途切れたフィルム②
自宅が瓦屋根の家かどうか尋ねると、少なくとも僕の周りはみんな首を横に振る。だけどウチはそうだ。古い木造家屋である。フローリングとか柱とかいい感じに年季が入った色をしている。築何年かは知らないが、母さんが小学生の時に建てたっていうから結構なものだろう。
ただし古さだけではなく、広さも他の家に負けない。部屋の数は、僕と母さんとばあばの三人では到底使いきれないほど多い。当時は母さんの兄妹もじいじもひい婆ちゃんも住んでいたからちょうどよかったらしいのだが。
僕は今、帰り際に買った近所の有名なタイ焼きとお茶を盆に載せて、ばあばの部屋まで運んでいる。台所を抜け、立ち小便器と洋式便所の二つが並ぶ廊下を抜けると、ばあばのいる和室に着く。開けっぱなしの襖から顔をのぞかせると、ばあばは座椅子に腰かけ、裁縫をしていた。作りかけだった、つるし雛に飾る毬を作っているようだった。針を持つ手がぷるぷると震えていて、見ていてとてもはらはらする。
「ばあば、タイ焼き」
ばあばは、僕が声をかけてはじめて僕のことに気づき「あぁ、ありがと」と微笑んだ。僕はちゃぶ台に盆を置いて自分の部屋に戻ろうとした。ちらと振り向くと、ばあばは裁縫の手を止めタイ焼きに手を伸ばそうとしていた。
「……それ、結構熱いんだよ」
僕は踵を返してばあばの傍に座り、タイ焼きをばあばの代わりに取った。そして半分に割った。湯気がふわっと甘い香りとともに出てくる。僕は餡を冷ますためにふーふーと息を吹きかけて、ばあばに渡した。ばあばは、僕が急にそんなことをするものだからきょとんとしていたが、手渡されたタイ焼きをかじると顔をほころばせた。僕はそれを見てすごく安心した。
「バク君、そっちは食べていいよ」
まだ僕が手に持ったままの、タイ焼きのしっぽ側をばあばは指差した。実際、タイ焼き一つはばあばの胃袋には入らないのだろう。僕は遠慮せずかぶりついた。パリパリの生地と、しつこさのない甘さの餡がおいしい。
ばあばと二人きりで過ごすのは、いつぶりだろうか。こうしていると、まだ幼かった頃を思い出す。駄菓子屋に連れて行ってもらったり、鶴の折り紙をせがんだり、ばあばに甘えてばかりいた時間を。
「じいじってさ、どういう人だったの?」
病院に行ったときにおぼえた純粋な興味と、少しでも長くこの場にいたいがために、僕はばあばに質問を投げかけた。そんな僕の意図を探ろうともせず、ばあばは快く答えてくれた。
「よく言えばまじめで、悪く言えば頭の固い人だったよ。休みの日も研修会とかで家にいなくて、どこにも連れて行かなかったから子供達に好かれなくてねえ。家族旅行といえばお盆の墓参りぐらいで」
ばあばは口元に手を当てながら、ふふふと楽しそうに笑った。
「でも仕事ではいろんな人に慕われてたのかしらね、毎年こーんなにいっぱいお中元が届いたのよ。その中で、なんていったかしら、お高いチョコ菓子をいつも送ってくれる人がいて、それの取り合いでいっつも兄妹喧嘩になって――」
ばあばはその後も、いつになく饒舌に、今は亡き旦那のことを語った。それによれば、じいじは医者としての腕は一流で、遠方からもかかりにくる患者が後を絶たないほどの名医だったらしい。家では無愛想で子供の人気がなかった一方で、腕前と面倒見の良い人柄から周囲の人望は厚く、たくさんのお中元の送り主は、そうしてじいじに世話になったお医者さんや、過去に治療された患者さんからのものだったそうだ。医学界の偉い人の家にお呼ばれされることも珍しくなかったらしい。つまりそういう席などで、後々じいじも偉いポストに収まって椅子の上でふんぞり返ることができるという提案を持ち掛けられたらしいのだが、じいじは退職するまでずっと現場で働くことを選んだのだそうだ。
