捻くれた臆病者
僕には昔の記憶がない。
ただ暗く、臭くて、痛い場所にいたということを、ぼんやりと覚えている。
そこに二度と戻りたくない、という恐怖と共に。
僕の人生は、人としての生は、公爵様に見いだされた時から始まった。その時から僕は『人』となったのだ。
僕はご飯を食べた。
僕は人と触れ合った。
僕は嬉しいという気持ちを教わった。
僕は言葉を学んだ。
僕は、――僕の名前をもらった。
公爵様は僕を名づけ、公爵様の子供にしてくださった。
公爵様は僕に居場所をくださった。
公爵様は僕に兄と姉を、家族をくださった。
公爵様は僕に未来をくださった。
姉さまは僕に、公爵様はお優しいばかりではない、と言った。
そんなことは僕にだってわかる。
公爵様は僕を利用していた。公爵様に救われた僕が、公爵様の言いなりになることを望んでいた。公爵様は僕を家族とは思ってはいらっしゃらない。
でも、公爵様は僕に、いっぱいいっぱいの幸せをくださった。
姉さまは僕をお嫌いなようだけど、兄さまは僕が苦手なようだけど、お二人は僕の家族になってくださった。
公爵様がくださった、僕の家族。
公爵様は、僕を『物』から『人』にしてくださった。
公爵様は、僕を『魔力タンク』から『奴隷』にしてくださった。
公爵様は僕を大事にしてくださった。
公爵様は僕を壊さないでくださった。
公爵様は僕を生かしてくださった。
僕は公爵様の次男。
僕は公爵様の奴隷。
僕は公爵様の跡取り。
僕は公爵様の息子。
僕は公爵様の息子の代わり。
僕は兄さまの代わり。
僕は魔力がなかった兄さまの代わり。
兄さまは、貴族なら当然あるべき魔力がなかった。
姉さまは優秀だと褒められるぐらい魔力があった。
僕は魔力タンクになれるぐらい魔力があったから、公爵様に、兄さまの代わりの跡取りとして、養子にしてもらった。
公爵様は権力がお好きだ。
兄さまは魔力がないのに生きている。
僕は魔力があるから生きられる。
姉さまは公爵様に反抗しても生きている。
僕は公爵様に従順だから生きられる。
兄さまはなんで生きてる?
姉さまはなんで生きてる?
公爵様の子供なのに、公爵様に利用していだたけないのに、なんで?
兄さまは僕に妬みを教えてくださった。
姉さまは僕に嫉妬を教えてくださった。
兄さまは僕に憎しみを教えてくださった。
姉さまは僕に憎悪を教えてくださった。
兄さまは僕に恐れを教えてくださった。
姉さまは僕に恐怖を教えてくださった。
兄さまは僕に愛されることを教えてくださった。
姉さまは僕に嫌われることを教えてくださった。
公爵様は愛されることを教えてくださらなかった。
公爵様は嫌われることを教えてくださらなかった。
公爵様は僕に、疑いを教えてくださった。
兄さまは僕に、疑問を教えてくださった。
姉さまは僕に、疑心を教えてくださった。
僕には兄と姉がいる。
血のつながりはない、義理の兄と姉だ。
姉は兄が好きで、僕が兄に嫉妬しているから、僕のことが嫌いなようだ。
兄は魔力がないため、魔力の多い僕のことが苦手なようだ。
兄と姉はとても優秀だ。
姉はなんと王太子の婚約者で、将来王妃になるだろうと言われている。
兄も頭がよく、もし魔力さえあれば兄が跡取りになっていただろうと噂されている。魔力がなくとも跡取りにすればよいのに、と言われている。
僕は父が跡取りにするために養子にした子だ。
僕は公爵様が奴隷にするために見つけて来た道具だ。
暗い暗い場所にいた僕だけど、黒色は嫌いじゃない。
公爵様と、兄さまと姉さまの色だからだ。
公爵様は僕を暗い場所から救い出してくださった。
兄さまは僕をたくさん褒めてくださった。
姉さまは僕を色々案じてくださった。
僕は公爵様と兄さまと姉さまの色が嫌いじゃない。
どうして兄さまは公爵様に守られているのだろう。
どうして姉さまは公爵様に守られているのだろう。
僕のほうが、ずっと魔力が多くて、公爵様の言う事を聞くのに。
姉さまに、どうして兄さまは魔力もないのに守られているんですか、と聞いた。
姉さまは僕を睨んだ。
姉さまは、お兄様はお父様のお子だからよ、二度とお兄様を侮辱しないで頂戴、と言った。
公爵様のお子は、魔力がなくて従わなくても、公爵様に守ってもらえるんだなあ。
羨ましいなあ。
と、思った。
姉さまはとても優秀な方だ。
たくさんのことが出来て、公爵様にもたくさん期待されていらっしゃる。
王太子様にも愛されていて、王家の方々にも気に入られている。
姉さまはとてもすごいお方だ。
だから、公爵様の言う事を聞かなくても許されるのかな?
