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また夢で  作者: 黒井満太
第三章
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途切れたフィルム④

「おやぁ、またこんな時間に来ただ」

 ちゃみかんには、またも以前と同じ先客がいた。スキンヘッドにサングラスの男は、自転車にまたがったままの僕にひょこひょこ近づいて、「今日は彼女は一緒じゃないのかい」と茶化し、ギラッと金の歯を光らせた。

「夜じゃないと幽霊には会えないって言っただら?」

「昼だろうが夜だろうが、同じでしたよ」

「……何がだい?」

「……もちろん、会えなかったってことです」

 僕はカスカのことを話すべきでないと思った。もし正直に答えたら、心霊マニアと思しきこの人は多分信じるだろうし、そして嬉々として、ちゃみかんに通い続けるだろう。心霊スポットだと噂してもっと多くの人を呼び寄せることになるかもしれない。前回カスカは、男が去るまで僕らの前に姿を現さなかった。きっとカスカも避けたがっていると思うのだ。それに、相変わらず前とは色違いのアロハシャツだし、宝石だらけの数珠をじゃらじゃらさせてるし、見た目からしてうさんくさい。

 ただこの男の霊感が本物であることは、カスカ自身が証明した。当てずっぽうという線ももちろんあるが、彼は自信満々でここに幽霊がいると断言した。

 それが逆にますます気味が悪いのだ一応気さくには話しかけてきてくれているから、素性を探った方が安心できるかもしれない。

 ただ僕がそう思った直後、意外なことに男の方から同じような提案をしてきた。

「こう何度か会ったのも、何かの縁だら。少し自己紹介でもさせてくれないかい。さっきからおまえさん、毛を逆立てた猫みたいになってるしな」

 どうやら気遣ってくれたらしい。そんなに態度に出ていただろうか、出ていたのだろうな。気まずくなっている僕をよそに、男は自分のポケットをまさぐり、「あったあった」と折れ目がついた名刺を渡してきた。

白叡山妙禄寺はくえいざんみょうろくじ住職・除霊師 清水隆晃しみずたかみつ

「お坊さん、だったんですか」

 髪を剃ってたり数珠を首かけてたりしたのは、仕事柄というわけか。

「まあ普段は留守にしてるんだけどな。本業は除霊師だから」

 除霊師。触れないようにしていたが、まさか本業と言い張るとは。一度テレビで火に向かって数珠をじゃらじゃら手で擦りながらお経を唱えてるのを見たことがあるが、あれほど効果がよくわからないものに一回数万円も払う人の気がしれない。

「おまえな、他のと俺を一緒にすんなよ。俺は本物も本物、スーパー除霊師さ。俺の腕を見込んで世界中からお祓いの仕事が来るもんだから、普段は寺にいないってわけ。このシャツだって、ハワイへ真珠湾の亡霊を祓いにいったとき買ったもんだ」

 清水さんは、これが証拠だ参ったかとばかりにアロハシャツを見せびらかすが、もちろんそんなものがハワイで除霊をした証になるはずもない。しかし、停めてある彼の高級車や、宝石だらけの数珠から垣間見える羽振りのよさは、一介の住職というだけでは説明がつかない気もするし、何より霊感は間違いなくあるのだ。本当なのかもしれない。

 でもだとするなら、清水さんがここに来た理由って。

「お祓いするんですか、ここにいる幽霊を」

「しちゃまずいのか」

 僕の言葉に含まれる僅かな棘も見逃さず、清水さんは逆に僕とカスカの関係を疑ってくる。迂闊な質問だった。もしカスカを除霊に来ているのなら、なおさら話すわけにはいかない。だってまだ聞きたいことがいっぱいあるし、それに、それにもう二度と会えなくなった時のことを想像すると……なんだろう、胸がしめつけられる。

「悪い幽霊じゃないんですよね? だったら無理に祓わなくてもよくないですか」

 清水さんは、難しい顔をして顎を指でなぞりながらしばらく黙りこんでしまった。どんな反論をしてくるかと終始身構えていたら、唐突に僕の頭にぽんと手を乗せてきた。

「昔話をしようか」

 清水さんはそう言って、サングラスを外した。よく舌が回る性格と裏腹に、涼しげな切れ長の目をしていた。そして清水さんは、ちゃみかんをじっと見つめた。その遠い目つきは、ここにあったかつての景色を眺めているようだった。

