途切れたフィルム①
僕が父や母をパパ、ママと呼ぶのが恥ずかしいと思ったのは、小学4年生のときだった。友人の前で家族の話をしたときにうっかり口にして、それを馬鹿にされたのがきっかけだった。それ以後僕は父と母を「父さん、母さん」と呼ぶように努力したのだが、祖母、羽根田夏江を「ばあば」と呼ぶのは今でも変わっていない。「婆ちゃん」よりもどこか親しげな響きが、おばあちゃん子の僕には良かったのだろう。小学生の時は月に2度ばあばの家に家族で遊びに行っていた。自宅のアパートよりずっと広い家の中を探検するのも、当時飼っていた狸のような顔のボーダーコリーと遊ぶのも、そしてばあばと学校や友人の話をするのも、みんな楽しみだった。
だからばあばが入院したと聞いたときのショックは大きかった。僕が小学6年生の夏のことだ。パーキンソン病という、一言でいえば体がうまく動かせなくなる病気だった。退院はできたが、以後は薬やリハビリで症状を抑えられるだけで、ずっと付き合わなければいけないものだ。ばあばは時々来る親戚やお手伝いさんのおかげでこれまで一人で暮らしてきたが、それももう限界だった。
誰かがばあばと一緒に暮らさなければいけなかった。そして親戚の中で一番ばあばの家に近いところに住んでいた(といっても同じ県内というだけで距離はあったが)ウチに白羽の矢が立った。ただいずれそうなるであろうことは誰もがわかっていたことだった。いつまでも健康でいられる人間なんているわけないのだから。
引っ越しの時期は、僕が小学校を卒業したときで決まりだった。父さんは残って単身赴任、母さんは引っ越し先の地域の保育園に就職した。そして僕は、見知らぬ人だらけの中学校に心細い気持ちで進学した。
退院したばあばは、別人のように弱々しくなっていた。動作一つ一つが緩慢で、声はかすれ、いつも小刻みに体を震わせていた。自分より力の強いコリーと元気に散歩していた、以前の面影はそこになかった。その犬もばあばが退院して間もなく死んでしまった。
そのやつれた姿を見るのが辛かったせいと、自身の成長に伴い、次第にばあばとの口数は減っていった。一つ屋根の下で住むことになったのに、互いの距離は逆に開いていってしまった。その溝は今もなお埋まっておらず、先週三度目の入院が決まったときにも、僕には他人言のように感じられ、ひどく自己嫌悪した。
退院日の今日、家に帰ったとき、入れ違いになってばあばを迎えに行こうとした母さんを見た瞬間、心がざわついた。急について行くといった僕に、母さんは訝しみながらも、嬉しそうな顔をしてくれた。ただ僕にとっては、ばあばへの思いやりというより思いつきの罪滅ぼしであり、それがくだらないものだとわかっていても、何かせずにはいられなかったのだった。
ばあばの入院している病院は、自宅から車で15分ほど、山を切り開いた場所にでんと構えられている。全国有数の特定機能病院なのだそうだ。病院自体は昔からあるが、数年前に改築されたおかげで中はとてもきれいだ。象が寝返りを打てそうなほど広いロビーで、番号札を受け取って、僕と母さんはばあばの病室へ向かった。
病室のばあばと顔を合わせると、「あらぁバクくん」と寝たまま微笑んでくれたので、僕はほっとした。今年で80歳になるけれど、白髪があまりない生えそろった髪は実年齢よりも若く見せてるし、親しみのある柔和な顔つきは昔から変わらない。ただ、入院する前と比べて、どうしても一回り小さくなってしまったように感じられるのも事実だった。実際一週間も寝たきりでは、元気でいられるはずもない。逆に今日でここから連れ出せることが僕は嬉しかったし、家で待っているだけだったらこんな気持ちにはきっとならなかっただろうとも思った。やっぱり来てよかった。
「ばあば着替えさせるから、獏也はこれで飲み物買ってきて」
ばあばはまだ、もこもこした寝間着のままだった。僕は母さんから500円玉を受け取り、売店へ向かった。しかし病室にたどり着くまでに、エレベータを乗り継ぐときも病室までのあちこち曲がる道も、何も考えず母さんについていったので、ロビーの1階下にある売店まで行くのに迷って時間がかかった。
母さんに苦いもの、ばあばにすっきりしたもの、僕には甘いものを選んで、ビニール袋をプラプラさせながら戻ると、ばあばの病室から黒縁の眼鏡をかけた男性が出てきた。おじさんとおじいさんの境ぐらいの年に見える。白衣を着ているからここの医者なのだろう。去り際に何度も頭を下げていて、その腰の低さが気になり、飲み物を渡す最中なんとはなしに彼が誰だったのか尋ねた。
「ああ、じいじの部下だったそうよ」
母さんがさらりと言ったことに「ふーん」と適当な相槌を打とうとして、はっとなった。
「え、じいじってここで働いてたの!?」
「言わなかったっけ」
じいじ……祖父のことを僕はあまり知らない。僕が生まれる前に亡くなったからだ。仏壇はばあばの部屋にあるが、遺影が飾ってあるわけではないから顔すら知らない。実際なにも憶えてないんじゃ僕にとっては赤の他人のような気持ちでいたので、じいじの話を特に聞こうとしたことは今までなかった。
「お医者さんだったの?」
「実は名医だったそうよ。じいじに診てもらうために遠くから来る人もいたんだってさ。全然そんな風に見えなかったけどねえ」
話はそこで切れて、まだふらふらするばあばが倒れないように手をつなぎながら、僕たちは病院を後にした。
車に乗る前に、病院の方へ振り返った。この田舎には不釣り合いなほど大きな入院棟が、僕を見下ろしている。今まで何とも思わなかったその景色が、じいじが昔働いていた場所だと知って、親しみがわいた。
そして僕のじいじへの興味も、ゼロではなくなったのだった。