第19話:初仕事
芸能人としてのオレの初仕事の日。
社長に連れられてきたのは薄暗い雑居ビルの二階、一番奥の部屋。
スタジオにいたスタッフはたった一人しかいない。
ヒゲをはやした五十代くらいの、ダンディーなオジサンだ。
「ん? ゼンジロウ? お前、自らきたのか⁉ 久しぶりだな、おい!」
スタジオに入ってきた社長の顔を見て、ダンディーなオジサンは声をあげる。
ゼンジロウ呼び……ということは“豪徳寺ゼンジロウ”が社長のフルネームなのだろう。
組長っぽい外見と……よく合っている。
「おう、イツジ。相変わらずしけた顔だな、お前も!」
「はっはっは……お前の顔も負けてないぞ!」
ダンディーなオジサンは“イツジ”という名前なのだろう。強面な豪徳寺社長とは軽口を叩きあう仲みたいだけど、どういう人なのだろうか?
一緒にスタジオに来たミサエさんが、その疑問に耳打ちして答えてくれる。
「ライタ君、あの人は“江戸イツジ”さんという映像クリエイターで、業界でも屈指の才能がある監督さんで、社長とは昔からの“業界仲間”なのよ」
「映像クリエイターな江戸監督……ですか。なるほど、ありがとうございます」
“映像クリエイター”は曖昧な肩書だが、たぶん『映像を撮影して、なおかつ編集もする職』ということ。
それに監督業も加わり、一人でなんでも出来る“何でも屋”な人なのだろう。
(業界屈指の才能がある……か)
ミサエさんは持ち上げて紹介しているけど、この小さなスタジオの雰囲気とはギャップがある。
ここは“売れない人の職場”のような場末感があるのだ。
「おいおい、ミサエちゃん。こいつのことを『業界屈指の才能がある』なんて褒めても、何にも出ないぞ? 何しろ『我が強すぎて業界から煙たがられている変人』だからな」
「うるせー! それを言ったらゼンジロウ、お前も『芸能界随一の厄介者』だろうが⁉ なにせこんなオレと仕事をするくらいだからな!」
中年オジサンたちの楽しそうなやり取りを聞いて、業界内での二人の立ち位置がなんとき理解できた。
おそらく二人とも“才能があるけど性格が面倒で、日の目を見てない人”なのだろう、きっと。
江戸監督は雑談をしながら、豪徳寺社長は勝手にスタジオを物色していく。
「ん? これが今日の仕事の脚本か? ふん……相変わらずクセが強い内容だな? だから、こんな低予算しか貰えないだろう? 」
テーブルに上にあった脚本を、豪徳寺社長は手に取る。内容を読みながら軽口を叩いているが、何やら面白そうな顔はしている。
「けっ、てめぇには言われなくねぇぞ! 低予算でもオレの好きなように一人で撮れるから、この手の仕事は好きなんだよ!」
芸能界は特殊な世界。いくら才能があっても理解者がいないと、大きな仕事はできない世界だ。
そのため江戸監督は一人で、こじんまりと仕事をしている人なのだろう。
誰も助手を入れないようにして、自分で撮影から音響までこなしているのだ。
「ガッハッハ……相変わらず損な性格なだな、お前も。おい、ライタ、お前も読みこんでおけ」
社長は脚本の予備を、オレとミサエさんに手渡してきた。
「えっ? はい、分かりました」
これが今日のオレの仕事の内容か。緊張しながら中身を読んでいく。
(おお……これが業界の脚本か⁉ なんか感動するな……)
中身を読みながら、思わず感動してしまう。
ネットで脚本を見たことはあるが、実際に刷られた実物を目にしたのは初めて。まさにプロの世界な感じだ。
そんな中、監督も仕事の確認をしていく。
「おい、ゼンジロウ。そろそろ開始時間だが、お前んとこの演者はいつくるんだ? もしかしたら現地集合で遅刻しているのか?」
「おい、イツジ、何をボケたことを言っているんだ? ウチの事務所の演者なら、もうそこに来ているだろう?」
「はぁ? 何を言っているんだ⁉ いくらミサエちゃんが若く見えるからと言って、今回の“作品のコンセプト”とは違うだろうが?」
はたから聞いていると、何やら二人の会話が“かみ合っていない”ような気がする。
特に江戸監督の方が、状況が掴めていない様子だ。
そんな時だった。
脚本を読み流していたミサエさんが、急に声をあげる。
