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Chapter19

 とっぷりと日の暮れたフィールドを、白い光が照らす。

 芦原学園において、夜間練習は一軍メンバーに与えられた特権だったが、まさか退部して初めて使うことになるとは。

 源士はコースの端まで立ち並ぶ投光器を眺めながら、感慨に耽った。

 今やブラスト部とは縁もゆかりもない源士である。が、スーツに身を包み、ヘルメットを小脇に抱えた姿は、既に戦闘態勢が整えられていた。後はマシンに跨れば、いつでも飛び出していける。

 そのマシンも、ちょうど兵吾が最終チェックをかけているところである。

「やあ、準備はできたかい?」

 と、低い男の声。振り返ると、長身の男がいた。肩幅の広い筋肉質な体格は見るからにスポーツマン。源士のようにラバースーツとプロテクターを着込んだ姿から、ブラストライダーであると分かる。そんな体格の割に、童顔の顔には妙な愛嬌がある。

 あまり話したことはないが、源士は良く見知った相手だった。

 高山右京。芦原ブラスト部の部長だ。

「すいません。コースを使わせてもらう上に、練習相手まで」

 遂に停学期間が明けた源士たちであったが、当然のように練習場所はそうそう確保できるはずがない。かと言って、練習のたびにプロテスト受けたようなサーキットを貸し切っていては、とてもではないが資金がいくらあっても足りない。

 そこに手を差し伸べてくれたのが、この高山だった。

 日中はブラスト部の定時練習があるが、夜間ならば、という計らいだ。

「君らに大きなが借りが出来たから、多少のことはね」

「借り……?」

「うん、君らのおかげで報道部の連中が仕掛けたトラップが見つかったからね」

「はぁ、トラップ……」

「たはは、こっちの話だよ」

 右京はバツが悪そうに笑って言った。話の流れは読めないが、どうも源士らのあずかり知らぬところで陰謀じみた事件が起こっていたらしい。源士はどんな顔をしていいか分からず、呆けた顔で「はぁ」と頬を掻いた。

「けど、それだけじゃないんだ。君の試合を見て、皆勢いづいてるからね」

「勢いづいてる? それは、意外な話だな」

 源士はてっきり、こんな三下が部のエースを熨したので、やる気をなくしているものだと思っていたが。

「言っちゃ何だけど、長尾君は強気が過ぎた。それで反発する子も、少なくなかったんだよ。そういう子たちにとって君が試合で彼を打ち負かしたのは、少しは気持ちのいい出来事だったんじゃないかな……部長の僕がこんなことを言うのは良くないんだけど。内緒だよ?」

 源士も大概のはねっ帰りだが、長尾に至っては実力も権力志向も強い男だ。部全体の面倒を見なくてはいけない立場の右京も、随分歯がゆい思いをしたのだろう。

「まあ、そんなわけで僕らとしては、君に感謝しているのさ。それに、プロと練習試合が出来るっていうメリットもある」

「デビュー戦もまだの新米だがね。なんにせよありがたいですよ……兵吾、こっちだ!」

 源士はガレージから出てきた兵吾を見つけて手を振った。

 小柄な兵吾がさらに小さく見えた。彼の曳くモーターバイクが遠近感を錯覚させているようだ。

「あ、あれが本物のワンオフか」

 右京が声を上ずらせながら言った。ワンオフ、つまり量産品のプロダクトマシンとは異なる、プロリーグで使う様な一点モノの高性能機だ。強豪チームが札束積んで作り上げるファクトリー品とはわけが違うが、それでも美晴が一から設計したマシンに違いない。

 源士の専用機だ。

「見た目には、プロダクトとあまり変わらないんだな……」

「そう思うでしょ? こいつ一台で練習機が十台は買えるんだから、注意してくださいよ」

 息を切らせて源士の傍らにマシンをつけた兵吾が、少々意地悪そうに笑う。だが彼の言っていることは事実だ。源士も初めて車体の値段を聞いたときは、肝を冷やした。

 深紅の外装がフレームを包み込むが、その割合はいささか少ない。カーボンとチタンのコンポジットフレーム、黒と鈍色の連なりが各所から見え隠れし、タイヤを支持するスイングアームなどはその素地を露わにしている。

