魔王、お友達を作ります
「うぇっ……ひぐっ。……わ、わらわの……名前はぁっ……ふ……ふじわら、みりぃ……ひぐっ、ひぐっ……しゅ、しゅみはぁ……」
なんだか気付かぬうちに、勝手に自爆した魔王ミリィ・ディアボロア。しかし、このことに一番驚いたのは、他でもない、子供たちである。
いきなり訳のわからないことを言ったと思ったらしばらくのうちの沈黙。静寂に包まれた教室の中では皆が固まり、ミリィの表情のみが徐々に変わっていく。
最後には、彼らが何もしていないのにミリィが泣き出し、それを、教師含めたその場の皆が呆然と彼女を眺めていた。
「……よろじぐ……ひぐっ、……お願い、じまず……」
「え、えと……わ、私もアニメとか、結構見ちゃうのよ! そうよね!? そういう設定なのよね! そ、それに、そういう古風な喋り方、とても素敵だわっ!」
そんなもの、何にもフォローになっていないなどと、子供達は言えなかった。
「み、ミリィちゃんは、日本人とイギリス人のハーフなんです。両親は、ちょっと交通事故で亡くなってしまったので、今は親戚の家に住んでいるそうです。ミリィちゃんには、あまり詮索とかしちゃだめだよ?」
——今その話いらなかっただろ。この悪い空気にこれ以上餌を与えないでくれ。
この場にいるほとんどの生徒の思いが一致した瞬間だった。
この女性教師も、今年就職したばかりの教師らしく、初日から、その発言や行動に彼女のポンコツ具合が露呈していた。
この重苦しい空気の中でのこの発言も、まさに火に油を注ぐようなものだ。一旦彼女を泣き止ませてからすべき発言であったのではと、生徒たちは思う。心なしか、ミリィの鳴き声が少し大きくなった気がした。
子供達からの視線を受けて、自分でもやらかしたとわかったのか、担任教師はコホンと一つ咳払いをした。
「そ、それじゃあ、ミリィちゃんはあそこの席に座ってね!」
「あ゛い……」
子供たちの哀れみの視線を一身に浴びながら、ミリィは、その担任が指さした席に、泣きじゃくりながら移動する。
彼女の席は、一番後方の窓側から二列目の席であった。両隣には、優しそうな女の子が座っており、どちらもほかの子供たちと同様に、憐みの込められた目で彼女を見ていた。
自席に座ったミリィは頭を抱えてうつぶせになった。もう顔も見られたくないのだ。
「それじゃあ、朝の会を終わりにするわねっ! 今日も一日、元気に行こー!」
担任教師がそう言って、無理やり朝の会を終える。正直言って無理だ、なんて言い出せる子供はおらず、担任教師はついに逃げ出すようにして教室を去った。後に残った子供たちからは、ため息しか出なかった。
普段ならすぐにガヤガヤと明るい会話が繰り広げられるはずの室内が未だ暗い。この場の全員がこう思った。誰かこの状況を打破してくれ……! と。
そして……なんとも言えないほど暗いムードの中……落ち込んだミリィに、左から、たどたどしい言葉が投げかけられた。
「あ、あの……」
そう、ミリィの左隣の女の子が話しかけてきたのだ。
「うぅっ……なんじゃ、おんし……?」
「わ、私、三島千由里っていうの。ミリィちゃん、でいいんだよね?」
……まさか、あのような失敗を犯した自分に声をかけてくれる人族がいるなど……。ミリィはこの言葉に、素直に感動していた。
魔王城にいた時は、こうして対等に話を聞いてくれる人なんていなかった。やはり、魔王の娘という立場のせいだろう。周囲にいたメイドたちも別段冷たかったわけではないが、やはり、こうして友として接してくれる者は、誰一人としていなかったのだ。
先程まで、まるで世界の終わりが訪れたかのような絶望感に苛まれて泣きじゃくっていたミリィだったが、この一言をもとに、その落ち込んだ顔をぱぁっと明るくさせた。
「あ、ああ、そうじゃ! 藤原ミリィじゃ! おんしは三島千由里というんじゃな!」
「うん! みんなからは、チユって呼ばれてるの」
