起動実験
「た、高い~っ!」
一体何メートルなるのだろうか。そういう細かい事を聞くのを忘れた。立ち上がったリバティは、街で見かけたビル群にも負けない高さを誇っていた。
特別高い所が苦手ではない湊も、コックピット内に広がる光景に思わず悲鳴を上げる。
コックピットは、どういう理屈か周りの風景とほぼ同化していた。これが言っていた全世界の英知とやらか。
立てと念じただけで立ったリバティは、それ以上動く事は無かった。湊は恐る恐る目を凝らして遥か下の地面を見てみる。すると手を振っている小さな楓が目に入った。その姿をよく見ようと更に目を凝らすと、見ていた画面がズームする。楓の表情まではっきりと見えた。
「凄い…」
コックピットの機能に、そういう単純な感想しか出てこなかった。
「白ブツが動いたぞーっ!」
「おぉー!!」
総司令の声と共に、歓声の様な物が聞こえる。
「湊、そのまま待機しろ!!」
「え!?はいっ!」
そしてそう命じられて、湊は操縦桿から手を離す。ふぅと一息つき、シートに深く背中を預けた。
とりあえず周りを見渡してみる。色んなボタンがある。押したいけど、押したら何が起こるか分からないから押さない方がいいだろう。敵と戦うという事は、何かしらの機能があるのだろうが。
そんな事を何となく考えていると、優しい声が聞こえた。
「湊くーん?」
瑞希だ。
「は、はいっ」
突然名前を呼ばれた事により、シートに背中を預けていた湊は少し前屈みになる。
瑞希は続けた。
「今から外に行くから待っててねー」
何の事か分からない湊は、辺りを見渡す。下に沢山の人がいる事は確認出来たが、肝心の声の主が見当たらない。
本当に、そもそも起動実験なんて今日突然言われたし、乗るなんて聞いてもなかったし、一体何なんだ。と文句を言いたいところだが言わないのは、自分の立場をよく理解しているからなのだろうか。
モヤモヤする湊の耳に、再度瑞希の声が聞こえた。
「リバティスカイ、瑞希、出ます」
その瞬間、同じ格納庫に、先程のスノウと同じ様に片膝を付いていた青いリバティが動いた。
スカイだ。
スカイがゆっくりと近付いてくる。歩を進める度に響く地鳴りが湊の鼓膜を僅かに揺らした。
「よーしそのままスノウの介護をしろ」
「か、介護!?」
総司令の声と共に、「はーい」という間の抜けた声が聞こえる。介護とは一体何なのか。
そう湊が考えるよりも早く、隣に並んだスカイが右腕を掴んだ。湊の腕ではない、スノウのだ。
「え、ちょ」
「外、行くよー」
左前の画面が変わり、そこにパイロットスーツを着た瑞希が映る。ヘルメットを被っているが、相変わらず優しい笑みを浮かべているのが窺えた。
「湊、歩け!」
瑞希を見ていると、そんな根性論の様な事をまた言われた湊。しかし湊には自信があった。
念じただけで立ったのだから、歩けるだろうと。
しかしそれは、根拠も無く過信しすぎていたと知る。
「わっわっ!」
人間が歩く様に、自分が歩く様に歩けない。
「介護だ介護!」
自分でも分かる。グラングランと揺れるスノウは、今にも何処かに向かって倒れそうだ。
それを支えるのはスカイだ。介護という単語が、この時初めて理解出来た。
「み、瑞希さん…!」
ひぃと悲鳴を上げたいところだがやっぱり男なのでそこは堪える。
「とりあえず広い所に出ないと危ないからね?歩いてみて、無理だったら担ぐ」
そんな物騒な事を言われ、湊は更に焦った。とりあえず歩かなければ。
「歩け、歩けっ」
冷や汗を流しながらそう呟き、リバティに念じてみる。すると左足、右足と、交互に動き始めた。
しかしその動きはぎこちなく、やはり瑞希の介護と言う名のサポートが必要みたいだ。
「はい、いっち、に、いっち、に」
右腕を掴まれながらモタモタと歩くスノウ。この瑞希の介護が無かったら、倒れて大変な事になっていただろう。
少し歩くと、格納庫のドアが大きな音を立てて開いた。あまりにも大きなドア、ハッチとでも言うのだろうか。今まで見てきた扉の中で一番頑丈そうだ。
開いたハッチの先には、何もない、広大な土地が広がっていた。
瑞希のサポートもあり、なんとかハッチを潜った湊は、ふぅと大きな溜息をついた。たった何十メートル歩くだけでこんなにも疲れるとは思いもしなかった。
荒野の様な寂れた場所に出たスカイは、持っていたスノウの右腕を離した。自立するスノウはその場で固まったまま微動だにしない。
「どう?」
「どうもクソも……」