「この建物は、以前はある老夫婦が営んでいたレストランだった。売りは健康志向のメニュー。当時はさ、カロリーとか栄養バランスとかを押し出したレストランっていうのは、そうそうあるもんじゃなかった。それでいて上品でうまい。おまけに窓から見える景色もいい。こんな辺鄙な場所に建ってても、噂を聞いて遠くからも客が来たもんだ。かくいう俺も、かつてはリピーターでね」

 思いがけず、昔のちゃみかんのことを知れた。レストランであったことは予想通りだが、人気店だったとは意外だ。しかしこの話が、僕の問いかけに対する答えにどう帰着するか、見当がつかない。

「店主のことは、みんなゲンさんと呼んでいた。基本は忙しくて厨房にこもりっきりなんだが、客が来たときは『いらっしゃい』と料理の手を止めて出迎えてくれて、食べ終わって出ていくときには『またきてね』とコック帽を脱いで送ってくれた。物静かだけど親しみがあって、みんなから好かれていた。ちゃみかんは地元の人にとって憩いの場でもあったんだよ」

「それが、どうして今は廃墟に?」

「店をやめると言ったのは、すごく急な話だった。体調が悪いと本人は言っていたが、それ以上に何か思いつめている風ではあった。困っていることがあるならと相談に乗ろうともしたが、周りの人間がどうこうできる問題ではなかったらしい。とにかく、ゲンさんはちゃみかんを畳んだ。そして一年もたたないうちに亡くなっちまったんだ」

 清水さんは一息ついて、遠い眼差しを元に戻し、僕の方へ振り向いた。

「久しぶりにここを訪れて、まだそのままにしてあったもんだから驚いたぜ。思うによ、きっと本当は、店を続けたかったんじゃねえのか。だから土地も建物も処分しなかった。そんで逝っちまった今も、それが未練となってここに縛られてるんじゃないか」

「ちゃみかんの幽霊は、ゲンさんだってことですか」

「どうも避けられてるみたいでな。そのせいでまだ見てねえけど、多分」

 もちろん違う。ここに留まっているのはカスカだ。名前も年齢も性別も異なる。

 しかし、ちゃみかんの店主というならカスカのこともきっと知っていたのではないだろうか。カスカがちゃみかんに縛り付けられていることを考えれば、カスカもまたちゃみかんと深いかかわりのある人物であることは想像できる。だとするなら、その店主とも同じぐらい深い関係……ひょっとしたらカスカの親戚なのかもしれない。

 清水さんは「つまり俺が何を言いたいかというとだな」と、いよいよ僕の問いかけに答えた。

「悪い悪くないは関係ねえんだ。この世を彷徨う霊なんてのは、等しく哀れなんだよ」

 カスカを貶められたような気がして、僕はカチンとくる。だが続く言葉で、僕はすぐに考えを改めた。

「もし俺の推測が全部正しかったとして、ゲンさんにもう一度店ができるかって言ったら、ムリだら? 諦めきれなくても、人から認識されることのない霊魂達に、できることなんて何もないのさ。だけどもそれを認められず、未練をずーっと抱えて、孤独に現世を漂い続けている。俺は死人じゃねえからあの世がどんな場所かは知らんが、霊にとっちゃここよりずっといい場所だと思うぜ。だってあの世には死んだ人間がいっぱいいる……一人じゃねえんだ」

 僕は、僕のことを知るためなら、何があっても後悔はしないと、そう決めてきた。

 だけど、カスカの気持ちを何も考えていなかった。この世に未練があるのは、幽霊ならカスカだって同じはずだ。普段はあんな誰もいない場所で、ずっと一人で籠って、できるかもわからない自身の未練を晴らそうとしている。それは一体どれだけ辛いことだろうか。

 もしかしたら、清水さんに全て任せれば、カスカはあの世に行って幸せに暮らせるのではないか。

 そう思う一方で、カスカと別れたくないと願う自分がいる。

 僕は、一体どうしたいんだ。

「……何を悩んでるかは知らないが」

 気付いたら寄っていた僕の眉間の皺に、清水さんは指先をコツンと当てた。はっとなって清水さんの方を見ると、まさに今サングラスをかけ直そうとしていた。

「死人に想いを馳せても、碌なことはないぜ」

 その言葉は、僕を一オカルトマニアとみての忠告か、それとも全てを見透かしていたのか。

 清水さんはそれだけ言い残して、去って行った。

 僕はカスカに会うために、ちゃみかんの戸口へ向かう。

 けれどもその足取りは、ひどく重い。


 

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