不器用だけど、自分の信念をまっすぐ貫く人だったと、ばあばは普段と見違えるほど生き生きした様子で語った。そんなばあばの姿を見れただけでもうれしかったし、今まで興味がなかった祖父のことについてもっと知りたいと思った。「写真とかないの?」と聞くと「芦ノ湖で撮ったのがあったかも」とばあばは棚の中を探した。
「はいこれ。一番左の仏頂面がそうよ」
飾らずにしまっていた写真立てを受け取り、僕はその中身を見て、愕然とした。
それは家族写真だった。背景には赤と白と金で彩られた芦ノ湖名物の遊覧船が映っていて、船頭には航海士のコスプレをしたガイドが立っている。家族旅行はあまりしなかったという話だったから、観光先で撮ったこの写真は貴重な一枚なのだろう。
まず写真の中央に、中学生から高校生の頃と思しき、母さんと母さんの兄、妹にあたるおじさんおばさんが映っている。そして三人を挟むように、向かって右側にばあばが、そして左側にじいじが映っていた。
僕はじいじの顔を見るのは初めてのはずだ。
しかし僕は夢の中でこの人に会っている。一度目は肉屋の店主として、そして二度目は白い少女の顔を確認した悪夢で。
正確には、全く同じ人物ではない。この写真は母さんやばあばの年齢を考えれば30年以上前のものであり、ここに映るじいじもまだ中年と呼んでいいぐらいの年頃だ。一方夢の中で出会ったじいじはちゃんと皺のあるおじいさんだった。それでも、夢の中でも見たしゅっとした鷲鼻とまつ毛の長いぎょろっとした瞳が、二人は同一人物であることを告げていた。
じいじは僕が生まれる前に亡くなったと聞かされていた。だけど夢に出るということは、夢が記憶の整理作業の産物である以上、僕はじいじに会っているのだ。しかし僕はそのことを憶えていない。
だけどそれは、じいじに限ったことではない。カスカだってそうだ。僕はカスカの幼い頃の姿を知っているのに、会ったことを思い出せない。これだけ何度も夢に出ている以上、城見崎教授曰く、強い感情が伴った体験であるはずなのにだ。
二人の共通点はそれだけではない。二人が出る夢には必ず、ちゃみかんが出てきている。思い出せないけど必ずある深淵の記憶、無意識の中で、二人とちゃみかんは紐づけられているのだ。
なぜ。
なぜちゃみかんに関する記憶だけがごっそり抜け落ちているのか。思い出を映画のフィルムにたとえるなら、まるでその部分だけが途切れてしまっているようではないか。
こんなのは普通の忘れ方じゃない。言うなれば記憶喪失だ。
我ながら突拍子もないことを思いついたものである。もしそうだとしても、記憶を失った理由なんて皆目見当がつかない。しかし、今までただ単に忘れているだけと思いこんでいたものが、記憶喪失となれば話は変わってくる。
なぜなら、記憶を失うような何かがあったということだけは確かだからだ。
僕は写真から目を離し、ばあばを凝視する。
ひょっとして、ばあばは知っているんじゃないか。ちゃみかんとはなんなのか、カスカとは何者なのか、その二つはじいじとどう関わりがあるのか。そして昔の僕に、何があったのか。
僕が口を開きかけたそのとき、後ろから声をかけられた。
びくっとして振り向くと、母さんが立っていた。
「獏也とばあばが話しこんでるなんて、珍しいこともあるじゃない」
母さんはそう言って口元を吊り上げた。それはきっと、ばあばのことを普段敬遠していた僕が以前のように親しくしていることを、喜んでくれているのだと受け取りたい。
だけど母さんの目は笑っていなかった。
「ばあば、ちょっと」
母さんはばあばを連れて、部屋から消えた。
僕は二人が戻ってくるのを待った。
しばらくして、ばあばは部屋に帰ってきた。
「ばあば、ちゃみかんって知ってる……?」僕はおそるおそる尋ねた。
ばあばはそっけなく、さあねえと呟いた。