兄が父に褒められているところを見た。
どうやら兄が父に何事か助言し、父がその内容を評価しているようだ。
兄は父に褒められて、嬉しそうだった。
父も兄の優秀さを喜ばしそうにしていた。
僕は、兄が僕にそんな顔をしてくれることはないし、父が僕にそんな顔をしてくれたこともないな、と思った。
僕は公爵様と兄さまと姉さまの黒色は嫌いじゃないけど、僕の藍色は嫌いだった。
黒になれない、中途半端な色だからだ。
公爵様のご期待に応えられない、青い色。
兄さまを越えられない、未熟な色。
姉さまみたいになれない、幼稚な色。
僕は僕の色が嫌いだ。
どうして兄さまと姉さまばっかり。
僕だって褒められたいのに。僕だって出来るのに。僕だって頑張ってるのに。
姉さまは完璧なお方だけど、兄さまなんか、魔力もないのに。
なんで公爵様は兄さまを褒めるの?
なんで兄さまは僕を褒めてくれないの?
なんで姉さまは僕を嫌うの?
なんで僕ばっかり。
なんで兄さまと姉さまばっかり。
兄さまは僕に、お前が羨ましいよ、と言った。
――それなら僕と代わってよ。
僕は兄さま以上にならなきゃいけないんだ。僕は姉さまみたいにならなきゃいけないんだ。僕はそうでなきゃ兄さまと姉さまの家族になれないんだ。
僕は。
父は僕が努力すれば認めてくれた。
兄は近い将来、跡取りにもなれず、魔力も持たないため婿入りも出来ず、どうにもならなくなって実家に頼って来るだろう。
姉も、あの王太子に捨てられるんじゃないかな。
少し見ただけだけど、あの完璧すぎてうすら寒い王太子は、姉に愛情を持っているように見せかけていたが、僕にはわかる、目の奥はまるで温度のない、空虚なものだった。ずっとずっと、生まれてこの方、偽りの『可愛がり』を向けられていた僕にはわかる。
だから兄も姉も、跡取りの僕に頼って来る。
僕が必要になる。
父だって老いたら僕に頼るしかなくなる。
その時は、いいだろう。僕は「仕方ないなあ」って笑って受け入れよう。恩人と家族だからね。父と兄と姉は、僕に今までごめんって、ありがとうって、愛してるって、言ってくれるはずだ。
言って、くれるはずだ。
姉さまは僕のことがお嫌いだ。
僕が兄さまのことを役立たずって言うから。
姉さまは僕のことがお嫌いで、兄さまのことがお好きだ。
兄さまは僕に何も言ってくださらない。
公爵様は僕を褒めてくださる。
僕は間違ってない。
知らない人たちは、僕を『下賎の』とか『下等な』とか言った。
その目は忘れてしまった昔を思い出させるような醜いもので、僕はその目が大嫌いだった。
公爵様は何も言ってくださらなかった。
公爵様が僕を大嫌いな目で見たことは、一度もなかった。
兄さまは何も言ってくださらなかった。
兄さまは僕の手を握って、お前は僕の弟だよって慰めてくれた。
姉さまは何も言ってくださらなかった。
姉さまは見返してやりなさいって、知らない人たちを睨んでくれた。
僕は公爵様の奴隷だ。
僕は役に立たないと公爵様に守ってもらえない。
公爵様は僕を褒めてくださった。
僕は公爵様に認められないと家族でいさせていただけない。
公爵様は兄さまと姉さまを、家族をくださった。
公爵様と兄さまと姉さまの黒色は嫌いじゃない。
僕の、黒になれない惨めな色は嫌いだ。
