勘違いされた一般人
「アクセル・ファンセン。
騎士長を務めるファンセン侯爵家の四男。
ファンセン侯爵家は中立派の筆頭であるが、強硬派の筆頭であるジロンド公爵家、トワネット公爵家や、穏健派の筆頭であるサンソン公爵家より劣る立場である。
強硬派は二つの公爵家が筆頭であり、穏健派は魔術師長を兼業し発言権を強めている。
また、強硬派のトワネット公爵家の長女は王太子と婚姻関係にあり、穏健派のサンソン公爵家の長女は第二王子と婚姻関係にあるが、中立派のファンセン侯爵家は娘がいないために王族と婚姻を結んでおらず、騎士長を兼業しているだけで、王家とのつながりが薄い。
元々、国内最大貴族であるトワネット公爵家、ジロンド公爵家、サンソン公爵家に比べれば低い立場であったが、今代の王家との婚姻でなおそれが顕著になっている。
第三王子の婚約者は中立派だが、第一王子、第二王子がいる以上、第三王子が王位につくことはほぼないだろう。
そのような状勢の中、アクセル・ファンセンはまるで期待されていなかった。
中立派という一歩引いた派閥であり、筆頭の家とはいえ四男であるため、アクセル・ファンセンに求められたのは問題を起こさないこと程度だった。
アクセル・ファンセンはそれに不満を抱くことはなかった。
何故か。
アクセル・ファンセンは愚かだったからだ。
しかし愚直という言葉があるように、自分の境遇に不満を抱かぬほどの愚かさは、この場合良いように働いた。
問題を起こさず、愚かなまま何も考えず育ち、学校に行っていた。
ここで、アクセル・ファンセンに不幸が降りかかる。
一つは、トワネット公爵家の長女と同い年だったこと。
一つは、アクセル・ファンセンの愚かさを周囲が自覚していなかったこと。
そして、アクセル・ファンセンの周囲に、問題はあるが、優秀な者ばかりいたこと。
アクセル・ファンセンは不幸だった。
今まで愚直に問題を起こさなかったため、トワネット公爵家の長女の護衛に任ぜられた。トワネット公爵家の長女が学校にいる間だけの、研修のようなものだが、そのような大役を任されてしまった。
トワネット公爵家の長女は優秀だった。護衛などいてもいなくても変わらず、アクセル・ファンセンの愚かさは露見しなかった。
どころか、アクセル・ファンセンの周囲にいた人間は優秀であり、アクセル・ファンセンまでも優秀であると評価されてしまった。
アクセル・ファンセンは大いに不幸だった。
トワネット公爵家の長女は優秀であるが癖の強い性格をしていた。
ジロンド公爵家の長男は優秀であるが劣等感から視界が狭くなっていた。
トワネット公爵家の次男は優秀であるが多大な嫉妬心をこじらせていた。
サンソン公爵家の三男は優秀であるが何もしたくないと引きこもっていた。
だから、アクセル・ファンセンも、考えなしだが優秀だと思われてしまっていた。
しかしアクセル・ファンセンは、単に愚かであるだけの男だった。
至って普通に期待され、至って普通に努力し、至って普通に努力を叶え、至って普通に挫折し、至って普通に友を作り、至って普通に家族に愛され、至って普通に恋をする、至って普通の平凡な男だった。
強く叶えたい願いもなかったし。
かといって願いがないわけでもなかったし。
能力がないわけでもなかったし。
かといって分不相応な能力があるわけでもなかったし。
利用されないわけでもなかったし。
かといって利用されすぎているわけでもなかったし。
不幸な過去があるわけでもなかったし。
かといって過去に不幸がないわけでもなかったし。
アクセル・ファンセンは愚かなだけの、普通の男だった。
ただ、不幸にも、周囲に愚かでないと勘違いされてしまっていただけで。
仮にアクセル・ファンセンが愚かであると知れていたならば、アクセル・ファンセンはこんなことにはならなかっただろう。
ファンセン侯爵家の誰かがアクセル・ファンセンを教育し、愚かさを正しただろうし、トワネット公爵家の長女の護衛なんて大役を任せなかっただろう。
重ね重ね、アクセル・ファンセンは不幸だった。
アクセル・ファンセンはただ、愚かなだけだったのだから。
その愚かさが罪だ、とは、あえて言うまい。
アクセル・ファンセン以外の、不幸が降りかからなかった人間が、愚かでなかったわけでもない。
皆それぞれに、愚かで過ちを犯して、それでもアクセル・ファンセンほど不幸にはなっていない。
そもそも、アクセル・ファンセンだけがこのような、護衛を辞めさせられるのは良いとしても、学校を退学になり、家から勘当されることになったのは、アクセル・ファンセンの愚かさによるものだけではない。