「ちょ、ちょっと、社長⁉ 今回のこの仕事に、どうしてライタ君を連れてきたんですか⁉」
ミサエさんが指摘してきたのは、今回の仕事のミスマッチについて。
「こ、今回の作品の主演って“女子高生”なんですよ⁉ もしかして勘違いないですか、社長⁉」
ミサエさんの指摘は正しいかった。
何故なら脚本に書いてあった主演者は、“十六歳の女子高校生”だからだ。
ちなみ脚本の内容を簡単に説明するなら、次のような感じ。
――――◇――――
『孤独な世界にいた女子高生が、ふと目にしたヘッドフォンを手にして、そこから流れてくる音楽の世界に感動する』
――――◇――――
こんな感じのコンセプトで、マイナーなヘッドフォンメーカーのネット用のCM撮影だった。
主演が女子高生という設定だから、ミサエさんは仕事のミスだと大慌てしているのだ。
だが社長は慌てている様子はない。
「ん? どうしたミサエちゃん。オレ様は間違っていないし、今回は正真正銘にライタの初仕事だぞ。まぁ、基本ギャラはほとんど無いがな! ガッハッハ……」
「いや、でも、社長⁉ ライタ君は……“男”ですよ⁉」
ミサエさんの指摘は正しい。
オレは高校生だが男子高校生であり、女子高生ではない。明らかに脚本と性別が違うのだ。
(……ん?)
二人が騒いでいる中、オレは誰かの強い視線を感じる。
これはダンディーなクリエイター……江戸イツジ監督からの視線だ。
「おい……ゼンジロウ、お前、本気か? その小僧を、今回の主演に使うつもりなのか?」
江戸監督は明らかに怒っている。
何しろビンジー芸能に依頼したのは、女子高生役の演者。だが豪徳寺社長が連れてきたのは男子高校生であり、更にどう見てもオタク君なのだ。
誰だって怒ってしまうのだろう。
「ああ、大真面目だぞ。ライタが演じたら、もしかしたら“面白いモノ”が見れるからなー。もしもお前が気に食わなったら、オレ様の方で撮影代を弁償してやる」
「なんだと? “お前ほどの男”が、それほど買っている小僧なのか、そいつは……?」
再び監督の強い視線が、オレに向けられる。先ほどとは違い、今度は値踏みするような視線だ。
「おい、小僧……お前に本当に演じる自信はあるのか、オレの脚本を?」
監督は強い言葉で質問してきた。
上辺だけの嘘や虚心の答えを、けっして見逃さない……そんな強い質問と視線だ。
「は、はい。たぶん大丈夫だと思います」
だからオレも本心で答える。
どこまで演じることができるか自分では分からない。けど今の自分の最善は尽くせると答える。
「小僧、その目は……なるほど。なぁ、ゼンジロウ、お前、面白そうな新人を見つけていたもんだな。よし……早速、撮影に入るぞ! 準備しろ、小僧!」
「えっ? はい? よろしくお願いいたします!」
よく分からないけど監督のゴーサイがでた。CMの撮影が開始となるのだ。
「ちょ、ちょっと、江戸さんまで⁉ しゃ、社長⁉」
「ガッハッハ……ミサエちゃんはライタの準備を頼むぜ。やりすぎない程度に、女子高生っぽくしてくれ!」
「えっ? はぁ……もう、分かりました。私は知りませんからね。ライタ君、こっちにきて! 急ぐわよ!」
「あっ、はい! よろしくお願いいたします」
そこから撮影の準備が、慌ただしく始まる。
オレはミサエさんに軽く身だしなみを整えてもらう。
用意されていた服に着替えたり、髪の毛を上げて整えたり、軽く化粧をしてもらった。
「うっ……こうやって化粧をしてみて、再認識……ライタ君って、本当に肌艶が良くて、美形よね……」
「えっ、美肌ですか? よく分かりませんが、褒めてもらってありがとうございます」
今世では幼い時から、健康には気を使って生きてきた。
小学生の低学年時代から演技やダンスレッスンをしながら、自身のボディケアーとメンタルケアにも励んできた。
食事や睡眠、運動など、芸能人になる可能性を高めるために、ケアを徹底してきたのだ。
そのお陰で肌艶が良いのだろう。
まぁ……『美形』と言っているのは、間違いなく超お世辞に違いない。
演者のモチベーションを上げるための、業界テクニックなのだろう。あまり天狗にならないでおく。
そんなことを考えていると、オレの準備は終わる。
