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また夢で  作者: 黒井満太
第一章 
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人形の家⑥

 約三十分後。

 城見崎先生はもぞもぞっと動いたあとにゆっくりと顔を上げ、しばらく虚空を見つめていた。ただ僕の姿を認めると、目をぱちくりさせて、腕枕をしたままの体勢で一言……「すまない」と呟いた。

「いや申し訳ない。今日は暖かいだろう? 昼下がりの陽気にあてられて、こんな時間までぐっすりだよ」

 クッションを腕から外して、あくびをしながら大きな伸びを一つ。窓の方に一度振り向いたが、落ちてきている日の光のまぶしさに顔をしかめ、ずれた眼鏡は直さないまま僕の方に向き直った。

「城見崎諒子だ。常和大学梅ヶ谷キャンパス人文学部心理学科准教授。専門は心理学、環境心理学、生理心理学……といってもわからないだろうから、最近は人が見る夢の仕組みについて研究していると言っておこう。町川君の妹から話は聞いている。まずはかけてくれ」

 そう言って先生はあの縦に長い黒板の方へ向かっていった。そして起きるのを待っている間ずっと気になっていた、黒板にくっついている取っ手を引っ張った。

 すると壁からベッドが出てきた。パイプの脚付のベッドだ。黒板がくっついていた壁が床板となり、壁の中にはマットレスが収納されていたのだ。

「あまり人が部屋に来ることはないから、椅子を用意してないんだ」

 あまりのことに言葉も出ず、僕はマットレスをぐいぐいと押した。適度な弾力だ、それにいいにおいもする。ああ、すごく寝っ転がりたい。目的を忘れて寝てしまいたい――

「じゃなくて! なんで研究室にベッドが置いてあるんですか」

「快眠は環境あってこそだ。さっきみたいな寝方は本当は不本意なのさ……体のあちこちに負担がくるからね。ちゃんと寝ようと思ったら私はいつもそこで寝てるよ。疲れの取れ方が違う」

 そして「ほら遠慮せず、靴も脱いで構わないから」と勧められたので、言われるがままに僕はベッドの上で正座した。

 それから僕は、自分の見る夢の話をした。夢によく現れる白い少女のこと、顔だけが夢から覚めるとどうしても思い出せないこと。記憶している限りの夢の内容も話した。(といっても憶えていたのは最近見たプロポーズされる夢と商店街の夢だけだったが)

「わからないことばかりです。白い少女は誰なのか、どうして顔だけ思い出せないのか、そもそもなんで僕はこんな夢を見続けているのか。先生にはわかりますか?」

「まさか。そもそも人がなぜ夢を見るのかすら、まだ解明されていないんだ。ただしいくつか説はある。フロイトは知ってるよね?」

 名前だけなら、と苦笑いで答えると、先生は肩をすくめた。

「彼は自由連想法によって大勢の患者や知人の夢を分析した結果、全ての夢は夢見者の願望を充足させるためにある、とされる願望充足説を唱えた。なぜか? 夢は睡眠を保護するものであり、その睡眠を妨害するものとは、欲が満たされないことで生まれる悩み、苦しみだと考えたからだ」

 僕なんかでもわかりやすい考え方だ……ふんふんとうなずく。

「私の教え子にも、同じ女性を頻繁に夢で見ていたことがあると言う学生がいた。それは彼が当時別れたばかりの彼女だった。彼はしばしば夢の中で、シチュエーションこそ異なれど、その元彼女と復縁した後セックスの手前までいっていたらしい。ただ結局できずに終わるのだがね」

 急に普段男友達とも(ましてやナルとも)会話に上がらないセックスという単語が出てきてぎょっとした。城見崎先生はそんな僕を見て、「今のは笑うところだぞ?」と首をかしげた。

「ここでポイントなのは、その学生は実際にフラれた彼女のことが忘れられていなかったということだ。まさしく夢の中で忠実に願望充足がされている例だといえるだろう。無論、彼女がいなくなったことで解消できなくなった性欲の発散も含めてだ。最後までできないのは、それが夢の終わりだからだろう。目の前のごちそうを食べようとしたり、逆に怪物に食べられかけたり――そういう感情が昂るようなシーンで大抵の場合夢は唐突に終わる。いいところだったのにー、とか、死ぬところだった、とか夢を見終わった後思うのは、君も何度かあるんじゃないか? たとえば君が見たプロポーズされる夢など、落ちて海に叩きつけられて死ぬ前に、目が覚めているしな……あー、そんなきょとんとしないでくれ。すまない。話が逸れた。つまりだな」

 城見崎先生はここにきて初めて、ずれた眼鏡を中指でくいっと押し上げた。

「君がその白い少女と夢で頻繁に出会うのは、君がそれを心のどこかで望んでいるからだと思うんだ。君の想い人なんじゃないのかい?」

 唐突な問いかけにどきりとして、まさかと僕は首を横に振った。好きどころか、名前すら知らない女性だ。

「それは逆に興味深いな。夢と記憶には密接な関係があるんだが……まあ、それはまた追々説明するとしよう。まずは君にこれを渡す」

 そう言って先生は机の引き出しから、一冊のノートを取り出した。何の変哲もない、108円あれば買えるようなノートだ。

「君にはこのノートに、これから毎日、その日見た夢を憶えている限り書きだしてもらう。人間の脳ってのはどうでもいいことをすぐに忘れるものだから、一週間前の夕飯のメニューと同じぐらい以前見た夢を思い出すのは難しい。だけどこれに書いておけば、忘れても後で見て思い出せるってわけさ」

 夢の観察結果を綴ったノート……夢日記だ。

「君はなぜ自分がこんな夢を見続けているのかを知りたいと言ったね。だけど夢が潜在願望の表れである以上、君が一番よくわかっているはずなんだ。一通り書いたら、読み返してみるといい。そしてワケを考えることだね」

 寝坊のせいで、城見崎先生はもう次の予定の時間が来てしまった。僕が礼を言ってノートを受け取ったとき、先生はそのことを謝り、お詫びにとくれたのが新品のアイマスクだったので笑ってしまった。

 研究室を出て、廊下を早足で進む。通りかかったエレベーターをちらと見ると、この階でランプはとまっていた。

 僕はエレベーターのボタンを押した。守られてないルールより、少しでも早く家に帰って夜を待ちたいこの気持ちを、大事にしたかった。




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