魔王様、小学校生活の幕開けです
「おい魔王」
ここは、とあるオンボロアパートの一室。
六畳程度の生活空間には、安物の中古テレビに小さなちゃぶ台、そして、この部屋には合わない大きめのスチールラックが置かれ、狭い空間をさらに圧迫していた。
そんな部屋には、二人の住人がいた。一人は、現在進行形でもう一人の住人を睨みつけている、エプロン姿の青年である。
黒い髪はボサボサで、しっかりとした手入れがされてないように思われ、右の頬にはニキビが一つ。容姿は、良くもなく悪くもなく……と言ったところだろう。
「なんじゃ勇者」
青年の言葉に反応したのは、魔王と呼ばれた小さな少女。
金色の綺麗な髪に、長いまつ毛。彼女の容姿はまさに、アニメから飛び出してきたかのごとく整っている。その美少女は、純白のダボダボなシャツと、紳士用のブリーフのようなズボンを履いただけという、非常にラフな格好で、畳に寝そべっていた。
少女の手には、一昨日発売されたばかりの新しいゲーム機のコントローラーが握られ、画面にはスッキリとした白い鎧をまとった人が、ゲームの画面とは思えないほどに綺麗な草原を駆け回っていた。
「妾は今、貴様の買ってきたこの『クリーチャー・ハンターX』を堪能しておる。要するに、忙しいのじゃ。そんな妾になんの用事かの? 貴様の要件は、妾の娯楽を妨げるに値するものなのかの?」
「お前、これいつまでいじっていた」
勇者と呼ばれた青年の冷たい視線は、容赦なく魔王と呼ばれた少女を射抜く。
この青年の名は、藤原勇太。22歳。最近近所の私立中学に就職したばかりの新米教師で、勇者として一度異世界へ召還された過去を持つ。
そして、魔王と呼ばれたこの少女は、ミリィ・ディアボロア。いや……この世界では、藤原ミリィといったほうが正しいだろう。御歳189歳となった彼女は、正真正銘、異世界の魔王であった。
彼らの戦いは、本当に凄まじいものであった。魔王は高度な魔術を惜しげもなく放ち、勇者はそれを、聖剣によって斬りふせる。
ぶつかり合った斬撃は、地上に大きな爪痕を残し、空に鳴り響く雷鳴は、立ち込める暗雲ごと薙ぎ払われた。
その戦いは、勇者の勝利で終わった。魔王は敗北し、逃走のために使用した魔術によってこの世界へ飛ばされた。そこを、魔王討伐の約束としてこの世界へ帰って来ていた勇者に保護された、という訳である。
「……」
ミリィの顔は、勇太の方を向かない。そんなミリィの背後から、元勇者とは思えないほど低い声が聞こえてきた。
「答えろ、魔王」
「…………」
「こ、た、え、ろ」
「ざっと……二十時間?」
「てめえええええええええええ!」
彼が怒るのも無理はない。
この勇者、とにかく金がないのだ。
見るも無残なオンボロアパート。全てを含めて十畳もないチンケな部屋。エアコンはなく、家具もテレビも全て使い古されたものばかり……。
そう。勇者は、金に飢えていた。
「ねぇミリィ、何度言ったら分かるんだい!? 昼間っから電気を煌々とつけてテレビゲームをいじっていたら、一体どれほどの電気代がかかると思っているの!? 俺の収入は心もとないことは知っているでしょ!? ねぇ〜、もう、なんでいうことを聞いてくれないかなぁ? 今月俺が自由に捻出できる金額がついに3000円を切ったんだ! この前までは諭吉さんが何人もいたのにだ! 凄いだろう!? 原因は君だ! 毎日毎日毎日毎日、ずっと閉じこもってゲームとパソコンで電気を貪り、狂ったように近所のコンビニで菓子を買い漁るからだ! 菓子だけじゃないぞ! 夕飯時は必ずと言っていいほどおかわりするよね!? おかずもあるのに米を一人で一合食うとか、育ち盛りの男子高校生か君は!? 君が来て娯楽を知ってから、電気代と食費がアホみたいに嵩んでいって、俺のお財布からついに諭吉さんの姿が消えてしまったんだ! それにこの前は俺の金とったよね!? 俺が大事にしまっていた新渡戸稲造さんはどこに消えたの!? 俺の大事なコレクションなんだ、どこかへ隠しているならすぐに出しておくれよ! 懐でしょ? 懐にあるんだよね? 頼むからそうだといっておくれよミリィ!」