「社長、終わりました。予想以上に綺麗に仕上げることはできました……でも、骨格的に、どうやっても女子高生には……」
ミサエさんが声を止めるのも無理はない。
高校一年生のオレは、既に骨格が男性として成長している。そのため立っているだけでは、どう見ても男にしか見えないのだ。
「大丈夫だぜ、ミサエちゃん。今回のCMは後ろ姿と、顔は鼻から下の撮影になる。ここから先はイツジの撮影テクニック……あとライタの演技でなんとかなるはずだ」
「わ、わかりまし……でも、本当に」
そんなミサエさんの心配の声が遠くで聞こえる中、オレの方は撮影開始となる。
撮影用の真っ白な背景の前に立つ。低予算のために背景は後から付け足すのだろう。
目の前にいるのはカメラを構えた江戸監督だけだ。
「ふむ……たしかに髪を上げたら、悪くないツラだな小僧。だが本当に演じられのか、オレの脚本に見合える主人公を?」
カメラを構えた監督は、先ほど以上に怖い顔をしていた。まるで凄腕の狩人のような殺気を、オレに向かって放ってくる。
下手の返答をしたら、今すぐにでも射殺されそうだな雰囲気だ。
「はい……オレなりの解釈ですけど、“この子”に“入り込むこと”は出来そうです」
「ああん? 入り込むだと?」
「えーと、説明するのは苦手なので、実際にやってみますね。それでは……いきます……」
実演して仮撮影してもらうことにした。
ふう……小さく深呼吸をして目を閉じる。
頭の中を強制的に“真っ白な世界”に。
自分の感情や思考を捨てさり、全てがニュートラル世界を形成する。
(何回も撮影できるみただけど、今日は初仕事だし、最初から少しだけ“深く潜ってみるか”……さて、いくぞ)
真っ白な自分のまま、脚本のイメージをインストールしていく。
――――◇――――
今回の主演の女子高生は……『家庭や学校で自分の居場所が見つからない少女』だ。
この子は居場所が見つからず、ずっと孤独だった。
でも、とあるヘッドフォンに……音楽の世界に出会ったことで、新しいモノに気が付く。
自分が孤独じゃなかったことに、ふと気がつくんだ。
――――すると彼女の世界に不思議なことが起きる。
今まで灰色だった世界が、どんどん色が溢れていく。
今まで敵しかいなかった自分の世界が変革。
世界の多くが自分に対して、温かい言葉を、音楽を奏でてくれきたのだ。
ああ……そうか。
彼女は……わたしは気が付く。
自分が孤独じゃなったこと。
誰かに愛されていたことに、気が付くんだ、わたしは……
――――◇――――
「ふう……」
実演が終わる。
うん……まずはいい感じにできたような気がする。
この子に上手く波長が合えた感じだった。
「あっ? しまった」
仮演技だというのに、いつの間にか大粒の涙を流していた。波長がかみ合いすぎたのだ。
まだ実演段階だというのに、これはオレの大失態。
ミサエさんに化粧を直してもらわないとな。
(よし、次からいよいよ本番か……)
たぶん今日は何回も撮り直しをしていくんだろう。
気合を入れてオレも演技を頑張らないとな。
今日はとことんよろしくお願いいたします、江戸監督!
「ん? あれ?」
だが視線を上げて気が付く。
カメラを構えた江戸監督の様子がおかしいことに。
「お、おい、小僧……今の演技は、いったい……?」
カメラを構えたまま、江戸監督は固まっていた。
まるで奇妙な存在でも見るかのように、眉をひそめながら睨んでくる。
(あっ……やばい……)
これはやってしまった。江戸監督を怒らせてしまったに違いない。
オレの演技がつたないために、憤慨しているのだろう。
せっかく紹介してくれた社長とミサエさんたちに、申し訳ないことをしてしまった。怒られるのを覚悟する。
「ラ、ライタ君……今のは……⁉ ど、どうして私はライタ君のことが“完璧な女子高生”に……この脚本の子に見えていたの……?」
だがミサエさんの様子もおかしかった。唖然としながら立ち尽くしていたのだ。
「ガッハッハ……なるほど、そう演じたか。やっぱり面白いな、ライタは!」
隣にいた豪徳寺社長は腕組をしながら、何やら嬉しそうにしていた。
三人とも、これはどういう反応なのだろう?
