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流澄

たたた、と流澄は軽やかに廊を歩く。

他の女御たちが好んで十二単に代わる引き振り袖の裾を引きずるなか、流澄だけが時代の先端を取り入れるようにして外つ国の薄く光沢ある生地でつくられた衣装を身に纏っているのである。ぴったりと流澄の体の線に沿ってつくられた衣装の裾は床には触れず、彼女の歩みを阻むことはない。

流澄の目指す先はとある女御の一室だった。ひっそりと佇む御殿の一角に足を踏み入れた流澄はなんて閑散としているのだろうと眉を潜めた。女御の局に、誰とも会うことなくたどり着く。

パンっと不躾に襖を開いた。

局には布を広げた女商人と、それを囲う女房たち、そして御簾の奥に隠れた阿莉がいた。

驚いたように皆一斉に流澄を見る。流澄はにこりと御簾の奥の阿莉に微笑んだ。


「ごきげんよう、阿莉さま。失礼します」


そう言って部屋に踏み込む。

ハッと気づいたように御簾のすぐそばに控えていた栞奈が立ち上がり、声をあげた。


「流澄様、只今阿莉様はお客様との面談中にございます。おもてなしの御用意がありませんので、本日はお引き取りを」

「お構い無く。義父(ちち)よりうちの商人が粗相しないように、また阿莉さまにも良いものを買っていただけるようにと申し使ったのですわ」


流澄は女房の合間をぬって、商人の横に腰を下ろす。ちらりとこれから売り付けるつもりであっただろう反物を見る。

床には色とりどりの反物が川のように流れて横たわっている。流澄はその一つを手に取った。


「この柄とかどうでしょう。はらはらと舞う紅葉。紅は阿莉さまに良く映えますわ」

「ちょ、流澄様っ」

「それともこちらのはどうでしょう。すすきの色合いはとても落ち着いていて、目に優しいですわ」


商人があわてて止めようとするけれど、流澄は次々と手に触れながら反物を阿莉に勧めてみる。その合間に商人の表情をそっと窺うことも忘れない。


「そうね……やはりこれも捨てがたくはなくて?」


臙脂(えんじ)の色の反物に黄金の鶴の刺繍の反物に触れようとしたとき、商人の顔色が変わった。


「お止めください流澄様! 阿莉様への商品なのですから無駄に御手を触れないでいただきたい!」


これだ、と流澄は確信した。

きっと呪いがかかっているのはこの反物。私たち宮の女御が触れてはいけない禍物。そう確信した流澄はそれでもなお、商人から反物を奪った。

商人が震える手で奪い返そうとするのを、睨み付けて制止する。


「商人ならばもっとしゃんとなさい。床に反物を広げるだけじゃどんなものか分からないでしょう。例えばこうやって、身に纏うことで反物はよりいっそうその味を引き立てるのではなくて?」


臙脂の反物をくるりと羽織のようにして、自らの肩からかける。反物を前で合わせて重ねると、袿を羽織るように見えた。

流澄は五感を研ぎ澄ます。とくに怪しい気配は感じられない。自分の勘が外れたか。


「流澄様! お止めください!」

「はいはい。でもそうね、阿莉さま。この柄はこのようになりますが……」


くるりと向きを変え、阿莉の方へ向くと、反物がずれた。ちょいちょいと直そうと肩から落ちる反物を再び合わせたとき、背筋をまっすぐに恐怖がほとばしる。

そしてそれを知覚するや否や、流澄の腹部に鈍い衝撃が走った。


「……っ!」


よろめく。たたらを踏んだ。足を臙脂の反物にとられ、床に崩れ落ちる。


「る、流澄様!」


商人が青ざめて声をあげる。女房たちもきゃぁっと悲鳴をあげた。栞奈が御簾から離れ、あわてて駆け寄る。


「流澄様、大丈夫ですか?」

「だ、だいじょうぶ……それにしてもこの反物、今転んだときに糸がほつれてしまったみたい。こんなものは商品として売れませんから、下げますわ。私もこんな恥を見せてしまっては女御として恥ずかしく思いますし、ここは大人しく自分の局に戻ります」