「そうか、チユか! よろしくの! チユ!」
「うん……! よろしくね、ミリィちゃん!」
魔王は思った。ああ……子供とは、なんと良いものなのだろうか、と……。
彼女の常識の中では、人というものは、年を取るたびに頑固になっていくものであった。
自身の父親然り、その周りの貴族ども然り、そして、敵である人族どもも然り、である。彼女が魔王となった時も、よく家臣どもとよくわからない意地の張り合いや腹の探り合いをしたものだ。
しかし、目の前の彼らはどうだ。
子供たちの世界はなんとも単純なものである。彼らは、たった一、二言言葉を交えるだけで、彼らは友達となれるのだ。手を差し出し、「よろしく」とただ一言言えば、「お友達だね」と微笑みかければ、それはもう友達なのだ。
このやりとりだけで、彼女の心は浄化され切った。齢9歳の千由里の優しい微笑みは、魔王にとって、それほど魅力的であったのだ。
「あ、あのっ!」
今度は右隣の少女だ。
「わ、わたし、田中佳子です。よ……よ、よろしく、ミリィさん……!」
「ああ……ああ! 妾からもよろしく頼む、佳子!」
「あ、アタシは櫻井立花! ミリィちゃんって呼んでいいかなっ!」
「う、うむ! ゆる……じゃなかった、構わんぞ!」
右隣だけではなかった。千由里の言葉を皮切りに、周りから多くの言葉がかけられた。女子だけでなく、男子からもだ。
魔王にとって幸運だったのは、このクラスの大半はそうしたことを気にかけない、心優しい子供たちだったということだ。彼らにとっては、あのとち狂った自己紹介なぞはどうでもよかったのかもしれない。
実際、魔王の容姿はこのクラスでも群を抜いて美しく、彼らはそんなくだらない自己紹介より、魔王の持つ魅力に興味津々だったというのもあるだろう。
瞬く間に、彼女の周りに人だかりができる。彼女の小学校生活は、まだ幕を閉じていなかったようだ。
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……しかし、やはりどこにでも、こういったことに、少なからず煩わしさや嫉妬などを覚える生徒もいるわけで……。
「何、あの子……あんな変な挨拶しちゃって、馬鹿みたい……!」
「それに群がるあいつらも理解できないわ。ほんとムカつく……!」
「あの喋り方も……うっざ」
リーダー格らしき男女が、教室の隅でそう愚痴る。そこに見え隠れする嫉妬は、オブラートに包むどころか、剥き出しである。
彼らは、いつもクラスのみんなの中心にいる子供達だが、その理由は、明るいからだとか話しやすいからだとか、そういったものではなかった。
その理由とは、存在感や影響力といった力だ。この学校では、クラスの中心にいる連中の一部はいじめっ子気質であり、全てが全てというわけではないが、こうして自身の人気をかっさらう奴を目の敵にしたり、教師や規則に違反することを格好いいと考えるような奴らもいた。
隅っこに固まっていた連中のうち、一人の男子が腰を上げた。狙いは……クラスの中心にいる、あの金髪の女の子。
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一方で、ミリィ達は賑わっていた。
彼女の古風な口調は、何故だか分からないが、彼らには受け入れられており、数人の女子が真似をしようとするほどだった。
「ミリィちゃん、髪すごい綺麗だね! 妖精さんみたい!」
「そうかの? おんしも中々良い髪をしているではないか。今のうちから、手入れは怠ってはならぬぞ」
「藤原さんって、ハーフなの?」
「ああ。まあ、生まれも育ちも日本じゃから、英語はあまりできんがの」
「わ、私もそれ真似したい! の、のじゃっ!」
「む、無理して口調を真似する必要はないと思うのじゃが……」