次期宰相候補を囁かれていた、宰相には向かないジロンド公爵家の長男が宰相職に就けなくなったことで、次にファンセン侯爵家の長男を次期宰相に推薦する動きがあるため、身内の処罰を一際厳しくしただけであり。
ついでにあの騒動の責任を全て被らされただけで、アクセル・ファンセンは不幸に落とされた。
繰り返しになるが、本当に、アクセル・ファンセンは不幸だった。
しかもこの不幸は、避けようがない必然のものであった。
王太子とその婚約者が強硬派であるため、宰相は穏健派か中立派からとるのがふさわしく、しかし穏健派も罰を与えるべき身内がおり、しかもその身内には碌な処罰が与えられないため、消去法で中立派から宰相をとることが決まった。
宰相に推薦されるため、ファンセン侯爵家は身内に、アクセル・ファンセンに厳しい処罰を与えるしかなかった。
騒動の責任についても、仕方のないことだった。
トワネット公爵家の長女を不当に責めた筆頭であるジロンド公爵家の長男は、自分のことばかりになって視界が狭くなるところはあるが、あれで真っすぐで不正はしない男だ。
ジロンド公爵家の長男はガセネタに踊らされただけで、それは宰相にはできないが、騙された被害者であるだけで、厳しく処罰する材料がない。
何よりジロンド公爵家の長男は優秀だ。
恋敵であったジャコバン子爵家の五男に不当な嫌がらせをしたトワネット公爵家の次男は、あくまで生徒間のいざこざで済む程度のことしかしていなかったし、嫌がらせを受けた当人であるジャコバン子爵家の五男が直接処罰し、和解している。
トワネット公爵家の長女に対しての言葉も、言い方は悪かったが、姉の減刑を望んでいたと言える。家族間のことであるし、介入してまで処罰すべきことではない。
何よりトワネット公爵家の次男は優秀だ。
公式の場で呪う、と脅したサンソン公爵家の三男に関しては、そもそも処罰できることをしていない。
何もしていないから、単なる失言で済む。
何よりサンソン公爵家の三男は優秀だ。
しかしアクセル・ファンセンは違う。
護衛を任ぜられたのにそれを怠り、護衛対象を責め、学校の生徒に嫌がらせを繰り返し、――部外者でありながら、目上の者に分を弁えない態度をとった。
不幸なことに、アクセル・ファンセン自身も愚かにも、勘違いしていたのだ。
彼ら彼女らの行動が容認されているのは、同じ学校に通う生徒同士だからであるというのに。
身分差があっても公に咎められないのは、学校内では身分を問わないという建前があるからだというのに。
周囲が不幸にも、アクセル・ファンセンを愚かではないと勘違いしていたように。
アクセル・ファンセンは愚かにも、勘違いしていた。
他校の生徒であるアクセル・ファンセンにもそれが適応されると。
アクセル・ファンセンは愚かで、不幸だった。
別の、騎士になるための士官学校に通っていたのに、問題がないと勘違いされたために、実践研修として同い年の貴人、王族貴族学校に通うトワネット公爵家の長女の護衛を任ぜられ、同い年の生徒たちの中で、自分も彼ら彼女らと同じ権利があると勘違いしてしまった。
アクセル・ファンセンは士官学校に通い、少ないが給料をもらっている『社会人』でありながら。
少なくない学費を納め、王族貴族学校に通っている『学生』と同じ身分であると、勘違いしてしまったのだ。
とはいえしかし、改めて、そのアクセル・ファンセンの愚かさが罪だとは、言うまい。
同世代の子供たちが学生で、アクセル・ファンセン自身も、確かに給金を貰っている『社会人』であるが、同時に学校に通う『学生』でもあったのだ。
それで、愚かなアクセル・ファンセンが愚かにも勘違いしてしまうのは、周囲に愚かではないと勘違いされる不幸より、ずっと罪のないことだっただろう。
つくづく、アクセル・ファンセンは不幸だった。
四男などでなく、もっと早く生まれて跡を継げる位置にいれば、周囲も熱心に教育して、その愚かさに気付き、教育できただろうに。
トワネット公爵家の長女が、護衛がいなければならないほど脆弱であったなら、護衛が役に立たないと訴えていたら、アクセル・ファンセンの愚かさは露見しただろうに。
周囲の優秀な者たちが、あれほど問題を抱えていなければ、愚かなアクセル・ファンセンが優秀だなんて勘違いはされなかっただろうに。
アクセル・ファンセン自身も、士官学校ではなく王族貴族学校に通っていたら、もっと処罰は軽くなっただろうに。
――もし護衛対象が、トワネット公爵家の長女でなければ、まだ救いはあっただろうに。
本当に、不幸で。
何より、アクセル・ファンセンは優秀ではなかった。