「……ふふふ」
激昂していた勇太だが、不敵な笑みを浮かべる魔王ミリィ・ディアボロアを見て、警戒心を高める。小賢しい魔王のことだ、きっと何か企んでいるに違いないと。
「貴様、何か思い違いをしておるのではないか?」
「……何が言いたい、魔王」
「妾は魔王である」
「そんなことはわかっている。しかし、だからなんだ。今は同じ部屋で暮らす、同居人じゃないか」
「そう、そこだ。貴様が思い違えているのは」
何が言いたいのか、彼女の言葉を理解できていない勇太は、首をかしげる。
ミリィは、その場にゲーム機を置くと立ち上がり、勇太を指差してこう言った。
「妾は魔王である。魔王とは、元来、勇者に迷惑をかける存在である」
「……」
「妾達は、同居人である前に魔王と勇者……つまり! 妾がここでグータラと怠惰を貪り、貴様の貯蓄を切り崩させているのは、ただ妾がこれらの娯楽にはまっているからではない! そう、これは、魔王の使命として怠惰を貪り、率先して貴様の貯蓄を切り崩しているのだ!」
ミリィは腰に手を当て、高笑いする。まるで勝ち誇ったように体をそらし、キッチンへと戻る勇太の背中を見て、見下すような視線を向ける。
勇者よ、貴様は気づかぬうちに、妾の術中にはまっていたのだと、それはもう大きな声で。
「クハハハハハハハハハ!! ざまぁないわ、この貧乏勇者め! 向こうの世界で妾にたてついたこと、そして、妾を己が居城に迎え入れたこと、死ぬ気で後悔させて……」
その時、ちゃぶ台にドンッ!と何かが置かれた。
「……勇者。この花瓶はなんだ」
厳密には花瓶ではない。置かれたのは、小さなタンポポが入っているコップであった。
まだ魔王が来る前、この部屋にも何か緑が欲しいと思った勇太が取ってきたもので、タンポポはしなびることなく、生き生きとしていた。
しかし、それを持ってきた勇太の瞳は完全に死んでいた。そのまま彼は、口元だけを月のように歪めて、いびつな笑みで彼女を見た。
「魔王。これから、お前の食事はこのタンポポ一輪だ」
「んなっ!?」
まるで感情のこもっていない顔でそう言い放った勇太に驚愕する魔王ミリィ・ディアボロア。
ミリィは、勇者の発言からも分かる通りの大食らいで、夜には近所のコンビニで買い込んだ大量の菓子を頬張り、夕飯どきには山のように飯を食う。
今も彼女の胃袋は限界を迎えており、大きな腹の虫が彼女の空腹を告げた。
「……」
「……」
「まってぇ、勇者ァ!?」
何事もなくキッチンに向かう勇太の背中に、ミリィは飛びついた。
「ちぃっ! くそッ離れろこの穀潰し魔王! お前なんかを養う余裕はうちにはない!」
「嫌じゃ嫌じゃ! あんな飯は嫌じゃ! 妾はご飯が! あったかご飯が食べたいんじゃぁ!」
暴れる勇太にしがみつくミリィ。この下の部屋に住民がいたなら、彼らはこっぴどく怒られていただろう。
背中に引っ付いたミリィを剥がそうにも、彼女は存外腕力が強い。振り落そうにも降り落とせず、むしろ、しがみつく力は強くなる。
「はっ! なら拾われる前みたいに、猫を使役して弁当でも盗んでくればいいだろ! 言っておくが、電子レンジは貸さないぞ!」
「嫌じゃ! あのゴミ箱行き売れ残り弁当なんて嫌じゃ! 冷たくてパサパサしてて食えたもんじゃないわい! そもそも、添加物モリモリのご飯なんて、体に何か悪影響があるかもしれんじゃろ! 妾を病気で殺す気か!」
「勇者とは元来魔王をぶっ殺すものだろう! お前を養うなんて、本来俺がするべき事じゃなかったんだ! 今度こそ段ボールに詰めて桟橋の下に置いてきてやる!」
「や、やめろ勇者! この絶世の美少女を本当に殺すつもりなのか! とにかく、あったかご飯を! 惨めな妾にあったかご飯がを恵んでくりゃれ! 言うこと聞くから! なんでもするからぁ!」
勇太は暴れるのをやめて、背中に引っ付いた彼女の両手に手を添える。
「その言葉、本当だな?」
