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アスペルガー京大博士エッセイ集

「死ぬ直前」の医療

作者: 児島 武

 2017年の1月12日に母が天へと召された。


 幸いに家の近所に、埼玉県で17件しかないという緩和ケア・ホスピスを備えた病院のうちの一つがあり、そこで穏やかな天寿を全うすることができた。

母の肉体の死は、非常に幸いなものだったと私は思っている。


 こういうと不自然に思われるかもしれないが、人の肉はいずれは滅びる。

絶対にだ。

さにあらば、最期の近くまで自分のしたいことができ、苦痛の少ない肉の死を迎えた母は、幸福であったといえる。


 何しろ、症状が現れたのが、2016年の10月半ば。

正確な診断を受け、進行性の膵臓がんであることが分かり、余命が1~3か月であることが分かったのが、11月上旬である。




 私は、キリスト教の求道者であり、毎週水曜に地元の教会通っていたことに加え、そのホスピスのある病院のお医者さんたちもキリスト者であるキリスト教系の病院であった。

ホスピスには、チャプレン(「チャペル守り」の意。

ホスピス・刑務所・軍隊などでスピリチュアルケアを行う)さんが常駐していて、天寿を全うしつつある人々を慰めていた。


 私が、キリスト教の教えるところの死生観を語ったり、キリスト者の医師、チャプレンさんなどが母を励ますなどし、求道心が芽生えた母は、正式に洗礼を受けることに決めた。

肉体の死を迎えつつある方が、洗礼を受ける場合、時間的・肉体的に余裕がないので、病院内で早急に洗礼を受けることができる。

病床洗礼と呼ばれるものである。


 2016年11月24日、季節外れの雪の積もる中、洗礼式を行い、母はキリスト者となった。

洗礼式に訪れた人たちは、母が健康そうに見えるのに驚いており、ある方は「いったいどこが悪いのかと思いましたよ」と言っていた。

ホスピスに入院し始めてしばらくたち、環境にも慣れ、腕利きの緩和ケア医のおかげで、一度検査などで弱った体力が回復していたためである。



 母は、ホスピスに入院した直後は体が弱っていた。

はじめに行った行きつけの医者が超人的な技量の拙劣さを示し、その時点で母のすい臓癌はステージⅣで、腹水も4リットル以上たまっていたのに「これは便が詰まったんだろ」という白痴的誤診のもと、水を2リットル以上飲ませ「腸内の検査をやる」という虐待的処置をとったからである。

