魔王様、悪ガキに絡まれます
「で、それからどうなったんだ?」
ボロアパートの一室で、エプロン姿の勇者が魔王のために料理を振る舞うという何やら異質な空間の中、勇者は魔王にそう尋ねる。
「ああ。その後で、何故だか皆に凄い凄いと囃し立てられてしまってな。なんでもこのマッケンジーとやらは、空手とかいう日本の国技の大会で賞を得るほどに強い輩らしい」
「空手か。俺の経験では、武道やってる人って大抵は礼儀正しかったと思うんだけど……」
「まあ、妾の国でも、剣技の大会で入賞した兵士が増長して悪さをするなんてことは多少はあったからの。民草の全てが真摯であるとは限らん」
そう言う魔王は、左手に鉛筆を持ち、渡されたばかりの計算ドリルを解いている。小学生とは思えないほどに達筆な字だ。事実、彼女の字は、生粋の日本人である勇者よりも上手い。
進行具合は良好であり、あと数問解けば本日の課題は終了である。
格好が格好故に、異世界での悪名高き魔王の姿はそこになく、まるで、ごく普通の小学生のようだ。
「話が逸れてしまったな。その後で、マッケンジーは自分の行いを恥じたのかどうかは知らぬが、急に教室を出ていってしまったんじゃ。結論から言えば、そいつはしばらくトイレで泣いておったそうじゃが、行方をくらましてしまったせいでしばらく授業が滞ってしまってな。大変じゃったよ」
「そうか。しかし、マッケンジーねぇ。まさかこの辺りに外国人が他にいたとは思わなかったなぁ。街歩いても見かけないし、この辺りの住宅には外国人ほとんど住んでなかったような気がしたのだけれど……」
小松菜を茹でながら、勇者は小声でそう呟いた。
……ちなみにこのマッケンジー。実際は魔王に喧嘩を売った例の少年、澤村健二なのだが、残念なことに肝心の魔王がその名前を覚えていない。
哀れ健二。君は今後、彼らの間ではマッケンジーというどこぞの外国人として扱われることだろう。
「で、友達はできたのか?」
「ふん、貴様のようなコミュ障と比べるでないわ! 妾ほどの人徳の持ち主ともなれば、あれくらいの子供らと友好を育むことなど造作もない」
「嘘つけ。お前さん、昨日の晩に俺の『子供と楽しくコミュニケーション』読み込んでたじゃないか。どうだ魔王? あの本は役に立っただろう?」
「そ、そそそそんなわけなかろうが! 第一、なんじゃあの本は! 実際に試して見たが、全然役に立たなかったぞ! 筆者は確か、相生道とか言ったな! あのクソ筆者め、嘘ばっかり書きおって!」
「はぁ!? ふざけんな! 相生先生は凄い人なんだぞ! 研修で行った中学校で、生徒たちと打ち明けられたんだからな!?」
そんなことを怒鳴りつつも、勇者は内心安堵していた。
魔王はこちらの世界の住人ではなく、ましてや人間ですらない。価値観も、一般の人とは異なることが多く、向こうの世界では、魔王の軍勢は無慈悲に人を虐殺していた。それ故に、こちらの世界で……それも、小学校で人に馴染めるのか、彼には不安だった。
しかし、どうやらその悩みも杞憂だったらしい。入って初日で子供らと打ち解けて、仲間ができた。これほどの成果が出せれば十分すぎるほどである。
勇太は少し微笑んで、料理の飾り付けを終えた。
「さて、そろそろできるぞ。ちゃぶ台の上の荷物片しておくれ」
「後もう少し……できたっ! 待たれよ勇者! 今片付ける!」
魔王が慌ただしくちゃぶ台の荷物を片付け、勇者は料理を運んでくる。
ちゃぶ台には、皿に盛りつけられた大きなハンバーグにおろしポン酢ソース、味噌汁、小松菜のおひたしに冷奴、そして山盛りのご飯が並んだ。
芳しい香りが部屋に充満し、魔王の胃を刺激する。きゅるると小さく、可愛らしい音が魔王の腹から聞こえてきた。
「さぁ! 早く食べよう、勇者!」
「あぁ、わかってるよ。それじゃあ……」