瑞希に感想を求められたが何も言えない。言葉が出てこない。ただ疲れたとしか言いようが無い。何もかもが新鮮な感覚で、湊の身体は緊張しっぱなしだ。
何となく、瑞希に聞いてみた。
「瑞希さんって凄く適合してるんですよね?」
瑞希は返す。
「んー、まぁあの二人よりはね」
「ど、どれぐらいですか」
「どれぐらいって、これぐらい?」
瑞希がそう言った瞬間、目の前のスカイがステップを踏み始めた。
「ぶっ」
突然のその光景に、思わず吹き出す湊。
「ぜーんぜん踊れちゃう、ほら」
目の前のロボットが踊っている。しかもかなり軽快だ。
「他の二人は踊れないんですか?」
「いや、踊れるけど」
「え」
じゃあなんで踊った。とは言えない湊。
瑞希はダンスをしながら続ける。
「生卵、あるでしょ?」
「は、はい」
「掴めると思う?」
「え?」
急に出てきた生卵という単語と、意味の分からない質問に一瞬頭が固まる。
少しイメージしてみた。
生卵。
掴める。
いや無理だ。リバティは人間ではないんだ。
「無理です、絶対」
湊がきっぱりとそう言うと、ロボットのスカイがロボットダンスを披露した。
「俺だけね、掴めるの」
「え!?卵を!?」
「あはは、そうそう」
瑞希のまさかの言葉に絶句する。
冷静になってよく考えてみた。リバティで生卵を掴む?そんなの絶対に有り得ないだろう。絶対に潰れる。そもそもリバティの指のどの部分で掴めば正解なのか?
しかし瑞希はそれが出来るという。こんなくだらない嘘をつくとは思えないから、本当なのだろう。
ある日玲子が言っていた、瑞希の適合が素晴らしいという言葉が頭に浮かんだ。
だが今の湊には、それがどれだけ凄い事なのか、全てを理解出来る事は無かった。
「じゃんけんたいかーい!」
「うぅ…っ」
「最初はグー!」
「うぅっ」
初めての起動実験はこんな感じなのか?という疑問が浮かばない訳ではない。もっと歩く練習とか、走ったりとかするものと思っていた。
そもそも、確かリバティには飛行能力があった筈だ。一度空を飛んでみたい。なんて思ってみるが、きっと今の自分には無理だろうと悟る。
シャキンと効果音でも出そうな程軽快に出たスカイの腕とは正反対に、スノウの右腕はブルブルと震えている。
「じゃーんけーん、ポーン!」
どうだ!とでも言わんばかりに出してみた右手。しかしその手は歪な形をしている。
「それはパー?チョキ?」
「ちょ、チョキです…」
「じゃあ俺の勝ちー」
自分で宣言しなければ分からないチョキ。人間なら簡単に出せるチョキ。しかし湊は、今持てる最大の力を以てこれを出した。
コックピット内にアナウンスが流れる。
「リバティスノウ、適合数値二十一」
「パイロットの心身異常無し」
「リバティ、及びパイロット安定」
そのアナウンスに心の中で突っ込んだ。安定してないだろと。
冷や汗なんか凄いし、力みすぎて腹筋が痛くなってきた。しかしそれ以外の異常が見当たらないところをみると、あながち安定しているという言葉は間違っていない様な気がする。
「そら、空飛びたい…」
泣き言の様に呟いた言葉は、瑞希に一刀両断された。
「んー、今は無理」
ガックリと項垂れる湊。
「湊!初めての割にはまぁまぁだな!」
総司令の暑苦しい声が聞こえ、湊は頷いた。
「あの、適合数値二十一ってどうなんですか?」
「ゴミだ!!」
「えっ」
今初めての割にはまぁまぁって言ったのに…と、湊はギョッとする。ゴミだ!!と機嫌良く大声で言われて驚いたのだ。
「前の楓で例えると、初めての適合数値は八十五あった」
「は、八十五…?」
それって凄い事じゃないのか?そう思うと同時に、まさか、という感情が。
「ちなみに目の前にいる瑞希は八千九百を越えている!!」
予感が的中してしまった。百が上限ではないんだと。
とすると、瑞希が八千九百で、自分が二十一で……やはりゴミか。
「敵、来たら、ちゃんと守ってあげるからね」
リバティに選ばれた時点で、少し自信があった。
自分が凄いパイロットで、敵を殲滅して、世界を守って、そういうビジョンを描いていた。
しかし現実は思っていたよりも全然違った。
この目に見せつけられた事により、この耳に聞かされた事により、自分は選ばれた四人の中の、大した事のない人間なのだと。
「じゃんけんたいかーい!」
やはりアニメや映画の様な巧い話なんてないんだ。
「最初はグー!」
急にヒーローになって周りを沸かすなんて現実には無いんだと思いながら、湊は苦悶の表情でスノウの腕を振った。