劣等生の風景
劣等生には劣等生なりの喜びというものがあるもので、僕は生まれながらの劣等生なのでそれがよくわかる。
単純に考えてみるなら優等生というのは「目的」を持ってそれに邁進するものと言えるだろう。彼らは目的を持ち、それに向かって運動する。だから「寄り道」を知らない。
僕はある日、高校三年生の春だけどーー学校までの道のりをいつものように歩いていてふと、(学校に行かなくてもいいんじゃないか)と思った。理由があったわけじゃない。急にそう思っただけだ。
で、僕は佇んだ。まわりはだだっ広い田んぼ。それから白けた住宅街。なにせ田舎なんでそんなものくらいしかない。僕はいつもの道をいつも通り歩くのが急に嫌になって、その場にしゃがみこんだ。車もめったに通らない。
僕は次第に大胆になってーー今考えるとバカだけど、道の真ん中に寝転んだ。いや、ほんとに寝転んだんで、さすがにあとになって後悔したよ。マジな話。で、僕は太陽を眺め空を見つめ、雲が動くのを見た。ふと、横を見た時、目の先、田んぼの脇に猫がいて、猫と目があった。猫は軽蔑したように僕を一瞬見てからどこかに去っていった。猫も優等生だったんだろうね。あいつには目的があって僕にはなかった。(こいつ馬鹿じゃん)と軽蔑したんだと思うよ、猫も。
で、僕は実にのびのびした気持ちのまま、そのまましばらく寝転がった。その時に僕は味わったわけだ。優等生にはやってくる事のない「劣等生の喜び」というものを。目的のない存在だけが、存在の充実を、神を心ゆくまで味わう事ができる。目的に仕えている人間は神に出会う事はない。彼は人間から人間の連なりを右往左往して終わりだ。
そう、僕はその時感じていたんだ。雲の背後にも太陽の背後にも風のそよぎの背後にも神がいるっていうのを。古代ギリシア人のように神の存在を感じていた。僕は極めて、極めて愉快な時間を味わっていたったわけさ。
え、それからどうしたって? …いや、別にどうもしなかったよ。ただ学校には遅刻して、みんなの前に立たされて(そういうのはうるさかったから)、遅刻の理由を聞かれた。なんて答えればいいかわからなかったから「雲を見たかったから」と言ったら、物凄く笑われたよ。それから先のあだ名は「雲助」とか「雲太郎」だった。それにしても、センスのないあだ名だよね。
僕はそんな風にして卒業まで通したよ。まあ、僕はあの時も劣等生で、今も劣等生のままさ。それで世の中から取り残されて、それでも僕がたまに見上げる雲は僕に笑いかけてくれる。詩人っていうのはこんな気持ちなんだろうな、って気もするよ。世界から取り残されるんだけど、だからこそ見えてくるものもある。僕は劣等生としてそういう風景が見えているような気がする。この風景は優等生には決して見えないだろう。彼らは原因と結果、努力と目的で世界を縫い合わせてしまったから、何もわからなくなってしまったんだ。
…でもね、僕も考えるよ。こんな風景を見て、それが一体なんだって。まあ、それはこれを読んでいる君に考えてもらおう。僕の手には負えないよ。それにしても一つだけ君に忠告するとしたら、劣等生になっちゃいけないって事かな。やっぱり。どんなに馬鹿げた事でも、馬鹿げた事で世の中は回っているんだからそれに従うべきだ。勉強はすべきだよ。
僕は劣等生だからね。駄目だったよ。だけどもうこんな話をするのはやめよう。実は今の僕は目が見えているかはもうわからない。あの風景が今の僕に見えるかはほんとの所、わからないんだ。だけど僕はそれをかつて見たという事を今も心の支えにしているんだよ。それは何にも変えられないものなんだ。僕はそう感じている。だけど、それが何かって? それは一体何かって? …そうだね。何の役に立たないかもしれないな。実際、僕という人間自体が何の役にも立たない人間だよ。ほんと、困った話だけど。僕も困っているんだけど、どうにもならないんだ。
僕はもう道の真ん中で寝転がる事はない。だけどあの風景は時々、僕の頭に上るんだ。その時だけ僕は少し安らかな気持ちになれる。だけどそれも全部錯覚かもしれないね。やっぱり勉強はすべきなんだよ。あの猫が正しかったんだろうね。軽蔑した猫の目線がさ。ところであの猫生きているかな? 時間が経って死んじゃったかもしれないな。ふとそんな事を考える。自分の死について忘れたわけじゃないよ。もちろん、自分の死はいつも心の中で握っている。だからこそあの日、僕は道の真ん中で寝転がったわけだし。そのあたりは君は言わなくてもわかると思うけど。僕がいつも死について考えているっていうのはさ。そのへんは君もわかると思う。
でまあ、言いたいのはまあ、それだけなんだけどさ。僕には死というものを透かして未だにあの風景が目の裏に浮かぶ気がするんだ。もちろん、それを錯覚だという君が言う権利は…あるだろうね、やっぱり。