今は昔、では始まれない
今も昔も、周囲のものは俺を勘違いしていると思う。
魔王だとか、完璧だとか、天才だとか、そんなことはない。
確かに俺は日々に退屈しているし、特に大きな挫折をしたこともないし、若くして評価されていると思うが、魔王でも完璧でも天才でもない。
特に目的もなく、ただ周囲に流されるまま流されているだけの、つまらない男だ。
そんなことを言えば、俺の婚約者様は、「あらあら、それならあなたに未だに追いつけない私たちは何なのかしらね」と憎し気に皮肉を飛ばしてくるだろう。
この子猫のような婚約者は、物心つく前から定められていた婚約者だ。
俺は俺なりに、この子猫にはそれなりに接してきたつもりなのだが、どうにも嫌われている。
子猫と共通の話題を作るため、子猫のしていた習い事を俺も出来るようになったりしてみたりしたのだが、それが裏目に出たようで、顔をあわせて言葉を交わす前から親の仇のように憎まれていた。
子猫の親の接し方のせいでこうなったのだろうとは簡単にわかったが、それはそれで面白いからそのまま憎まれた。
子猫の親は不器用で、子供に対する接し方が屈折しているが、その誤解を解くには俺はまだ若すぎた。娘と同じ歳の子供から子供への接し方を説かれても、子猫の親は嫌な気持ちになるだけだし、子猫もますます意固地になるだけだろう。
何、出来過ぎるせいで憎まれるのには慣れている。
子猫程度から憎まれた程度で、何も変わらない。
むしろ、自分を憎んでくる婚約者を婚約者として丁重に扱い、将来は妻にするというのは、中々のお荷物になって丁度いい。そのぐらい問題があった方が面白い。
子猫は俺を敵視し、毛を逆立てて威嚇して来た。
そんな姿は可愛らしく、婚約者ということもあり、よく甘やかした。それはさらに子猫に嫌われる原因になったが、それもそれで面白いので歓迎した。幼子の反抗は愛らしいものだ。
そう言っても、子猫の幼馴染である子犬は、「敵視もしてくれないのですね」などと誤解して敵意を燃やしたに違いない。
子猫と子犬は似た者同士で、目の前の獲物しか見えないお子様だった。
子猫は俺しか、子犬は俺と子猫しか見えていなかった。自分も立派な妬みの対象になっていることに自覚がなく、一般的に高位のものに向こう見ずに威嚇する姿がどう思われるか考えていなかった。
しかし、それはそれでいいだろう。若いうちはそんなものだ。若いうちから委縮させると成長も止まる。道理を習うのは大人になってからで十分だ。若いうちは失敗してもいいから、のびのびと育って欲しい。
と言えば、「あなたも同い年の子供ですよ」と苦言を呈するのが、俺の世話係の小鳥たちだ。
小鳥の一人は、子猫の兄の小雀。魔力がなく、鷹になれない小鳥。
こいつも子猫と同じく、親の不器用な接し方で苦労していたので、擁護する意味で世話係にした。
もう一人は、弟の熊の脅威に怯える小鳩。
小鳩の一つ下の弟は小鳩を立てることが出来る小賢い栗鼠だが、その下の弟が力の強い熊であるため、小鳩はいつ熊に食われるかと怯えている。
俺は小鳩が小雀の敵対派閥で都合がよかったこともあるが、今のところ無害な熊に怯える小鳩を可哀想に思い、こちらも擁護のために世話係にした。
第一王子で、一応王太子である俺の世話係ならば、魔力がなくて熊より弱くとも、そう邪険にはされまい。俺の手の届く範囲であれば守ってやれる。
誤解されがちだが、俺は別に悪人ではないし、他人の不幸が喜ばしいわけでもない。
確かに退屈しているし面白そうなことは歓迎するが、期待されればそれに応えるし、困っているようなら助ける。出来る範囲で。
などと言っても、あの海月は「信じられまっせーん」と逃げるだろう。
海月は子猫の親友で、とても、興味深い存在だ。
まるで一度どこか別の世界で人生を過ごし、こちらの世界のことをある程度知った上でこちらに生まれたような、不思議な雰囲気がある。
本音を言えば、子猫などより、よほど惹かれる女だ。
この海月は、俺を憎んでいた子猫を言いくるめて、態度を軟化させている。
俺は、子猫は結婚するまで、結婚してからも俺を殺さんばかりに憎み続けると予想していたので驚いた。
その内、憎しみのあまり俺の暗殺計画を立てたり、いつかできるかもしれない俺の想い人や子供を陰湿にいじめて暗殺したりするまで思い詰めるだろうと思っていたのに。