公爵様は僕を褒めてくださった。
兄さまも姉さまも、いつか僕に頼ってくださる。
役に立てば公爵様も兄さまも姉さまも、僕のことを褒めてくれる。
僕は公爵様と兄さまと姉さまのお役に立つ。
僕はいただいた、いっぱいいっぱいの幸せを、返さなければならない。
公爵様は僕を褒めてくださった。
僕が頑張れば、公爵様は褒めてくださる。
僕が頑張れば、兄さまと姉さまも褒めてくださる?
家族でいたい。
僕はもっと頑張らなければならない。
僕は兄さまを越えて、姉さまみたいにならなくてはならない。
公爵様は僕を褒めてくださった。
褒められないと、公爵様も兄さまも姉さまもいなくなる?
公爵様は僕を褒めてくださった。
僕は公爵様と兄さまと姉さまが嫌いじゃない。
兄さまと姉さまはいいのに、僕ばっかり。
なんで。
兄さまと姉さまは公爵様のお子なのに、どうして。
それなのに、兄さまと姉さまは公爵様のお子で。
公爵様は僕を褒めてくださった。
姉さまは兄さまのことがお好きで、僕のことがお嫌いだ。
兄さまは?
公爵様は僕を褒めてくださった。
兄さまは姉さまのことがお好きで、僕のことが苦手だ。
なんで。どうして。それなのに。
僕は?
公爵様は僕のことを褒めてくださる。
僕は公爵様の僕だ。
「ありがとうございます!おかげでなんとかなりました!あなたがいてくれて、本当によかった…!」
そんな僕に、笑いかけてくれた少女がいた。
僕がいてくれてよかったって、言ってくれた人がいた。
僕にはその少女の笑みが、言葉が、偽りだとわかっていた。
でも少女は僕に優しくしてくれて。
ただただ甘やかしてくれて。
僕で良いよ、僕がいいんだよって褒めてくれたから。
あの子が僕を必要としてくれてるから、それで、いいんじゃないかなあって、思ったんだ。
「――弁えろ」
金色で、目が潰れそうなほど眩い王太子が僕を真っ暗に引き戻すまでは。
煌々と輝きすぎて、僕では見ることも出来ない王太子は、その光で僕の影を真っ黒に照らした。
僕の足元には、二度と戻りたくない、真っ暗な場所が口を開けている。
僕は目をつぶって、一足先にその暗闇に舞い戻った。
僕の中途半端な青い色を呑み込んで、真っ黒に塗りつぶしてなら、それでいいと思った。
「起きてるんでしょう?」
びくり、と肩が跳ねた。
与えられた部屋で、毛布に潜り込んでいた僕に、聞こえるはずのない人の声がした。
この声の主は。
「好きに話して良いって言われたから、失礼します。……どうも、あんたにいじめられてた平凡地味野郎です」
あの少女の想い人だ。
あの子が、本当に必要としていた、憎い男。
「……何の用?君も、僕のことを下等な平民って、罵りに来たの?それとも、いじめの仕返し?」
こんなやつがここにいるなんて、公爵様も家族も、僕のことを見捨てたんだろう。
僕は本当の家族じゃないから。
だから。
「いいよ、仕返ししたいならすれば?それとも公爵様から言付けされてる?僕なんからいらないから出て行けって?兄さまは僕のこと馬鹿にしてるって?姉さまは僕なんか嫌いって?……あの子は、君といて、笑ってるって?」
もうどうなってもいい、と毛布をぎゅっと握りしめる。
「はあ?」