 有体に言って、ブラスト用のモーターバイクとしては極めて軽量である。

 未だ実戦も経験していないマシンにはこれと言ったマーキングもなく、ただ簡素なレタリングで『KAI』と『KAXAN MkⅢ』の文字が刻まれているだけだ。なぜ『MkⅢ』なのか、それは源士も聞かされていない。

「壊せば一大事だね。躊躇ってしまうな」

「いや、気にせず本気で来てほしい。そうでないと、練習にならないからな」

「それも、そうか……たはは、お手柔らかに頼むよ」

 右京は苦笑して、自分のマシン――こちらは芦原ブラスト部の備品だ。もっとも、部長でレギュラーメンバーの右京にはそれなりのチューンが許されているようだが――に走り去っていった。

「ま、そうだよなぁ。俺だって、こいつを弄るのはまだ怖い」

 と、バッテリタンクに頬杖をついてぼやく兵吾。

「小心者だな、お前も。これから一年はこいつの面倒を見ることになるんだ」

 そう、源士もまた、このマシンを愛機とすることになるのだ。吉と出るか凶と出るか、それをこの練習試合で占うことになる。

「源士、準備はできた?」

 美晴だ。マシンのシステムチェックを終えて戻ってきたのだろう……が。

 源士は兵吾と顔を見合わせた。兵吾も肩を竦めて、首を傾げる始末だ。

 このところ、美晴の様子がおかしい。あのおしゃべりが打って変わって、物思いに耽るように黙りこくることが多くなった。

 原因は知っている。

 真田隆聖と言う男。

 『海野シックスセンス』の筆頭ライダー。

 そして、源士が初めて闘うことになるプロライダー。

 源士自身、あのヘラヘラとした笑い顔が脳裏から離れない。不気味な男だった。

 店先で隆聖とすれ違った後、源士も彼については多少調べた。真田隆聖は、確かに去年まで『甲斐カザン』のエムブレムを背負って戦っていた。それも、決して悪い成績ではなかったはずだ。

 だが、隆聖は『甲斐カザン』を後にした。そうしてスカウトされたのが、甲斐よりも遥かに格上のチーム。『海野シックスセンス』だったというわけだ。

 そんな雑誌の記事を目の当たりにしたとき、源士はいつぞや駒井雅丈が口走った言葉を思い出した。

『お前たちライダーに、忠誠心はあるか?』

 駒井にしてみれば隆聖は甲斐の裏切り者と言うことか。

 そして、同じ感情を美晴が抱いていても、おかしくはない。

 だが彼女は、普段から感情を決して隠そうとしない、強気を絵に描いたような彼女が、雅丈のように怒りを露わにすることはまるでなかった。

 それよりも、むしろ言葉少なく考え込む美晴は、そう。

(あまり、深く考え込んでなければいいが)

 だが、そんなこと面と向かって忠告できる立場でもあるまい。源士がこの事に口を挟むには、あまりに彼女らのことを知らなさすぎる。まして、プロとして駆け抜けてきた彼女らの苦悩など、とても源士には……