いただきます! と、二人の声が重なった。
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所変わって、ここは小学校。給食の配膳を終えて、子供らが発する「いただきます」の声を皮切りに、皆が目の前の昼食にありつく。
今日の給食はカレーであり、すでにどこかの席で、やれこいつのカレーは多いだの、やれ俺のカレーが少ないだのと男子の言い合う声が聞こえた。
すでに、ミリィが来てから三日が経った。教室は平穏なもので、彼女が来てから目立った騒ぎは一度もない。
彼女に敵意の色を見せていた少年少女たちとは打ち解けられてはいないが、彼女はすでに、この学年のほとんどの子供らと友達になることができた。普段人とは喋らなそうな根暗な子とも、クラスで省かれているような少し阿呆な子ともである。
こうして色々な人と仲良くなれたのは、ひとえに彼女の博識さからくるものだろう。
彼女の知識は、多岐にわたる。最近の流行の服や曲はもちろんのこと、様々なアニメやゲーム、そして、普通人の知らないようなマイナーなものにまで精通しているのだ。
それ故に、どんな人とも話が合い、打ち解けられる。実際、このクラスにもいる部屋の隅っこで喋らない男子も、彼女がいるときは会話に混じってくる、なんてこともある程だ。
「ミリィちゃん、これ食べてくれない? 俺、これ苦手でさぁ……」
「ブロッコリーくらい食わんか馬鹿者! シリウスとやらが気を使って量を少なくしてくれたんじゃろ?」
「シリウスじゃなくて島田ね? 『し』しか合ってないからね? そもそも島田って苗字だからね?」
などと冗談を言い合いながら、彼女らは和気藹々と昼食をとっていた。クラスはとても、平和だった。
しかし……魔王はふと、どこかから視線を感じて振り返る。
いた。こちらを見ている何者かが。ガタイのいい男の子で、彼女の記憶にも新しい。名前は確か……マッケン……。
「ミリィちゃん。健二くんがどうかしたの?」
「あ、ああ……そうじゃ、健二とか言っておったな、彼奴は。なに、大したことはない。向こうから視線を感じたのでな」
「え? 健二くんが? なに考えてるんだろ……」
今は正面にいる三島千由里がそう言った。
周囲の子供らからも、なにを考えているのかわからないと思われるほどに、健二は敬遠されていたのだろう。かわいそうにも思えるが、普段の振る舞いなんかを考えると、自業自得だろうとミリィは思った。
気になってミリィはもう一度健二を見ると……彼のその口元が笑っているようにも見えた。
アレは危険だ。魔王の本能が、そう呼びかける。
ミリィの感は昔から良い方だ。いや、感というより……その危機察知の正確性は、もはや一種の超能力といっても過言ではない。何かが起きると感じ取ったら、それほど遠くないうちに、確実に何かが起きる。
それは自分にだけではなく、友や自国など、彼女に関わるものに起こる災いにも反応する。どんなことが起こるのかまでは分からない。もしかしたら、それほど大したことではないかも……。だが、警戒しておくに越したことはないだろうと、ミリィは眉をひそめた。
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「そういえば……ミリィちゃんって、家はどこにあるの?」
ときはまた移り下校時間。赤みがかった空の下、河川敷に沿うように、三人組の少女が肩を並べて歩いていく。
一人は、金の髪を持つ美少女……魔王こと、藤原ミリィ。
残りの二人は黒い髪で、一方はふわふわとしたショートヘアの三島千由里。通称チユ。もう一方は、おさげ髪のメガネっ娘、田中佳子。通称ケイコ。
途中まで帰り道が一緒の彼女たちは、普段からこうして肩を並べて帰る仲となっていた。