しかも海月本人に子猫を変えてしまった自覚はなく、むしろ海月の知る範囲では、子猫は変わらないままでいるはずだったようだ。
これは面白い。
あまりに面白いので、子猫と婚約を解消して海月と婚約するか、子猫と仲が良いこともあるので、海月を第二妃として囲おうかと思ったが、海月の知っている範囲が俺や子猫など、極狭い範囲だけのようだったのでやめた。
そのぐらいなら無理に囲うほどではない。
また、海月は俺を怖がっている上、海月と小雀はお互い惹かれているようなので、俺が囲う必要はないと判断した。さすがに苦労している世話係の恋を引き裂くのは心苦しい。
海月は子猫にも小雀には情があるようであるし、海月の知る範囲のことなら俺にも簡単に予想がつく。別の世界のことは、知れるなら面白いが、そのぐらいだ。俺は別に悪人ではないのだ。自分の小さな娯楽のために他人を不幸にしたりしない。
と何度も言っているのに、「はい、わかってます」と全然わかってくれないのが、子猫と小雀の義理の弟、子兎だ。
子兎は、子猫たちの親が、本来跡取りになるはずだが魔力のないために跡取りになれない小雀のために、市井から拾ってきた孤児だ。
勿論この親心も、三人にはまるで伝わっていない。小雀は「魔力のない欠陥品の自分に失望して、代わりを連れて来た」と絶望しているし、子猫も「魔力がなくとも優しく優秀な兄を追い出すために手下を連れて来た」と威嚇しているし、連れて来られた子兎自身も「役に立たないと追い出される奴隷」と思い込んでいる。
このすれ違いに、さすがに俺も哀れに思い、それぞれに親の真意を伝えたが、小雀は「殿下は本当に大人ですね」と、子猫は「そういうところが嫌いよ」と、子兎は「ありがとうございます」と、それぞれに聞き流した。
親本人に伝えることも考えたが、さすがにまだ年齢が足りないし、恐らく本人に伝わってない自覚はない。
難しいものだ。
特に子兎は、人の負の感情の機微に敏感で、思うところが色々ある俺のことを避けている。俺が子猫のことを義務で愛していることも、薄っすらとだがわかっているようだ。
そこまで負の感情に敏感なのに、どうして親からの不器用な愛情や、俺がちゃんとお前ら兄弟を案じていることを感じ取ってくれないのか、残念でならない。
そうして、ままならない人間関係を時に面白がり、時に案じて見守っていたが、だんだんと飽きてきた。
子猫は海月に変えられ、普通の女になった。
俺を殺しても飽き足らないほど憎むこともなくなり、普通に恋をして普通に失恋して普通に努力して普通に挫折して普通に後悔して普通に奮起して普通に生きる、普通の女になった。
勿論、愛しい婚約者のことだ。そう大人になったことも喜ばしいことだと思う。
ただ、俺がつまらないと思うだけだ。
昔の、世間を知らず無知に純粋に、俺を屈折した憎しみを向けていたあのころのほうが面白かった。
子猫にとってはこれは良い変化で、子猫もこの方が幸せになれるのだろうが、俺も子猫の幸せは望むところではあるが、つまらない、と思うことは仕方のないことだった。
海月もまた、同じようにつまらなくなった。
海月は、まるでこの世界が本来生きるのとは別の世界のことのように思っていたのに、その乖離的な振る舞いが面白かったのに、徐々に小雀への恋心を自覚して、子猫への友情を深めて、俺に向けていた警戒心も薄れて、ちゃんとこの世界を生きるようになった。
海月も、普通の女になった。
まだ異世界人の名残はあるが、ずっと普通になった。
つまらない。
子猫の親友であり、小雀の相手であるから、どうでもいい、というわけでもないが、以前ほどの興味は失せた。
それでも子猫よりは面白いが、だからといって何をするわけにもいかない。子猫や小雀を悪戯に不安にさせるつもりはない。
海月とこれ以上親密になる気はないし、今ではその必要も一切ない。
小鳥たちも擁護したおかげで安定し、もう守る必要がないほど落ち着いている。
子兎と家族の、子猫と小雀と親との関係はなんとかしたいが、子兎はことさらに俺を怖がり、介入すると逆に悪い方に刺激してしまいかねない。
子猫も頑なで、子猫たちの親もまだ俺を話を聞きそうにないので、せめて小雀に言い聞かせておいた。
その小雀も小雀で、海月への恋心を自覚して、いろいろと手一杯でそちらに対応する余裕はなさそうだったから、まだまだ先延ばしになりそうだ。
子犬と、小鳩が怯える弟、引きこもりの熊は、あえて放置するしかない。