……口調からして、もはや、同級生というより、近所にいる気心の知れたおばあちゃんである。いや、実際、魔王の年齢を鑑みれば、それは存外的を射たものであるのだが……。
魔王は、ここまで打ち解けられるとは思っておらず、先ほど同様心底感動していた。
しかし……。
「おい、外人」
唐突に、嫌味ったらしい言葉が、クラスの輪に割り込んだ。
入って来たのは、一人の男子だ。周囲と比べて発育が良く、体付きがガッチリとしている。健康的に焼けた肌から、よく外ではしゃぎまわっているのだろうと推測できる。
言葉遣いから分かる通り、この男子は明らかに、彼女に対する嫌悪感をむき出しにしていた。彼女の何が気にくわないのかは流石に分からないが、それだけは言える。
しかし、そこは魔王。伊達に百年生きていない。嫌みったらしいその言葉に顔をしかめることなく、あくまでも笑顔で少年を迎え入れる。
「おや、どうしたのじゃ。そんなにピリピリしおって」
物腰柔らかな返答だが、この少年からすれば予想外の切り返しだ。少年の顔は、余裕のあるその態度に、苦虫を噛み潰したような顔になる。
いや、こんなに簡単にあしらわれてはダメだ。もっと強気で行かないとと、少年は気をしっかり保たせる。自分に折れない奴はいなかったのだ、こいつもすぐに、この迫力に折れるに違いない。
「……はっ! どうせお前、どっかのお嬢様なんだろ? 肌すげー白くて……なんかの病気なんじゃねぇの?」
「検査はしっかりとしたことはないが、特にこれといって大きな病は患っていないと思うぞ?」
「…………お前の腕、そこらの小枝みたいに細いよなぁ! ちょっと動いたら、ぽきっと折れちまうんじゃねぇの?」
「あぁ、どうなんじゃろ? 確かに、生まれてこのかた、まともに運動をしたことがないの……どのくらい動けるんじゃろうな、妾?」
言葉の最後には必ず、にぱっと、人の良さそうな笑みを浮かべる魔王。
どう考えても、少年の攻撃は魔王に効いていない。それだけでなく、周囲の子供達は、一方的にあしらわれているこの少年が、なんだかかわいそうに思えてきた。この少年に向けられた目が、彼を畏怖する視線から哀れむ視線に変わったのである。
もちろんこの少年……澤村健二は、困惑の色を隠せないでいた。
彼は、このクラスでも、『神奈備小のアンタッチャブル』と呼ばれる程敬遠されていた存在だ。
というのもこの少年。恵まれた体格と怖い形相。空手で大会に入賞するほどの実力に、横暴な態度など……人から恐れられる要素を全て持っていた。
それゆえの圧力。それゆえの影響力。某猫型ロボットのアニメで登場するジャイ何某のような存在。それが彼だ。気の弱い奴らは大抵彼の言いなりであり、絡まれたくない子供達は彼から距離を置く。そうした扱いや空気に彼は慣れ過ぎていた。
しかし、目の前のこの少女は、例外中の例外だった。
いままで、自分が中心で回っていたはずのクラスメイトの視線は、全て彼女に釘付け。彼女自身も、自分に一切恐れる事なく話しかけてくる。
自分とは違うアプローチで、自身の地位がまるごと奪われたかのように、この少年は感じたのだ。
はっきり言って、不愉快であった。自分を見てくれないクラスメイトたちも、自分からその地位を奪ったハーフの少女も……何もかもが不愉快で……それを、取り返そうとしただけだったのだ。あるべき地位を、あるべき場所に。
しかし……今の状況はどうだ。心の不快感はむしろ高まる。今までに向けられた事のない視線が自分に集められ、元凶のミリィは今、その不愉快な笑顔を自分に向けている。
口論じゃダメなんだ。そう考えた子供が、行動に移してしまうのは、はっきり言ってしょうがない事である。
「なま言ってんじゃねぇ、この外人が! ぶん殴られたいのか、畜生!」
拳を掲げて、少年はそう叫ぶ。そうだ、最初からこうすればよかったんだ。こうすれば、全部丸く収まる。
