阿莉
【注意】
この物語は作者もびっくりな読者おいてけぼり展開上等物語です。初見で意味わからんと思いましたらその場でブラウザバック推奨。
登場人物解説等、おいてけぼり展開の補足はネタバレにもなりますし、本編でもないので活動報告にて。
天高く、乾いた風が紅葉した木々の子を乗せてくる。
ふわりと目の前を遮って廊へと落ちた葉を一つつまみ上げ、こんなところに来ては駄目よ、と彼女はもう一度風へと乗せてやった。葉はくるりと回りながら楽しそうに仲間のもとへと漂い落ちていく。
いつもならばこそこそと嫌な静けさが宮殿全体を覆い隠すというのに、今日はなにやら騒がしい。彼女にしては珍しく、表の喧騒に興味を示して部屋から出てきた。
彼女はこの内裏後宮七殿に住まう女御の一人だった。
しかしあの光の中に飛び込むには躊躇いがあった。
日陰者の君と嘲笑される彼女が堂々と表に顔を出すのは気が滅入るのだ。だから今、側つきの女房である栞奈に様子を見てきてもらっている。
彼女はそっと溜め息をついた。
栞奈は素晴らしい女房だった。自分にはもったいないくらいの。でも、それでも彼女が自ら望んで自分に仕えてくれているのだからこんな嬉しいことはなかった。
彼女がそっと落ちた落ち葉を見つめていると、きしきしと廊が軋む音がした。ちょうど彼女のいるところは角だから、こちらからは誰が来るのかうかがえない。
この廊は彼女の部屋のある局に繋がっている渡り廊。他の女御たちの御殿に繋がっている渡り廊とは別だから、ここを通る人など数が知れている。じっと待ってみると、やって来たのは案の定、栞奈だった。
「お待たせしました、阿莉様。他の御方の女房に捕まってしまいまして。でもそのおかげで色々と聞けました」
「まぁ……」
阿莉は少し心配そうな面持ちになった。ある事件があってから、自分は他の女御たちに歓迎されていない。女房たちの中でも、自分を快く思っている者は少ない。
そのことが頭をよぎって言葉に詰まっていると、栞奈はまた阿莉の悪い癖が出たと呆れたように良い放つ。
「阿莉様、心配しすぎです。大丈夫ですよ、顔見知りの女房に声をかけたら世間話に発展してしまった程度なので。まぁ、そのおかげで良いことが聞けたのでよいですが」
「そう……なの。それなら良かったわ。それで、その、良いことって?」
栞奈は阿莉の悪い思考がほぐれて別のことにすり変わったことに内心良かったと安堵した。この日陰者の君は『彼女』に自尊心を折られてから、すっかり自分に自信を亡くしてしまった。
それからというもの、心労が絶えなくなってしまったこの女御を支えるのが栞奈の仕事だと自負している。
栞奈はここで話すよりお部屋に戻ってからにいたしましょうと阿莉を先導した。
阿莉は音もなく廊に足を滑らせる。
衣擦れの音すら気を付けないといけないほどの気配の無さ。
こうやって阿莉はこの魔宮で生きてきた。
音もない気配もない存在感のない日陰者の君。権力も発言件もなくした、ただの優しい女御。責められてはしても敬われることなどない女御。この魔宮で彼女の味方になるのは栞奈を含めた僅かな女房だけ。
主上ですら、忘れてしまったかのように、阿莉の部屋へと渡ることをしなくなってしまった。
身を寄せあって生きるにはこの後宮は悪意に満ちすぎている。だからこの女御も必要以上に神経を尖らせてしまう。本当ならば、こんな必要もなく蝶よ花よと愛でられているはずだったのに。
でもそんなこと、と栞奈は心にぐっと閉まってにこりと微笑む。それこそ要らない心配はさせるべきではないのだから。
部屋に戻った栞奈は他の女官に指示を飛ばして阿莉の座を整えさせた。といっても、お茶の用意をさせただけだか。
錦で編んだ円座に阿莉は膝を折った。
皺にならないようにと、他の女房が重なる袿の裾をそっと広げた。