子犬は俺や子猫への敵愾心でもいいから発破をかけて功績を出させないと、宰相にはさせられない。子犬は宰相に向かないし、俺も子猫も子犬も強硬派だ。国王、王妃、宰相の全てが同じ派閥だと、力を持ちすぎて国内のバランスが崩れる。それでも、と思えるほどの功績がないと、子犬を宰相には出来ない。
子犬が宰相を目指すのは見当違いだと知っているが、真剣に目指している以上、こちらとしても邪魔は出来ない。やれるところまでやらせてやりたい。
熊は、子兎以上に、俺ではどうにもできない。
俺を怖がり、忌避し、憎み、逃げている。
それに熊の引きこもりは、ある意味正しい行いだ。
次期当主の小鳩を越えないように、小鳩を立てるために自分を下げている。
熊本人は苦しんでいるからどうにかしたいとは思うが、俺ではどうにも出来ないし、誰かに頼めるほど熊が間違っているわけでもない。
そういえば最近、子犬や熊や子兎たちにちょっかいをかけている女がいるらしいが、それも俺が介入することではないだろう。精々、子犬の婚約者であり俺の親戚でもある小蜥蜴にそれとなく忠告したぐらいだ。
新たに取り組める問題もない。
残っている問題は今のところ放置が最良で、介入できない。
俺はすっかり日常に退屈してしまっていた。
いつもと同じ人間、いつもと同じ場所、いつもと同じ行動、いつもと同じ日常。
飽き飽きするような毎日を過ごしていた俺の前に落ちて来たのは、一人の少女だった。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
光を放つような美しいピンクブロンドの髪、シミ一つない白い肌、ハープの音のような透き通った声、そして桜のような淡い桃色の瞳。
風に吹かれ、その瞳を写し取ったかのような桜吹雪が舞い散る。先ほどまでと同じだったはずの見慣れた景色が、色鮮やかに輝き始める。心臓が脈打つ。目が離せない。
砂糖菓子で出来たようなその少女に、俺は一目で恋に落ちた。
――新しい玩具だ、と。
***
桜色の少女、珊瑚はまるでこの世界に染まっていない、昔の海月のようだった。
珊瑚は面白い特殊な魅了を使い、特定の四人の男を魅了している。
しかし本当に惹かれているのは、その四人以外の男。
四人を魅了しているのは義務のようで、そうしないと危ういとわかっているかららしい。
さらに、俺についても、魅了しないと危ういと思っているようだ。
面白い。
見目麗しい男たちに好かれることに対しての快感はあるようだが、それで恐れを誤魔化している。
珊瑚は四人の男、子犬、熊、子兎、それに騎士長の四男である小蠅を常に恐れ、警戒している。
哀れに思い、珊瑚が想いを寄せる男、蟻を苛める子兎と小蠅を追い払うついでに、俺が珊瑚と共にいることで子犬たちも遠ざけておいた。
どうやら子犬たちに関してはもう魅了は終えたようで、珊瑚は喜んで子犬たちから逃げていた。
俺も念入りに魅了されたが、きちんと好意を持っていることを示したので少しは安心してもらえたようだ。
それでも、どうせ珊瑚は蟻を選ぶだろうから、蟻にもきちんと幸せにするように伝えた。
珊瑚のことが好きだと、恋したと言うのも嘘ではない。
目新しい異世界人は好きだし、面白い出来事に恋焦がれている。
何より、異世界人の珊瑚だって今は我が国の国民だ。幸せになってもらいたい気持ちに嘘はない。
珊瑚が蟻を選んだその後は、どうしようか。
暇だし、旅にでも出ようか。
それともクーデターでも起こして王にでもなろうか。
いっそ他国に流れて、国を乗っ取ってどこかに戦争でも仕掛けようか。
自由な今後を考えると、期待に胸が騒いだ。
今までの生活が窮屈だったわけではなく、むしろ満ち足りたものだったが、だから退屈になってしまっていた。
愛らしい婚約者と、将来を約束された地位。
この上なく完成された、完璧な環境だ。
退屈を感じるほど、恵まれている。
ゲームで例えれば、すでにエンディングを迎えてしまっているほど、幸せで、つまらない。
なんて言おうものなら、新しい宰相候補であり騎士長の長男である鼠は「あなたはどの視点から見ているのですか?」と苦い顔をするだろう。
鼠は、努力している子犬には悪いが、恐らく子犬は宰相にはなれないだろうと見て、早々に宰相候補として目を付けていた男だ。
俺より十は歳が上で、剣の腕が立ち、騎士道というものを重んじている。
