灰かぶり異聞
昔々、あるお屋敷に美しい未亡人がおりました。二人の娘を連れていましたが、どちらも彼女には似ていませんでした。喪に服す期間を終えても黒を身に着けている彼女は、とても美しく人の目を惹きつけました。
彼女は前の夫の財産と、再婚してすぐに死んでしまった夫の財産とを持っており、とても裕福ではありましたが人との交流を嫌ってお屋敷に引っ込んだきりでありました。それどころか、大きなお屋敷なのに使用人の一人も置かないのです。
では、そのお屋敷は誰が管理しているのかというと、それは彼女の二人目の夫の娘でした。夫がいるうちは幼い継子を可愛がっていたというのに、夫がなくなってからというもの、自分の娘だけを可愛がって、継子をお屋敷に閉じ込めているのです。
そのことで彼女の陰口を叩く者もいましたが、彼女の美しい花のようなかんばせと、憂いを帯びた伏し目と、しっとりとした声を聞くと、そんなことはどうでもよくなるのでした。
***
そんな生活を続けていたある年のこと、その国の王子様がお妃選びのための舞踏会を開くという報せがお屋敷に届いたのです。
「お母様、お母様! 素晴らしいことよ!」
「なんて楽しみなんでしょう! 新しいドレスを買ってよ、お母様!」
姉妹はたいへんな喜びようです。この二日に渡る盛大な舞踏会で王子様に見初められれば、彼と結婚し、ゆくゆくは王妃になれるかもしれないのですから、興奮しないほうがおかしいでしょう。もちろん彼女は快諾しました。
そんな三人の側に控えていた継子が、おずおずと声を上げました。
「あの、お母様、お姉様がた。わたしも舞踏会に行っても良いのでしょう? お姉様がたの古いドレスで構わないのです、どうかわたしにそれを与えてください」
「まぁ、この子ったら何を言っているんでしょうね、お母様」
「そうよ、灰かぶりのくせに生意気よ!」
「だって、だって、国中の女の子が必ず参加するようにというお触れなのでしょう? わたしの名前もあったのに……」
「うるさい! あんたみたいな汚い子、恥ずかしくって連れてけないわ! ねぇ、そうでしょう、お母様?」
「そうよそうよ! 灰かぶりのくせに生意気よ!」
姉たちに騒ぎ立てられ、灰かぶりは泣きながら逃げていきました。
***
舞踏会の夜です。
当然、灰かぶりは留守番で、継母は娘二人と馬車に乗って出かけていきました。とてもきらびやかな夜でした。さすがの彼女も今夜ばかりは喪服を脱いで、器量の悪い娘二人のために愛想を振りまいていました。
夜も更け、舞踏会もラストダンスを残して終わりという頃、大広間に新しい娘がやってきました。銀の靴を履き、淡雪のような、月の光で織ったような、そんな素敵なドレスを着た美しい娘でした。
会場にいた男も女も、老いも若きも、皆その美しい姫に心を奪われました。たったひとりを、除いては。
それは継母でした。彼女は扇子を取り落とすと、そっと顔を隠して大広間を抜け出しました。白い顔が血の気を失ってさらに白く、まるで紙のようでした。
***
ダンスは終わり、謎の姫はさっさと帰っていきます。王子様が叫びました。
「美しいひと! 明日の舞踏会にも来てくださいますよね?」
「……はい、王子様」
細く美しい声でした。
継母はその正体を知っていました。お屋敷に残してきたはずの灰かぶりです。今日は銀のドレスを着ていましたから、明日は金のドレスを着てくるつもりなのでしょう。彼女はそれを阻止することを決めました。
***
皆が寝静まった後、継母は灰かぶりの眠る居間へとやってきました。あの継子は、灰を掻いて暖炉を整えた後にその中で眠るのです。そこがとても暖かいからです。だからいつも顔も手足も髪の毛も、灰にまみれているのでした。
すうすうと眠る継子を、継母は叩き起こし、腕を取って立たせます。