でも、外の男は呆れたみたいに言って、すとんと物音。僕の前に座ったみたいだ。
「俺がここに来たのは、王太子様の指示。王太子様が、あんたの処遇は俺が決めて良いって言ったんだよ。いじめの主犯格の一人だから、俺の裁量でどうにでもしても良いって」
「……そう。あの、怖い人が」
公爵様から、家族から無視されてるみたいで、きゅっと胸が痛んだ。
王太子の光り輝く金色が、二度と戻りたくない暗闇とは対極のはずなのに、ひどく恐ろしい。
僕は黒色が嫌いじゃない。
「お前らにいじめられたの、すげー辛かった」
男は勝手に話し出す。
「だから王太子様に俺があんたの罰を決めて良いって言われて、殴ってやろうとか、いろいろ考えた」
勝手にすればいい。
殴られるのなんて、昔は日常だった。
なんてことない。
「でも、あいつに、あんまりひどいことはしないで欲しいって言われた」
あいつ――あの子が?
……でもどうせそれも、偽りの優しさでしょ。
どうでもいい。
「すげーむかついた」
へー、あっそう。
「あいつには、なんか、公爵様が悪いんだとか言われたけど――…」
「っ公爵様を悪く言うな!」
どうでもいい言葉の羅列の中に、その言葉が出て来たと同時に、怒りが脳裏を満たした。
どうでもよくない。なんてことある。勝手にするな。
毛布を脱ぎ捨てて、男に怒鳴った。
勝手に、あの黒さも知らないくせに、決めつけるな!
僕は、黒色が嫌いじゃないんだ!
「公爵様は僕をあんな暗いところから拾い上げてくださったんだ!公爵様は僕に居場所と名前と家族をくださったんだ!公爵様は僕を褒めてくださったんだ!公爵様は…!」
「――あんたを道具扱いしたんだろ?」
男は僕の胸倉を掴みあげた。
苦しい。
でも、許さない。
「それがどうした」
「……あんたを捨てるかもしれない」
「だからどうした」
「あんたのこと、なんとも思ってないかもしれないんだぜ?」
「だから、そのぐらいのことが、どうしたって言うんだ!」
公爵様は僕を褒めてくださった。
公爵様は僕を幸せにしてくださった。
「利用しただけだって、僕はそれでよかったんだ!嘘ばっかりで良い!あの子だって、僕のことなんか、本当はいらなかった!それでもよかったんだ!嘘でもよかったんだ!僕は、だから…!……だから」
勢いが失せ、力が抜ける。
もう何も見たくない。
僕が二度と戻りたくない黒は、僕の家族になっていた。
この黒色が、僕の帰る場所で、僕の居場所なんだ。
あの、明るすぎる金色なんて、耐えられない。
見たくない。
「……僕が、弁えてなかったから。嘘でよかったのに。公爵様の嘘のお褒めの言葉でよかったのに。兄さまの嘘の笑顔でよかったのに。姉さまの嘘の心配でよかったのに。あの子の嘘の優しさで、よかった、のに」
公爵様が兄さまと姉さま、実子に向ける、本当の言葉が欲しくなった。
僕の魔力に複雑な思いを抱える兄さまの痛ましい笑顔じゃなくて、姉さまに向けてる、兄の笑顔が欲しくなった。
僕を嫌う姉さまの皮肉っぽい心配だけじゃ足りなくて、兄さまに向けるような心からの心配が欲しくなった。
君に向ける、あの子の愛のある優しさが欲しかった。
だから天に輝く金に弁えろと照らされ、黒の影に押し込まれた。
「――だったら、ちゃんと手を伸ばせよ」