撮影スタジオ内が異様な雰囲気になっていたのだ。
とにかく監督に謝って、機嫌を直してもらわないと。
「えーと、すみません。もしも気に食わなったのでしたら、オレ何度でもリトライします!」
とにかく今は謝るしかない雰囲気。江戸監督に頭を下げて、再度撮影リトライを申し出る。
「……いや、リトライは不要だ、小僧。今のはちゃんと撮れていたから……作品の鮮度を重要視するため、今日の撮影はこれでお終いだ」
「えっ? えっ?」
何が起きたから理解できない。監督は深く息を吐きながら、カメラともったまま奥へと移動をしていく。
編集機材らしきブースに腰を落とす。
ん? いったい何が、どうなっているんだろう?
まだ一回目の仮演技なのに、どうして撮影が完了しているんだ。
あっ……そうだ。社長に聞いてみよう。
でも社長も江戸監督の方に移動して、何や二人で話をしている。
「おい……ゼンジロウ。あの小僧は、いったい何者なんだ? どうやって育てて、どこで見つけてきたんだ、あんな怪物を?」
「さぁな……オレ様も知らん。ちょっと前に、いきなりオーデションを受けにきた奴だからな。それよりも、さっきのアレは上手く編集はできそうか?」
「ああ、任せておけ。といっても、あの演技だ……映像演出はしないで、ほとんど“素”で使うぞ」
「だろうな。その辺はお前には任せておく。CM動画をアップするのは、いつものように今月中か?」
「いや、今週中にはアップできる……いや、ぜったいにアップする。何しろ、こんなに熱い創作意欲は久しぶりだからな……早く仕上げないと、爆発しそうだぜ」
「ガッハッハ……そいつは面白いな! 期待しているぜ!」
何やら二人は仕事の話をしていていたので、あまり内容は深く聞かないでおく。
断片的な話の感じのだと、今日の撮影した動画CMは、早めにアップされるみたいだ。
「よし、ライタ待たせたな。それじゃ、帰るぞ」
「あっ、社長。はい、分かりました。あの……江戸監督、今日はありがとうございました!」
今日の分の仕事は無事に終わったらしい。作業の中の監督に頭を下げて、挨拶をする。
「……ああ」
江戸監督は苦笑いしながら、オレを一度だけ見てくる。
何やら嬉しそうにも見えるが、よく分からない表情だ。
でも、聞き返すのは作業の邪魔になる。
オレは社長に付いて、スタジオを後にすることにした。
(ふう……なんとか初仕事は終わったな。でも、本当にこんなんでいいのか?)
スタジオを後にしながら、ふと冷静になる。
何故ならオレは一回の撮影しかしていない。時間にして撮影したのは、たったの60秒程度だろう。
だが、それで一日分の仕事が完了。監督の様子もおかしかった。
疑問だらけの初仕事だったのだ。
(まぁ、でも……この業界はいろんなことがあるんだろうな。気にしないでおこう)
今回は低予算で、マイナーなメーカーのCMらしい。そのため撮影にもあまり力を入れていないのだろう。
初めての仕事に感謝はしつつ、あまり深く気にしないでおく。
◇
それから数日が経つ。
その後の一週間ほどは、オレには他の仕事はなかった。
社長が次の仕事を見つけてくるまで、フリーな状況だという。
オレは高校に通いながら、放課後は事務所に通う。そんな毎日を繰り返していく。
◇
撮影から二週間が経つ。
「こんにちは!」
今日も放課後に、事務所に顔を出す。今日もオレの仕事はなさそうだから、何をしようかな?
――――だが事務所で待っていたのは、血相を変えたミサエさんだった。
「あああ、ライタ君⁉ 聞いてよ! あのCMが、今とんでもないことになっているのよ⁉」
「えっ? どういうことですか?」
もしかしたら、やっぱりオレの演技は大失敗で、何か問題を起こしてしてしまったのだろうか?
ミサエさんに詳しく聞いてみることにした。