「痛い、痛い! やめてください、お母様!」
しかし、継母は黙ったまま、灰かぶりを連れて地下の貯蔵庫へと降りていきました。そしてそこへ灰かぶりを放り込むと、外から鍵をかけてしまったのです。
「開けて! 開けてください! わたしは王子様のところへいかなければ!」
灰かぶりはドンドンと扉を叩きますが、木でできた頑丈な扉はびくともしません。灰かぶりは泣きながら訴えます。
「あのドレスはわたしの母のものです、盗んだものじゃありません! わたしも王子様にお会いしたかったの! わたしだって幸せになりたい……」
朝になるまで、灰かぶりの声は途絶えませんでした。「許してください」「ここから出してください」「王子様に会わせてください」と、泣いてはその言葉を繰り返していました。継母はそれには応えませんでした。
***
舞踏会の最後の夜です。王子様だけでなく、来賓の皆々までもが例の謎の姫君のお出でを待っていました。なんと言っても、今まで誰も彼女を知らず、どこの催しにも来たことのない娘だったのです。
その美しさは群を抜いており、天上の月に勝るとも劣らないものでした。あのきらびやかで洗練されたドレスも、彼女の物腰も、本当に見事で、そのために他国の王室からお忍びでやってきたお姫様なのではないかと噂されていたのです。
しかし、いつまで待っても、彼女はやって来ませんでした。
ラストダンスの時間になっても、王子様は誰とも踊りませんでした。それもむべなるかな。彼の心はもう、あの美しい銀の靴の娘に囚われていたのです。やがて客たちはがっかりして帰っていきました。選ばれなかった娘たちはなおさらです。
翌日には新たなお触れが出されました。
あの娘を王子様のもとへ連れてきた者の願いをなんでも叶えるという内容のものでした。これには国中が大騒ぎです。
ところが、いつまでたっても王子様のもとへ良い報せは届きませんでした。皆、なりすましや嘘の通報だったのです。王子様はさらに強い手段に出ました。国中の家を兵士に調べさせ、もしも娘を匿っている家があれば、そこから娘を連れ出そうというのです。
大臣たちは反対しましたが、王子様は言うことを聞きません。王様はお触れを出し、兵士たちを各地に向かわせました。大臣たちもその付き添いをさせられました。
***
灰かぶりたちの住むお屋敷も例外ではありません。とうとう、お屋敷の中を調べられるときが来てしまいました。継母の二人の娘は、「もしかしたら代わりに自分を連れて行ってくれるんじゃないか」と期待に胸を膨らませていましたが、そんなことはありませんでした。
大臣が言います。
「さぁ、この屋敷で最後なのです、娘を出してください」
継母は頭を振ります。
「この家には、他に娘はおりません」
「嘘をついてはいけない。もうひとりいるはずだ」
「おりません」
「いいや、ここに絶対にいるはずだ。貴女にそっくりの娘が!」
継母はハッと顔を上げました。
そして、大臣の訳知り顔とはたりと目があったのです。ようやく彼女も思い出しました、彼女は若い頃、求婚してきた大臣を手ひどい言葉で振ったのです。
大臣は月の妖精とも太陽の女神とも呼ばれていた彼女のことをよく覚えていました。あの月の光のようなドレスのことも、太陽の火のようなドレスのことも。
継母はがっくりと首を垂れました。
***
やがて兵士たちが灰かぶりを連れてお屋敷から出てきました。灰かぶりが着ていた銀のドレスと銀の靴、それから、着られなかった金のドレスと金の靴も。
ドレスに身を包んだ灰かぶりは、もう汚くもみすぼらしくもありません。灰かぶりは継母に瓜二つでした。二人の違う点は、ただ重ねた年月だけです。
まるで鏡のように向かい合いながら、灰かぶりは「信じられない」とつぶやきました。
「嘘よ。あなたが母親のはずがない」