床に鮮やかな色彩が広がる。
葉菊の襲と呼ばれる、表が白、裏が紺青の色味が静かな部屋にぱっと咲いた。
さて、と栞奈は阿莉の正面へと膝を折った。他の女官たちも栞奈のすぐ側で何々と興味津々で聞き耳を立てている。それを横目に栞奈は苦笑したけれど、厳しくしつけることは無いから。
「では阿莉様。先程のことなんですが、どうやら商人が反物や着物を売りに着ていたようです。流澄様のお家がお呼びつけしたそうで、他の女御の御方も招かれていたようです」
「そうだったの……それなら私は表に出なくて正解だったのね」
自虐気味に笑う阿莉に、栞奈はいいえと強く否定する。
「どうやら主上がたまの贅沢だといって、別な商人から女御たちへの贈り物を見繕っていたようなのです。下手に商人から同じようなものを買っては持てあましてしまいます。ここは一つ、知らぬふりをして主上の来訪をお待ちした方が良いかと思います。なので私はあえて、お部屋にお戻りくださいと言ったのですよ」
「そうそう、それが賢くも可愛らしい女のあり方だ」
うんうんと頷いた栞奈の背後、女房たち含め、阿莉までもが声もなく目を丸くしている。一人栞奈だけが、その状況に気づいておらず、首をかしげた。よくよく自分の言葉に相づちを打った声を反芻してみる。
反芻してみた。
「~!? 主上っ」
「ははは、他の女御は商人に浮気をしておるからな。今ならもしやと思い、訪ねてきたのだ。久しいな、阿莉。幾月ぶりか。そなたを忘れることなぞ、やはりできぬ身であった」
すっとんきょうな声をあげて固まった栞奈を尻目に、この国の帝・希更は阿莉の元まで歩みより跪くと、驚いて声もでない彼女の手をとる。
さらりと衣擦れの音がした。
突然の来訪に呆然としていた阿莉は手に伝わった温かな温もりに、恥じらいながらもそっと上目遣いに主上を見た。嬉しさが込み上げて瞳が潤む。
「私の事など……つまらぬ女と捨て置いてくださっていれば、諦めもついたのに……。欲が、出てしまうではありませんか……」
「そなたの我が儘なら何でも聞くぞ。と言っても余にできるのはあまりないがな」
「こうやってふと思い出して、お渡りしていただくだけで十分でございます……」
「そうやって我慢するのがそなたの悪いところか」
ぐいっと冷たい阿莉の手を引くと、阿莉は不意打ちをつかれてふと腰が浮いた。それを逃さずに希更は力強く阿莉の手を引き、腰を抱く。そして満足そうに笑い、彼女の首もとに顔を埋めた。
年若い女房たちから色めきだった声が上がる。
阿莉は首もとをくすぐる希更の吐息にふるりと体を震わせた。頬にさっと朱が差す。
「……こほん。主上、それで御用件はなんでしょう」
「───そなた、空気を読んだらどうだ栞奈 」
「ええ、ええ、夜でしたらどうぞそのまま褥へとどうぞ。ですが今はまだ日も高く、女童たちの情操教育によろしくありませんから、どうかそこまでで」
むすっとした希更だったが、自分が大人の対応をするべきだと舌打ちをしながらも阿莉から体を離す。
そのまま阿莉の隣に用意された円座に腰を下ろした。
栞奈はようやくまともに話ができると安堵する。
「さて、先に栞奈が言ってしまっていたが今日は阿莉へと贈り物をするつもりで参ったのだ……とまぁ言いたいところだがな。そんなことより先に他の女御を出し抜いて阿莉に会うつもりだったから今日は手ぶらだ。また後日、贈る」
「まさか本当に会いに来ただけですか」
「そのまさかだ」
呆れた栞奈に、希更は堂々と答える。余は阿莉の夫なのだから何も問題ないと言外に主張する。
阿莉も言葉には出さないが、そんな希更の心遣いだけでも胸が一杯になった。
優しく微笑んでそっと希更の袖口から覗く指先に、己の指を重ねた。一瞬目を丸くした希更は、すぐに目元を和ませると、喜んで阿莉と指を絡めた。