大丈夫。目立った怪我をしないように殴るのは慣れてる。黙らせる事だって簡単だ。仮にバレて怒られても問題はない。ちょっと怒られるだけ。
彼にとっては最終手段であり、最善の手だったこの行動は……。
「えっ!? 何!? 今の受け答えではダメなのかの!?」
ある意味では、魔王に効いたのかもしれない。
怯えた様子を見せない……いや、ただ驚いただけの魔王に、健二を含めたその場の全員が、なんだか拍子抜けしてしまったが。
「いや、あの。おんしよ。一体妾の何がいけなかったのじゃ? せっかく今日までに読み込んだ『子供と楽しくコミュニケーション!』という本のセオリー通り、なるべく話を合わせたつもりだったのじゃが……まさか、この本の内容は嘘だったのかの!? 今のは全て、おんしの神経を逆撫でしてしまっていたと!? 畜生このクソ筆者め! 戯事ばかり書きおって!」
そう言って彼女は、下ろしたランドセルから一冊の本を取り出し、地面に叩きつけた。
その本の表紙には、カラフルな文字ででかでかと『子供と楽しくコミュニケーション!』と書かれており、帯には『子供達と打ち解けるにはこれを見るべし!』ともある。
子供達はドン引きである。とにかくドン引きである。同世代のハーフ美少女がこんな本を持ち込んでいるなど、前代未聞だ。
引いていないのは、健二くらいなものだ。脅したのに、逆にこちらが馬鹿にされた気がして、なんだか、どんどんむかっ腹が立ってきた。
「や、やばいよミリィちゃん……!」
「どうしたんじゃ、ええっと……ど、ドラッヘや」
「僕そんな名前じゃないんだけど!? 木村竜太だよ! どうしたらそんな名前になっちゃうの!? と、とにかくやばいんだよ! こいつは健二くんって言って、空手の大会でいつも入賞してるんだ! みんなに暴力を振るうから、逆らえないんだよ!」
「そ、そうなのか……? なんだか物騒なやつじゃな……。わかった。なんとか穏便に済ませてみよう」
ミリィは、竜太の忠告を聞いて顔をしかめる。彼をこれ以上怒らせるのは良い事ではないと思い、なるべく穏やかに彼を落ち着かせようとした。
「の、のう……おんし? 荒事は控えようではないか。この場でそんなことをしても、なんの問題も解決できん。話し合いで、話し合いで解決しようではないか」
「う、うるせぇ!」
「まずは、その拳を下ろそう? な? 穏便に、穏便に……」
「てめぇは……てめぇらは、黙って俺に従ってりゃいいんだぁーっ!!」
健二は、その拳を勢いよく振り下ろす。
狙いは顔面。相手のことなど、後のことなど御構い無しの一撃。
大怪我をしても、俺のせいじゃない。煽ってきたあいつがいけないんだと、心のどこかで自分を正当化する。そうだ、俺は間違っていないのだ、と……。
しかし、その次に起きた出来事は、彼の想像をはるかに逸脱したものであった。
ミリィは……勢いよく立ち上がり、向かってくる右拳を左手で軽くいなす。
そしてそのまま、彼女の伸ばした右手が健二の右手の内側にするりと入り、その掌底が健二の顎を打ち据えた。
「ぐぶっ!?」
まだミリィの反撃は終わっていない。ミリィは彼の右肩を腕で固め、足を刈り、肩に体重をかけて下に引き込む。
先の鋭い一撃に一瞬意識が飛びかけていた彼は、いともたやすく転ばされる。背中を打ち、肺の空気が一気に吐き出された。
「かはぁっ!?」
仰向けに倒れた健二は、一人の少女の顔を見上げていた。彼だけが、今起きたことを把握できていなかった。
自分より体格が小さく、細腕の少女が、いともたやすく自分を転ばせたとわかったのは、その少し後だった。
「このような事をするつもりはなかったが……すまんな、少々、場を収めるのに荒々しい手を使ってしまった」
その瞬間、教室に大きな歓声が上がった。
今回も読んでいただき、ありがとうございます!
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