将来は騎士長となることを切望されていたが、なれなくても問題がないぐらい、普通の男だ。
鼠は宰相候補にと言うと、「傀儡にするつもりですか?」と言った。
無論、そんなつもりはない。
鼠は現在の騎士という地位に満足しており、強い野心がなく、しかし騎士として正しくあろうと努力を怠らず、愚かだがその愚かさを自覚しており、国に心からの忠誠を捧げている。
俺はその実直さを買って、宰相候補にと考えている。
自分が愚かだと自覚しているなら、際立った賢さはいらない。
普通に考えて、行き詰ったら相談して、問題だと思ったら反対して、納得したら引き下がって、やるべきことをやり、やるべきではないことはせず、上に立つ者としての責任を持ち、下の者の意見を聞き、国に背かず、普通に真っ当に、職務をこなす。
そんな普通のことを普通に出来る、有難い存在だから宰相にと望んだ。
今回、珊瑚に魅了されたことで、子犬は宰相候補から外されるだろう。元々向いていないことであったし、仕方がない。
また、俺も珊瑚を欲したことで、王位からは遠ざけられるだろう。
そうなれば俺の代わりに弟が王太子となるが、子犬も熊も子兎も、小鳩も小雀も宰相に出来ないとなれば、相当困るはずだ。あいつは俺が王になると信じ、俺に代われるように教育は受けているが、心構えは一切していない。
まさかそこで不埒な輩に騙されるとは思っていないが、事前に年上で人望もある鼠を用意しておけば、ひとまずは弟も余裕を持って対処できるだろう。
俺は王族として、決して国に悪いことになって欲しいとは思っていないのだ。
不特定多数の不幸を望むこともない。親しい者には特に幸せになって欲しい。悲しんでいる者がいれば助けられるか考えてしまうし、笑っている者がいるのは喜ばしいと思う。
恵まれすぎて退屈だとしても、俺自身、今の生活に満足していたのだ。
このまま、海月と小雀が結婚し、子猫と小雀と子兎が親と和解し、小鳩は順当に親の跡を継ぎ、栗鼠は小鳩を支え、熊はやっと巣から出てきて、子犬は全力で宰相を目指した末に諦め、小蜥蜴は子犬を捕まえ、鼠が宰相になり、俺は子猫と結婚し、王位を継ぐ。
そんな予定調和で面白みのない未来も歓迎していた。
だが――…。
「――まるで、ゲームみたい」
微笑み、独り言を漏らす珊瑚。
まさに、その通りだと思う。
珊瑚と海月は、ここが予定調和のあるゲームだと思っている。
だから珊瑚は小蠅を魅了した。
熊を魅了した。
子兎を魅了した。
子犬を魅了した。
そして、俺を魅了しようとした。
俺も、小蠅はいつか、激情に駆られて一家惨殺ぐらいしそうだと思っていた。いつか『悪いことはしてはいけない』という良識ぐらいは教え込もうと思っていたが、珊瑚が魅了して少しは丸くなった。
熊はいつか己の力を受け入れられず、爆発して、王都で魔法でも暴走させて、多くのものを道連れに自殺すると思っていた。だから早く小鳩を保護して、熊を巣から出してやろうとしていたが、珊瑚が熊に寄り添いガス抜きしてくれた。
子兎は寂しさと義務感をこじらせて、親のちょっとした冗談を真に受けて王宮を破壊して陛下を殺すと思っていた。その前に親兄弟と和解させようと思っていたが、珊瑚が子兎の寂しさを一時的に和らげてくれた。
子犬は俺や子猫に認められたい欲求をはき違えて、俺と子猫を倒すために革命家にでもなって国家転覆させるために内乱を起こすと思っていた。俺も子猫もきちんと子犬のことは認めているから、機会を見てそれを伝えようと思っていたが、珊瑚が子犬を慰めて誤魔化してくれた。
俺もどうせ、独裁政治を布いて周辺国家に戦争を仕掛け、世界大戦でも巻き起こすと思われていたのだろう。
確かに俺も子猫も強硬派で、俺が王位についたら戦争を仕掛ける算段になっているが、勝てる時に勝っておかないと後々が困る。
今はいい流れがある。俺も、最小限の被害で勝たせられる程度の能力はある。子猫もそのあたりは承知している。
ここで勝っておかないと、俺たちの子供か孫の代で攻め込まれてしまう。
子供や孫が俺たちほど有能とは限らない。
俺も子猫も国をまとめるのに支障ないほどには優秀で、常はある世継ぎ争いもなく、仮に俺が倒れても十分代われるだけの力がある弟がおり、子犬や熊や子兎のような優秀な人材が豊富で、それを支える小雀や小鳩や鼠といった補佐があり、この上なく良い状態なのだ。