ミリィとしても、彼女らのどこかほんわかした雰囲気がとても好ましいらしく、この三人で行動することが比較的多かった。
ミリィに声をかけて来たのは、千由里である。この三人の家のうち、ミリィの家が最も遠く、また、途中でばらけてしまうために、彼女らはミリィの家を知らない。
千由里がそのことを問うと、佳子もそれに便乗した。
「そうだね。ミリィちゃんのおうち遠いんだっけ。今度時間があったら、遊びに行きたいなぁ」
「あぁ……期待して来てもらって、絶望される前に忠告しておこう。あまりオススメはせんぞ。妾の家路は少し人気のない場所を通るし、何より彼奴の居城はあまりにボロいからの」
「そうなの? 残念だなぁ」
千由里がそういうと、千由里と佳子は一緒にため息を漏らした。
実際、ミリィが居候している藤原勇太の家は人気のない場所にあり、学校までの道には、子供達にお化けが出ると噂されている廃アパートや、少し暗い路地を進む必要がある。このくらいの女の子には、通るのに少し勇気のいる道だ。
「ああ。じゃから今度、おんしらの家に遊びに行っても良いかの?」
「そうだね。今度の日曜日に、早速どうかな?」
「うん、そうだね。それじゃあ……」
「お嬢ちゃんたち、可愛いねぇ……」
佳子の言葉を遮るようにして、背後から、男の声が聞こえて来た。
千由里と佳子は、びくりと肩を震わせた。あまり、感じの良い声には聞こえなかったからだ。
三人は、ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは……三人の男子だ。中学生くらいだろう、体格は誰もが彼女らより大きい。
一人は髪を茶髪に染め上げ、一人はピアスを開けているように見える。最後の一人は帽子を後ろ前にかぶっており、こちらにタバコの煙を吐き出した。全員がガラの悪いチンピラのようだ。
千由里と佳子は、足を止めた。
無理もない、目の前の男達は、彼女らのようなか弱い小学生の低学年にとって、恐怖の塊のような奴らである。
彼女らに比べて頭二つ分は高い身長、どこからどう見ても悪意を秘めているようにしか見えない瞳に、明らかに調子に乗って道を踏み外したような悪い雰囲気……彼女らが怯えるのも無理はない。
今の二人には、その手をランドセルの防犯ブザーに伸ばすことすらできない。彼女らはまるで、飢えた蛇に睨まれた蛙が如く、その場に縮こまり、ガタガタと恐怖に震えることしかできないのだ。
が……三人の少女たちのうち、恐れ知らずのミリィのみが平然と彼らを見やり、言葉を発した。
「なんじゃ、おんしら。妾達に何の用かの?」
「おほっ! 君、すごい可愛いねぇ! もしかして、君が藤原ミリィちゃん?」
そう言ったのは、最初に話しかけて来た茶髪の少年だ。ボタンを外し、だらりとした学ランの中には、ドクロのプリントされた黒いシャツ。ズボンも腰のあたりまで下がっており……ミリィの感性で言えば、正直言ってダサい。
そもそも、初めて会う人の名前をどうして知っているのか? どう考えても怪しすぎる。ミリィとしては関わりたくはない。
「ちょっと僕たちと遊ばない? 大丈夫だよぉ、何も怖く……」
「残念じゃが、返事はNOじゃ。さ、帰ろう二人とも」
ミリィは、二人の手を引いて、その場を立ち去ろうとした。だが……。
「ちょいちょいちょい……待ってくれよ。俺たち、君らと少しお話がしたいだけなんだ。少しだけ、いいでしょ?」
茶髪の男がミリィ達の前に回り込んだ。その他の二人も、ゆっくりと彼女らを取り囲むようにポジションを変えていく。
危機的状況……にもかかわらず、ミリィの態度は一切変わらなかった。
「良くないわい、たわけが。この年頃の子供らはこう習うのじゃろう? 『知らない人についていくな』と。妾はおんしらのような怪しさの塊のような輩のことなど何にも知らん。故に、のこのことついていく義理はない」