「今日はあくまでマシンの試運転だからね。六割くらいで流しなさい」

「六割、その程度でいいのか」

「まだどういう挙動するかも分からないのよ」

「そうだな、これが『三式カザン』のシェイクダウンだからな」

 美晴は、冷静そのものだ。無表情、冷たい視線でマシンを眺める。それはもう、不気味なほどに。

 その時、インカムが無線のノイズを拾った。それから、右京の声が続く。

『こちら高山。準備が出来たけど、そちらはどうだい』

 少し待ってくれ。源士がインカムに応えようとするのを制して、美晴が回線を開いた。

「甲斐です。こちらもいけるわ。じゃ、よろしく」

「おい、甲斐」

 早口で宣言する美晴を兵吾がたしなめる。が、美晴は言葉の代わりに、その冷めた視線で射て返した。

「……あによ」

「いや……お前、どうしたんだよ?」

「どうもしないわ。時間ないの。ちゃっちゃと始めるわよ」

 確かに、あの隆聖との試合までもう二週間ほど。マシンの調整には時間がいくらあっても足りないくらいだ。

 だが、それにしても美晴のカリカリした態度はなんだ。どうして、そんな冷たい目をする。

 気圧されて黙り込んだ兵吾をしばし睨み、美晴は「ふん」と鼻を鳴らした。

「頼むわね、源士」

 源士の肩を叩き、美晴はモニタリング用の仮設テントへと去って行った。

 後には、夜の静かな世界を薄く塗りつぶすように、モーターバイクのアイドリング音だけが鳴り響く。

「あいつ、やっぱり変だぜ……」

「俺もそう思う。けど、今は」

 はるか向こうにライトで照らされたライダーの影が伸びる。右京だ。

 そしてここには、深紅のモーターバイクがある。

 源士がブラストライダーである以上、やることは一つだった。

「兵吾、槍取ってくれ。行ってくる」


***


 マシンの乗り心地は、練習車両と大差ない。いや、シートが若干固いか。新車など、ついぞ乗ったことがないから。

 そうこうすると、モーターの振動まで気になりだした。大出力モーターだから震える、などということはないはずだが。

(ダメだな、俺までナーバスになってるらしい)

 源士は頭を振って雑念を払った。今は、この勝負に専念することだ。

 高山右京の試合は何度か見たことがある。ブラスト部の部長だけあって、その実力は長尾に及ばずとも、決して油断できるものではない。外連味はないが、安定した槍捌きに定評のあるライダーだ。

 シグナルが赤から青に切り替わる。

 やってみるさ、と源士はアクセルを開放した。

 モーターの回転音が徐々に高くなっていく。それと同時に、マシンが前進を開始する。

 中回転までの加速は、別段悪くない。源士の望むレスポンスでマシンはそのスピードを上げていった。問題はここからだ。

 源士必殺のデッドリーを機能させるためには、絶対に必要なものがただ一つだけある。

 絶対的な加速力。わずか五メートルを刹那よりも早く駆け抜ける加速力だ。

 このマシンに、それがあるか。

 なければ困る。現に、長尾とやりあったとき美晴がチューンしたマシン、あれは源士が面喰うほどだった。代わりに、他のスペックをあらかた犠牲にしたピーキーなチューンだったが。

 今回のマシンは、前のモノとは比較にならない程金のかかったワンオフモデルである。それを美晴が腕によりをかけてセットアップしたもののはずだ。

 ならばそれは、源士が腰を抜かすほどのモノでなければ困る。

 右京のマシンが迫る。落ち着いたフォームだ。気負いもなさそうに見える。さすが、頼りなく見えても部長、か。

 源士はランスを構えた。

 腰を据える。一発目から、全力でデッドリーを試すのだ。

 右京が構えた。スタンダードな態勢。おそらくは、テキスト通りの一般的なチャージング。

 であれば、先の先を取る完全なデッドリーは有利。

 今、源士はマシンのパワーを開放した。

 膨大な推進力を大地に叩きつけて、マシンは加速を開始する。

 下半身のバネをパワーに変えて、突貫――


***


 マシンは停車したが、クラッチの切られたモーターはまだ駆動を続けている。だが、その鼓動は、今の源士には随分と弱弱しいものに思えた。

 思わずマシンの紅い外装を殴りつけた。ひどく混乱している。血が昂ぶって、今にも沸騰しそうだ。

だが、こんなところで『怒り』を爆発させるわけにもいかない。

『あー、山県君。僕、何かまずいことした……かな?』

 インカムに右京の通信が入り込んだ。源士の背後で所在なさげに立ちすくむ、その声はひどく困惑していた。

 違う。右京が悪いのではない。むしろ彼は、まるで良くできたシミュレーターのように動いてくれた。弱すぎず強すぎず、今後の調整の指標となるように。

 例え源士の胸に、右京が放ったランスの擦過痕があったとしても、だ。

 源士は敢えて右京の通信を無視して、美晴の端末に回線を繋いだ。

「美晴、どうなってる」

 一瞬のノイズの後、確かに回線は美晴へと通じたはずだった。だが、美晴の返答はない。

 このマシンが本当に技術の粋を集めて造られたモノならば。美晴の、熱意の結晶であるならば。

 断じて許し得ない。焦れる源士は、声を荒げた。

「答えろ美晴……こいつは、どうしてこんなに遅いんだ!」

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