珊瑚に魅了されて、「子供や孫がどうなっても、今の自分の治世の間だけは平和にしよう」なんて決断をしてもいいが、子供や孫が地獄を見ることは出来れば避けたい。
まあそれ以前に、俺を含め、まだまだ思春期の少年だ。可愛い女の子と仲良くなればそれでハッピーエンドで、つまらないトラウマなんてどうでもよくなってしまうぐらい単純だろう。
事実、俺以外の四人は珊瑚と接したことで、一時的にでもトラウマを和らげられたし、救われている。
俺も、珊瑚のおかげで少しは退屈を凌ぐことは出来た。
今も昔も、周囲のものは俺を勘違いしていると思う。
魔王だとか、完璧だとか、天才だとか、そんなことはない。
俺は特に目的もなく、ただ周囲に流されるまま流されているだけの、つまらない男だ。
流されるまま、期待に応えているだけで、自発的に退屈を解消するとか、退屈に不満を抱かないとか、何でも出来るとか、そんなことはないのだ。
まるでゲームの、自意識を持たないNPCか、粛々とシナリオをシナリオ通りに進めるGMのような、面白みもない男だ。
完璧な王太子たれと望まれた。だからそうした。
婚約者を愛せと望まれた。だからそうした。
他者を許さないほど天才たれと望まれた。だからそうした。
国ために尽くせと望まれた。だからそうした。
自分はゲームのプレイヤーを楽しませるためのシステムにすぎない。
退屈でも、それを解消するためにクーデターを起こしたりはしない。
退屈に不満は抱くが、他の者がゲームを楽しんでいるのなら、それを壊したりはしない。
誰もが幸せになれる終わりを用意できるほど、何でもできる存在ではないのだから。
子犬たちの問題だって、子犬たちがそういう楽しみ方をしたいのなら、止める気はなかった。そのぐらいで国家は揺らがないし、それなら多少の暴走ぐらいは好きにさせてやりたかった。
だが、愛しの婚約者殿が、子猫がそのゲーム展開を望まないので、阻止しようと考えていただけだ。
子猫を愛しているから。義務として。
珊瑚と海月は、子犬たちに珊瑚を取り合わせ、子猫を糾弾させたいらしい。
小雀も、海月と熊の婚約を解消させるために、子犬たちを煽っている。
俺は、子犬たちが寄ってたかっていじめられて、可哀想だな、と思った。
だが子猫は四人が罰を受けることを望んでいたので、そうした。
珊瑚と海月は丸く収まることを望んでいたので、そうした。
「――あなたは、王になるの。私のために」
そして子猫がそう望んだので、そうした。
子犬は宰相候補から外した。恐らく、国内の不満を持つ者を集めて自治区でも作ろうとするだろうが、その時に対処すれば良い。対処されたことに不満を持つだろうが、小蜥蜴あたりが子犬を捕まえて有耶無耶にするだろう。
子兎は、珊瑚に入れ知恵されている蟻を向かわせたので、蟻と意気投合し、子兎の聡さで親の真意にも気づくだろう。和解した後は子兎は兄の小雀を馬鹿にすることもないはずだから、子猫の要求も満たせる。
熊は巣から強引に放り出した。そのままのたれ死ぬか、鎖から放たれて野生に目覚めるはずだ。俺の予想では野生に目覚め、俺の側近にでもなるだろう。小鳩に遠慮していただけで、元々優秀な男だ。その方が助かる。
小蠅は殺した。子猫や国に牙でも向けそうだったから、さっさと処分した。
イベントは終了した。
この後は定められたルート通り、数年後にでも王になり、戦争を仕掛けて勝つだけだ。
つまらない。
いつもと同じ人間、いつもと同じ場所、いつもと同じ行動、いつもと同じ日常。
飽き飽きするような毎日が続く。
もうプレイヤーもゲームを終えてしまったのに。
と言ってしまえば、予想通り頭角を現し、自分の側近となった熊は、「自分は自分が人間だと思えず悩んでいましたが、あなたは自分以外が人間だと思えず悩まなかったのですね」と理解を示したかもしれない。
熊は、『卒業後は援助しない』と言われたことを逆手に取り、『卒業後は勘当されるから兄の脅威にはならない』と、在学中に抑圧されていた才覚をめきめきと表した。
それはもう、子猫と子犬が歯噛みして憎悪の視線を向けるほど、熊は成果を積み重ねた。あの幼馴染は本当に似た者同士だ。だからこそ、お互いにお互いのことが気に食わないようだが。
そして成果を出した熊は、俺に平伏した。