「ほ、本当じゃ! 貴様が望むなら、貴様の定めた規則に従うとも! 絶対にその約束は違えぬと、我らが魔王の始祖に誓おう!」
「その言葉は、俺らで言う『神に誓って』ってニュアンスでいいんだよね? なんだかすぐに裏切られそうな予感がするけど……まあ、その時はその時で追い出せばいいか」
「か、神に! 神に誓うとも!」
「分かってるって。じゃあ……」
そう言うと、勇太はラックから、油性ペンと紙を出し、そのペンで紙に文字を書き出していく。
全てを書き終えたら、勇太はそれを、何もない壁にセロハンテープで貼り付けた。
「こ、これは……?」
「ああ、これからミリィに従ってもらうルールを書いた。日本語はもう読み書きできるんだろう?」
「無論じゃ……。じゃが、これは……」
彼女の表情は、あまり芳しいものではない。返事も歯切れが良くないものだった。
それもそのはずである。紙に書かれた内容は、彼女にとって不都合なものばかりであったからだ。
内容は、以下の通りである。
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藤原家の掟!
その1 ご飯のおかわりは1回まで!
その2 ゲームは1日一時間!
その3 夜9時以降の外出は原則禁止!
その4 休まず学校へ通う事!
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「ご飯のおかわりは一度きり……せっかくコツを掴んで軌道に乗ってきた『クリーチャー・ハンター』は、一日たったの一時間のみ、じゃとぉ……!? そ、それに……」
学校への登校。この項目が見えた時、彼女の顔は、他の項目を見た時よりも大きく歪んだ。
この魔王ミリィ・ディアボロアは、戸籍上、日本人とイギリス人の間に生まれたハーフで、藤原勇太の親戚ということになっている。その年齢は8歳。つまり、小学2〜3年生相当の年齢である。
そんな彼女が学校に行っていないのはいささか問題があると思い、勇太としてはどうしても学校に行かせたかったのだ。
「くそっ……なぜ妾がこのような屈辱を……」
「なあ、タンポポって菊と同じ種類の植物なんだぜ。食用菊ってのもあるくらいだから、きっとタンポポも美味いん……」
「分かった、分かったからぁ! あー! 嬉しいなぁ! こんな素敵な人が妾の保護者で嬉しいなぁ!」
「そう言ってもらえるとありがたいなぁ。じゃあこれ、しっかり守ってくれよ」
そう言うと、勇太は一人キッチンに戻っていく。その後ろ姿を、今度は恨めしそうにミリィが睨みつけていることを、勇太はなんとなく察していた。
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そして、翌日の朝。
ここは、神奈備小学校。千葉県の南部に位置する、とある小さな町の小学校。各学年に3つのクラスがあり、1クラスにつき三十人前後の小学生がいる、いたって平凡な小学校である。
そんな神奈備小学校のとある教室では、とある噂で盛り上がっていた。
「なあなあ、今日転校生が来るんだってよ!」
「ええっ!? 転校生!? ど、どんな人なんだろう?」
「隣のクラスの奴が言ってたけど、外国人らしいよ、その子」
外国人という言葉に、クラスのみんなが沸き立った。このくらいの少年少女たちは夢見がちで、可愛い女の子だったら、かっこいい男の子だったら……なんて、一度妄想を始めたらきりがない。
転校生がどんな人なのか、彼らの話題はそれで持ちきりだった。
「ど、どんな子なんだろう!?」
「お、女の子なのかな? それとも男の子?」
「か、かかか、可愛いのかなあ……女の子だったら、隣の席になってくれないかなぁ……うへへ」
その時、教室の扉が開かれる。まだ若い女性教師が、この騒がしい教室に入って来た。担任である。
「はーいみんな〜。早く席に座って〜。今日はみんなに、大事なお知らせがあるの!」
それを聞いて、さらに沸き立つ子供達。転校生が自分のクラスに来たのだと、彼らは確信した。
子供達がそわそわとしながら自分の席に戻るのを確認すると、その女性教師は喋り始めた。