あの子に選ばれた男が僕の顔を無理やり上げた。
「嘘じゃよくないんだろ。俺に嫌がらせするより、あいつに好きだって言えよ。嘘で良いとか自己完結してないで、顔上げて、声に出せよ」
「……あの子は、君のことを必要としてて、僕なんかいらないでしょ」
「そう、あいつは深海みたいなあんたより、神様みたいな王太子様より、俺みたいな地味野郎を選ぶやつだ。平民とか公爵とか、そんなこと気にしねえよ」
「――深海?」
きょとりと男を見たら、男はいたって普通に頷いた。
「お前は、海中みたいな綺麗な色してるから。淡く光りが差した深海みたいな、冷たく包み込む色だ」
驚いた。
黒になり切れない青い色を、そんな風に言われるとは思わなかった。
「君、……詩人だね」
「あ?もしかして、馬鹿にしてんのか?」
「そうじゃないよ。……うん。僕はそういうロマンチストな表現、嫌いじゃないよ。ちゃんと君と話してたらよかったのかもしれない。最後の最後に、自分の色がちょっとだけ嫌いじゃなくなったよ」
「……最後の最後?」
「うん。僕の人生はこれで終わりだから。そうでしょ」
「……なんでだよ」
「だって僕は兄さまと姉さまに嫌なことをして、公爵様に迷惑かけちゃったんだ。もう駄目だよ。ここで僕がいなくなったほうが、兄さまをいじめるやつも、姉さまの嫌いなやつも、公爵様のお荷物も、それに君をいじめたやつもいなくなる。めでたしめでたし、でしょ?」
男は投げやりにも聞こえる僕の言葉に顔をしかめた。
ああ、本当に、ちゃんと話してみればよかったのかも。
あの子が好きな人なんだ、きっと素敵な人に決まってるのに、僕ときたら嫉妬してばっかりで。
兄さまにだって、ずるいずるいって嫉妬して嫌がらせして。
だから姉さまにも嫌われちゃうんだって、わかってたのに。
こうして公爵様に捨てられちゃう。
「まだ若いのに、何言ってんだよ」
男はため息をついて、僕の頭をぐりぐりと撫でて来た。
びっくりした。
男の目には僕が映っている。
嘘は映りこんでいない。
「お前は俺と違って綺麗な容姿してるし、魔力も多いし、まだまだ若いし、頼りになる家族もいるんだから、これからだろ。若いうちに一度失敗したぐらいで人生終わり、なんて思い詰めるなよ。お前で人生終わるなら、俺たちはどうなるんだよ」
「でも僕は」
「でもじゃない。――お前の処遇は俺が決められるんだ。王太子様がそう言ったから、お前への罰は俺が決める。だからお前はまだ終わらない」
「……なんで。僕は君をいじめたんだ。なのに…」
「王太子様が止めてくれたから長く続かなかったし、お前にあんまりなことしたら、あいつに殴られそうだから」
「……嫌だ。終わらせてよ。もう僕は嫌なんだ。きっと公爵様に見捨てられる。兄さまと姉さまも僕のことを蔑む。日の下で蔑みの目を向けられるより、闇の中で沈んでいくほうが良い」
「甘ったれんな。逃げんな。嫌だ嫌だって思っても、まだまだお前の人生は続くし、あの程度じゃ幕引きにはならないんだよ。ちゃんと向き合え。……案外、温かく迎えてくれるかもしれないしさ」
「嫌だ。公爵様に、兄さまと姉さまに蔑まれたら、もうどこにもいられなくなってしまう。僕はあの目が大嫌いなんだ。直視できない。目が潰れてしまう」