『どうか自分を雇ってください。自分を押さえつけることが出来るのは、あなただけです。あなたといれば、自分でもまだ、あなたよりは人間だと思えるのです』
熊は、まるで化け物を見るような目をしていた。
俺は熊を雇い、適当な身分を与え、側近とした。
これには元世話係の小鳩と小雀も苦い顔をしたが、熊の成果は疑いのないものだったため、文句は言わせなかった。
どうやら熊は、俺が周りの人間を『人間』と認めていないと思っているようだ。
熊自身、才能に恵まれた自身や俺が人間とは思えず、化け物に見えるようだが、生憎と俺にそんな奇怪な考えはない。
しかし全く自分と同じ人間かと思っているかというと、そんなこともない。
俺に出来ることが出来ない人間は多くいるし、その出来ない人間の中でもどの程度出来ないのかにバラつきはあるし、俺の考えを理解できない人間は多くいるし、どの程度理解できないかは個人差がある。
周りの人間の全てが、自分と同じ能力を有していると思う方が残酷だろう。
そうやって理解を示されるほうが憤慨するという、子猫や子犬のような気の強い者はそういない。
しかし、いい加減に高みの見物に飽きているのも事実。
傍観者気取りで下々の者を気遣うのも止め時だ。
この退屈な日常にも満足していたが、少しの不満もないわけではない。
ゲームはもう終わった。
プレイヤーは二人とも、配偶者を捕まえてエンディングを迎えている。
後は惰性で任されている役目が残るのみで、ルート分岐もなく一本道だ。
なら、もうプレイヤーに配慮しなくても、いいだろう。
裏話の時間としようじゃないか。
「……え。なん、で…プレイヤー、とか…」
と言うと、珊瑚は顔面蒼白で目を見開いた。
「あらかじめ、誤解のないように伝えておくが、俺が君に恋をして、好きになった気持ちに嘘はない。君が異世界人――いや、転生者、と言った方がいいのか?……ああ、そのほうがなじみがありそうだな。では、俺は君が転生者だと知っていて、君が自身の身の回りに不幸が降りかからないように俺たち五人――攻略対象、だったな――攻略対象を魅了しようとしたことも理解している」
あの豪胆な海月ならばきっとそれでも誤魔化しただろうが、繊細な珊瑚はカタカタと震え、目の端に涙を浮かべている。
思わず、別に珊瑚をどうこうする気はないのに、と苦笑が漏れた。
「先に君の疑問に答えよう。
俺が本来のシナリオと違う点があるのは、もう一人の転生者のせいだ。もう一人の転生者は俺の婚約者の昔からの親友だ。そいつが意図せずマリーの態度を緩和させた影響で、俺の態度も変わっていると思う。
次にどうしてゲームのことを知っているかだが、君もマリーの親友も失言が多い。どうせ誰も理解できないと思ってペラペラしゃべるから、その情報を集めればすぐにわかった。二人とも異世界人のような雰囲気で、元から気にしてもいた。
君のことを誰かに言うか、言ったかについては、誰にも言っていないし言うつもりもない。君に幸せになって欲しい気持ちに嘘はない。このことで不自由を強いることもないから、特に心配はいらない。
最後、どうして君にこんなことを話しているのか、という俺の目的だが。
ちょっと頼みがあるだけだ。すぐ終わるし、君に迷惑もかけない」
珊瑚が怯えた目で見上げてくるのを、安心させるために微笑みで見つめ返す。
「簡単なことだ――シナリオ通りの、俺にかけるはずだった言葉を教えてくれないか?
君も知っている通り、俺はもう生きることに退屈している。もう飽き飽きしているんだ。
……ああ、ゲーム的に言えば、君はノーマルエンドで、俺のことを攻略し損ねている。だから俺の、金色王太子ルートのバッドエンドとして、数年後に他国との戦争イベントが起こる。
勿論、きちんと我が国の損害は最小限にするし、退屈しのぎに戦争を仕掛けるわけではない。国の将来を考えた結果の戦略だ。
俺はこのルートが、ある意味一番妥当で皆が幸せになる、ハッピーエンドだと思っている。
そのルートにすでに分岐して確定してしまっているからこそ、俺の退屈を晴らす言葉を聞きたい。
君と、転生者と共に生きるのは楽しそうだと憧れた。ゲームをコンティニューして新しいステージに進むのも面白そうだった。
だが、マリーにそのまま退屈なゲームのエンディング後の世界を続けろと言われたから、続けることになった。
もうルート分岐は過ぎた。
君が何を言っても、この先の展開が変わることはない。
だから、教えてくれないか?
