
音楽業界のことはよく知らないが、ユウジには“何かやってくれる”可能性があるような気がする。
だからきっとクラスは離れても、すぐに同じクラスになれる予感がした。
「二人ともありがとう……あっ、そうだ。二人とクラスは離れちゃうけど、これからも友だちでいてくれるかな?」
「もちろんですよ、ライタ君! こちらこそよろしくお願いいたします!」
「当たり前やで! クラス変わるって言っても、直線距離でたったの数十秒の距離や。地獄の端までダチやで、ワイらは!」
「あっはっは……そうだね。二人とも、今後もよろしくね!」
クラスが離れても友だちでいてくれる。本当に有りがたい、二人からの宣言だった。
あっ……でも。
やっぱりクラスが離れてしまったら、一緒にいられる時間が減ってしまうだろうな。
今後も放課後に“三人で一緒にいられる作戦”を、何か考えておこうかな?
たぶん、何か策があるはずだ。
「よし、それじゃ。先生に伝えてくるね、A組に行く意思があることを!」
鉄は熱いうちに打て、善は急げ。オレは職員室に向かう。
A組に特別昇格する意思があることを、正式に伝えにいくのだ。
(A組か……予定の何倍も早くなっちゃったけど、ついにか……)
こうしてオレは芸能科のエリートが、日本の若手芸能人の中でもエリートだけが入れるA組に、特別昇格をすることになった。
◇
◇
◇
◇
だが、この時のオレは知らなかった。
◇
「……ねぇ、聞いた? ハヤトの代わりに、A組に来る奴がいること?」
「……知らんし、知る必要もない。何故なら“ハヤトのような愚か者”が推薦した雑魚など、たかが知れている」
「……ええ、そうね。でも用心に越したことはないわ」
――――移動先のA組で、新たなる《六英傑》たちが待ちかまえていることを。
◇
◇
「……という訳で、ミサエちゃん。ライタには次は“この仕事”を、ふってみるつもるだ?」
「……ちょ、ちょっと、社長⁉ 頭は大丈夫ですか⁉ ライタ君は俳優なんですよ⁉」
「……そうだな。だから、後はあいつに選択させてみる。たぶん、面白くなると思うぜ」
――――所属してビンジー芸能でも、新たなる動きがあることを。
◇
◇
◇
◇
「どうして鈴原アヤネの歴史が、また変わってしまう? 今世でも私を邪魔する者が……誰かいるのか?」
――――そしてアヤッチに更なる影が迫っていることを。
◇
◇
◇
「いよいよ今日からA組へ……必ず助けるから、待っていてね、アヤッチ!」
こうして不遇だったアイドルオタクな青年ライタは、新たなるステージへ突入していくのであった。