「駄目だ。これが俺がお前に決めた罰だ。ちゃんと家族と向き合って、謝って来い」
「嫌。謝るから。君が羨ましくて羨ましくて仕方なくて、意地悪してごめんなさい。許して。早く黒で塗りつぶして。光は怖い。僕は黒が嫌いじゃないんだ。僕は黒に嫌われたくないんだ。愛されなくていいから、嫌われたくない」
「それが駄目だって言ってんだ。嫌われても、愛されたいって言え」
男の言葉は厳しい。
でも頭を撫でる男の手は温かい。
「……あいつが、公爵様は愛するのが下手なんだって言ってた。実子の、お前の兄貴も、魔力がないからって愛されてないと思ってて、あんたの姉貴も、自分は政治の駒でしかないって思ってるらしいって。でも、下手なだけだから。お前も公爵様もお前の兄貴も姉貴も、みんな不器用なだけだって。だからお前にあんまりなことはしないで欲しいって頼まれた。あいつも、お前らも、必死すぎただけなんだって」
「……嘘でしょ」
「嘘じゃない。だからあいつに気遣われてるお前に、すげーむかついた」
「心狭いね」
「うっせー」
「……いじめて、ごめんなさい」
頭を下げると、男は「おう」と笑ってくれた。
僕は男から、悪いと思ったら謝ることを教わった。
許されると、とても嬉しくなることも。
ちゃんと謝ることを約束して、男を帰した後、僕はまず兄さまと姉さまに謝った。
「兄さま、魔力がなくっても愛されてる兄さまが羨ましくて、意地悪してました。ごめんなさい」
「姉さま、兄さまにいっぱい意地悪して、ごめんなさい。姉さまは悪くないのに、悪いって言ってごめんなさい」
頭を下げて謝ったら、兄さまは「僕も魔力があるお前が羨ましくて、八つ当たりしてた。ごめんね」と、姉さまは「そうね。反省なさい」と許してくれた。
怖がっていた、あの僕の大嫌いな蔑みの目は向けられなかった。
だから勇気を出して、二人の手を握った。
「こんな僕でも、……まだ、家族って、言ってくれますか…?」
嫉妬してしまうぐらい、兄さまがすごい人だって知ってるんです。姉さまみたいになりたいぐらい、姉さまを尊敬しているんです。嫌われるのが怖くて、誰かから勇気をもらわないと踏み出せないぐらい、大好きなんです。
「当たり前だよ。お前は僕の弟でしょう」
「ええ。家族だからこそ、気に食わないことも喧嘩も多いけれど」
兄さまと姉さまは手を握り返してくれた。
嬉しくて、幸せ過ぎて、僕は泣いてしまった。
兄さまと姉さまの手を握ってわんわん泣いて、二人を困らせていたら、僕の声が五月蠅かったのか、公爵様が現れた。
公爵様はじゅびじゅび泣いてる僕を見て、顔をしかめて、ちらと兄さまと姉さまを見て、僕を腫物みたいに指さした。
「これは、どうしたんだ。今回のことで、お前たちが責めたのか?」
「ちがっ…」
僕は兄さまと姉さまが怒られてしまうと思って、慌てて否定しようとしたけど、嗚咽のせいで声が上手く出ない。兄さまが背中を撫でてくれるけど、不甲斐なくてまた涙があふれた。
公爵様はそんな情けない僕にため息を吐いた。
「お前が公爵家を継ぐことにはなったが、お前には魔力がない。これの協力が必要だろう。泣かせてないで、もっと上手くやれ」
――あれ?
捨てられないの?
まだ僕は、公爵様に利用してもらえるの?
兄さまのお役に立てるの?