その後、母は弱る一方なので、これまた近所の別の中核病院に行って、CTをとったところ、即入院と相成った。


 なぜ行きつけの医者はこんなことをしたのか?単純な話で、最近入れた腸内内視鏡を使いたいからである。

この医者はうちの近くにあるのだが評判が悪く、近隣の人は行かない。

母は、面倒くさがりだったので「ここでいい」といっていたが、実はよくなかったのである。




 私も一回だけ行ったことがあるが、一回でいけなくなってしまった。

というのも、数年前3月ごろ鼻水が出てのどが痛くなった私は、その医者に行き「風邪だったら風邪薬でも貰おうか、花粉症だったらそのうち治るだろ」と思っていた。

ところが、医者が「花粉症かどうか調べます、採血して検査に出しますね」という。

「いや、そこまでしなくても」と言えばよかったのだが、「そうなのか、じゃ、やってもらうか」と思った私は迂闊にも言うことを聞いてしまったのだ。

採血され、診察を終えて会計に行って、驚いたことに「(保険がきいた後の患者負担分として)7千円になります」と言われた。

とんでもない高額な検査をされてしまったのである。

要するに儲けたいのであろう。

「二度と行くか」と思った。


 現代医療は偉大である、それ以上にヤブ医者はのヤブ力は常軌を逸した破壊を顕示する。

医療となすも、殺戮となすも医者の力次第である。

現代医療の神殿、病院において医者は現人神であり、いかなる権力をも振るい、患者のこの後の運命をまさに創り出す(出来損ないの)神デミウルゴスである。




 さて、私の母が入院したホスピスの医者は、はっきり告知した。

こんなである。


 「余命は1~3か月です。

もう時間がないんだ。

進行性すい臓がんはいきなり来るから怖いんだ」

 「しかし、中核病院の先生は3~6か月とおっしゃっていましたが…」

 「そりゃ、分ってないんだ。早く娘さんを呼んで、やり残したことがないようにしたほうがいい」

 母は、泣き崩れた。

当然ショックだからである。

だが、今思えばこれから2か月と10日余りで昇天するのだから、この医者の所見は恐ろしく正確だったことになる。

とはいえ、このような断定調の告知は、私たち家族全員にとってむしろ適切だった。

気丈な母は、覚悟を決め、家族である私と父は早速私の姉を呼び、母方の親戚に声をかけ、次々に母の兄弟をはじめ、関係者に遠方からも来てもらい、面会ができた。


 しかも、ホスピスは個室で、環境もよく、24時間面会可能で私も毎日朝早くに見舞いに行っていた。

非常によくできた病院であったから、母は、好きな絵を描いたり、「聖書を読む」などと言い出したり(結局私が読んで聞かせた部分のほうが多かったが)、やる気を出していた程である。

たまに自宅に一時帰宅してきたりということがあったが、好きなガーデニングをしようなどとして球根を植えたり「鍋をつついて食べよう」ということで2017年の正月は鍋で祝ったりした。

死の12日前である。


 考えるに、麻酔医の技量が先に述べた行きつけの医者と真逆の意味で超人的だったのと、気の利いた病院で、リハビリもしてくれるので、体力劣化が理学療法士の指導で抑えられたことが大きい。

ホスピスが良かったので、洗礼式の時に体力を回復していて、元気そうに見えたのである。




 この病院の医者は正確な意味で「人間」であった。

デミウルゴスでもフューラーでもツァーリでもなかった。

人間のいずれ迎える絶対的限界「死」を明瞭に諒解していたからである。

医の境地が死への敗北であるという自明の事実を受け入れていた。

だから、告知をした医者も、告知はぶっきらぼうであったが、母が言うには、

 

「あの先生はいい先生でねえ、かあちゃんのベッドの横に来てくれてねえ、『大丈夫だよ、大丈夫だよ』って言って掛布団の上から撫でてくれるんだよ」 


 と、感心しきりだった。

死を受け入れておればこそ、その不安も理解できるし、慰め、哀れみ、労わることができる医者った。

だからこそ私はこの医者のことを人間という。

人間の条件を十全に満たしているからである。

「医者なれば人間なること当然ではないか」といういう者もあるかもしれない。


 そうか?もうすでにわれわれは、誤診したうえ、拝金主義ににものを言わせて無用で身体的負担の多い検査をした、しかも、膵臓がんは見つけにくいとはいえ、腹水もたまりステージもⅣまで進行したがんを見過ごすという奇跡をやってのけるデミウルゴスを見たではないか?このデミウルゴスは死期近い母をなお弱らせ、全く衰弱した母の別物を創造した。