愚かで不幸なアクセル・ファンセンは、だから全ての不幸の押し付けられて、厳しい処罰を下された。
と、ここまでアクセル・ファンセンが不幸だったと語っておいたが、決して、この処罰が不当なものと勘違いはしてもらいたくない。
様々な事情が絡み合って、厳しいものにはなったが、これはアクセル・ファンセンの行いに対する、正当な処罰だ。
アクセル・ファンセンが任された護衛対象は、トワネット公爵家の長女で、王太子の婚約者だ。
その護衛を放棄し、あまつさえトワネット公爵家の長女を不当に責める。
これで処罰対象にならないわけがない。
他にも、アクセル・ファンセンが不当な嫌がらせをしたジャコバン子爵家の五男は、ファンセン侯爵家が筆頭となっている、中立派に所属している。
派閥筆頭の家として、同じ派閥に所属するジャコバン子爵家の五男を擁護するどころか、苛烈に責めたてるなど、ファンセン侯爵家としても見過ごせない暴挙だろう。
すなわち、アクセル・ファンセンは不幸であったし、下された処罰がアクセル・ファンセンの愚かさによるものだけではないが、それが正当な処罰であることは間違いないのだ。
愚かさが罪だとは言うまいが、その愚かさで引き起こしたことへの罰は…。
――俺の婚約者を危険にさらし、罵倒した罰は、受けてもらう」
俺の前に現れた笑顔の王太子は長々と、にこやかに語った。
闇夜でも光を放つようなその男は、王太子だというのに供もつれず、一人で、丸腰で。
――俺は万感の思いで、男を斬りつけた。
あの日、こいつに糾弾された後、学校を辞めさせられ、家を追い出され、友も去り、誰も助けてはくれず、食べる物も寝る場所もなく、もう三日も碌な物を食えず、野宿し続けている。
こいつのせいだ。
いや、そうでなくてもいい。
こいつは金目のものを持っている。
金があれば、食べ物が買える。宿に泊まれる。
殺してでも、奪う。
空腹ではあったが、剣は鈍っておらず、むしろ冴えわたっていた。
しかし男は、笑顔を曇らせることすらなく、簡単に避けて、逆に俺から最後の持ち物である剣を奪いとり。
俺がしようとしたように、俺を斬りつけて来た。
激痛。
痛い。
痛い痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃいいいぃいいぃいいいいい!!!!!
口から言葉では表せない叫びが響く。
なのに、誰も助けてくれない。
こんなにも痛いのに、こんなにも苦しいのに。
目の前にいる、俺を斬りつけた元凶の男ですら、俺を助けてくれない。
「これも別に、不当な処罰ではない。
アクセル・ファンセンが今、斬りつけてきたから、斬りつけ返しただけだ。
いわゆる正当防衛にあたる。
そうでなくとも、アクセル・ファンセンは今や、ファンセン侯爵家から勘当され、縁を切られている。
つまり、アクセル・ファンセンは今、貴族階級ではなく、平民と同じ身分である。
決して平民が賤しいと貶めるつもりはないが、あえて貴族的に言うのならば、下等な身分のものでありながら、頭が高い。
さらに相手が悪い。
相手は、平民など『気分を害した』というだけで処刑出来る、王族だ。
しかも単なる王族ではなく、直系の王子で、王太子。
何をしても不当ではない。
アクセル・ファンセンにとっては不幸だが、正当な処罰だ」
男は笑顔のまま、剣を振り上げる。まるで俺に見せつけるように。恐怖を煽るように。
俺はこんなにも痛い思いをしているのに。
こんなに苦しくて、こんなに辛くて、こんなに大変なのに。
どうしてこいつは、こんなに笑っているんだ。
「ジロンド公爵家の長男は、悪行の証拠があると踊らされただけだった。それが事実だと信じていただけだった。だから許す。
トワネット公爵家の次男は、姉の減刑を促す言葉でもあった。俺の婚約者の家族だ。だから許す。
サンソン公爵家の三男は、呪うと言っただけで、何もしていなかった。何もしない実績があった。だから許す。
アクセル・ファンセンは、俺の婚約者の護衛を怠って、俺の婚約者を危険にさらした。俺の婚約者に暴言を吐いた。あのままなら、俺の婚約者に危害を加えていた。
――だから許さん」
ぴたりと狙いを定め、月を反射して赤く光る剣。
目を逸らすことを許さないほど、美しく輝く男。
怖い。
恐怖で震えても、やめてくれと命乞いしても、男の笑みは陰らない。
剣が、振り下ろされる。
「――めでたしめでたし、でなど、終わらせない」
普通に可愛い女の子に魅了されて、普通に惚れて、普通に盲目になって恋に突っ走って、普通に振られた。魅了がなくても、普通に惚れて、普通に悪役令嬢を疎かにして、普通に処罰を受けていたと思う