早口で言い切ると、反物を羽織ったまま部屋を出た。そのつむじ風のような勢いに、一同は呆気にとられる。

しかしハッと気づいた栞奈が、阿莉にお見送りの申し立てをした。


「……せっかくいらっしゃったのでお見送りをしなければなりません。私が行ってもよろしいでしょうか、阿莉様」

「いいえ」

「え?」

「お見送りは不要です。代わりに主上をお呼びして、流澄様の元へ行くようにと」

「え、ええと」

「早くしなさい」


ぴしゃりと言い放つ。阿莉がここまできつく言うのはずいぶんと久しぶりで、腑抜けていた女房たちは思い出したかのようにざわつきだす。女房の一人が立ち上がって、局を抜け出した。

怪訝な顔をした栞奈を、阿莉は手招きする。それから御簾のうちにまで呼び寄せる。こっそりと耳打ちをした。


「商人を帰らせなさい。それから陰陽師を呼びなさい。穢れてしまうまえに……」


陰陽師。まさか阿莉の口から出るとは思わなかった。そして栞奈は察する。自分よりも正確に、情報もほとんどないままに、阿莉は状況を把握しているのだと。


「全く……こういうところばかり目がいくなんて、本当に嫌な女だこと……」


自嘲気味に笑う阿莉は、部屋を出た流澄に思いを馳せる。

あんなに優しい娘だからこそ、彼女は主上の心を掴んだのだろうと。


◇◇◇


自分の部屋までなんとか戻ると、流澄は褥に臥した。

出血が、ひどい。


反物に仕組まれていた呪いは、鶴と鶴の模様が重なると、羽織っている者に向かって鶴のくちばしが浮き上がり突き刺す、と言うものだった。着物に仕立てて着ればちょうど心臓を一突きすることも可能だったかもしれない。それを考えるとぞっとした。

下手に騒がれると困るから、女房にも気分が悪いとだけいって下がらせている。腹部に刺さった傷をどうするかを考えるのが問題だ。

とにもかくにも危険な反物を脱ぎ捨てる。せっかく取り寄せた外つ国の衣装も血に染まり、綺麗な空の色が台無しだった。


「……ん、っ」


血が床にぼたぼたと落ちる。外つ国の衣装が血を吸っていてくれたお陰で、歩いた道には血が落ちていないはずだ。

真白な褥が赤黒く染まる。臙脂の反物は血を吸ったのかどうかは分からない色合いだが、こんなにもあちこちを血に染めるなら、あの反物も少なからず血を吸っているに違いなかった。


なんとか褥から体を起こして、手頃な手拭いを手に取って腹部に当てる。治療をどうしよう。

このまま血を流せば自分が死ぬことをわかった上で、どうしようと考える。少なくとも流澄の女房には知らせるべきではない。あの商人から事情を聴いた家の者がどう対応するかが分からないから、何も知らない女房には何も話さない方が良いだろう。

どちみちこれは呪いものの類い。普通の医者には治せない。

陰陽師を呼ぶべきだが、さぁどうする。口が固くて信頼できる陰陽師は誰。


うつらうつらとする視界の中、必死に流澄は目を開ける。目を閉じれば永遠の眠りに一歩近づく。

かくかくと、体を支える手が震え始めた。あーもう、後の事を何も考えずに行くから。

震える手が流澄の体を支えきれずに褥に倒れ込む。

その時だった。


「流澄!!」


自分の名前を呼ぶ声と共に、誰かが流澄の体を支えた。流澄は知っている。この声、この腕を。


「…………きさら」

「喋るな。陰陽師をつれてきている。即刻、治すから。治すから」


泣きそうになりながら、希更は流澄を抱き締める。

消え入りそうな声で流澄は希更の名前を呼べば、希更はますます強く抱き締める。


「きさら、しんぱい、しないで」

「いやだ、もう一人は嫌だ。余の半身がまた失われるのはもう嫌だ。あの心のすきま風を、また余に味わえと、そなたは、そなたは……!」

「だいじょうぶ」


流澄はかすれた声で、それでも希更の耳に届くようにはっきりと言葉を紡ぐ。


「あなたは、もとから、ひとりなのよ。生まれるまえに、わたしといっしょにいても、きさらは、ひとりできさらよ。それに、阿莉さまが、いる」


私とあなたが別々に生まれ変わったその意味を、考えて。

そう言いたかったけれど、流澄の意識はそこが限界だった。瞼を力なく下ろす。

希更が青い顔をして、部屋の外に立たせていた陰陽師を呼んだ。

褥に流澄を横たえた希更は唇を噛む。


───こんなふざけた茶番、許す道理はない。

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