……でもやっぱり所詮道具扱いで、兄さまも優しくしてくださるのはきっと…、と落ち込みかけたら、兄さまと姉さまが僕の手を一層強く握りしめてくださった。
「わかってますよ、お父様。それより、僕の弟を『これ』とか、物扱いしないでくれませんか?」
「他人面してるけれど、お父様が義弟を諫めなかったからこうなったんでしょう。間違った躾けはいい加減にして欲しいわ。お兄様や、私にも迷惑がかかるもの」
「……親に向かって、なんだ、その態度は」
公爵様と、兄さまと姉さまが険悪な雰囲気になる。
険悪だけど、公爵様は実子の兄さまと姉さまにだって、お優しくなくて、僕に、あの大嫌いな目を向けることもなかった。
僕はそれで、わかってしまった。
公爵様は、こういう不器用な方で、兄さまも姉さまも、公爵様に愛されるために必死だったんだ。だから公爵様に露骨に媚びを売る僕がお嫌だったんだ。
それで僕は、公爵様を家族の外に置いてしまっていたんだ。
でも本当は僕は、本当に、本当の。
「――父さま、拾っていただいて、いっぱいいっぱい、たくさんのものをいただいたのに、こんな風にしてしまって、ごめんなさい。魔力がなくても父さまに愛されてる兄さまが羨ましくて、兄さまに意地悪してました。反抗的でも父さまに愛されてる姉さまが羨ましくて、拗ねてました。ごめんなさい。道具じゃ嫌になってしまいました。父さまの子供になりたいです。父さまと家族になりたいです。父さまに無条件で愛されたいです。こんなに欲張りの我儘者になってしまって、ごめんなさい」
ひっくひっくとまだ嗚咽を漏らしながら、僕は父さまに精一杯甘えた。
父さまはぎょっと目を見開いて、眉間にしわを寄せ、口をへの字に結んで、ふんと鼻を鳴らした。
「……これだから、末っ子というのは甘ったれで困る。長男は変に生真面目で融通が利かん。長女も気が強いじゃじゃ馬娘。なのに次男も泣き虫な臆病者ときた。――父を父と呼ぶのに何年かける気だ、鈍間め」
父さまはチッと舌打ちして、口の中で悪態を吐く。
「お前たちは全員、私の子だろう。私が利用して、何が悪い。どうせ言う通りになる気もないくせに。魔力がないと舐められるだろうと弟を連れてきてやれば不満ばかりで。王太子様の婚約者でいられるように手を回してやっても文句と反抗ばかりで。兄と姉がいじめるから甘やかしていたら不服そうに怯えてばかりで。まったく、子育ては儘ならん」
僕はひっくと、しゃくりを一つあげた。
姉さまはぱちりと、瞬きを一つした。
兄さまはひゅっと、息を一つ呑み込んだ。
それから三人でどっと笑い出した。
なんだ。
なーんだ!
父さまは僕のことを、僕たちのことをちゃんと愛してくださっていたんだ!
父さまは不器用なだけで、ちゃんと愛してくださってるんだ!
突然笑い出した僕たちに顔をひきつらせた父さまを逃さず、僕は父さまに抱き着いた。
「父さま、騒ぎを起こしてごめんなさい!」
「……構わん。あの娘は魅了を使っていたらしい。抵抗出来なかったのは情けないが、特殊な魅了で、抵抗が難しいものだったようだから、仕方ない。以後、気を付けろ」
「はい!」
ああ、あれほど絶望して、もう終わりだと思い込んでたのが嘘みたいだ。
一歩踏み出したら、こんなにも温かかったなんて!
後であの子に選ばれた彼にも事の顛末を話して、お礼を言おう。なんだか彼とは仲良くなれそうな気がするんだ。
それからあの子にも、嘘でも優しくしてくれて、ありがとうって言おう。
あんなことになったから、風当たりはしばらく厳しいだろうけど、そのぐらいはちゃんと耐えよう。
今まで以上に頑張って、家族の足を引っ張らないようにして、将来兄さまのお役に立てるようにならなくちゃ。
きっと、僕のせいにして僕を追放したほうが、家のためになると思うけど。そのほうが僕も楽だろうけど。
めでたしめでたし、で綺麗に終わるんだろうけど。
どうやらこのぐらいじゃ、終わらせてもらえないらしいから。
色んな人に迷惑をかけて、色んな人に支えられて。
僕の人生は、まだまだ続く。
この子は魅了がなくても、ヒロインに懐いてた。でも魅了のせいで周りが見えなくなって、モブ男いじめたり失言したりした。もしこの子がヒロインに懐いてなかったら、魅了になんか抵抗出来たししてた