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また夢で  作者: 黒井満太
第四章
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春の宵・光の夏②

 あの後、次の土曜日にあんたん家行くから、とナルは僕に言った。

 ちゃんと作戦も立ててあるから、と。

 僕は昼食の焼そばを頬張りながら時計を見る。今日がまさにその日なのだが、時刻は13時30分。ナルはまだ来ない。

「獏也、それ食べ終わってからでいいから後で畳の部屋に来なさい」

 洗い物をしている母さんが、唐突に告げた。畳の部屋とはつまり我が家の客間のことだが、掃除でもするのだろうか。特に重たい物を運びたいとき、母さんはよく僕を使う。一応「なんで?」と尋ねたが、母さんは無視してぬれた手を拭いて、先に畳の部屋へと入っていった。

 昼食を終え一息ついた後、やれやれと重い腰をあげて、畳の部屋へ続く襖を開けた。

 六畳のスペースの真ん中に、紅葉色の長机が一つ。その片側に母さんだけでなく、ばあばまでが座っていて、向かいには僕の分の座布団がもう用意されていた。掃除という雰囲気ではない。

「えっ、何……?」

 緊張した空気に思わず僕は固まってしまうが、母さんはそんな僕を睨み付け、そこに座れと顎で指図する。僕はおそるおそる座布団に正座した。

「それで、どこまで思い出したの?」

 抜身の刃を、後ろからいきなり首にあてられたような気がした。

 僕が先週倒れた後、母さんはなぜか、どうして倒れたのだとかいうことを一切僕に聞かなかった。

 僕のほうも、母さんは僕に昔のことを思い出してほしくないようだというのは承知していたから、記憶のフラッシュバックのことは黙っていた。

 そしたら、これだ。

 どういう意図で聞いているのかはわからないが、少なくとも母さんは僕が気絶した原因を確信しているのだろう。とぼけるのは無駄だと思った。

「僕が、父さん母さんとちゃみかんに行ったことは思い出したよ……それが、じいじとばあばの店だってことも」

 もともと居づらそうに縮こまっていたばあばの表情が、辛そうにくしゃっと歪んだ。僕はそんなばあばの様子を見て、続きを口にするのを躊躇ったが、それと同時に頭をよぎったのは、あの日初めて耳にしたカスカの声だった。

「母さん、知ってること全部話してよ。それができないなら、ちゃみかんの部屋のカギを渡してほしい。そこにあるものを見れば、思い出せそうな気がするんだ。何もかも」

 僕は身を乗り出し母さんに懇願した。しかし――

「座りなさい」

 しかし母さんの鉄のような表情は、微塵も揺るがない。

「私もばあばも、獏也には昔のことを忘れたままでいてほしいの」

「どうして!?」

「それが獏也のためだからよ」

 凛と発せられた言葉に気圧されて、僕はぺたんと腰をおろした。母さんは目線を下にして、僕に、というより自分に語り掛けるように、言葉をつづけた。

「悲しいことがあったの。だけど、それは誰かが悪いっていうものじゃない。事故……いやちがうわ、もうそうなることが決まっていた、運命だった。しょうがなかったの。どうしようもなかったのよ。でも獏也は優しいから、そんなことでもすごく責任感じちゃったのね。忘れなければ耐えられないほどに」

 やはり母さんは、僕が記憶を失った経緯を全部知っているのか。そして口ぶりからして、先生の仮説……つまり、僕が記憶を失ったのはそれほどショックな出来事があったから、ということで間違いないようだった。そしてまだ一度もその名を口にしていないが、悲しいこととは、絶対にカスカの……。

「先週あなたが倒れた姿を見て改めて思ったわ。あなたはこれまでもこれからも、優しくて幼い獏也のままなのね。だけど私はそれでいい。私のそばで、何も背負わず、のびのびと育ってくれれば、それで……」

 口調は穏やかだ。しかし、おまえは何も成長していない。だからもう余計なことはせず、母親のいうことを聞け……そう言われているのだ。

 だけど、それでも僕は自分の過去を知りたい。そして自分の夢に、カスカやちゃみかんが現れる意味を知りたい。その気持ちに嘘偽りはない。だとすれば、そのことをしっかり伝えられれば、きっと母さんもわかってくれるはずだ。

 だから。

 だから――


「あっ……」


 言えない。

 どうして言えない。

 恥ずかしいのだろうか。恐ろしいのだろうか。

 違う。何かもっと、違うことを言わなければいけない気がする。

 僕が過去にこだわる理由。夢に縛られる理由。それは本当に自分を知るため……だけなのか?

 そこが揺らいだら、もう母さんの言うことに従うしかないというのに。

 理由。理由。理由とは。自分のことなのにどうしてこうもわからない。僕は一体、何を――

「誰かしら」

 インターホンが鳴った。

 ばあばが出ようとして、「私が行くから」と母さんは手で制止すると足早に玄関へ向かった。

 きっとナルだろう。

 しかし助けがきたことが、逆に憂鬱だった。まずもって、ナルが早めに来ていたとしても、僕は実質一人で母さんを説得できると思っていたのだ。しかしこの体たらくだ。ナルははっきりいって部外者だ。そのナルが今の状況をどうこうできるとは思えない。結局母さんを説得できずナルも落ち込む未来しか、今のナーバスな僕には見えなかった。 

 やがて、母さんが戻ってくる足音が聞こえた。

 もう一人分にしては多すぎる足音とともに。

「へ……?」

 襖が開いた瞬間、阿呆面になった僕へ、ナルは勝ち誇ったようにふふんと笑った。

「ちゃんと作戦も立ててあるって、言ったじゃない?」

 ばあばは目を丸くして、母さんもいまだに信じられないという表情をしている。

「おじゃまするよ、望月君」

「ははっ、なんだい? 随分へこんじまってるじゃねーか、おまえさん」

 ナルの後ろには、城見崎先生と清水さんが立っていた。

 

 

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