――今からでも、俺を救ってくれないか?」
奇抜な行動で俺の気を惹き、転生者の奇怪な雰囲気で魅了し、退屈を晴らすのはわかっている。
だが、恐らくそれだけでは俺は珊瑚に惚れはしないだろう。
子猫がいなくとも、珊瑚を愛人として囲う程度で、玩具にそこまで入れ込みはしない。せめて海月ほどでも地位があり、周りに認められていれば別だが、珊瑚では側妃にもしない。
もしあのままの、海月に変えられていない、昔のままの子猫が婚約者としているなら、なおさら珊瑚など玩具以上には見ないだろう。
俺は、若者が若者らしく、のびのびと過ごすのは良いことだと思っている。
子犬と子猫がわんにゃん騒いで、子兎と熊が暴走する程度、可愛いものだ。
惨事どころか、面白い見世物だ。
陛下が亡くなっても王都が沈んでも、クーデターが起きても暗殺されそうになっても、その結果いくつも家が取り潰しになっても、些事でしかない。
その程度の後始末など、いくらでもしてやるからのびのびと、すくすくと育ってもらいたい。
勿論、俺は悪人ではない。事前にわかっているのだから、無駄に民を死なせたりはしない。
クーデターは即座に国に歯向かう者だけ始末して、無辜の民を傷つけさせないようにする。
王都は、数日前から民を避難させ、街が壊された後はすぐに復興できるよう手配し、それまでの仮住まいと食も用意しておく。
陛下はどうでもいい。さっさと死んで王位を譲っても、そのまま王位を守っても、さして問題はない。
子猫の暗殺などそれ以上に問題ではない。いい刺激になるだけだ。
そうして好きにさせた後、きちんと罰を与えて、後に続く若者たちの反面教師にする。
俺は悪人ではない。罪を犯したなら罰を与える。優秀だからと犯罪まで見逃す気はない。それほどまでのことをしたのだから、相応の罰を受けさせる。
悪しき前例など作らない。
――さて、こんなつまらない男が、女に惚れて横紙破りをし、未来のことなどどうでもいいと放棄するとしたら。
それは、どんな刺激的な言葉のせいだろうか。
理解者などいらない。
必要となどされなくていい。
ひとりでも構わない。
勿論、過大評価など願い下げだ。
今も昔も、周囲のものは俺を勘違いしていると思う。
俺は退屈なぐらい平和な日々も、義務的に可愛がっている愛しい婚約者も、うんざりするほど明らかに約束されている将来も、不満ではないのだ。
珊瑚は、能力があるのだからこの国でしっかり王の務めを果たせ、と言った。
俺もそのつもりだった。
それで満足していた。
だが、満たされているのに、退屈で退屈で、不満ではないと言っても、暇つぶしをしたくなった。
世界を見ても、他国に流れても、市井で一からやり直しても、遠からず退屈を覚える。
異世界人を囲っても、異世界の話を聞いても、その珍しさを理解すれば、知識の抜け殻に飽きてしまうだろう。
ゲーム内での俺は、一体どうして、そのまま暇つぶしにも行かず、退屈な将来を選んだんだろうか。
どんな言葉をかけられれば、そう変わってしまえるのだろうか。
「……私、には、あなたが救いを求めてるようには、見えません」
珊瑚は緊張した面持ちで、恐怖を呑み込んで、やっと口を開いた。
「攻略してるときから感じてました。あなたは他の四人とは違って、私を必要としてない。だから、私は四人に依存されるより、依存しないあなたといるほうが気楽でした」
事実だ。
俺は今に満足しているし、珊瑚は単なる面白い玩具だ。依存するような対象ではない。
それに、珊瑚はそれを望んでいたから、そうした。
「悪役令嬢はゲームみたいに嫌な女性じゃなかった。誰かから嫌がらせをされたけど、シナリオ展開上どうしても必要なものだけで、それ以上は干渉されなかった。あなたもゲームとは違った。だから、言っていませんでした。――言っても意味がないと思ったから」
子猫は変わった。普通の、つまらない女になった。
海月は珊瑚に嫌がらせをしていたが、必要なものだけだった。
俺も恐らく海月を、異世界人を知ったことで変わっている。
――そして海月によって変わってしまった子猫によっても、変わった。
「だって、あなたはもう知ってる」
珊瑚は新緑に芽吹く花のような桜色の瞳で、真っすぐに俺を見る。
「退屈にも満足してるあなたは、きっともう救われてる」
燃える炎を閉じ込めたような、薄紅色に光る髪。
色味を感じないほどくもりのない肌。
海の中で話しているような、不思議と耳に吸い込まれる澄んだ声。
先ほどまでの怯えていた異国の、異世界の少女は、まるで創造主のように宣告を下す。
鼓動は止まらない。
だが目を離さない。
ゲームのヒロインのようなその少女に、俺は確かに恋をしていた。
「『何でも出来て、誰の望みにも叶えられるあなたでも、叶えたくないと思う望みはあるでしょう?誰にだって、一番大事な、譲れない思いはあるんですから』」