「怪しさの塊とか……言ってくれるねぇ、嬢ちゃん。ってか、『妾』とか『のじゃ』とか……萌え豚アニメの見過ぎで頭いかれちまったんじゃねえの?」
「けっ! 違いねぇや!」
青年達はけたけたと笑う。この年頃のはっちゃけた野郎達からすれば、アニメというのはキモい奴らが見るものという偏見があるのだろうか。
彼らにとっては、彼女の口調はそれらから影響を受けたのだろうとしか考えられず、そんなものはお笑い種でしかない。
そして、口調を馬鹿にされたことに少し腹のあたりからモヤモヤとするものを感じたミリィ。
彼女の口調は、今は亡き父親の真似であり、それを侮辱されることは、あまり彼女にとって快いものではない。とはいえ人から見ておかしいことは流石にわかっており、多少何か言われるくらいならば、別に何も感じない。
が……目の前の茶髪の男は、彼女の大好きなアニメと一緒くたにして、父と彼女の好きなものを踏みにじった。そう思われるのも仕方ない、そうわかってはいるが……彼女はそんな彼らに、強い不快感を覚えずにはいられなかったのだ。
彼女の腹に溜まったモヤモヤとした感情は、怒りだ。彼女はこの時、強い怒りを感じていた。
「……ふん。抜かせ、童。貴様らの使う汚らしい言葉より、妾の言葉がどれほど高貴で洗練されたものなのか、貴様ら程度のちっぽけなおつむにはわからんじゃろうな」
「あぁ……? 今なんて言った?」
「ほれみたことか。小学生より、貴様らの方がよほど後進的じゃわい。怒ったらすぐこれじゃ。自分が圧倒的に強い立場だと思っとるんか? 脅しで使うには、ちとその顔に迫力が足らんのぉ。あー怖い怖いといえば、それで満足か? まったく……一体どんな教育を受けたらそんな言葉遣いができるんじゃろうなぁ?」
ミリィは目を細め、嫌な顔で彼らを見上げる。相手方は三人とも、顔を赤くして、その場でわなわなと震えておりいつ暴れだすかわからない状況だ。
ついでに言えば、小刻みに震えているのは彼らだけではない。ミリィの隣で、彼らのやりとりを見ている千由里と佳子も、全く別の意味で、小動物のように震えていた。
この張り詰めた空気……まさに一触即発。睨み合う両者。しばらくの静寂を経て、耐えきれなくなった茶髪が拳を振り上げる。
「このガキッ……!」
「ほーれでたぁ〜! すぐそうやって殴ろうとするぅ〜! その知能レベル、もはや原始人以下じゃ! かぁ〜っ! 哀れ、哀れじゃのう! 最近の若者は、時代に適応しようとするあまり、必要なスペックすら退化させてしまっておるらしい! これを滑稽と言わずなんというか! カッカッカ!」
「く、クソがっ! おい、そこのクソガキ! その口を今すぐ閉じやがれ! でないと……やれ!」
茶髪が、ミリィの後ろにスタンバイしていた二人に何かを支持した。怒りに流されて彼らを罵っていたミリィが、ついに正気を取り戻した。
この場にいるのは、ミリィだけじゃない。
「な、なにを……!?」
「きゃあっ!」
「や、やめて! はなしてっ!」
「うるせぇ! てめぇらは黙ってろ!」
振り返ると……後ろにいた千由里と佳子が、他の男二人に、首を締め上げるようにして拘束されていた。
彼らは、懐から取り出した果物ナイフを捉えた少女の目の横にあてがった。
「や、やめろ! そいつらは関係ないじゃろう! 貴様らを煽ったのは妾じゃ、そんな姑息な手段に頼らず、妾をやれば良い話ではないか!」
「あぁあぁ、本当にうるせぇガキだなぁ。自分がどんな状況に置かれているのか、分かってないのか? えぇ?」
茶髪の男が、ミリィの顔を覗き込む。
「人目につくとこだとあれだからさぁ、ちょっと、俺たちに付き合ってくれない?」