「それじゃあ……みんな、おはようございます」
「「「おはようございます!」」」
「みんなは今日も元気ねー。そんな元気なみなさんに、良いお知らせが一つありまーす!」
大きな歓声をあげて沸き立つ少年少女を、女性教師は、人差し指を口に当てて静かにさせた。
「今日は……なんと、このクラスに…………転校生が来まーす!」
その言葉と同時に、開いた扉から女の子が入って来た。
長い金髪に、きめ細やかな白い肌。どこか憂いを感じさせる瞳は、男子だけではなく女子の心までもを射抜いた。
そう。この少女は、魔王ミリィ・ディアボロア……もとい、藤原ミリィであった。
ざわつく子供達を手で制し、担任の教師は前にいるミリィの両肩に手を置いた。
「それじゃあ、自己紹介をお願いね」
「うえっ!? あ、えー……そのぉ……」
ミリィは混乱していた。
もちろん比喩でも間違いでもない。このとき、ミリィは今までにないほど混乱していた。
彼女は、ある程度なら学校というものがどういうところかを知っている。勇太の家で怠惰を貪っている時、日本のアニメーションとやらを見ていたためだ。
学校では、同学年の全てのものが対等である。隣の席の生徒を、同じ教室にいる全ての子供達を友と呼び、肩を並べて学校生活を過ごす。
が……生憎、ミリィにそんな経験はなかった。
ミリィは、生まれながらの王族である。常日頃から、周りの者たちよりも高い位置にいて、彼女の周りに侍るのは、彼女より下の者たち。友と呼べる存在は、彼女の飼っていたペットたちのみで、人と友好を深めたことなど一度たりともなかった。
故に。魔王は混乱していた。
——自己紹介……じゃとぉ!?
自己紹介。それは、小学生生活での最大の鬼門。一歩間違えれば、周囲から持たれる印象は全て悪いものとなってしまい、そのイメージを、学生生活が終わるまで持たれてしまう。ミリィが、テレビ番組やアニメーションから学んだ知識の一つである。
乗り越えることは簡単だ。当たり障りのない、普通の自己紹介をすればいい。が……彼女にはその、当たり障りのない自己紹介というものが分からない。
——行け! 行くのじゃ、ミリィ! 当たり障りのない、普通の挨拶をすれば良いのじゃ! 何をためらう必要がある!
が、その一歩は踏み出せない。
彼女を引き止めたのは、他でもない、彼女自身の口調である。どこからどう見ても分かることだが、彼女の言葉遣いは……あまりにも古臭すぎた。
大抵の学園もののアニメにはこんな口調の生徒は存在しないし、明らかに不自然である。この口調が目の前の子供達に受け入れられるかは分からないため、少しは自重する必要があるのではと愚考する。
しかし、この国の標準語は未だなれない。たどたどしい言葉はあまり好まれないのでは……などと、考えれば考えるほどに正常な思考は薄れて消える。
どうする。どうすればいい。担任が心配して声をかけていることにも気付かず、険しい顔でとにかく悩む。
もはやこの時点で変わり者という印象付けがなされてしまっているのだが、それでもミリィは悩む。
——そ、そうじゃ! 最近見たアニメーションで、転校生が来るシーンがあったではないか! ど、どんなアニメじゃったか……どんなシーンじゃったか……!? 思い出せ、思い出せぇ!
「……わ……」
「わ?」
「わ……わわ、わわわ……」
考え込みすぎて、さらにこんがらがる頭。学生ものだけでなく、多種多様なアニメの自己紹介シーンが頭をよぎり……そして、その中でも、最も自分に合った自己紹介の映像が、その時の台詞が、その口から放たれた。
「わ……我が名はミリィ! 歴代随一の魔王にして、この世全てを征服する者っ!!」
魔王の小学校生活は、唐突に幕を閉じた。
新年早々失礼します! こちら、五六一二三に御座います。
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次回の投稿は明日のお昼頃を予定しています。どうぞ次回も見てくださると幸いです。