それはそうでした。灰かぶりの本当の母親は、灰かぶりを産んだ夜に亡くなったはずでした。母親は墓地に葬られ、お屋敷の裏には母親を偲ぶために木が植えられていました。灰かぶりはいつも、お屋敷の仕事が辛かったり、難しい勉強のために泣き出したかったときには、その木のところへ行っては愚痴をこぼし、晴れた日にはそこで余暇を過ごしたものでした。
「答えてちょうだい。あなたがわたしのお母様なの?」
しかし、継母は口をつぐんだままでした。よそを向いて灰かぶりと目も合わそうとしません。灰かぶりは強い口調で彼女を問い詰めましたが、効き目はありませんでした。
いつまでもそうしてはいられません。兵士たちは灰かぶりを王子様の待つ城へ連れていきました。灰かぶりは泣いていましたが、城へつく頃には涙も乾いていました。
灰かぶりと王子様は再会し、口づけを交わします。二人は永遠の愛を誓い合い、夫婦となりました。継母と二人の姉は牢屋へと繋がれました。
しかし、王子様のお妃としての日々を過ごすうち、灰かぶりの心に変化が表れたのです。
まず、灰かぶりは自分が高い教育を受けていたことを知りました。社交界に出たことのない灰かぶりでしたが、継母の施していた礼儀作法と教育により、上流階級のおつきあいにはすぐに馴染むことができました。
それから、お屋敷のことを任されていた灰かぶりは、城で働く者たちの心がよくわかりました。そのため、彼らの友情を得るのはたやすいことでした。
さらには食事、身につけるものの真贋、女中たちの仕事ぶりのチェックなど、挙げていけば切りがないほどに灰かぶりは良い教育と環境に置かれていたことに気づかされました。
***
灰かぶりは姉さん二人を呼び寄せて、仲直りすることにしました。二人もまた、時間がたっていたことで自らの行いを恥じていましたので、灰かぶりに心から謝りました。
そして二人の話を交互に聞いていき、灰かぶりはあの継母が自分の実の母親だということを確信しました。
灰かぶりが産まれた年、あの継母にはまだ一人目の夫が側におりました。そのことを確かめただけで、灰かぶりの胸はいっぱいになりました。
父親と継母と、姉たちで過ごした幼い日々の思い出は、確かに幸せだったのです。父親が死んでしまってから、黒に身を包んだ継母は、笑顔も忘れて氷のように冷たくなってしまったのでした。
***
灰かぶりが呼んでも、継母は牢屋から出てきませんでした。いつもの黒い喪服姿で、誰からも背を向け、祈るように窓の外を眺めているのです。
ですから、灰かぶりは自分から牢屋へとやってきました。
継母は振り向きません。灰かぶりも、なんと声をかけたら良いのかわからず、ただ牢屋の中に立っていました。
どちらも、口を開きませんでしたが、やがて灰かぶりの方から継母へと歩み寄りました。そして、昔のように彼女の背中に抱きついたのです。
「お母様。あなたが、わたしのお母様なのね。何も言ってくれなかったから、あなたの愛に気づくのが遅れてしまいました。本当は、わたしのこと、大切に思ってくださっていたんでしょう?」
今度のそれは、質問ではありませんでした。
それでも、未亡人はゆっくりと答えます。
「いつか、あなたが、私のもとを離れる日が来ても、ちゃんと生きていけるようにと育てたつもりです。あなたに厳しくしたのは、莫大な財産を一人で管理するあなたが変なひとに騙されないように。あなたを外へ出さなかったのは……」
未亡人は言葉を詰まらせました。
「だんだん私に似てくるあなたを、隣に立たせるわけにはいかなかったから。あなたを着飾らせれば、誰かが気づいてしまったことでしょう、私の、過ちに」
頬を伝う涙は、互いに見えなかったでしょう。それでも、二人の心は通じ合いました。見えざる母の愛の手は、ようやく娘に届いたのでした。
〜〜fin.〜〜