――愛しては、いなかったが。
珊瑚の言葉に、俺はまるで心を動かされなかった。
駄目元でも期待していたのだが、よくある普通の言葉にしか聞こえなかったし、何なら即座に返答出来るぐらい、何でもない問いかけでしかなかった。
俺は何でも出来るわけではないが、そう周囲のものに勘違いされる程度には出来ることが多い。
悪人ではないので、望まれれば叶えた。王族として、国民の幸せを願い、行動することは当然の行いだ。
叶えたくない願いもある。悪人ではないとはいえ、聖人君子ではないし、退屈に不満を感じないわけでもない。例えば異世界人の珊瑚を囲うため、想い人である蟻との仲を応援しなかったように、人間として私情も混ざる。
それから、一番大事なもの。
王族としての義務。国益。国民の幸福。
先達としての義務。若者たちの育成。子供たちの未来。
これらは当然大事だが、『一番』ではない。
期待されたために応えているだけで、暇つぶしのために捨てられる程度のものだ。
配慮は欠かさないが、何の思い入れもない。
俺にとって一番大事なものは、子猫だ。
王族として、先達として正しい行動をするより、子猫の我儘を優先させた。
俺がいなくなった後の子猫のため、子猫の憂いを絶つことを優先させ、本来珊瑚に言い寄る前に済ませるべきだった婚約解消を、陛下に申し出なかった。
今も、子猫の我儘で、退屈な日々を続けることを選択している。
子猫を愛しているから、義務として。
『愛してるから』、きっとこれがシナリオライターの正解なのだろう。
愛する者と結ばれてハッピーエンド、そんなことでよかったのか。
俺は義務として子猫を愛しているし、一番大事に思っている。
さらに子猫は俺の婚約者でもある。
子猫に協力してもらうのが一番良い。
ならばと、すぐに子猫の屋敷に向かう。この退屈がなくなるなら、さっさと終わらせたい。
今も昔も、周囲のものは俺を勘違いしていると思う。
魔王だとか、完璧だとか、天才だとか、そんなことはない。
確かに義務として子猫を愛しているが、子猫を大事に思う気持ちは義務ではないし。
子猫を国や国民よりも、何よりも大事に思う気持ちに偽りはない。
魔王のような感情のない非人間ではないし、特別な誰かを贔屓しないほど完璧ではないし、欠片も好意を持てない相手を義務的に愛せるような天才ではない。
特に目的もなく、ただ周囲に流されるまま流されて、期待に応えているだけのつまらない男だ。
退屈には心底うんざりするが、周囲のものに迷惑をかけてまで退屈を解消させようとは思わないし、自分を対等な敵として見て欲しいなんて、子供の可愛らしい対抗心を満足させてやることも出来ない。
――大事な女の一番の望みも叶えてやれない、つまらない男だ。
屋敷に着いて、マリーのもとへ案内してもらう。
マリーは一人で庭を散歩していたが、俺に気付いて眉を寄せる。
「ルイじゃない。急にどうしたの?」
「知らせもなく突然訪ねてすまない、マリー。また唐突だが、話がある」
そのマリーの疑問を遮り、逸る気持ちのまま話す。
「今まで、義務としてお前を愛していた。義務としてでも愛していたから、この退屈にも満足している。だが、それでも退屈は退屈だ。だから」
「……また誰かを愛したってことかしら?いい加減、怒るわよ」
「違う。早合点にして不機嫌になるな。お前以外を愛したことはない」
「それもどうせ義務だから、でしょう?……それで?」
「愛してもいいか?義務でなく」
「……なんですって?」
「本当に愛する者がいれば、この退屈が終わると聞いた。義務として、俺はお前以外愛せないし、愛さない。
また、義務とは関係なく、お前のことが一番大事だ。他の面白そうな人間よりも、この国よりも、守るべき国民よりも、お前のことを優先する。ならば、適当に他を探すより、その最も大事な存在を愛するのが一番収まりが良い」
そして何よりも、俺はお前を愛でたい、と、マリーに跪いた。
マリーは、
「――当たり前じゃない。本当に、今更すぎるわよ」
花のように笑いながら、俺の手を取ってくれた。
***
周囲のものは俺を勘違いしていると思う。
あの騒動で俺が珊瑚に求婚したのは単なる茶番で、本気ではないと。
どうであっても王族の任を投げ出すわけがないと。
そして、昔からずっと、マリーを愛していると。
昔はずっと、そういう勘違いをされていたと思う。
昔は確かに、それは単なる勘違いでしかなかった。
だが。
今となっては、昔の話だ。
実はこの王子様、海月(モブ女)や珊瑚(ヒロイン)との会話の中で、現代日本の知識をかなり身に着けている。使う必要もなく、文明汚染をする気もなく、何より誰にも望まれてないのでそれを発揮しないだけ