このようなことを人間はしない。

人間以外の何物かである。




 さて、母の死の日であるが、それは突然にやって来た。

1月11日夕刻、父に聞いたことによれば、母の嘔吐がひどい、食べるどころか薬を経口摂取することも困難であり、盛んに口から白い塊を吐瀉していた。

私が、「先生、母が吐いているものは一体…」と聞くと、「うん、胃の内部の老廃物が出てきていますね」とのこと。

ここでその場に居合わせた、父と医療スタッフは決断に迫られた。

点滴をするかということである。


 単純に「食べられないなら、点滴すればよいではないか」と考える方のいるかもしれないが、栄養を点滴すると、その栄養はがん細胞にももちろん届く。

がん進行の要因にもなりえるのである。

この時点で、父と私は、母がそう長くないことは悟っていた。

どのみち長くはもつまい、ただ、放置というわけにもいかない。

そんなわけで点滴をお願いしたのである。

その晩、母の肉体は死を迎え、翌朝5時ごろ、私たち家族に連絡が来て、死亡診断書が渡された。




 さて、母の最期について考えてみると、最後の点滴が適切だったのかどうかはわからない。

もしやらなければもう幾日か長生きした可能性もある。

その場合、疼痛緩和だけしてそれ以外は何もしないということになるが、これも終末期医療の一つの選択肢である、はずである。

だが、これがなかなかできない。

人間は何をやったって、最後には肉の死を迎えるのだという自明の事実が受け入れられない。

だからどうしても何かしたがってしまい、死を従容として受容するということができない。

これは死にゆく人の病というよりも、死にゆく人を取り巻いている人たちの病のように見える。


 現に、母が天へと召された後、母の兄から電話がかかってきて、父が事情を説明すると、その母の兄は、

 「そいじゃあ、医者に匙を投げられたとかそういうことじゃなかろうな?」

 と聞いてきた。


 「そういうことはない」

 で切り返しておいたが、妙なものである。

余命宣告をされ、もはや現代医療の粋を尽くしたとて、治癒は見込めぬものに「匙を投げない」とするならばなにができるのだろう?


 実は、ホスピスに入る前、上述の中核病院に入院していた当時、その病院の医師の選択は疼痛緩和プラス抗がん(ジェムザール)の投与であった。

確かにジェムザールにはすい臓がんの疼痛を緩和する効果もあるようだ。

だが、その時点で母の消化器系は行きつけの医者のまずい処置と、別の病院での検査によって弱っていた。

比較的弱いとはいえ催吐性のあるジェムザールの投与には私にも疑問を感じざるを得なかった。

抗がん剤を投与しておれば「医者は匙を投げなかった」ということになるのだろうか?


 昔の人には抗がん剤などなかった、というより、まともな医療らしい医療がなかったといっていい。

しかし、人なれば死にもするし、それに興味を持たなかったわけではない。


 昔から、人間が迎える死の瞬間を詳細に期して収集した「往生伝」がよく書かれ、名高いのは、源信『往生要集』である。

ここでは死を迎える人の苦しみは書かれておらず、人は平安の死を迎えるのが普通で、念仏を熱心に唱えて信心深かった人に至っては死の瞬間に喜びさえ覚えるというのである。

トルストイ『イヴァン・イリッチの死』で、主人公が最後に死に臨んで光を見る光景を思わせるが、何もしない「匙を投げ」られた人々の最期はこういったものなのかもしれない。


 だから、もう思い残すことはないというのなら、最小限の疼痛緩和などのみに医療処置はとどめて「匙を投げる」というのは、最善と決まったわけではなかろうが、有力な選択肢だとはいえる。




 史上悪名高い、東海大「安楽死」殺人事件で、患者を「安楽」死させた徳永雅仁医師は、患者を絶命させる薬剤として塩化カリウムを注射によって投与した。

多くの医師がこれに疑問を感じた。

というのは、塩化カリウムによる絶命には、多大な苦痛が伴うことが推測されるからである。

例えば、ネズミに投与すると全身を痙攣させて「きいーっ」と鳴いて絶命するという医師の証言がある。

現に「安楽死」させられた患者の息子は患者の絶命の瞬間を、

 「注射を始めると上半身がぎくっと動き、目をかっと見開いて、そのあとで呼吸がとまりました。

医者というのはきつい注射をするんだなと思いました」

 と証言している。


 そして興味深いのが以下の事実である。

つまり、法廷で証言をする際、被告の徳永雅仁医師は「医師たるもの、可能性があれば一分一秒の延命にも努力すべきだ」と繰り返し述べたというのである。

詳細はわからないが、この医師は、人間はいずれ死にゆくのだという絶対に避けられない運命に対してどう思っていたのだろう?人間はどのように生きても、何をやっても最後には肉体の死を迎える。

どうも徳永医師は自分が神にでもなったかのように錯覚して、医者の力があれば、死をどうにかできるとでも思っていたのではないだろうか?そしてその結果が塩化カリウムの投与であり、比較的自然に近い死ではありえないような、患者の呼吸停止法を創造したのではないかと思われる。


 医者も悩み、苦しみ、憐み、労わる人間であってもらいたいものである。

神のようにふるまっていても所詮デミウルゴスになって、出来損ないな事態を創造するだけなのだから。



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